第26話

二.[武人支度]


 翌日のアオイは目が廻るほど忙しかった。ミチモリ氏に引きずり回されて。


 朝一番に現れたリケミチモリ氏に伴われて、刀工のキトラニケ(木虎・二家)を訪ねた。


 しかし刀工は既に作業を始めていた。ミチモリ氏はしかめっ面をしてみせ、口をヘの字に曲げて言った。


「こうなると、話をしてくれません」。


 相済みません、昼ごろお出でて下さい、と申し訳なさそうに頭をさげる見習いの少年に見送られ、一旦鍛冶屋を後にした。


「先に靴を注文しましょう」ミチモリ氏の案内で、一番腕が良いと言われる革職人ヒワマナカ(ヒワ・間中)を訊ねた。


 ヒワマナカはオニツカを見て言った。


「うーん、じゃあ、こうしよう。ここで適当なしとうずと兵靴へいかを選んで履いて帰りな。で、今履いてるそいつを置いていってもらおう。そいつをばらしてみないとな。ばらしてみたって、作れるとは限らんけどな。ばらしてしまっていいか?」


 アオイは一瞬躊躇した。それは彼の過去につながる唯一の手がかりだった。けれど。

「お願いします」

 オニツカを渡した。


 渡しながら思った。それはお廟でこの靴を初めて見た時から感じていたことだったが。何か足りない気がしていたのだ。形は覚えがある。目に馴じみある靴、けれど何か足りない。今、気づいた。


 そうか、確かオニツカって書いてあったはずなんだ……、オニツカなんとか……。記憶違いかな……。


「で、いつ出来るんだ?」

 抜け目ない笑みを浮かべて言うミチモリ氏に、革職人ヒワマナカは大袈裟に肩をすくめて答えた。

「いつも言ってる通り。こればっかりはミチモリ様の頼みでも聞けねぇ。注文は順番どおりだ。そうさな。二十日後だ」


 ミチモリ氏は笑みを崩さず憎まれ口を叩いた。

「なんだ。意外と早いじゃないか。最近は注文が少ないんだな」


 へい、へい、おかげさんで、と職人は答えた。それから奥へ引っ込み、両手いっぱいに例の足袋あしぶくろ、しとうずを持ってきた。アオイの前に並べて、「好きなのを選びな」と言った。


 それはまず、絹の物を履いて、その上に黒い革の物を履く形だった。絹の物は色とりどりだった。下に履くしとうずは大抵錦織ですと、ミチモリ氏は説明した。朱や黒や緑の錦織だった。


「随分、綺麗なんですね。これ、靴下って言いませんか?」アオイは頭に浮かんだ単語を言ってみた。


 しかし通じなかった。ミチモリ氏は怪訝な顔をして問い返した。

「くつした……? しとうずです」


 アオイは緑の物を選んで履き、その上に革の物を履いてみた。サイズは良かった。履き心地も良かった。


 さらにヒワマナカが持ってきた兵靴というサンダルから、これも足に合う物を選んだ。


 革製の靴底に鉄の歯が附いていた。足の甲の革紐を固く結び、さらに足首にも革紐を結んだ。足首まで結ぶとしっかり足に固定された。歩いてみると鉄の歯がカチャカチャ鳴った。


「いいですね」


「これも持ってきな。洗い替えのクツシタだ」

 ヒワマナカは笑って朱色の絹のしとうずをくれた。



 靴屋を後にして歩きながらミチモリ氏は言った。

「二十日後とは面目ない……。この町の職人は客より威張っているのです。頑固者ばかりで客の言うことをちっとも聞いてくれません」


 それから仕立屋へ行き胴服の布地を選び、染め屋へ行き、描いて欲しい絵の説明をした。


 ミチモリ氏は、「単と袷の二着作らせますから」と言った。ひとえは夏用で麻、あわせは他の季節用で裏地附きと言った。アオイは仕立屋が次々出してくれる生地見本を見ながら決めた。


 麻のものはくすんだ色合いの暗い青にしてもらった。今着ている青碧よりも暗い青。背中の上部に円形に丸まったムカデを刺繍してもらうことにした。


 胴服の前は閉じない。着物と同じ飾り紐がお腹の処にあり、それを渡して止める。飾り紐の色は黒にしてもらった。


 一ヶ月ほどで出来上がるということだった。採寸をしてもらった。


 裏地附きのものは、染めで模様を描いて欲しかった。どのくらいかかるか訊くと、「二ヶ月くらいでしょう」と店主は答えた。

「秋には充分間に合いますから、季節的にはちょうどよろしいかと」


 店主の並べた色見本の中から、アオイは一枚の黒い布を手に取った。黒色とは少し違う色合い。


「これは黒ですか?」

「それは青鈍あおにびです」


 店主の説明では、鼠色の一種類で、殆ど黒に近い暗い灰色にわずかに青みを入れたもの、ということだった。


「これにします」


 すると店主は困った顔をした。「それは、あまり縁起の良い色では……」。店主の説明では、大昔は凶色と呼ばれていたそうだった。「剣士様のお召しになる色では……」と言った。


 アオイは笑って答えた。

「関係ないです。ますます気に入りました」


 描いて欲しい絵の説明は直接染め屋に言われた方が良いでしょうと言われ、下絵職人の処へ行った。下絵職人は痩せたおじさんだった。


 描いて欲しいのは獅子の絵。しかし説明しているうちに蛇を踏みつけたマアシナの神像が頭に浮かんだ。


「布の色は青鈍で、背中に、獅子が蛇を踏みつけている柄を入れて欲しいのです。蛇の首は八本くらい。八本でなくても良いですけど、沢山あった方が良いです」


 下絵職人はフフンと笑った。

「そりゃあ、格好いいじゃないか」


 染め屋を出ると昼近かった。再び鍛冶屋を訪ねた。刀工は木箱に座り、咥え煙草で待っていた。


「移動呪を使う剣士だってな。噂で聞いてるよ。座りな」仏頂面で向かい合わせの木箱をあごで指した。


「耳が早いな。都合がいい。ちょっと変わった注文だが聞いてくれるか」


 ミチモリ氏が言うと刀工キトラは無愛想に言った。


「あんたの頼みを聞かない職人がこの町にいるかね?」

「面白い冗談だな。聞かない職人ばかりじゃないか」


 刀工はミチモリ氏の皮肉をまったく無視した。「どんなのが欲しいんだ?」とアオイに訊いた。


 アオイは説明した。少し短めがよいこと、片刃がよいこと、刀身はほぼまっすぐで柄に反りが欲しいこと、片手で握るので柄も短めがよいこと、片手で斬りつけるので重めがよいこと、など。


「そりゃあ変わっとるな」刀工は渋い顔をした。


「で、いつ出来る?」相手のことなどお構いなしといった笑顔でミチモリ氏は言った。うむを言わさぬとばかり。


「さあな。こればっかりはあんたの頼みでも急げねえ。気長に待つといいさ」

「ふん。やっぱり俺の頼みを聞かない職人ばかりじゃないか……」

 ミチモリ氏がぼやくと、刀工はにやにや笑った。

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