第六章 占いの行方(4)

 ションホルが脱ぎ捨てられていたイパクの服を拾う。肩を冷やさぬように、脚の先を冷やさぬようにと何枚も手厚くかける。甲斐甲斐しくて、そういう二人を見ていると形はどうあれ羨ましく感じる。

 燭台に手をかけて次々消していくションホルを眺めながら、ふと、木が割れたような音を耳にした。家鳴りにしては鮮明すぎて、肝が小さく縮こまるような物音だ。

「ねえ、ションホル」

 アルマの呼びかけにションホルも真剣な面持ちで頷いた。

「お前はここで少し待て」

 蝋燭の火を消す手を止めて白い布で顔を隠すと、彼は普段使い用の廊下へ出る。

 アルマは寝息を立てるイパクの肩を庇うように抱いて何も起こらぬように祈った。すぐにションホルが戻ってきて、蝋燭を寄越すよういってきたので、アルマは真鍮の脚付き燭台をそのまま彼に手渡す。

「おい、イパクの隣は誰のへやだ」

 苦虫を噛み潰したようなションホルの顔が火に照らされて浮かび上がる。心なしか焦燥に駆られている。

「確かエルデニネ様だったと思うけど……。どうかしたの?」

 アルマが廊下に出ようとするのを彼は制した。何かが起きて、まだ用心しているようだ。素振りから極度の緊張が読み取れる。すると、廊下の奥の方からぱたぱたと足音が聞こえてきた。

「一体何事ですの」

「大きな音が聞こえましたが」

 怒気を含みながら小声で話すのはドルラルだろう。隣にはエルデニネがいるらしい。珍しい組み合わせにアルマは怪訝に感じる。

「止まれ!」

 鋭い声でションホルが二人に向かって叫んだ。しかし、彼女たちは聞き分けなく辺りを見回し――。

「何ということですの……!」

 ドルラルの息を詰まらせながら小さな悲鳴を上げた。エルデニネがそのよろけた体を受け止める。

「あ、あ、あなたがこんなことを……!?」

 ドルラルが顔を隠したションホルに掴みかかろうとして、アルマは制されたにも関わらず、思わず外に飛び出した。

「待って、ドルラル!」

 平手がアルマの頬を打ち、乾いた音を上げる。驚いたションホルがアルマの肩を支えた。

「あな、あなたが、この子に、こんなことを……!?」

 青ざめて、体をわなわなと震わせたドルラルが扉の壊されたエルデニネの居室を指す。アルマは息を飲んだ。彼女が指さした先には襦裙姿の何者かが寝台を頭にしてうつ伏せに寄りかかっていた。うたた寝しているようにも見えるが、襦裙と寝台についた黒い大きな染みは雨露のように敷き布を伝って床に零れ落ちる。

「これはお前の友人か」

 声音を幾分か変えたションホルが燭台の光で物言わぬ女性を照らす。燭台の光に照らされて墨汁のような黒い水溜りがつややかに反射する。

「ドルラルの側仕、サィンでございます」

 エルデニネが代わりに答えた。

「何故お前の居室にこの女がいる」

「それよりも何故得体のしれない男がこのような夜更けに養花殿にいますの!? あなたがサィンを殺したのでしょう! アルマ、あなたもこの男に与しているのですか!」

「大声を出すな。他の者が起きてしまう。お前たち、サィンに触れるなよ」

「どうして出さずにいられるというの!」

 動転したドルラルを、困惑したエルデニネが宥める。エルデニネは事態こそ呑み込めていないが冷静さを失っていない。ただ、悲しげに瞳を揺らす。

「あの、とりあえずイパクさんの部屋を借りて落ち着いたらどうかな……」

「いや、まずはガザルを呼ぶ。アルマ、頼めるか。ハドゥの父親が禁軍の長なのだ。大極宮の東北に軍営が複数ある。真東の東龍門の軍営にガザルはいるはずだ。内密に話せよ」

 ションホルは腰帯の中から銅の牌を取り出してアルマに手渡した。円形の牌の中央には「夜巡牌」と文字が刻みこまれ、その上には炎の装飾が加えられて紐を通す穴が穿たれている。火炎宝珠を象っているのだ。これがあれば夜、巡回の名目で宮城内を行き来できる。

 彼はドルラル達に怪しまれるのを見越してアルマに願い出ているのだろう。

「分かった。――ドルラル、エルデニネ様、彼は犯人ではありません。ご安心ください」

「し、信じられませんわ! 姿からして怪しいではないの!」

 いい返す言葉もないが、ションホルが自身で名乗り出るつもりがないのなら、アルマから正体を明かす訳にはいかなかった。

「ごめんなさい。あまり多くを語ると不敬になってしまうの」

 ドルラルは腑に落ちていなかったが、エルデニネはこの言葉で白布の者がいかなる人物であるか察したらしく、アルマとションホルを交互に見た。

 アルマが飛ぶように養花殿を出るとションホルはエルデニネを睨み付けた。

 急襲されたのは一体何度目になるのか。彼女が何らかの事情を抱えているのは明らかだった。今までは人死にがなかった。だが、そろそろ固く閉ざした口を開いてもらわねばならない。本来はもっと早くに事情を聴きだすべきだったのだ。

