第27話
「無理な注文だったのでしょうか?」
鍛冶屋を出て訊くと、ミチモリ氏は笑って答えた。
「この注文は気に入ったはずです。気長に待てというのは、納得いくまでやらせろということです。きっと良い仕事をしてくれるでしょう」
「そうですか……」
「さあ。気長に待つにしても、とりあえずの剣は必要です。刀剣屋へ行きましょう」
昨日訪れた刀剣屋へ行き、上等な一振りと言っていた剣をミチモリ氏は買った。
鞘は銀で装飾された白造りで、柄は灰色に染色した革がまかれ、柄がしらの環状の飾りはアレに似た劍竜を単純化した意匠だった。単純化したらますますアレだった。鞘に銀製の帯取金物が二つ附いていて、綺麗な紐を通して腰につるすようになっていた。
刀剣屋の主人は券を一枚くれた。
「その券が二枚たまると尻鞘と交換できます」
「むう。俺はもうその券が何十枚も貰えるくらい買ってるじゃないか」
ミチモリ氏が抗議すると、主人は申し訳なさそうに言った。
「相済みません。今月から始めた特典ですので……」
「だったら―」ミチモリ氏は店主の後ろの壁に飾られている手鉾を指した。
「アレも買う。そうしたらもう一枚券が貰えるだろう」
それは高価な物で、それ故、客の触れない場所に飾られている物だった。柄には絡みつくように龍が彫られている。両刃の鉾身は稲穂型。鈍く輝いていた。
ミチモリ氏はアオイをふり返り言った。
「実戦で斬馬刀はとても有利です。一本持っておいた方が良いでしょう」
「いや……でも、尻鞘は特に必要ではないですし……」刀、胴服、靴、かなり散在させていた。それだけでも恐縮なのに、尻鞘の爲に斬馬刀まで買わせるのはさらに恐縮だった。
「斬馬刀はいずれ必要になりますよ。そうそう。馬は要りませんか?」
「いえ、とんでも……その、多分乗ったことが無いと……」
「でも記憶がないのですから。ひょっとしたら弓も」
「いや、もう、あの……、多分絶対無理ですから、」
ほくほく顔の店主は、尻鞘交換券を二枚くれた。ミチモリ氏も満足げに笑った。
「色々買い物をしたらけっこう時間がかかりましたね。私はそろそろ政治堂へ行かなければなりません。お廟へ帰る道は分かりますか?」
刀剣屋を出るとミチモリ氏は言った。アオイは丁寧にお礼を言って、ミチモリ氏と別れた。
足下は戦履き、鉄の歯をカチャカチャ言わせ、剣を左手に持ち、右手に鉾を持って、廟堂へ帰った。
廟堂の門をくぐると、庭にリリナネがいた。庭の石に腰掛け頬杖をついて、独り手持ちぶさたに。アオイの姿を見ると立ち上がった。
「交点について教えてあげなさいって、タパ様に言われたから」にっこり笑った。
「すみません。待ってくれていたのですか?」
「ううん。気にしないで。忙しいんでしょ。随分買って貰ったのね」
「はい、申し訳なくて……」
「いいのよ。リケ様はホントは自分が戦いたいの。でも、足が不自由だから……。期待に応えてあげて」
「はい……。あの人の足はやっぱり……」
「遠征でなくしたの。悪龍イロキノが誕生したとき、何度も征討隊が派兵されたの」
「そうなんですか……」
「今、時間あるかしら。交点を説明したいんだけど」
「はい。お願いします」
アオイは相手の目を見て話していたが、リリナネは目を合わさないようにしていた。顔はアオイの方を向いていても、一度も目は見なかった。目線の着地先は鼻とか頬とかだった。際どいところで眉。何故だろう―、微妙に話し辛かった。
「軌道だけ知っても意味がないけど……。とりあえずそこから……」リリナネは空に手を走らせて、太陽の横道と月の白道を説明した。
「今日の太陽はあそこから昇ってこう走ってる。明日は少しずれてこう走る。そのまた明日はまた少しずれる。今日の月はもう出ていて、今はあそこにある。こう走る。きのう竜頭を超えたから次に交差するのは二十六日後。正確に言えば二十六日と六時間。はじめから横道と白道をしっかり把握するなんて無理だから、私が交点の時間を教えてあげる」
「はい」
「交点が近いときに戦いになったら頭の中で時間を計るの。時計を見る暇があれば見ればいいけど。失敗したら唱え直せばいいって考えは命取りになる」
「はい」それは昨日の戦いで分かっていた。
「それから、当然のことだけど、日食と月食があるの。太陽と月が重なる時と、この星の影と月が重なる時。どちらも月が消えてしまうわけじゃなくて、月はそこにあるんだけど、どういうわけかケイの魔力が乱れるの。重なっている間は、元素魔法は使えないから。憶えておいて」
「はい」
アオイは相手の目を見て真剣に聞いていた。勿論真剣だったが、多少見とれていないでもなかった。紅鳶の虹彩、綺麗な眸に。今日は髪を編んでなくて、綺麗に束ねてアップにしていた。大人っぽく感じた。
説明し終えて気が緩んだのか、リリナネは笑みを浮かべて、見上げていた空から彼の方へ目を移した。目が合った。すると途端に。
見る見る顔が赤くなりどぎまぎした口調になった。「い、今の説明で分かったかしら……?」
「は、はい、とても……」アオイも何故か慌てた。
「じゃ、じゃあ、私はこれで……」どもりながら言うと、そそくさと立ち去った。
もっと話したかったが引きとめる言葉が浮かばない。後ろ姿を見送りながら思った。こんな時俺はどうしてたっけ―。
しかし記憶がないから知らないだけで、「こんなとき」の経験は元々無かった。
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