第六章 占いの行方(5)

 ションホルがエルデニネを連れてこの場を去ると、ガザルがドルラルとアルマを気遣った。

「心を強くお持ちください。とはいってもお嬢さん方には慣れもなければ無理かもしれませんが。今宵は衛兵を立たせてあります。不安であれば一緒の室で寝るのも良いでしょう」

 彼はそういってこの場を衛兵に任せると、ションホル達のあとを追った。アルマはドルラルを部屋に送り届け、考えあぐねて己の部屋から夜着をひっつかんでくると、彼女と共に眠ることにした。

 神経が過敏になっているようで、扉を叩いて声をかけると、恐ろしげにこちらを見やって身を縮めていた。自分も同様に殺されまいか案じているのだろうか。

「ドルラルー。今晩は一緒に寝てくれる?」

 不安だろうから、といおうとしてやめた。そういった慰めは気高いドルラルにとって矜持を傷つけるのに繋がると思ったからだ。

「あたし、誰かと一緒に寝ないと不安で……」

 アルマが弱みを見せると、ドルラルはほんの少し気持ちを持ち直した。

「わかりました。し、仕方ありませんわっ。早く入って扉の鍵を閉めてちょうだい」

 いつもの半分以下の勢いで高飛車に命じる。

 ドルラルの部屋は私物の少ないアルマの部屋に比べると、長い間養花殿で暮らしているだけあって小さな家のようだった。箪笥や鏡台、洗面台などがあり、全てに緻密な彫り物と螺鈿が施してある。箪笥の角や鍵に施された真鍮の飾り金具にも、たがねで草花が彫られている。

 寝台はどの部屋も同じで壁にくっつけて置かれている。アルマは机や椅子を隅に寄せると、絨毯に置かれた房飾り付の座布団を集めて枕にした。

「あなた、床ねで眠るつもりですの」

 ドルラルが信じられないと驚いた口調でいった。確か、曄人は床で寝るのを嫌うと聞いたことがある。貧しくても一段高く藁や畳を敷いて寝台とするのだとか。ドルラルも長らく曄式の生活をしていたので染まっているのだろう。

「うん、あたしは平気。野宿する時はいつも土の上だったけど、絨毯が敷いてあるから冷たくないでしょ? 枕だっていつもは荷を頭の下に敷くからこんなにふかふかじゃないもん」

 呆れてドルラルが息を吐く。

「狭くなりますが寝台に上がってきなさいな。頭を反対側にしてくださるなら半分お貸ししますわ」

 本当に床で気にしないのだが、でも、今は人肌の温もりが感じた方が安心するかもしれない。そう考え至ってアルマは寝台に上がった。ドルラルの譲歩と温情に心が温かくなる。

 アルマとドルラルは何を話すでもなく、静かに寝床の上で目を瞑った。しかし、あんなことがあってすぐに眠りに落ちるほど腹の据わった性格ではない。幾度となく寝返りを打つドルラルの衣擦れの音が聞こえるたびに、眠りにつく恐怖を感じているのではないかと懸念した。瞼を閉じれば哀れなサィンの姿が眼前の暗闇に浮かび上がる錯覚に陥っているのかもしれない。

 アルマとて動揺していないわけではない。

 ただ、用心棒をしながら各地を放浪していると、どうしても人の死は目についてしまう。病死、殺人、事故。目にした数は一度だけではない。何度も目にしたからこそ、気が動転せずに済んだ。

 昔、救いの手を差し伸べようとした幼いアルマの手を、シャマルが押さえつけて首を横に振ったことがある。最初は何故困った人を救ってはならないのか理解が出来なかった。死の淵に立たされた人だからこそ手を差し伸べなければいけないのではないか。彼らは救うべき人間ではないのか。シャマルはその疑問に、君のいうことは正しい。尤もだが、だからといってむやみに手を出していいものではないと諭した。責任の負えぬ憐憫は傲慢であり、時に悪であると。アルマは兄分がいわんとしたことを今でもまだ納得しきれていない。