 小さく唸るようなドルラルの泣き声が虫や鳥の声にかき消された。



「わたくしたちは天声壇の卜占の結果を受けて、次の天還祭の姫神子を決めていました」

 とつ、とエルデニネが話した。肩にかけた羽織の襟を詰めるようにぎゅっと掴む。

 アルマが連れてきたガザルと部下によって、エルデニネの部屋は検分され、サィンの遺体や血の付着した物は東龍門の禁軍軍営に引き取られていった。

 養花殿の眠りを起こさぬよう、内密に、静寂に従って行われた。だが、養花殿の門の前には衛兵が増やされ、哨戒にあたっている。恐らく今晩犯人が再び姿を現すことはないだろうが、念を入れて配備されたのだ。

 サィンは首を一突きで殺されていた。

 刺された衝撃で寝台の周囲は荒れていたが、部屋から失われた物は何もなさそうだった。

 瞬きもできぬ間に殺されたのか、その瞳は無表情にエルデニネの居室の寝台の壁を見つめており、右手は白い手巾に包まれた櫛を握り、左手は寝台の頭元に置かれた小さな小物箪笥の取っ手を抓んでいた。

 櫛は鶴が瑞雲を飛ぶさまが生き生きと彫られ、上から金箔包んだ上物で、鶴の頭頂には柘榴石がはめられていた。梳くものではなく、髪に飾るための櫛だ。素人のアルマが一見しても美しく高価なものだと分かる。

「櫛の先に毒は塗られていませんでした。この櫛はエルデニネ殿の持ち物で?」

 ガザルがサィンの手から取り上げた櫛を白い手巾ごしに見せる。エルデニネは弱々しく首を振る。隣でドルラルが青白い顔をして声を上げた。

「わたくしのものですわ」

 耐え切れなくなって彼女は再び両手で顔を覆う。

「何て馬鹿な子なの……! いいえ、馬鹿なのはわたくしだわ! わたくしがエルデニネに対抗などしなければ、サィンもこんな馬鹿げた真似をしでかさなかったでしょうに……」

「ドルラル……」

 昼間のことがあって、アルマは一瞬躊躇したが、思うがままにドルラルの背を摩った。

「元より、わたくしがエルデニネに敵うはずもなかったのです。ですのに、わたくし、自分の異能が恥ずかしくて大切な側仕にまで話せなかったから、サィンはきっとわたくしを不遇だと思ってエルデニネを陥れようとしたに違いありません。サィンはわたくしの異能をエルデニネの予知に次ぐ素晴らしいものだと考えていましたから。ですが、わたくしは無理に第四位の座を獲得しただけで本当は……」

 ドルラルは後悔を述べて再びわっと泣き出した。

「女の話は要点がよく分からん」

 同情の欠片も寄越さぬションホルは顔を隠したまま冷徹なまでに憮然と呟いた。

 身近なものを突然失って動転しているのだから理路整然と説明できるわけがない。配慮のない言葉にアルマはションホルの欠落を見出した気がした。

「きっと彼女はわたくしと間違えられて殺されたのでしょう」

 エルデニネはいった。

「ドルラルの櫛をわたくしが盗んだかのように見せかけ、地位を危ぶもうとしたのでしょう。今宵は天還祭の姫神子を決定するのに、ドルラルの室に集まるのでトゥルナたちは入らぬよう伝えてありました。その隙を狙って忍び込んだところ、何者かに襲われ、わたくしの身代わりとなった」

 ガザルはふむ、と肘を組んで顎に手を当てた。浅い皺の乗った褐色肌は、武人ゆえ焼けているのか、はたまたヨルワス族の特徴のためか分からぬが、殺人の痕跡を睨み付ける目は獲物を狙う虎のようだ。

「で、お嬢さん方は犯人に心当たりがあるのですか」

 二十は年下であろうトズ族の二人に、ガザルは厳しい表情を向けた。

「あるわけないでしょう!」

 ドルラルの叫びは悲痛だった。サィンの死に責任を感じているのだろう。なぜこれ以上呵責に身を苦しめられなければならぬのかと、心に殻を作ってしまっている。

 隣のエルデニネは沈んだ表情で首を振って、

「犯人は分かりません。ですが何故わたくしが狙われるかはお話が出来ます」

「以前よりエルデニネは狙われている。話を聞くべきだろうな」

 ションホルの口調はうんざりしている。その上まだエルデニネが「ただ、ここでは……」といい淀むので、

「ならば我が穹廬きゅうろへ参れ」

 半ば強制的に促す。ションホルがガザルに目配せすると、ガザルは無言で手を上げて下層にいる衛兵を呼び立てた。暫くして駆けつけた衛兵がエルデニネの部屋に幕をかける。調べ終わるまで入室を禁ずる幕だった。

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