第23話 宇宙の正体
蜂の巣にされた扉が、やにわに開き、無数の剣山を口内に持つワーム状の怪獣を露わとする。
「あら、残念……本当に、残念です」
喪服の女性は口端を歪めて落胆する。
焦燥した声音から一転、甘美で妖艶さを宿す声音へと変質していた。
「あらあら、これだから人間じゃない物は。お食事の邪魔は困りますね」
喪服の女性は酷く落胆している。
乾いた真綿が水を吸って潤うように、ほんの先ほどまで痩せこけ衰弱激しかった身体は見違えるまでに回復していた。
「か、怪獣……」
扉の正体は怪獣の大口であったことに愛那は怖気を抱く。
もしそのまま進めば、瞬く間に呑み込まれ、剣山のような無数の歯で咀嚼され胃袋へと滑落していたはずだ。
零司からフィールドに降ろされれた時には、怪獣は沈み込むようにして扉ごと消えていた。
「本当に残念。ここまで来たからには美味なる絶望を期待したのですが、本当に残念で仕方ありません」
喪服の女性はただ天井知らずの黒き天を見上げている。
ベールから覗く口端は狂おしいほどに歪んでおり、女性の変貌に誰もが警戒と驚異を抱かせた。
「ろ、ロボくん、どういうことなの?」
餌食になりかけた愛那は緊張と困惑をどうにか落ち着かせながら、疑問を飛ばす。
「単純なことだよ。この女が重力の発生源だ」
「あのタイシスじゃなくて?」
「ああ、俺は人間じゃねえからな。一足先に奥に誰かいるのは感知できてたし、フィールドが裏返る瞬間、ほんの一瞬――それも一ピコ秒、一兆分の一秒にあの女から重力波が発生するのを感知した」
「あ、うん、つまり、人間では感知できないほど、もの凄い速さでってことね」
とりあえず頷くだけ頷く愛那に、横に立つ零司の目は冷ややかだが、場を読んで口を開かなかった。
「けど、よく重力だと分かったな」
驚嘆する零司にロボは音声を鋭くして答える。
「ちっと前にな、人工重力を使う敵と交戦して、ぶちのめしたことがある」
合点が行くには充分過ぎた。
「おかしいですね。そこの記憶は悟られぬよう意図的に抜粋したのに……ああ、そうですね、機械ですからバックアップがありましたね、あらあら、うふふ」
喪服の女性の妖艶な笑いが暗闇のように濃さを増していく。
唇に舌が這わせていることもまた。
「タイシスも、もうちょっと真面目に動いてくれれば都合良かったのですが、あれはふざけ過ぎるのが唯一の欠点、まあ飢えを凌ぐには悪くなかったですね――味はともかく」
「飼い主ならペットをしっかり躾けとけよ」
タイシスの言動を思い出す零司は、苦々しさと忌々しさを口に出す。
「あれがペット? あれはただの……ただの、なんでしょうね?」
はてと、喪服の女性は頬に手をあて考え込んでいる。
「ああ、そうそう、思い出した、思い出しました」
喪服の女性は表情を晴れ晴れとさせながら答える。
「あれは私が作ったただの非常食ですよ。まあ、自分が非常食と知らない非常識な非常食ですけどね」
誰もが動揺のさざ波を走らせる。
「非常じゃないでの半ば放置していたのですよ。たま~にちょっと構ってやればいいだけですし。その結果、自分が食べられる側ではなく、食べる側だと最期まで思い込むようになりまして。まあ丁度、非常だったので、よい時に処分できましたよ」
「なるほど、無線機の通信も、俺たちに対する助言ではなく、タイシスに対する戯れだったわけか」
感情を抑えながら零司は言葉で返す。
確かにタイシスなる小動物は言動を含めて好意など抱けるはずがない。
ただ、非常食であった正体に対して、皮肉であると誰もが哀れみを抱いていた。
「あんた、何者だい?」
ロボは警戒を孕んだ音声で誰何する。
「そうですね……折角、私の奥底まで絶望せずたどり着けたのです。メインディッシュの前にお話しも、たまには悪くはないでしょう」
喪服の女性はゆっくりとした口調で話し出した。
「かつて、『ここ』は何もない、本当に何もない無の宇宙でした。生物もいなければ、水もなく、熱もない、存在するのは静寂で満たされた宇宙。宇宙は星を見上げるように無数或る宇宙をただ眺め続けていたのですが、微々たる変化が静寂に変容を与えたのです」
喪服の女性が神にでも崇めるように両手を掲げた頭上で、縦四列に繋がる立方体が浮かび上がった。
四つの立方体が四つの箱庭だと気づかぬ者はこの場にいない。
