第五話

「やーさか君、あーそーぼ」


事務所に行った翌日のお昼過ぎ。呼び鈴を三回連続で押しながら、俺の名前を誰かが呼んでいる。


ちなみに今日は誰とも遊ぶ約束などしていないし、してたとしてもわざわざ名前を大声で呼ぶような友達はいない。そんな年齢でもない。あと三回連続で押す人もいない。


「あのミクさん、近所迷惑なんで止めてもらっていいですか? あと遊ばないですからね」


「おっ、八坂くんヤッホー。これ駅で売ってたパンなんだけどね、美味しそうだったから後で一緒に食べよ」


そういって手に持った紙袋を掲げて見せてくる。このパンは確かテレビで紹介されてたはず。いつも行列で繁盛しているはずと聞いてたのだが、並んだのか? 


まぁなんにせよ、そんな人気店のパンを食べれるよだからありがたくもらっておこう。



「じゃあ早速で悪いけど色々見て言ってもいいかな?」


「あっはい、どうぞ遠慮なく見てください」



玄関をくぐり靴を脱いで上がる。


そしてそのままリビングに入ると、なぜか隣り合わせになっている台所の方へと向かう。そしてそのまま冷蔵庫に手をかけると、大きな声で。


「八坂くん家の冷蔵庫、ご開帳!」


「ってなんでアンタ来て早々、他人の冷蔵庫を開けてんだよ」



確かに遠慮なく見ていいとは言ったけど、言ったけど冷蔵庫を開ける人いる? そこは最低限の礼儀として開ける前に一言かけるもんでしょ。


「いや喉乾いたからなんか飲み物ないかなーと思って」


「ちょっと待って下さい、もしかして原因探しとなんにも関係ない理由で開けたんですか。お茶なら出しますんであっちの部屋で座っといて下さい!」


「あっ、じゃあついでにこのパン焼いてもらっていいかな。なんかマーガリン無しでもいける食パンらしいよ」


後で食べるんじゃなかったのかよ…………。そしてまさかの食パンなのか。てっきり菓子パンか惣菜パンだと思っていたのだが食パンなんだ。


いや別に良いんだよ。普通に朝とか食べるし食パンは。それに最近は生でいける食パンなんてのもあるくらいに流行ブームになってるから買ってくるのも分かる。


けどこの間テレビで紹介されてたクリームパンは美味しそうでした。


「じゃっ、よろしくね。私は向こうでなんやかんやしながら待ってるから」


「じっとしてて下さい!」


ヤバい。まだ来て五分も経ってないのにもつ疲れてきた。これが何時間も続くのとか心が折れそうなんですけど。ヘルプを今のうちに送ってもいいかなアランさんに。


そんな風に文句を心の中で言いながらも用意をしてしまっている俺はお人好しなのかもしれない。


もらった紙袋からパンを取り出すと、そこには確かに何の変哲もない食パンが入ってた。変わった点を言うのであればお店のロゴが入ったシールが無駄にオシャレな所であろう。


五枚切りなのでとりあえず自分のとミクさん分、二枚をトースターの中に入れて焼く。その間に電気ポットでお湯を沸かす。


と思っていたがすでに充分な量が入っていた。これならもう一度沸かし直せばいけるな。しかしお茶を入れるとは言ったが、いちおう何飲みたいかは聞いていた方がいいかもしれない。


「あのミクさん。一応、紅茶とコーヒーもありますが…………何やってんすか?」


リビングに戻ると尻を突きだしながらテレビ台の隙間を覗きこんでいた。恥じらいというものはないのだろうか。


「ん? いやなんかあるかのと思って。それよりコーヒーもあるんだ。ならそれでお願い」


「分かりました。今から淹れるんで大人しく座っといて下さい」


なんというか、この人の奇行には馴れそうにもない。むしろ馴れる人なんているのだろうか。まぁアランさんは案外なんとも思って、なくはないな。なんか疲れてそうだし。


棚からコーヒーの袋と、スティックの砂糖をある分を全て持っていく。あんまり使って欲しくはないが、昨日がアレだったので最低でも十本は使うだろう。


全てを取り出し終えたちょうどその時に、ポットが沸いたことを教えてくれた。かなりタイミングが良かった。


「はいお待たせしました。パンが焼けるのはもうちょっと後なんで待ってくださいね」


「おぉありがとありがと。――――なんでこんなに砂糖持ってきたの?」


なぜか困惑した顔で机に置いた砂糖の本数を眺めていた。


「えっ、いや昨日話してた時に入れてたじゃないですか。ほとんど砂糖状態になったもの飲んでたじゃないですか」


それを聞くと何かに納得したような声を漏らして手を叩いた。


「あれね。あれはたまたま昨日、甘いものを急に食べたくなってからやっただけだよ。ほらあるでしょ、急に甘いもの食べたくなること、それがアレ」


うんそうか、釈然としねぇ。


実際そんな気分になる時はあるよ。だからといって昨日のようなソッコー糖尿病になるようなものは飲まないよね、絶対。


「まぁそんな訳だから、今日は二本だけでいいよ。しかし中々よく見てるじゃない。モテるよ、気が利く男ってのはね。彼氏いたことない私が言うのだから間違いないよ」


何が間違いないのだ、どこから沸く自信なのだ。褒めてくれるだけで良いのに余計な一言をなぜ付け加える。発言といい行動といいホント謎の人だな。


――――うん、そうだな。ちょっと聞いてみるか。


「あの、ミクさんはなんでこの仕事やってるのですか?」


何でもない、ただなんの意味もなく思った疑問。それでもパンが焼けるまでの間位なら聞いても良いだろう。案外ノリノリで話してくれるだろうし。


「いいねいいね、聞きたいか私の私生活プライベートな話を。まったくグイグイくる肉食系なのかい案外君は。よし話してあげようではないか!」


どこか上から目線な発言と共に、ミクさんは楽しそうに話を始めてくれた。


「あれはだいたい大学生の頃だったかな――――」

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