第94話
二十九.【クムラギ大襲撃・猟師小屋】
この町は徐々に大きくなり、その都度都度に壁を築いてきた。それが幾重にも町を遮り取り囲んでいる。内側の物ほど古く低く、外側へ行くほど高く頑丈。
その壁の上から上へと跳んだ。壁から壁へ。時に駆け。北へ、北へと。
蜥人が侵攻する只中にあり生きていられるものなのか、その事についてアオイは微塵も考えなかった。生きていると信じていた。
ユタならきっとどこかに隠れて身を潜めている––。必ず見つけ出して助けてやる––。そう信じて。硬くつないだ手に、交わす眸に、リリナネも同じ思いと。
北端の防壁へ辿り着いた。眼下、雲霞の如く蜥人が詰め寄せている。奇怪な吶喊の声下方に満ちている。それよりも。見渡す限りの広大な森。その森一面から狼煙、無数。アオイはグッと唇噛んだ。
本当にこの中にいて生きていられるのか––。
●
時は少し遡り。
落ち葉踏みしめて歩く、木漏れ日あふれる森の中の小道。平和を絵に描いたような光景。その中を進みながら、しかし三人の子供は言いようのない違和感を感じていた。目で見て分かるものではない。肌にまとわりつく嫌な感触。
「なんだろう……。いつもと違う……」ユタが違和感を口にすると、
「やっぱり何か変なの?」リュウが訊ねた。
「うん……」しかしユタは違和感の原因を答えられず口をつぐんだ。
「モコが変なの」ニニも口を挟んだ。「袖の中から出てこないの。怯えてるみたい」
ユタは頷いた。
「この森に小動物が怖がるような肉食の獣はいないはずですけど……。なんだろう? やっぱりちょっと変。とにかく、もう少しでマシキお爺さんの猟師小屋に着きます。急ぎましょう」
まとわりつく嫌な感触を振り払うように足早に歩く三人の子供。
引き返さなかった彼らは賢明だった。引き返そうとしたならば、即座に命は無かったはず。
やがて小屋が見えた。やけに静かだった。煙突から煙も出ていない。
「いないのかな?」
首を傾げながら、友達二人をふり返って見たユタ。同じく首を傾げる二人にさらに首を傾げてみせ、ユタは扉に向き直り戸板をコンコンと叩いた。
「マシキお爺さん。僕だよ。ユタミツキだよ。いる? いないの?」
まったく足音も何もしなかった。人の気配も。けれど扉がギィと軋んだ音を立ててわずかに開き、そして顔を出したマルマシキ老人は目を丸くしていた。声を押し殺して言った。
「お前達。いったいどうやってここまで来た?」
「え……?」
「気附かなかったのか? 森中、蜥人だらけだ。下生えの木々の中に伏せている。よく無事で……」お爺さんは喉を詰まらせた。
「ともかく、中に入れ……」三人を中へ入れた。
そこは粗末な猟師小屋。床は土間で壁には雑多な道具類がかけられている。縄や野鳥網。山鉈や弓や矢坪など。
三人とも今はもう理解できていた。自分達がどんな場所を抜けてきたのか。ずっと感じていた気配は何だったのか、注視されているような厭な感覚は本当にその通り、言葉通りだったことに。
「どうしたら良いのでしょう?」
リュウミチモリがお爺さんに訊いた。
「わからん。ここにいれば無事というわけではない。今までは、奴らはおそらくこの小屋は無人だと思っていたじゃろう。だが、今は違う。きっとお前さん達を見ていたはずじゃ」
「襲ってくるかしら?」ニニが口を挟んだ。黙っていられないといった顔附きで。
お爺さんは腕組みをしてううむと唸った。
「おそらく。奴らの目的はクムラギ襲撃に間違いないが、だからといってここにいる人間を殺さずに見逃す道理はない」
「お爺さん」青ざめた顔ながらも意を決した様子でユタが言った。「あの山鉈をもらってもいい?」壁に掛かっている山鉈を指差した。それは刃渡りがとても長い。短めの剣くらいある。しかし柄は短い。山歩きをするとき、蔓などを切り払う刀。
「勿論良いが……。あれで戦うつもりか?」
「うん。でも、もっと柄が長い方がいいから、僕は子供だから、蠻族と戦うにはもっと長い柄の方がいいから、あそこにある鎌の柄と取り替えようと思って」
柄の長い鎌を指した。それは、雑草などを払うための鎌。柄が長く得物にはちょうど良いが、蜥人の硬い皮膚を斬り裂くには役不足。
