第25話


 部屋に戻ると会食の用意が出来ていた。お膳が並んでいた。


 下がろうとしたユタをタパタイラは引き止めた。

「一緒に食べなさい。リュウもじきに来る」


 ユタは喜んでアオイの隣りに座った。


 タパタイラはアオイの前に来て、懐中時計を差し出して言った。

「まず。これは、私からだ」


 金色の大振りな懐中時計。使い込まれた古い物だった。お爺さんから時計のプレゼントかと思い、粋だなぁと思っているとそうではなかった。これで交点の時を知りなさいと言われた。


「今朝話したように、空に龍頭と龍尾の二つの交点がある。たとえ空に太陽がなくとも、月がなくとも、それが交わる時を正確に知っておかねばならぬ。それは六三九七日かけて天空を一周する。それが交わる時間を正確に知り、結ぶ印を使い分けなさい。実際の天空の二つの道、白道と黄道について明日リリナネに教わると良い」


 向かいの席で黙って聞いていたリリナネが吃驚したように言った。


「わ、わたしが??」

「うむ。頼まれてくれるか?」

「う、うん……」真っ赤になって答えた。

「よろしくお願いします」アオイが言うと、ぎこちない笑顔で頷いた。


「さあ。魔道師同士の堅苦しい話はそれまでだ。今度は男の話だ」カタジニが割って入った。


「我らは扉の女神召喚の爲の呪文材料を集めている。今回我らは二つ持ち帰った。シュスとアズハナウラがまもなく三つ持ち帰るだろう。此処で合流して最後の一つを捜しに行く。で、だ。お前が定めに関わる男ならば、是非にも仲間に迎えたいところだが―」


「あの……」アオイはその話しが出たらよく考えて決めたいと思っていた。手伝えば世界中を遁走する事になる。当然ユタとの約束を守れない。


「仲間に迎える前に一つ訊いておかねばならんことがある」

「はい」

「お前は、男と女のどちらが好きだ?」

「は……??」

「何だ、その間の抜けた面は。世の中には男と女がいる。お前はどっちが好きか訊いている」

「はあ……」


 これはどういう意味だろうか。噛み砕いて考えて、友情と恋愛のどっちを優先するか訊かれているのか。


 そんなわけがなかった。笑いながらカタジニは言った。糸のような目の奥が見えず、さらに怖かった。


「記憶がないようだから教えてやる。男色はちっとも変ではない。そうだな。世界の半分くらいはそうだ」

「げっ、まぢですか―」

「まぢだとも」


「馬鹿なことを教えるな」リリナネがカタジニを睨み附けた。そしてアオイに言った。

「今のは冗談だから間に受けちゃ駄目よ」


 からかわれただけか、アオイはほっと胸をなでおろしたがリリナネは言った。


「この男は変態なの」


 違ってないのか―。


 変態とは何だ、というカタジニと、男のくせに男がなどとは変ではないか、とリリナネは言い合った。決着がつかず、じゃあ訊いてやると、カタジニはアオイに向き直った。


 再び自分に鉾先が向き、アオイは身構えた。


「お前はどう思うんだ?」


 ここではっきり言っておかないと、この先自分の身に危険が及ぶかも知れない―、理解ある寛大な人間であるよりも回避を第一に考えた。


「変態だと思います」


 むぅっと、カタジニは眉をしかめた。糸のような目がとんがった。


「じゃあお前はどんな女が好きなのだ?」

「え……」

「どんな女が好きなのか聞いておる。実はお前が去った後女達に取り囲まれ難渋した。「今のお方はどなた?」「どちらにお住まいなの?」「決まった方はいらっしゃるのかしら」等々」