 死は平等に訪れる。

 だが、今日のような死は天寿を全うした死ではなく、突然に命運を強奪された理不尽極まりないものだ。許されるものではないが、シャマルとの旅でアルマはことこういった理不尽な命の奪い方をされた殺人には首を突っ込んではいけないと知っていた。それが己を守る手段であることも。

 けれど、やはり納得しきれないとアルマは思う。顔見知りであるサィンの死、何度も命を狙われるエルデニネ。個人としても、養花殿の一員としても見過ごしたくはない。

 両手を頭上で組んで、枕にしながら天井を仰いでいるとドルラルが話しかけてきた。

「……ねえ、アルマ。起きていらっしゃる?」

「うん。眠れ……ないよね」

 互いの顔は見えないが、いかなる表情をして語りかけているのかは想像に難くない。ドルラルはアルマの返事を聞いて、そのまま話を続ける。

「サィンがあんな馬鹿げた真似をしたのはわたくしのせいですわ……」

 震える声をアルマは静かに聞いた。

「あなた、わたくしに一体どういう異能なのかと尋ねましたわよね」

 アルマは相槌を打った。ドルラルは己の異能を聞かれたくないようだった。

――あなたもわたくしを嘲るつもりですの……。

 ドルラルは色を失って苦々しくいった。気丈な彼女がただ矜持を傷付けられただけではなく、侮辱されたと表情で示していた。ドルラルがアルマが異能で人を選別する人間ではないと判断し、少しは信頼を寄せようと考えていたからこそ、彼女は裏切られた気持ちになったのだろう。異能を尋ねて尺度を測ろうとしたアルマに失望したのだ。とりつくろうような謝罪の言葉であの場を収めたが、アルマは少なからず後悔している。

「サィンはわたくしがついぞ異能を明かさなかったばかりに、エルデニネ派によって不当に低く評価されていると信じていました。だからエルデニネの弱みを握ろうとしたのでしょう。ですが、彼女には弱みなどありませんでした。いくらいけ好かないといえども彼女は無愛想なだけで性根は誠実なのですわ。それが余計に憎たらしくてしょうがないのですが――、サィンはそこを見誤って彼女を陥れようとしたのでしょう」

 間違った行動ではある上、賢い方法ではなかった。露顕した今となっては逆にドルラル派の品位を貶めるものでもある。だが、それらを抜いてサィンはドルラルを心から慕っていたのだろう。

 ドルラルは意を決して口を開いた。

「アルマ、わたくしの異能は水脈の探索です。トゥルナやトズでは何の役にも立たない異能ですわ。水がどこに流れ、どこから湧き出ているのかを探ることができますの。ですがトゥルナ族の住処であった山岳は雪と細い川に恵まれた場所でしてね。探索する必要などないのです。凰都も同じくですわ。水に恵まれているからこそ京として栄えているのですから」

 アルマはアク・タシュ村のアイシュの能力を思い出した。彼女は水源ではなく鉱脈を視る力が備わっている。類似の力なのだろうか。どちらにせよアルマには想像も及ばぬ神懸りの力だ。それなのに、トズ族にとっては無用の代物だというのだから驚く。

「そういう役に立たない異能ですのに、エルデニネに楯突こうとしたからサィンは死んでしまったのですわ。わたくしが正直に、あなたがたが擁護し支援するべき異能ではないと告げれば良かったのです。……あなたも拍子が抜けたのではございませんこと?」

 顔が見えなくても後悔と自棄に褥を濡らしているさまがまざまざと浮かんだ。彼女は決して心の癒える回答を望んでいるわけではない。感情のないまぜになった声音がそれを雄弁に物語っていた。

「ドルラルの異能はすごいよ」

 だが、アルマは素直な感想を述べた。アルマはドルラルが反論の息を吐き出す前に言葉を重ねた。

「ドルラルの異能はすごい。曄北や凰都では役に立たない異能なのかもしれない。でも、あたしが放浪してきた土地は必ずしも水が足りているわけじゃなかった。井戸や水を巡って殺し合いするところだって珍しくない。そういうところでは未知の水脈を探る能力なんて喉から手が出るほどほしい能力。千金を積んでも手に入れられないよ。それこそ神様って崇められるくらいね」

