第7話 導き篇

一.[クムラギ(空の底)]


 ユタミツキと名乗った少年は言った。


「きっとお客様は目がさめたばかりで記憶が混乱してるんだよ。ゆっくり眠ったら思い出すんじゃないかな」


 そうかもしれないね、アオイは答えた。あまりそうは思えなかったが。


「僕は隣の部屋にいるから、具合が悪くなったりしたら遠慮しないで呼んでね。明日の朝、ご飯の用意が出来たら起こしに来るよ。その後、お廟の中を案内してあげる」


 お廟、というのは耳慣れない言葉だった。さっきは廟堂と言っていた。同じ意味らしい。


「君は、ここの子供なのか?」

「うん。そうだよ」

「さっき言ってたタパタイラという人の子供?」


 少年は笑って答えた。

「違うよ。ここでお手伝いしてるんだよ。お廟は僕みたいな子供が沢山お手伝いしてる。みんなは夜は家に帰るけどね」


 君はどうして帰らないんだい、と訊こうとしてやめた。ひょっとしたら孤児かもしれないと思い。若しも自分の勘が正しくて、お廟というのが宗教的施設なら、孤児を引き取ることも充分考えられると思った。


「オビョウってどんな所……?」

「お廟は皆が寄り合う所で神様を祭ってる所だよ」

「うーん……」

「じゃあ、お休みなさい、アオイさま。筒灯の消し方は憶えてる?」

「筒……?」少年の目線を追って、それがランプのことだと分かった。「いや……」

「そのネジを終いまで廻すと芯が引っ込んで消えるよ。じゃあ、また明日ね」


 ユタミツキ少年は部屋を出て行った。



 アオイは倒れるように布団に仰向けになった。


 お廟って何だ? こういう所って何か違う呼び方じゃかなったか? それにクムラギって何処なんだ––?


 が、そもそも自分が住んでいた町の名前が思い出せない。頭の中に霞がかかっている。


 さらに目にするもの全て、違和感を伴う物ばかり。


 少年の装束。異質だった。しかし、なら自分がどんな格好をしていたのか、それは思い出せない。ランプを使っていることもふに落ちない。


 ランプを俺は使ってたか? 消し方も知らなかったじゃないか。いや、それも忘れてしまっただけなのか。そもそも、旧暦って何か変じゃないか? じゃあ何?って言われても思い出せないけど……。


 聖女が冥界入りとかも言っていた。新暦の二年と。


 それって、人間が生きたまま冥界へ行ったという事か? そんなのありえるのか? いやいや待てよ、そもそも、冥界って⁇ あるのか?


 頭の中は混乱の極みだったが、彼は目を閉じた。まったく眠れそうな気はしなかったが体はくたびれ果てていた。無理にでも眠った方が良いと思った。少年の言った通り記憶も戻るかもしれない。全てとはいかなくても、何か思い出すかも知れない。


 しかし閉じかけた目の端で、何かが動く気配を感じて身を起こした。そしてそこに居た者の姿を見て心臓が止まりそうになった。


 開けっ放しの窓から、女の子が一人入ってきていた。歳は分らない。その身長なら五歳くらいだと思われるが、真ん丸いふくれっ面は五歳の子供には見えない。しかし、意地の悪そうなその顔に驚いたわけでも、窓から入ってきた事に驚いたわけでもない。その女の子は体が透き通っていた。


 座敷わらしという言葉が頭に浮かんだ。


 女の子は薄笑いを浮かべて彼の布団の側に立った。


「お前、座敷わらし?」


 女の子は不思議そうな顔をして首を傾げた。それから肩を竦めてみせた。


「わたしはフィオラパって呼ばれてるわ」

「フィオラパ?」

「まあね。人間が勝手にそう呼んでるだけ。あんたにはネヌファとかシルフって言ったら伝わるかしら」


 不思議な感覚に襲われた。耳に馴染みある名称。よく知っている。けれどはじめて目にする。


 いや、初めて目にするのかどうかは分からない。なにしろどの部分の記憶が残りどの部分の記憶が消えているのかはっきりしない。


 会っているのに忘れているだけなのか……。


「じゃあ、お前は、大気の精霊……」

「まあね。そゆこと。気分はどう? ファフィーネイアのこと憶えてる?」

「ファフィーネ……?」

「ウンディーネ。助けて貰ったでしょ」

「じゃあ、あれは……あの人魚はウンディーネだったのか……」


 ムフフとフィオラパは笑った。


「俺は、あんた達に以前にも会ったことがあるのか?」

「ないわ」


 アオイは少しがっかりした。もし会っていれば以前の自分を訊くことが出来た。


「実は、記憶がないんだ……」


 フィオラパはにやっと笑った。


「ふふふ。心配しないで。はじめは戸惑うかもしれないけれど、少しずつこっちの事を学んでいけばいいわ」

「こっち……?」訝しい台詞だった。


 フィオラパは意味ありげな笑みを浮かべた。

「あんたは呼ばれたの」

「呼ばれた……?」

「けどそれはあんたが望んだからでもあるわ」

「俺が……?」

「既に「定め」が始まってる。導きが始まっている。その導きが多くの人間をからめとっている。あんたもその一人」

「導き……」

「ケイを預かってるの。今度会うときあげる。移動呪が使えるようにしてあげる。今日はくたびれてるみたいだから駄目よ。じゃあね」


 フィオラパは窓から外へ出て行った。窓枠から下へ飛降りたわけではない。透き通った体が上方へ飛んでいった。


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