第2話
二.[蒼惟]
友達と呼べる人間はいない。交際している女の子も。少し変わっているかもしれない。しかし昔からそうだったわけではなく、昔は友達も沢山いて好きな女の子もいた。
その女の子は友達の妹だった。学年は一つ下。数回デートをした。嫌われているとは思えなかったけれど、今ひとつ相手の気持ちが分らなかった。
ある日の夕暮れ、何となく良いムードに感じられ、思い切ってキスしていいか聞いたら断られた。それで分かった。
脈なし、と。
間抜けな感じで失恋したと思った。蒼惟はその女の子を誘うのをやめ、同学年の女の子と付き合い始めた。ちょうど落ち込んでいるときに告白された。「附き合ってください」と言われたので、「いいよ」と答えた。
しかし暫くすると誰も口をきいてくれなくなった。完全に友達全員からしかとされた。始めはまったく理由が分らなかった。
交際している女の子から呼び出されて言われた。
「○○君の妹にあんなことしといて飽きたらポイするなんてあんたって最低っ」
やっと理解できた。キスしようとしたくらいでそんな風には言われないだろうから、きっと凄い話しになっているに違いない。蒼惟は呆れかえって背中を向けた。ふり返らずにバイバイをした。
嘘の噂を広めた女の子のことはそれほど頭に来なかった。キスするのが嫌なわけじゃなかったんだと、漸く気附いた。恥ずかしかったか、怖気づいたか、それが分らなかった間抜けな俺が悪い。それよりも頭にくるのは友人とそれに追随する奴等。普段あれ程、友達だの仲間だの言っておいて、何かあったらこれか、と思った。
こっちの言い分は一切聞かず、結託して排除にかかる。
素晴しい、友情の塊りのような奴等。陰湿な硬派って笑えるじゃねぇか、と。
それ以来彼は孤立した。それが中学を卒業するまで続いた。しかし彼自身もしらけてしまい、そのことをもうなんとも感じなかった。
学習した。
誰も皆、友達を欲しがるけれど友達が大切なわけじゃない。
友達が一人もいなくても平気になった。学校へは居眠りしに行った。夜はネットをして本を読み調べ物をした。彼の興味は現実世界から別のものへ移っていた。
高校に入ってすぐの頃スカウトされた。まったく興味なかったけれど、気さくなお姉さんといった感じのマネージャーを紹介され、やってみようかなと思った。やってみてすぐに悲鳴をあげたけれど。むいていなかった。
ともあれ、髪型が変わり、着ている物が変わり、立ち居振る舞いが変わると、俄然クラスの女の子が興味津々に近づいてきた。
しかし彼にしてみれば、女の子、というより恋愛が原因で手ひどい目にあわされてずっと孤立していたものだから、なんだかもうお腹いっぱい、先方が興味持ってくれたからといって尻尾をふって喜ぶ気にもなれない。
相変わらずしらけたままだった。
やはり、少し変わっているのかも知れない。
●
夕刻、蒼惟は家に帰って来た。
家は広い敷地の日本家屋。とは言え、母屋はそれほど大きくない。大きいのは道場。祖父の代から剣道の道場をやっている。
真直ぐ母屋へ入ると、母親が夕飯の支度をしていた。テーブルの上に真新しい足附きのグラスがあった。民芸硝子。母親が趣味で集めている物。
「また買ったの?」
「いいでしょ。九州の作家さんのよ。手作り風工場製品じゃなくて、ホントの手作り。綺麗な赤でしょ。セレン赤って言うのよ。藍色はコバルト、赤はセレニウムで発色させるんですって――」
「何万回も聞いたよ……。訊くけどセレニウムって何だよ」
「さあ。何かしら……。それに何万回も言ってないけど……。さあ。ご飯ができたわ。お爺ちゃんを呼んできてくれる?」
「いいよ。道場に居るの」
「そうよ」
蒼惟が道場へ行くと、祖父は誰もいない道場に独り正座し、瞑目していた。彼は、石頭の父親は苦手だったがこの祖父は好きだった。厳格ながら穏やかな老人。蒼惟の姿を見ると言った。
「アオや、お前もう一度剣道をやってみんか」
蒼惟は肩をすくめてみせた。
「才能ないから。お前の太刀筋は汚いって親父にさんざん言われたし」
「それはお前が型を守らんからじゃ。何を求めて武道を行うのか、それによって違う。武道を通じて生きる姿勢や精神を学びたいのであれば、型は大切じゃ。されど極めれば、自ずと美しい姿勢になる。最も鋭く最も強い剣は、美しい姿勢から自然と発するもの。しかもじゃ。零戦の勇者坂井三郎氏がこんなことを言っておる。教科書どおりの宙返りをしたら、実際の空中戦では簡単に撃ち落とされる。だからなるべくへたくそな宙返りをする、とな。分るか。敵に容易に予測できる動きは、実際の戦いでは命取りとなると言うことじゃ」
「へえ。面白い話だね」
「じゃろうが。お前も頑張ればお前なりの剣をあみ出せるやも知れぬ」
「ふーん。でも、それって、昇段試験には受かるの?」
むぅ、と老人は言葉に詰まった。そこにおいては我流など論外。
「昇段試験に受からないんじゃ、段が取れないじゃない。段が取れない人間が道場持てるわけがない。この道場は兄貴が継げばいいさ。ご飯できたって。早く行こう」
溜息をついた祖父を慰めるつもりで言った。
「今、俺、カポエイラやってるの。カポエイラって知ってる?」
「知っておるとも。極真の大山倍達氏を苦しめたブラジルの謎の武術じゃな」
「それ、漫画の話だろ? 実話だったの?」
「いや。わしも漫画を見ただけじゃ」
「ぷっ」
カポエイラはジンガオというステップを刻みながら、逆立ちや側転を交え、多彩で華麗な蹴り技を繰り出す演武。
それは、奴隷が手錠をはめたまま戦ったのが始まりだとか、奴隷達がダンスの練習のふりをして業を磨いていたとか言われている。
格好良いので、最近のダンスはその動きを多く取り入れている。その影響で彼も習わされた。しかし彼が「へぇ、面白いじゃない」と熱中したのはダンスの部分ではなかった。
「アウマーダマテロが出来るようになったんだ」
「なんじゃ、それは」
「見てて。やって見せるから」
蒼惟は道場の真ん中へ行き、宙を跳び、蹴りを放って見せた。どう跳んだかというと、先ず大きく左足の後ろ回し蹴りで宙を切り、その勢いで体を捻りつつ宙を舞い、奥足で高い蹴りを放つ。かなり高く跳ぶ。アウマーダは後ろ回し蹴り、マテロは回し蹴り。
「ほう。見事じゃないか」お爺さんは目を丸くした。
「だろ」
蒼惟はにやっと笑った。嬉しかった。祖父はこうして感心してくれるけれど、これが父親だとこうはいかない。父親は自分の意に沿わないことを、息子がどれほど上手にやってみせても喜ばない。
祖父はしきりに感心してくれた。
「それほど出来れば、アクションスターにでもなれるじゃろう」
蒼惟はタレント業の話しになると急にしらけた顔になり、笑って言った。
「無理無理。むいてないから」
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