 もしかするとドルラルは養花殿から出たほうが良い人物なのかもしれない。アルマはふと考えた。煌びやかな生活に慣れた高飛車な彼女が、果たして宮外に出て生活していかれるのかは分からない。けれども、役に立たぬ異能が後ろめたいのであれば、役に立つ場所へ飛んで行けばよいのだ。最初に帝が出した案に則って、後宮が解散されるのであらば。

――養花殿は鶴と孔雀の魔の鳥籠。

 ションホルの言葉はトゥルナとトズの二族を揶揄してであったが、それとはまた別の意味で、ドルラルにとってここは魔の鳥籠であるのかもしれない。アルマはそう思えてしかたがなかった。



 乾乃宮の南に瑛国の官の家族たちの穹廬きゅうろがある。

 中央に置かれた六角形に装飾脚が付いた小卓の北側に、白い覆面姿のままのションホル――瑛帝が座っていた。対面にエルデニネ、その白く細い肩の後ろにガザル将軍が控えている。

 ガザルはエルデニネを害する敵から庇う守護者のようであり、反対に彼女を皇帝の御前から逃さぬ監視者のようでもあった。

「己を害する者に心当たりがあるようだな」

「はい。少々」

 瑛帝の詰問するかのような厳しい視線から逃れるように、エルデニネは伏し目がちに頷く。

 サィンの死が堪えているのか両手で己を抱くように身を縮ませている。雪のような貌に清浄な白装束姿が蝋燭の照らし出す赤い絨毯の群れに囲まれて浮かび上がるようだ。稀に見る不安げな表情に瑛帝は覆面の下で口端を吊り上らせた。

「氷の仮面はどこへやら、だな」

「……皇上」

 気遣う素振りもなく皮肉を投げかける皇帝をガザルが諌める。

「さて、夜も更けた。ここは人払いがしてある。知っていることを話してもらおうか」

「エルデニネ殿。皇上は物言いが率直で淡々としているだけなので気に召されるな。貴殿を悪いようには扱うまい。包み隠さずお話しなさるがよい」

「ガザル……」

 ガザルの励ましに王は不服の声を上げた。エルデニネはガザルの朗らかな声を耳にして、とつとつと語り始めた。

「曄の平帝の御世より、養花殿に商人を招くことをお許しいただいております」

「ああ、確か養花殿より出ることのできぬお前たちに代わって商人を招いていたな」

「今年に入ってから、後宮が解散された折には商人と懇意の曄の旧臣の元へ嫁がないかと打診されましたが、わたくしはお断り申し上げました」

「ふむ。それで」

「はじめはトズ族の容姿が気に入っているので妾に迎えたいということでしたが、トズ族でしたら他にもたくさんいらっしゃるので器量のないわたくしではなく他の方をと申し上げました。すると、商人は旧臣が曄平帝の妃の候補であったためにわたくしを欲しいと……。つまるところ、わたくしを亡き曄平帝の悲劇の妻に仕立て上げて旗印として、瑛の正当性を糾弾し、帝になり替わりたいのではと。……これはわたくしの想像で、商人から直截にいわれたわけではございませんが」

「まああり得ぬことではなかろう。お前を旗印にしてどこぞから遺児と称する男児を見繕えば話が早い。武帝期以降遠征に次ぐ遠征で孤児など掃いて捨てるほど居よう。それにお前のいう通り、曄哀帝の禅譲の真偽が疑われるのも無理はあるまい」

 皇帝は鼻先で笑う。

「はい、加えてわたくしの予知も蜂起に一役買うでしょう。本当は予知といえど些細なもの。しかし、大勢が声を大にしていえばたちまち真実味を帯びてしまいましょう」

「お前はそのすべてを断ったのだな」

「……はい。幾度も」

 ことのあらましは王朝勃興時にはよくあるものなので、さほど驚くものではない。

 エルデニネが狙われた理由は単純に反瑛勢力の存在や目論みを知ることに加え、彼女の異能である予知が瑛に利用されるのを阻止するための口封じであろう。

 拉致して無理に駒に据えることはできるだろうが、王宮からトズの女を拉致すれば目立ってしまう。ならば殺害するのが早い。養花殿に限らず歴代後宮の争いで人死にが出るのはそう珍しいことでもないので容易いはずだ。

