第95話
三十.[クムラギ大襲撃/小さなサムライ]
猟師小屋の中で息を潜めている三人の子供とお爺さん。
ユタは武器を握る自分の手がじっとりと汗ばんでいることに気附いた。大きく息をついて、親友の顔を見た。リュウも緊張した面持ちだったが目が合うとにっこり笑った。「大丈夫だよ」と言った。ユタは頷いた。
リュウだって怖いに違いない。でも、一生懸命勇気をふりしぼってるんだ。僕だって頑張らなきゃ。それに、女の子だったらもっと怖いに違いない––、そう思って隣を視たら、そうでもなさそうだった。この子は違うな––。
一番悠然としていた。泰然自若。
彼なりにこう理解した。まだ、怖さを経験したことがないんだ––。
恐怖を知らない。だから怖がってない。けれど、できれば、知らないままが良いに決まってる。怖い思いなんてさせたくない。妹を護ってやれなかった。怖い思いをさせた。護ってやりたかった––。
唇をかみしめた。もう、誰にも、怖い思いをさせない。みんなを護りたい。自分の力で。
手鉾を握る手に力が入る。自然、目から怯えが消え、勇気がともった。
「マアシナさま。ご加護を」口中呟いたら、リュウも気附いて同じ言葉を言った。「マアシナさまのご加護を」
二人の少年は頷きあった。
独特の臭いが漂ってきた。板壁の隙間から入り込んできている。お爺さんが言った。
「狼煙を焚いているようじゃ」
「何の合図でしょうか?」リュウが訊いた。
「うむ。おそらく……」お爺さんは唸るように呟いた。
下生えに潜んでいた蠻族が一斉に狼煙を焚いたなら、それは攻撃の合図。クムラギへ向かって進撃するに違いない。だとすれば、ここは?
みんなが不安に思ったその時。
タン、タン、タン、と立て続けに壁が鳴った。
「矢が打ち込まれた」お爺さんの緊迫した声音。「火矢か?」
すぐにお爺さんの思ったとおりだとわかった。漂うきな臭い臭い。板壁の隙間から入ってくる煙。
「壁が燃えてるの?」当たり前の事を訊いたニニ。中からはわからないが、外側は火が舐めているはず。
「そうじゃ」お爺さんは深刻な顔で口早に答えた。
さらに打ち込まれる火矢。タンタンと立て続けに四方の壁に。
「丸焼けになっちゃう。早くここから出なきゃ」
大慌てのニニ。しかしお爺さんは慎重だった。
「よいか。お前達は扉の横に立ちなさい。決して前に出てはいけない。」そう言い含めて、お爺さんは自分も身を隠したまま、バッと扉を開けた。
途端に土砂降り雨の如く飛んできた矢。扉の周りを蜂の巣にし、さらに小屋の中にも飛び込んできた。
「ほらな」
目を丸くしている子供達にお爺さんは肩をすくめてみせた。子供達が怖がらないように、おどけてみせたつもりだった。
しかし怯えている子は一人もいなかった。三人とも目を見開いて驚きながらも、次の瞬間には懸命に考えていた。どうすればよいかを。
しかし敵は考える時間を与えてくれなかった。小屋の中に打ち込まれた数本の火矢。奥の壁に刺さった。
「きゃ」ニニが叫んだ。「大変」
お爺さんが慌てて扉を閉じ、ユタとリュウが火を消しに走った。しかし油を含んだ布。炎は消えない。壁を焦がし今にも燃え広がりそう。「駄目だ」ユタは唇を噛んだ。
ここにいては焼け死ぬ。が、外に飛び出せば雨のような矢を浴びる。
すでに小屋の中は熱を孕んだ煙が薄ぼんやりと景色を歪めて漂っている。滝のように流れ出る汗。必死に火を消しながらユタは思った。
火を熱いと感じるのは、体––。
斬られたり、刺されたりして、痛みを感じるのも。体が、僕なの? それを怖れるのは、『僕』なの––?
その時、彼は何かを感得した。とても言葉では説明できない答えを。それを簡潔に説明する言葉は、こことは違う世界にある。侍。その死生観。
ふり返った彼はみんなに言った。
「お爺さん、扉を開けて。僕が一番に駆け出す。敵が僕を狙っている間に、小屋から逃げて」
「何言ってんの? あんた死んじゃうわよ」ニニが吃驚して言った。
お爺さんも言った。「そうじゃ。お前さんを行かせるくらいなら、わしが矢の的になるわい」
その時にはみんな頭を低くして、袖布を口に当て、煙を吸わないようにしゃがんでいた。その姿勢で話していた。
「でも、お爺さんより僕の方が足が速いもの。大丈夫。きっと矢が当たる前に物陰を見つけて」
ユタの言葉はニニの悲鳴にも似た金切り声にさえぎられた。
「きゃああああ。私、すごいの持ってるのっ。どうして今まで思い出さなかったのかしらっ。ニコ母さんから貰ってたの。出発前にお母さんがくれたのっ」
腰の革帯の鎖輪に、ずらり鈴なりにつけられた黒革の巾着袋を指した。
勿論、彼女は呪文文言も憶えていた。ツパパク。それは先住民の言葉で屍の意味。粉の製法は、彼女にはまだ難しい。しかし粉をまいて呪文を唱えることは、できる。
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