「え、そうだったんですか?」

「そうだ。いい迷惑だ。実に下らん。好みの女を言え。俺が適当に連れてきてやる」

「え、でも……えぇっと……」

「記憶を失い、それも忘れたか?」


 記憶はない。しかしそれに関しては記憶云々の話ではない。彼の場合、ほんの二時間ほど前に知った。


 しかし「こんな人です」と特徴並べようものならば、その特徴そのまんまの人が目の前にいる。言えるわけがない。

 窮しているとリケミチモリ氏がリュウ少年を伴って現れ、救われた。


「やはりあなたは、私の思ったとおりの人でしたね」

 リケミチモリは今日のアオイの働きを褒め、今後必要な物は全て私が用意しましょうと言った。


「先ずは剣を拵えましょう。ここクムラギにはキトラという稀代の刀工が居ります。六十を越えた気難しい老人ですが、引き受けてくれるでしょう」


 ありがたい申し出だった。反りのある剣が欲しいと思っていた。勿論、片刃で。そして、あまり長いものではなく、少し短めの物が欲しいと。


「明日にでも注文に行きましょう。それから靴も革職人に作らせましょう」

「靴を……?」


 ミチモリ氏はにやっと笑った。

「リュウから戦いぶりを聞きました。目にもとまらぬ足捌き、電光石火の如き蹴り技、おそらく半靴ほうかでは動き辛い筈。今御履きの鬼津靴おにつかがつぶれてしまう前に、同じ形の物を革職人に作らせましょう。戦履きという物もありますが、履き慣れた靴の方が好いでしょう」


 あの靴はすっかりオニツカという名で通っているようだった。


「何から何まですみません。戦履きというのはどんな物なのですか?」

「しとうず、という皮の足袋あしぶくろがあります。それを履いて、底に鉄の歯の附いた草履を履くのです」


「へぇ……」

 しかし翌日目にしたそれは、草履と言うよりも、彼の記憶の中にある言葉ではサンダルだった。鼻緒が二股でなかったし、足首まで革紐で固定するようになっていた。


「それから胴服も拵えましょう。武人用の外衣です。大抵背中に勇ましい図柄を入れますから、お好きな柄を選ぶとよいでしょう」


「はい」それも嬉しかった。今日、町を歩いていて数人の武人を見かけた。皆、背中に龍や獅子やムカデを背負っていて格好良かった。


 カタジニが横から口をはさんだ。

「リケ殿。この男は高尚な趣味が理解できない奴ですぞ」


 ミチモリ氏は取り合わなかった。

「お前の高尚な趣味は誰も理解できない」


「ふん」カタジニは不服そうだった。


 リケミチモリの左足はやはり義足だった。板の間を歩くと、こつこつと音がした。誰も何も言わないし、アオイも訊けなかった。


 その後、皆で食事をした。歓談といった雰囲気になったので、アオイは向かいに座っているリリナネに話しかけてみた。何を話したらよいのか迷ったが、無難な話題を選んだ。


「あの壺に描かれている動物は何ですか?」


 リリナネの背後に彩色された大きな壺があり、虎に似た動物が描かれていた。虎に似ているけれど、絶対に虎ではなかった。


 虎そっくりの縞模様で虎に似て頭部が大きい。ところが、口唇がめくれあがり馬鹿でかい二本の牙が顎の下まで伸びていた。さらに四足ではなく、二本の後肢で立っていた。前肢は飾りのように小さかった。


 記憶の霧の中から似た姿が浮かび上がり、これはあれだ、あれに似てると思ったけれど、迂闊な事は言わなかった。それに関しては用心深くなっていた。


 リリナネは照れくさいのか、視線を曖昧に向けて答えた。こっちを向いても目をあわさなかった。けれどにっこり笑って教えてくれた。


「これは劍竜つるぎりゅうだけど……」


 相手の笑顔が嬉しかった。さらにそれを竜と呼ぶことは、鹿を竜と呼ぶことより理解できた。


 とは言え彼はこう答えた。きっと話しがはずむと思い。

「鹿の仲間ですね」


 リリナネは目をぱちくりした。そのあと、あきれ顔で首を傾げた。


 違うのか、アオイは焦った。ますます分らなくなった。けれど鹿と竜の違いはどうでも良かった。月の軌道の話題にすれば良かったと後悔した。

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