第八章 兄(1)
研磨場の片隅でシャマルは二週間近くを過ごしていた。
研磨場は大別して作業場と倉庫、それに取引部屋に分かれていて、シャマルはあまり使われない取引部屋を寝床にしている。
作業場の中央には円柱や台形、或いは車輪のように回転する研磨機が目の形状別に並び、壁に沿って加工のための小さな机が置かれている。職人はひとりひとり席が決まっている。というのも、彼らは大きな研磨機は共有するが、小さなやすりや彫刻用道具は個人のものを使う。己の手に馴染む物が良いのだ。
シャマルは貢物の玉が完成するのを待つ間、己が日がな無為に過ごしている気がしてならなかった。日中は作業場にいては邪魔だろうと馬の世話や村人の野良仕事を手伝っていた。男手が欲しいと請われると快く承諾し、滞在の見返りに精一杯働いた。
そのうちに、職人の一人が声をかけてきて、時間が余っているのだったら手慰めに玉の加工でもしてはどうかと練習用の質のさほど良くない石を与えられた。
なるほど、玉の細工というのは職人芸だ、とシャマルは感心した。とろりと融けるような照りの出された品を見ていると、玉というのは柔らかく加工の容易い石なのだと思い込んでいたが全く違った。見た目とは裏腹に硬く、小刀で傷付けようものなら刃の方が傷んでしまう。職人たちに片手間で指示を受けながら石を切る。慎重に角度を決めて研いでいくと、何の変哲もない灰色の石が次第に温かみのある乳白色の顔を見せる。
「さて、それを何に加工する?」
ケリシュガンが含みのある笑みでシャマルに尋ねた。
「加工、ですか」
シャマルは滑らかに研磨することに必死で加工することまで頭が回らなかった。加工する必要も感じなかった。石のままでも十分綺麗じゃないか。
「そうそう。練習用の石とはいえ、アク・タシュ村の玉は質の高さで有名だぜ。アルトゥン・コイの金工工房で金の台座でもつければ相当な品になるが、一連の件が片付いたら紹介するか?」
「いや、石のままでいいんじゃないですか? もっときめ細かく研磨すれば触っているだけでつるつるしていて気持ちいいでしょう」
ケリシュガンは大きくため息を吐いて額を押さえた。
「あのなぁ。折角の高級品を手慰めにでもってもらってるんだ。加工して誰か良い人にでも渡すとかよ、あるだろう? アルマちゃんとかよぉ」
「ああ、アルマは細々した雑貨が好きなので確かに喜ぶかもしれませんね。でも僕たちは血縁者じゃないので将来嫁いだ時にアルマが困るんじゃないかな」
「いやいや、将来的にそういうことになるかもしれないだろう?」
シャマルはきょとんとした顔を見せたが、数拍してケリシュガンのいわんとすることを察知して声を上げて笑った。
「ケリシュガンさんは意外に下世話な話がお好きなんですね」
「おいおい、下世話な話が嫌いな人種なんでいねぇよ。多かれ少なかれ皆興味があるもんさ。古今東西歴史の上、創作の上から見ても――」
「そうかもしれませんが、僕はありえませんよ。だって十三年もアルマの兄をしているんですよ。下手な父親より長いでしょう? それに、前にいった通り、時が来れば預かっている人に返さなければいけません。恐らくその時は近付いている。……そうですね、手向けに贈れば記念になるかもしれない」
掌にちんまりと収まる大きさの玉を天井に掲げる。窓から差し込む光に石が発光しているかのように見えた。
(良い人にでも渡す、か)
光に透かされて玉が半透明に光る。十年以上前に運命的な出会いをした少女がいた。彼女がまだこの世にいれば真っ先に贈っていたであろう。シャマルの今生で最も美しく大切な人だ。
今年で齢二十八を数えてまだ所帯を持つ気にならないのは、アルマの件もあるが、過去の女性の影を引きずっているせいもある。今でも心の大半は彼女に捧げてしまっている。故に新しい恋愛をはじめようとは思わない。そもそも、重い腰を上げたとて、この年齢で始めるには
シャマルは頭を切り替えて研磨機へ向かった。
「女の子っていうのは何をあげれば喜ぶんですかね」
「んー、嬢ちゃんの年頃なら首飾り、耳環、指輪、腕輪……まあ宝飾品は固いんじゃねぇか」
「首飾りはもう持っているし、腕輪は戦う時の邪魔になるか」
「取っ組み合いする時のことなんざ勘定に入れるんじゃねぇよ」
「そうか。別にずっと身につけたままなわけでもないですしね」
ケリシュガンは呆れた。
「アルマちゃんはずっと傭兵稼業で女の子らしいこともしてこなかったんだろう? だったら宝飾品は絶対に喜ぶさ。アイシュちゃんの服を借りるだけで嬉しそうにしてたんだからよ。兄貴なら今後そういうところも気にしたほうが良いぜ」
そのほうが色恋に鈍感なシャマルのためにもなる、とまでは口にしなかった。
「肝に銘じておきます。それで、ケリシュガンさん、出立の日取りは決定しましたか」
シャマルは日がなそればかりを気にしている。無論、攫われたアルマが心配なのだ。
アク・タシュ村にいては瑛の
「おう。その吉報を持ってきたんだよ俺は」
シャマルの顔が久々に輝いた。
「来週にここを出る。凰都の組合によると王宮の入城許可はまだ発行されていないそうだが時間の問題だ。それに、発行を待ってから出発したんじゃ天還祭に間に合わねぇ。品も揃ってきたし最終点検をしたら出発だ」
「ようやくですね。それでも遅いほうだ」
ケリシュガンが励ましに背中を叩くのを察知して、シャマルは玉を研磨台から離す。
「よく耐えたな。アルマちゃんはきっと無事だ。だから再会した時に渡すためにも早く何を作るか決めてしまって来週までに完成させておけよ」
ケリシュガンの声音はしみじみとしていた。依頼主の彼なりにまだ若いアルマのことを気にかけてくれていたのだろう。ボティルの親しい友なだけあって世話焼きというか、面倒見が良い。
シャマルは背中にじんわりとした温かさを感じながら、研磨途中の玉に視線を落した。
特殊な事情でもない限りこの村を訪れることは二度とないだろう。そうすれば気軽に手元の石を加工することもできなくなる。職人でないシャマルなら当然別の工房を借りて石を加工する機会もない。
どうしたものか。ケリシュガンの言うように宝飾品に仕立て上げるべきか。
宝飾品を贈った時のアルマの反応が思い浮かばずに、シャマルは果たしてそれが正解なのか考えあぐねた。
アルマの姿を思い浮かべる。
顔立ちは愛らしいほうだと思う。だが、遊牧民の女独特の家財道具として宝飾品を身につけるならまだしも、身を飾るを目的としてその首を、髪を、指を金や貴石で装飾する姿にはどうにも違和感があった。彼女はまだ若く、熟考が足りない部分はあるが、だからこそ持ち前の善性が生かされる。厚情から滲み出る愛嬌が美徳なのだと当人にはいわないがシャマルは常々そう思っている。
「決めた」
近くの職人が作業のようすを見に来たので彼は呼び止めて尋ねた。
「この石で指輪を作りたいんですが」
職人に作りたいものの形状を仔細に説明すると、まずは彫刻からだと言って作業台に案内される。ケリシュガンはシャマルの突然の決断にしばしあんぐりと口を開けてその姿を追った。
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