第九章 再会(1)

 凰都こうとの城壁の迫持せりもちを馬上から仰ぎ見た時、シャマルはあまりの懐かしさに眩暈を起こしそうだった。丁度見上げた位置に陽が燦々と照らしていたからかもしれない。

 城壁は十数年の歳月を経てなお往時と同じ精彩を放っており、シャマルが若い頃覚えた感動が再び押し寄せてくるようだった。

 王都の中央を走る朱雀大路は白大理石と赤い煉瓦で舗装され、王宮までまっすぐに街を貫いている。大路に沿うように街路樹が並ぶ光景も昔と一緒だ。

 整然と区画された町並みはそのままに、新たな建物が幾つか建てられている。瓦礫の小山くらいはあるかと思っていたのに、数年前に反乱軍がここに押し寄せ、城を奪取すべく戦乱を起こしたとは思えないほどに凰都は相変わらず美しい。

(懐かしいな……。本当に綺麗な街だ)

 シャマルは馬上から街並みを眺める。少年の頃馬車の中から興奮して眼を輝かせた世界がそのままにある。

 十五の歳に訪れた時は凰都をよく見まわることはできなかった。凰都は経由点であり、一行の目的地は禳州じょうしゅうという祭祀のための地であったからだ。正確には禳州の地もシャマルが見たのは郊外のほんの小さな祭祀所のみで、中心地はついぞお目にかかったことはない。

 当時宿泊した迎賓館は朱雀大路に面して建てられている。曄と交流を持っていた他国の迎賓館と同じ並びにあり、色彩や彫刻は相変わらず賓客をもてなすために華やかに主張している。

 だが、今回の天還祭の招待客ではないシャマルはケリシュガンとともに手工業組合の近くの客桟はたごに宿を借りている。

 大通りから細い――とはいっても地方都市に比べれば両端に屋台を並べられるほどに十分な広さと賑やかさの――路地に面しており、煮炊きの香りから生活の香りまで何やら猥雑にごった返している。通りに面した屋台の湯気が窓際に昇ってくる。

「さぁて、いよいよ明日だが準備はいいか、シャマル」

 ケリシュガンは寝台に足を投げ出しながら早速酒を飲んでいる。伸びるのが早いのか、早朝共に剃ったはずの髭がもう無精髭になっている。

「はい。やはり荷はすべて置いて行こうと思います。身軽に越したことはないので」

 荷を詰め直したシャマルは、最後に行李を紐で縛りあげて答える。

「おいおい、捨てるのは勿体ねぇよ。俺が持って帰っといてやらぁ」

「……ケリシュガンさん、何から何まで有難うございます」

 シャマルは荷から手を離すと改めてケリシュガンに向き直り、居住まいを正してこうべを垂れた。

「よせよせ。別に感謝されたくてやったわけじゃねぇし、親切心からでもねぇよ。ちょいと面白そうだから同舟に乗ったまでよ」

 彼は酒杯を持つ手と反対の手でシャマルの礼を払いのけた。照れくさいのか酒のせいか、鼻頭と頬がほんのり赤い。

「それに、礼ならアルマちゃんと一緒に帰って来てからじゃねぇとな」

 笑い顔につられてシャマルも「そうですね」と笑った。

 次の日は曇天だった。白と濃い灰色の雲がまだらに入りまじっているが、空は泣いておらず、雨が降るにしてもきっと小雨や疎雨そうだろう。

 玉は内布を貼った木箱に品ごとに分けて入れられ、手工業組合の持つ立派な荷車に詰められた。

 荷車は革張りの長い箱を台車に結びつけたもので、黒地に花鳥が華やかに装飾されている。各側面には宝石細工部門の記号である玉環の図案が意匠されている。双頭の龍が二匹、宝珠を口で挟みながら円を描いている図だ。

 王宮までは荷車に積んでいき、中へは車を置き、箱だけを手で担いで納める。

 シャマルの顔の傷は目立ちすぎるため、役者の使う化粧道具で隠すことも検討したが、反対にケリシュガンは納品の人員を顔に傷がある男で固めて、自らも染料で顔に引っ掻き傷のような線を描いた。エイク族の傭兵に納品を頼んだとでもいえば傷など珍しくもないので納得するだろうという安易な考えだ。

 王宮の守衛は王朝が変わって民族も変わったのかと思いきや、半数は曄人であり、曄時代から引き続いて王宮の守りを任されているようだった。時々、いかにも屈強なヨルワス族の姿が見られるのは王朝交代後ならではの光景だろう。この地方においては王朝が交代しても一般の兵や文官は一斉に解散や処刑を命じられることはない。新たな権力に従うのであれば同じ職務を継続できるのだ。

 王宮の城郭を通り抜ける。予め手工業組合で用意した通行証だ。

 荷車から玉の入った長箱を外す。六人ずつで担ぎ、二箱を納める。

「儀式用の玉の配置は我々にお任せ願えませんか」

 ケリシュガンの主張に先導していた文官の若者が困った顔をした。文官はどうも武官と違って態度が心許ない。本来儀式の品の扱いは彼らの管轄ではないのかもしれない。そういえば、昔は神官が儀式の一切を取り仕切っている印象があり文武官はあくまで皇帝の名代とそのおつきであったような気がする。シャマルはそう思った。

