第八話

夕暮れ。多くのブラックではない会社員たちは徐々に仕事を終えて帰路へつこうともう一頑張しだす時間帯。森瀬ミクは鼻歌交じりに事務所へと戻ってきた。


「ただいまです所長、これお土産のパンですよ。八坂くんと食べたら美味しかったので帰りにもう一度買ってきてしまいました。二斤」


意気揚々と明るげな表情でミクは事務所へと戻ってくる。そこにはパソコンや手元の資料をつぶさに確認しているアランの姿があった。昨日までの部屋はキレイに整頓されており清潔感があったが、今は紙やコードが床に散らばっており汚かった。


だがこうなっているであろうとは彼女にもだいたい予想がついていた。普段は来客の相手などは全て任されているのだが、なぜか昨日はわざわざ話を聞いていた。何かきっと興味が沸くようなものを感じとったのだろうと思っていたのである。…………アイスを食べ終わったしばらくした後に。


「ありがとう、それはとりあえず机の上に置いていてくれ。早速で悪いが何か異常な点はなかったかい」


アランは手に持っていた資料を自分の机に置くと、背中を伸ばした。ここで話を聞くと同時に少し頭を休める。

 

「じゃあもう結論から言ってしまいますけど、あの家には悪霊もとい怪物の気配や痕跡は一切としてありませんでした」


笑いながら敬礼のポーズでそう報告したミクに対してアランは大きくため息をつき、難しい顔をした。


「そうか、なかったのか。私は夢魔の類いが潜んでいると思っていたのだが違ったか…………」


「そうですよね。夢といってたから私もてっきりサキュバスにセクハラできるかと思っていたのにね」


「…………言っておくが、夢魔はサキュバスだけを指す言葉ではないからな」


流れとしては正しくない茶々をいれたミクを冷静に流した。最近は夢魔と言えばサキュバスの風潮があるが、夢に関連した魔物は基本全てが夢魔と呼ばれる。


と、そんなどうでも良い情報を公開したアランだったが、その思考は行き詰まり、不可解な点が増えてしまっていた。


夢にまつわる問題は何か分かりやすい原因があるものだが、今回それがなかったのだ。休めるつもりであった彼の頭は、前よりも早く動かし始めることになった。


だとしたらこの現象はただの偶然の産物なのか? それはありえない。同じ夢を普通に生きていながら何日も見続けられる訳がない。


アランが頭を回転させ様々な仮説を立てては否定しているさなか、ミクはなにか思い出したように口を開いた。


「そういえば八坂くん。今回の夢を前にも見てたらしいですよ」


……………………。



「それを早く言え」


「えっちょっと待て。無表情で本とか飛ばしてこないで!」

 

そんな重要なことは最初に言うべきであるはずなのにそれをここまで言わず、あろうことか少し忘れていた。それを怒らずにはいられるか。


だがこのような性格であるのは重々と承知していること、今は物を飛ばした行動は軽率だったと思える。


「済まなかった、それではその話を聞かせてくれないかな」


「うっ……その切り替えの速さ、好きですよ所長」


軽く血を口から流しながらも爽やかな笑顔を浮かべ親指を立てる。その上にはソファーが覆い被さり、他にも本や資料も散らばっている。



    ――――――――――――――――



「えっと、どういうこと? 前にも見たって」


突然のその言葉。さすがの自由人であるミクもすぐには頭が追い付かなかった。別段難しいことは言ってはいない。だがそれを突然、突拍子もなく言われると戸惑ってしまう。


「その絵ですよ。今持っているその絵の場所で、俺は確かにそこで会ったことがあるんですよ」


興奮冷められぬように息を荒くしながら、ミクが持っている額縁に入った絵を指差す。その絵はポストカードと言った方がいいほどの大きさで、額縁も写真立てと同じほどの大きさでしかない。


そこに描かれている風景はヨーロッパにある草原のようなのどかなものであった。そんな場所で会ったと言うのか。


「八坂くん。その話を詳しく、覚えてる範囲で教えてもらってもいいかな」


そうして話始めた夢の内容。小学生のときに見たと言っていたがかなり細かく覚えていたらしい。


その時の八坂くんはこの草原に立っていた。何が起こったかが分からずに呆然と立っていると一陣の風が吹き砂ぼこりを上げた。


思わず目をつぶり、風が止むのを待ってから目を開ける。そこに広がるのは特に変わらぬ風景。だが一つ違うところがある。


例の少女だ。


白のワンピースを風になびかせながら立つ少女の後ろ姿が遠くに立っているのだ。


突然現れた女性。何がなんだか分からないが、ただ立っていてもただ意味がない。勇気を出して彼女へと話かけようとする。


そのための一歩を踏み出したと同時に、必ず目が覚めてしまう。


「そこで見たのが今回の少女と同じだと、そう言うことでいいのかな?」


「はい、場所も違い顔を見たわけでもないのですがアレは間違いなく同一人物です。違いありません!」


    ――――――――――――――――


「と、このように語ってましたよ所長」


いまだにソファーの下敷きになりながらも、今日話していとことをツラツラと話尽くした。だがさすがに重くなってきたからか、うめき声を時折こぼしている。


しかしそれを気にする素振りも見せず、その話を加えて考えを組み立て始める。やがて何かを思い付く。


ゆっくりと立ち上がり、後ろにかけてあるスーツを羽織ると腕時計の針を確認する。


「ミク君、私は少し出掛けてくる。部屋はこのままで良いから寝ていてもいいぞ」


携帯と財布だけを持ち、迷いのない足取りでドアへと向かう。


「あの所長、出掛けるのは良いですけどせめてソファーをどうにかして貰っていいですか。所長? ちょっと待って所長ーー!」


夕焼けが照りつけるビルで、ミクの悲痛な叫び声が反響した。

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