第64話

二十五.[はぐれ雲]


 シュスらの出立は明後日と決まり、慌ただしく準備が為された。その間アオイはどちらかと言えば蚊帳の外だった。来客の増えたタパの廟堂で、ユタを手伝って料理の支度や掃除をした。忙しい時間の合間を縫ってイオワニの道場へ行くと、こう言われた。


「俺が留守の間、一番弟子に道場を任せる。稽古に来いよ」


「誰ですか?」アオイが問い返すと、

「楽しみにしとけ」イオワニはニヤッと笑った。


 その翌日の早朝。


 朝の静かな時間に黙想するためマアシナの部屋へ行くと、リリナネがいた。座って目を閉じて。人の気配に顔をあげ、アオイを見て少し慌てた顔をしたが、すぐに大人っぽい微笑みを浮かべて言った。


「おはよう。朝早くから偉いのね」


「リリナネさんも。早いですね」

 アオイは誤解を解くいい機会だと思った。あれ以来まともに話す機会がなかった。


 が、「私はもう済んだところなの。じゃあ」立ち上がりかけたリリナネ。


 アオイは慌てて言った。

「あの、少しお話ししませんか?」


「え……、いいけど……」

 リリナネは困惑気味に答え、座り直した。


 アオイは敷物を敷いて座った。「ええっと……」。咄嗟にお話ししませんかと言ったものの、何処から話したらいいのか分からない。『ルル・オシヌミさんとはただの友達です』と切り出すのは、どう考えても変だった。ツキツキ辺りから話すのが適当だと思った。


「ツキツキって楽しいですね」


 そう言われて女性が思うことは、『そんなに楽しかったのね』が普通。リリナネもそう思った。


「そうね」


 気のない返事が返ってきて、アオイは口ごもった。失速した。


「はい。……誘われて何となく行ってみたんですが……、楽しかったです」言いながら、これじゃあ遠回しすぎると感じた。「えっと、その……」ルルオシヌミには申し訳ないが正直に話してしまおうと思った。「交際を申し込まれて……、友達ならいいですよと答えたんですが」


「え?」

「変に期待させるような感じでまずかったでしょうか?」恋愛相談、これだ、と閃いた。


 リリナネはにこっと笑った。恋愛相談、彼女もそう受け取った。


「そうね。やっぱり期待しちゃうと思うわ」

「そうですか……」


「お付き合いしてあげたらいいじゃない」笑みを浮かべてリリナネは言った。


 アオイは少なからず感じた。まったく脈がないみたいだな、と。「いえ……、そういうわけには……」


「どうして? 他に好きな人がいるの?」


 それはジャブだった。とんできたジャブに、アオイはそれとは気附かずカウンターを当てた。


「はい」


「あら」紅鳶の眸が快活に見開かれた。興味津々に。「誰かしら?」


 相手は初心者だった。もしもアオイに幾ばくかの経験があれば、KOパンチが放てたところだったが、アオイも初心者だった。そのうえ記憶もなかった。


「いえ……」目をそらした。言えるわけがないと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る