「うむ、生憎穹廬きゅうろ内は貢物の仮置き場で、祭壇は設けていないのだ。よって、そなたたちの様式で並べてもらうことはできん」

「ありゃ? 天還祭はこの度は凰都で行うのではなかったですかい?」

 ケリシュガンは事前に掴んだ報せを利用して尋ねる。

「そうなのだが、場所は円丘となっている」

「円丘ってそりゃあれですかい? 冬至の日に祭祀をするっていう場所じゃないかい?」

「ああ。天の神へは冬至と決まっているのだが、いくつか例外もある。今回はその例外というわけだ」

「なるほど。なら墨と紙をもらえませんかね。配置を記してお渡ししまさぁ」

「ならば書いた紙はどれかの品と一緒に置いておいてくれ」

「分かりました」

 長い通りを一直線に進むと、ひときわ大きな建築物が目に入った。朱雀大路から見えていたのはこれではないのかと錯覚するくらいに堂々と黄色の屋根を張っている。宮城内はどれもこれも重要な建物ばかりだと分かっているが、この建物は続く後ろの二棟と合わせて一直線に建ち並んでいるので、中心的な存在であると思わせた。

 これら三棟の前には穹廬が幾つか並べられていて、一番大きく、赤の絨毯で外壁を飾っているものこそが重要人物の穹廬であろう。

 一行は穹廬の群れの西側にある大きな穹廬に案内された。ここだけは円形ではなく、四角をしている。遠征時の軍営用天幕だろうか。他の穹廬の二倍の大きさがあり、中央に動物や雷紋を描いた石柱が立っていた。長方形の石柱の首には首飾りのように短刀が結び付けられている。

 草原で良く目にするいわゆる鹿石だ。古来から草原地帯にはまま立てられてあるものだが古墳の上に置いたものだとか、王権を象徴するだとかいわれていて真の用途は不明である。ただ、この石柱を詣でたり供物することは珍しくない。

 瑛でもその伝統を引き継いでか、周囲には各部族からの貢物が山を築いており、また、遊牧七民族同盟イェッテ・カビーレ外の国々からの供物も納められていた。

 ケリシュガンは箱を開け、文官に玉の総数を検めさせて、配置は秘儀だといって墨を借りると彼を出入り口に追いやった。その隙にシャマルは懐に短刀を忍ばせて、ケリシュガンの指示通り長箱の中に身を隠す。

 納品者が一人減っていることに王宮の勤め人が気付かないはずはないと思ったが、杞憂だったのか、それともケリシュガンの話術のお蔭か、穹廬は幕が閉められ、静寂に支配された。

 事前にケリシュガンが入手した情報によると、後宮はこの穹廬を擁する区画の東側に位置するらしい。曄時代では皇帝の手がつくと東の後宮から西の区域に移動してそれぞれの殿堂を与えられるという。アルマは恐らく東の区域内にいるはずだ。

(ラズワルドの首飾りを持っているんだ。いくら彼でも気付いたなら手を付けないはずだ)

 だが、出発前ケリシュガンが話していたように、遊牧民族には兄弟姉妹で婚姻を許された部族がある。シャマルにその風習がなくとも、他の部族のことは分からない。シャマルが間違いが起こらぬよう祈ったところで他の部族にとっては当たり前の慣習ならばまっとうな行為だ。その場合、アルマの居住は西の区域に移動していることになる。

(東の後宮を探るのは優先だけども、もしもいない場合、それ以上むやみにアルマを探すのは危険が多すぎるな)

 元々何百何千いるか分からぬ後宮の構成員の中からアルマのみを一晩で探し出すのは無理難題なのだ。承知で王宮に潜入したはずだったが、納品の際に歩いた長い道で途方もない広さを再認識してしまった。身を隠したまま穏便に探し当てられるはずもなければ、連れ立って無事逃走する手段も破れかぶれの突破法しか思いつかない。

(なら――)

 シャマルは長箱の中で酉の正刻の鐘を聞いた。

 夏に入って陽が長くなってきた。冬ならば暗闇の支配するこの時刻も、今の季節はまだ彼方に淡黄を残しながら漸く紫苑の色を見せ始める頃合いだ。出るにはまだ早い。せめて戌の初刻までは待つべきだろう。

 長箱の中で横たわりながらシャマルは考えを改めた。彼に会おう。そう決めた。東西の隣接する区域に潜入するよりもすぐそばの穹廬を訪れたほうが危険は少ない。それに、シャマルは今更ながら十三年前に出会った彼にもう一度会ってみたかった。

 ほんの数日祭祀をともにしただけの間柄に深い信頼や情感があるわけではない。むしろ互いに異なる性質の持ち主で、苦手とするところだ。ただ、寄る辺をなくした者の一人としていかなる感情が湧き上がるのだろうという淡い期待があった。紆余曲折した十三年を経て、一体いかなる場所に人生を着地させたのだろうか。語らいたいと思った。

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