第24話 絶望を喰らうモノ

「うふふ、うっかり涎を垂らしてしまうのは私の悪い癖なんですよ」

 喪服の女性は口元に滲み出る涎を右手の甲で拭い取り、柔和な笑みを浮かべる。

「それから、この宇宙は飢えを満たすために、誰よりも強い感情エネルギーを持つヒーローを別宇宙から引き込み、絶望に落とすことで食し続けました。食し続けたことで宇宙は成長にて広がり、如何にして希望抱くヒーローを絶望に落とすか、自らの宇宙を変容させていったのです。その変容の一つとして、あらゆる宇宙の知識を会得した女性の姿を取ることができるようになりました。ああ、そうそう、重力を操るのもその一端なんですよ。通信も滑稽でしたね。助けてくれれば帰る方法を伝えると添えるだけで、絶望への希望を熟成させてくれるのですから、大変手間が省けて助かりました」

 喪服の女性は嬉しさのあまり笑顔を隠そうとしない。

 右も左もどころか出口すらも分からない。

 出口を知る者がいるならば、頼るしかない状況である以上、疑えないし、ましてや歩を止められない。

 手の平で踊らされているとも知らずに。

「そして、あなたたちが怪獣と呼ぶ生物もまた、絶望を促す要因の一つですよ。この宇宙の力でヒーローの力を、どうにか怪獣を倒せるレベルにまで落とさせることで生への希望を繋げ、絶望を更に熟成させるのです」

「まさか、先の落下する人々は!」

「ええ、この宇宙からの脱出に可能性を抱こうと結果として第三階層にて絶望し、この宇宙の糧となった者たちです。まあ、喰らうのは絶望たる感情エネルギーだけ。身に着けていた装備品は消化できず邪魔なので、第二の箱庭に捨てさせてもらっています」

 喪服の女性の発言の矛盾と第一階層で抱いた既視感が零司に言葉を形作る。

「感情を喰らうのは分かった。装備を第二階層に捨てたのも分かった。なら――身体はどこにやった!」

 第二階層にあった無数に広がる瓦礫の山々は、食された別世界のヒーローたちの遺品であった。

 では、身体はどこに――怪獣たちの餌か、否。

 零司が抱く疑問は抱く既視感が事実を構築していく。

「散々戦って、倒しておいてよく言いますよね」

 失笑する失喪服の女性は、口元に手を当てながら口端に妖艶さを宿す。

「まさか……怪獣!」

「大正解です! さあ、絶望しなさい! あれ~しないのですか? あ~残念!」

 正解を口走る零司に喪服の女性は衝撃の事実で絶望するか、期待を抱くも期待外れなため肩を落として落胆している。

「か、怪獣がヒーローってどういうこと?」

 事実に狼狽える愛那に零司は口を開く。

「お前たちと出会う少し前、俺は騎士の死を看取ったんだ。その騎士は右腕を失い、左脇腹を食い千切られていた」

「右腕欠損に左脇腹損傷……――該当怪獣あり」

 ロボが音声に圧と重みを混ぜて報告する。

 最初に邂逅したワニ型の怪獣は、確かに右腕がなく、左脇腹に傷跡があった。

 そして、零司の手により、天の血族共々消滅する形で倒した。

「食い意地張ったあの小動物が、亡骸はもう喰えないな~とか言っていたが、絶望したヒーローの肉体が怪獣に変貌するのなら説明がつく」

「無駄なく頂くのが私の性分ですので。まあ、タイシスのつまみ食いには手を焼いておりましたけど……」

 空気が変わる。

 圧を増し、息苦しさを与えてくる。

「ですが、ある時、宇宙は困ってしまいました。いくら絶望に落とそうとしても落ちず、それどころか、希望を益々抱いて最下層までたどり着いた者たちが現れたのです」

 誰を指しているのか、気づかぬ愚鈍な者はこの場にいなかった。

「逆に喜ばしくもありました。この者たちが絶望した時の味は至高のはず。想像するだけで、あらら、ごめんなさい。もう涎を止められません」

 獲物を前にした捕食動物のように喪服の女性は口元の涎を手で拭った。

「わ、私たちを、食べる気!」

「ええ、その通りです。存分に、痛めつけ、苦しめ、死するギリギリまで加減して、まだいける、まだ可能性はある、それでもとまだ抗う姿を、プチっと潰させて……いただきます」