「よしよし。心得た。わしが柄を取り替えてやろう」
鎌も山鉈も少し変わった形状で、柄を差し込み楔で留めるようになっている。
お爺さんは金槌でトントントンと叩いて刃を外し、あっという間に柄を取り替えてくれた。楔の頭を金槌で潰して、刃が抜けないようにしてくれた。
出来上がった得物を見てリュウが顔を輝かせた。
「やあ。即席の手鉾になったね」
ユタは笑顔で頷いた。硬い表情ながら。僕だって、頑張らなきゃ。彼は勇気をふりしぼっていた。己を鼓舞して。
否。それでは多少意味合いが違う。その必要はなかった。
彼は思い出していた。それだけだった。戦いにおもむくアオイの後ろ姿。その背中を。その姿を心に思い描いていた。
お爺さんはもう一本同じものを作ってくれた。リュウが受け取った。リュウはユタの顔をのぞき込んで訊いた。
「大丈夫?」
ユタは頷いてみせた。唇を硬く結び。
「うん」
「一緒に戦おう」
リュウは笑ってみせた。勿論、彼も怖い。怯えている。けれど友人の心情を慮れば、そんな怯えは消え失せる。
そしてまた。
年下の女の子の前で格好悪い姿は見せられない。その矜持は二人共通。
その年下の女の子が言った。
「私のは作ってくれないの?」
お爺さんはたしなめた。
「お前さんには無理じゃ」
しかし口を尖らせて続けた。
「でも、あそこに子供用の槍みたいなのがあるじゃない。私、あれでもいいよ」
「あれは、投げ槍じゃ。わしが使う。もしもお前さんがあれで戦って運良く蜥人を刺せたとしても、致命傷を負わせるどころか、一瞬で槍を持って行かれるだけじゃ」
「なんとかするわ」
「なんとかならぬ」
●
地平線まで続く北部森林地帯。目前にして、あらためて顔を見合わせたアオイとリリナネ。いったい、この何処を捜せば良いというのか。狼煙数多。森の至る所から立ちのぼっている。しかし。
リリナネが見つけた。目を凝らして森の奥を見つめて。
「あそこ。あの煙は狼煙じゃないわ。火事よ。きっと何か小さな建物が燃えている」
「小さな建物?」森の中にある小さな建物といえば猟師小屋以外ない。「じゃあ、もしかしたら、そこに……」
シシ肉を探して猟師村まで行ってみつからなかったら、森の猟師小屋を訪ねたかも知れない。ユタなら知り合いの猟師もいるはず。伝令の話を思い出した。村人はこうも言っていたという。子供だけでなく、猟師のお爺さんも一人、森へ入ったままだと。
「伝令の人の話の……マルマルなんとか爺さん。もしかしたらユタはそのお爺さんの猟師小屋を訪ねたんじゃ……」
リリナネは焦りを隠せない表情で言った。そんな変な名前じゃなかったと思うけど、と前置きして。
「そのお爺さんの猟師小屋に隠れていて火をつけられたのかも。アオイ。あそこまで一気に跳べる?」
一瞬答えに詰まったアオイ。マルマルが変だと言われて常識を覆された気がした。それが変なら、変な名前でいっぱいだった。マルマルが変でそれらが変でない理由がわからない。第一この人の名前はどうなんだ––。
が、今は悠長にそんな事を考えていられる状況ではない。
「跳べます」と答えて「いや……」と言い直した。考えるまでもなかった。あそこを睨み据えて跳んだら煙の中、火災の真上。少し脇を睨み据えて跳んでも、樹木の上。続けて跳ぶ先は樹木の天井以外ない。運が良ければ枝をつかめるが。彼一人だったらそれでも良いが。
「いったん、下に降りましょう」アオイはキトラを抜いた。「リリナネさん、俺の肩につかまって」
「わかったわ。お願い。頑張って。アオイ」
「はい」
森の中を小刻みに跳んでいく。群れなす敵を斬り伏せながら。息つく間もなく跳ぶ。子供達を見つけるまで。無限跳躍。
アオイは唱えた。眼下、雲霞の如く蜥人群がる地上を見据え。
「フル」
蜥人つめるただ中に躍り出た二人。すぐさまリリナネが剣呪で、アオイが剣で周囲を制圧する。押し寄せる隙を与えなかった。リリナネがアオイの肩に触れる、アオイはすぐさまフル唱え、森の中へ。そこで押し寄せる敵を斬り伏せ、再び跳ぶ。その繰り返し。
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