「その微々たる変化とは希望や絶望……喜怒哀楽の感情エネルギーです。時に別宇宙へと跨ぐ奇跡さえ起こすエネルギーの余波を受け続けた無の宇宙は、いつしか個を持ち、感情を抱くようになりました。そう宇宙そのものが一つの生命体となったのです」
四列の立方体から胎動が生まれ、なお刻まれ続けていく。
「ですが、一つの生命体へとなった宇宙は大変困りました」
暗闇の空間に腹の音が響く。
零司でもなければ愛那でもない。ましてやロボでもない。ならば――
「ここが無の宇宙である以上、食べ物は何一つありません。食べなければ飢えて死んでしまいます。かといって自分で自分を食べても意味はありません。大変、大変困りました。どうすれば、この飢えを満たせるのか。飢えにより縮小していく宇宙は、ある時、樹になるリンゴを摘むように、別宇宙に芽生える感情エネルギーに手を伸ばしてみました。あらびっくり、感情エネルギーの源がこの宇宙にやってきたのです」
「まさか……」
源の正体を悟った零司は、恐怖による寒気を抱いて肌をざわつかせる。
「あなたが思った通りです。最初にこの宇宙に引き込んだ者は弱者のために強者と戦うヒーローでした。この何も無い宇宙から脱出しようと足掻いていましたが、最期は……」
喪服の女性は微笑みながらお腹の部位を優しくさすって見せた。
「次に引き込んだのは、例え行いが悪であろうと自らの道を突き進むヒーローでした。如何なる状況であろうと、可能性を抱いて、それでも、と進んでいましたが……」
「食べた、ということか……」
零司の頬に冷たい汗が滑り落ちた。
「ええ、偶然の発見ですが、脱出できぬ、帰れぬ、敵わぬと、絶望を抱いて絶命した瞬間、この宇宙は飢えから解放されたのです。感情エネルギーにて誕生した世界である以上、感情エネルギーが最適な食事であり――それも、希望から絶望へと変換したエネルギーは非常に栄養価が高く、大変美味でした」
口元に手を当てた喪服の女性は妖艶に微笑む。
この微笑みが零司と愛那の呼吸を締め付け、得体の知れない恐怖を与えてくる。
「もしかして食べてはダメと仰るのですか? あらあら、この宇宙はただ単に生物としてごく自然な摂食行為をしているだけですよ? 生への糧が肉や野菜ではなく、たまたま感情エネルギーであっただけのことです。どうして摂食行為を行う生物が、別の摂食行為を咎めなければならないのですか?」
「そ、それは……」
愛那は口ごもり返答に窮した。
フォローするのはロボであり、変わって言い返す。
「確かに、クジラは知能が高いから食うな、牛が泣いているから動物は食べてはダメ。穀物や野菜は泣きもしなければ、知能もないから問題なく食べる。などと人間の身勝手な独善だがよ、何を食するのかは生物により異なるのは確かだぜ。ライオンは野菜を食わねえし、ガゼルは肉を食わん。種が別なる種を食らうのが根底にあるのは事実だな、これが」
「うふふ、お人形は他のヒーローよりも物事の理解が早いようですね」
「どういうこと?」
「つまり、この宇宙が行っているのは単純な食事だってことだよ」
零司は今一理解していない愛那をフォローする。
人間が行うように、獲物を罠へと引き寄せては、追い詰めて捕え、料理し、食すという単純なよくある行為を、この宇宙は行っている。
たまたま生繋ぐ糧が血肉ではなく、感情エネルギー――それも絶望だっただけのこと。
いつからいるのか、どう生まれたのか、起源を問う必要性はなく、ただ存在するから存在するだけであり、哲学的思考など無意味。
生きるために食す。絶望というエネルギーを食し続ける。
それがこの宇宙――<ファイシス>であった。
「要は摂食行為を咎めるなど生物として矛盾しているってことだ」
「……つまり、何も食べず、何も飲まずして生きられない生物はいないってこと?」
「そういうことだ!」
愛那がようやく理解しようとも状況は嬉しくなかった。
「生きるためならば行ってよいのか? と一度問われましたが、当り前です、と返して美味しく頂きました」
喪服の女性の笑みはなお崩れず、端正な口端はなお歪んでいく。
そして、口元に滲み出る涎を右手の甲で拭い取っていた。
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