 食物に感謝を抱くように喪服の女性は両手を合わせてお辞儀をした。

「まな板の上の鯉かよ」

「マウスパッドのマウスですか」

「飼い葉桶の干し草!」

 三者三様、言葉は異なろうと意味は同じだった。

「ですから、私からのお願いです。折角、こんな最奥までご足労だったでしょうが――美味しい絶望になってくださいね」

「来るぞっ――っ!」

「うふふ、あなたたちの希望のために、あなたたちの世界の事象で絶望させましょう」

 空間が揺らぎを放ち、女性の背後に三つの事象が出現した。

 誰もが現れた事象に目を見開き、身を強張らせるしかない。

「天の、血族だと……」

 最初に現れたのは、檻に閉じ込められた天の血族だった。

 数は三〇、誰もが抗いもせず、力なく牢の中でうなだれている。

「は、ハオス・アゲハ……」

 愛那は瞠目する。

 虫篭の中にいるのは無数の黒き蝶。

 発光生命体であるはずが、隙間ある虫篭より抜け出せずにいる。

「そ、それは、モイライサーバー〈ラケシス〉!」

 一斗缶サイズの量子サーバーの正体だった。

 破壊すべき最後の一つが、よもや別世界にあったのにロボは驚きを隠せないでいる。

「三つの力を一つに」

 神へと祈るような女性の仕草と共に、天の血族、ハオス・アゲハ、モイライサーバー<ラケシス>が一つへと融合していく。

 天の血族たちが周辺舞う黒き揚羽に憑りつかれ、その姿を波打つ液体に変容させる。

 液体は螺旋描くようにモイライサーバー<ラケシス>へと集い、その上に立つ喪服の女性は妖艶に微笑んでいた。

「あなたたち風に言えば――」

 液体に包まる女性はなお笑みを止めない。

 最高の食事にありつける直前なだけに嬉しさを抑えきれずにいる。

「希望融合――と名付けましょうか」

 ヒーローの前で自らを希望と語るなど皮肉としか言いようがない。

 だが、自分の希望は誰かの絶望である以上、誰かの希望は自分の絶望。

 飢え凌ぐ食事が目の前にあるのならば、女性にとって希望なのだ。

 そして、その食事となるヒーローたちからすれば食されるのは絶望となる。

「あなたたちは……」

 液体が固定化されて繭となり、金属とも生物とも似つかぬ質感の腕が繭を突き破る。

「この私の……」

 脚線美と称されるほどの美脚が黒き床を揺らす。

 だが、その脚は炎のようにドス黒く燃えていた。

「美味しい、美味しい、最高のお食事になってもらいます」

 美しき白磁のような顔が現れるも頬や額に亀裂が走る。

 繭より現れたのは裸体に近き女性であった。

 ただ誰もが――零司も、愛那も、ロボも――見上げるほど巨大な女性だった。

 女性の頭上には冠のように集ったハオス・アゲハの群れが羽ばたいている。

 手を前脚のように黒き床に着け、獣のような姿勢でヒーローを食さんとする大口を広げて見せた。

「この絶望の摂取者Phthisis Ingesterで、あなたたちを絶望へと落とし、美味しく食させていだだきます」

 聖母のような慈愛溢れる声で喪服の女性は優しく微笑んだ。

 神への供物として捧げられる者の心理はただ一つ、喜ばしい名誉でしかない。

 だが、贄の場にいようと名誉だと喜ぶ者はいなかった。

「なにが絶望に落とすだ。落ちたければ自分が絶望に落とせないことに絶望しろ」

 零司は怒り口調でキーアイテムである腕時計を構える。

「ヒーローに絶望を与えればどうなるのか教えてやる――成長を促す糧にしからならないぞ!」

 左腕より取り外した腕時計をベルトとして腹部にセットする。

 ゼロブラッド活性化開始。ゼロ・アーマー再構築シークエンス始動。

「そうよ、私たちは戦う度に希望と絶望、二つのいがみ合う矛盾げんじつにぶち当たって来た」

 愛那は語彙を強めながら変身のキーアイテム、モルフォカードを取り出した。

「救おうと襲われ、恐れられてと、でも私たちがヒーローたる矜持を折る理由は一切ないわ」

 蒼き光が集い現れた一本の杖、醒解杖ウェヌスを強く握りしめる。

 掲げたモルフォカードを杖の先端で力強く叩きつけた。

 誰かを救う力、心と心を繋ぐ魔法。

 モルフォカードは蒼き光の粒子となり愛那の全身を包み込んだ。

「確かに生きている以上、絶望に打ちのめされる時もあるだろうよ――でけどよ、てめえは根本的な勘違いを一つしているぞ!」

 ロボは変形シークエンスを開始する。

 車両形態から人型二脚形態への変形を開始。

 人型へのモーションシステムを最適化へ。

 アクチュエーター及びマニピュレーターの可変動作問題なし。

「絶望に打ちのめされるのと、絶望に屈するのは違げんだよ! てめえが何度も絶望を与えようと屈する俺たちじゃねえ!」

「あ、あっ……ああああああああああああああああああああああっ!」

 女性は、絶望の摂食者は恍惚な表情で歓喜の悲鳴を上げていた。

「そう、それこそ希望! 私が何よりも食したく、落としたい絶望一歩前の感情! ああ、もうだめです。痛めつけて、弱らせて、まだ抗わせようと思いましたが、これほど美味しそうな希望を匂わせるなど……私、もう我慢できません!」

 絶望の摂食者は吼える。

 飢えを満たすためだけにその四肢を動かして迫りくる。

「行くぞ、二人とも――零変身っ!」

蝶変身モルフォーゼっ!」

機変形ニアチェンジっ!」

 零司は白き鎧を纏い、愛那は蒼き衣服を纏う。ロボは車両から人型へとその姿を変える。

「腹が空いたのなら腹いっぱい食わせてやる――絶望を食せないという絶望をなっ!」

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