 だが、出入りの日に刺客が襲ったのでは、商人自身が刺客を招き入れる手引きをした嫌疑をかけられてしまう。

 王宮が警護されている以上、刺客が入り込む隙は本来であればないはずだ。ならば、嫌疑を向けるは内部だ。どこかに商人や曄の旧臣と密通している者がいるはずだ。

「わたくしは……、曄平帝を思慕しておりました」

 エルデニネが薄らと頬を赤らめたのを、皇帝は目をそばめて眺める。おおよそ養花殿の者たちにすら無愛想だとか、氷の仮面と評されるおもてに、はじめて血の通った人間の表情が浮かび上がる。

――この女の話は嘘偽りで固められたものではないらしい。

 人の機微を見抜くのは苦手な性質であったが、十中八九当たっている自負があった。恐らく彼女は元から大仰に表現することを不得手とする性質なのだろう。何事もそつなくこなすが、感情には不器用さがあって、他人の目を欺くことや本質的に装うこと、つまり、嘘を吐くのが苦手なのだ。

「ですから、わたくしにとって曄平帝の隠された妃であったと世を欺く行為は、あの御方を嘘で汚し冒涜でありましたし、そういった打診自体がわたくしの心に泥を塗られた気がして拒絶いたしました。あの方は遠目にもとても臆病で穏やかで王座に相応しくなかったのです。子を成すことすら重圧で養花殿に通われませんでしたもの……」

 思いを寄せながら相手に存在すら認めてもらえなかった眼前の女に同情することはなかったが、そういった侘しさは同意するものがあって、皇帝は覆面の下でふっと自嘲の笑みを零した。

「して、お前は出入りの商人や旧臣の名を知っているのか」

「旧臣の方までは存じ上げませんが、商人は鄧柵望とうさくぼうという名であったと記憶しております。記録が残っていませんか」

「調べれば分かるでしょう」

 入城の際に名を記録してあるはずだ。ガザルが王と視線を交わして頷く。

「曄人か」

「外見は曄人に見えました。ただ――」

「ただ?」

 エルデニネがいい淀む。

「気のせいかもしれませんが、言葉に少し北方訛りを感じました」

「何故そう思った」

「うまくいえないのですが、中央言葉を話そうとしていらっしゃるのにところどころ抑揚がヒンガン山南方の訛りがあるような気がいたしました。わたくしは元々曄北東のヒンガン山脈北の出身でしたので、ここへ来た当初は美しい中央言葉が話せず劣等感になっておりましたから」

 ふむ、と皇帝は腕を組んで考えを巡らせた。

(鄧某と曄の旧臣、それにヒンガン山脈の南方の方言、か……)

 ヒンガン山脈の南方といえば、東方三部族のうち、トゥルケ族が多く住む地域だ。急峻な山岳地帯のため陸の孤島であり、隠れ里と化しているが、諜報を部族の職とする彼らにとっては都合の良い住処だ。曄人がおいそれと行ける場所ではないが、件の商人は何故ヒンガン山脈の南方訛りをしているのか。そして彼は一体いかなる旧臣と繋がっているのだろうか。炙り出す必要がある。

「よく分かった。サィンといったか。あの側仕の件についてはお前の話を加味してこちらで調べよう。死んだ状況を軍で一度検めてからになるが、曄代と同じく養花殿東の部族の墓場に埋めるのを許可する。追って書面を託そう」

「有難うございます」

 エルデニネは立ち上がると肘を一直線に張り、両手を胸の前で重ねて頭を垂れた。養花殿の者たちの敬礼だ。

 その後で、一点、別の用事があることを断る。口述を許可されるとエルデニネは告げる。

「本来であれば明日お伝えする予定でしたがこの場をお借りして。午前の光にて天声壇で卜占いたしました姫神子の件ですが」

「ああ、天還祭の」

「はい。わたくしとドルラルでトゥルナの巫女たちが占った結果を導きました。此度の天還祭の姫神子はアルマに決まりました」

 皇帝の目が驚きで見開かれた。

「アルマ――? あの者が?」

 左様にございます。と玻璃のような澄んだ声でエルデニネは礼をした。

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