第22話 呆気ない最期
辿り着いたフィールドに愛那はキョロキョロと周囲を見渡した。
「何もないわね……」
ロボの四輪が接地しているからか、愛那が怖気もなく暗闇のフィールドの上に立つ。
その次を無理な姿勢でいたために全身を強張らせた零司が降り立った。
「囚われていると聞いたからよ、牢屋を予測したが、まさか、壁も檻もない足場に置き去りとは……」
驚嘆するロボの言葉通りだった。
最深部に囚われていると通信機越しに伝えてきた。
囚われている以上、誰もが牢などの部屋に監禁されていると想像するはずだ。
もっとも牢屋でない以上、牢がないため破られる心配もなければ、開閉する鍵がないため鍵を開けられる心配もない。
ある意味、閉じ込めと脱出阻止に最適な空間と言えた。
「ったく、何事もなく辿り着きやがった!」
暗闇に小動物タイシスの膨らんだ声が響く。
零司を筆頭に誰もが警戒を孕んで身構えるも、タイシスの姿は尻尾の先も見当たらない。
「どいつもこいつも! 僕ちんの自費、ゴホン、慈悲でギリギリ生き残れる力を残してやってんのにさ! 力ないなら再構築するとか、武器ないなら作ればいいとか、走ったり飛んだりして戦闘回避するなんてなんだよ、卑怯だ、卑劣だ、卑猥だ! 他のヒーローはギリギリまでどうにか自力で生き残って絶望してんのに、ズルぞ、悪いぞ、チートだぞ! もう僕ちんは、まじおこムカ猛火インフェルノ、ハイパーデンジャラスムテキおこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームだよ!」
タイシスの発言はよく理解できないが、ご立腹なのは確かに理解できた。
「それもこれも、無機物、てめーのせいだ! てめえなんて引き込まれなきゃよかったんだ! ああ、もうクリスタル引っこ抜かずにぶっ壊しておけばよかった!」
「……いいからとっとと出てきゃがれ歩く猥褻物」
車両形態のロボは挑発に乗らず冷淡に言い返す。
「だ~れが歩く排泄物だ! 僕ちんはう〇こか! う〇こ! う〇こって言った奴がう〇こなんだよ、や~い、う〇こ!」
愛那は唖然とした表情で零司と顔を見合わせるしかない。
「子供ね、まるで……」
「まあ精神年齢低そうだしな……」
ただ声は響けど姿がなお見えぬ状況は良くなかった。
言動はふざけていようと、タイシスは確かな力を持っている。
奇怪な笑い声を上げながら喉笛を容赦なく引き千切りかねないほど悪辣極まりない生物だ。
「いいよ、いいよ、無機物の相手なんてしてやんな~いもんね~ぷぷんんのぷん! ぬきぬきぷん!」
どこから肉球がノシノシ歩くような音が暗闇に響く。
足音は秒単位で増して近づきつつあり、零司たちは警戒を張り詰めさせるも、今なお姿はない。
「おい、ロボ、センサで把握できるか?」
「もうとっくにやってるっての、けど、あの小動物、隠蔽が巧なのか、音は反響しまくって分かんねえし、熱源も探知できねえ」
高度なセンサを積んでいるロボならと思えば、タイシスは巧に掻い潜っている。
モフモフの毛皮に高い低被探知性能があるのか、それとも空間自体にセンサを妨害する性質があるのか、分からない。
「おうおう、絶景かな、絶景かな、ふんふんがふんっ!」
足音は止み、感嘆とするタイシスの声が荒い鼻息と共に響く。
発言からして何かを堪能しているように思えるが、ふと零司は男の勘で愛那の足元に視線を移動させていた。
「モルフォ、すぐ下――いや裏だ!」
零司は目を見開きながら叫ぶ。
声に誘導されるまま、愛那が足元に目をやればフィールドの裏面に接地しているタイシスが鼻息を荒くしてスカートの中を覗き見ていた。
「きっ、きゃああああっ!」
悲鳴をあげる愛那は飛び退るようにロボの上に飛び乗っていた。
暗闇に覆われているとはいえ、まさかフィールドが氷のように透過していたとは思いもしなかった。
「ちぇ、気づきやがったか、自分は散々堪能しておいて、僕ちんには堪能させないとか差別だー卑怯だー訴えてやるーぺっぺっぺっ!」
タイシスは苛立ちながら唾を吐く。
口先より放たれた唾は暗闇に沈むことなく、フィールドの裏面に張り付いていた。
「バレちったしな、もうお遊びはおしまいだ」
小さな肩をすくめながらタイシスは小さな前足で、パンと柏手を打った。
瞬間、世界は――否、フィールドは裏返り、もう一つの姿を露わとする。
「い、今の何よ……」
「一瞬で、このフィールドが反転したんだ……」
「ならなんで私たち落ちてないの?」
「そりゃ重力操作して落ちないようにしてあげたからさ」
カラクリに合点が行く。
フィールド裏に何事もなく闊歩できたのも、吐いた唾が暗闇に落ちずにいたのも説明がついた。
『――』
「なんだ、これ鉄の棒か?」
零司は足元に転がる鉄の棒を左手で拾い上げる。
左腕に装着した腕時計にロボからのメッセージが表示され、拾いながらタイシスに感づかれぬよう読み取った。
『違う』
たった二文字のメッセージ。
この二文字が今度の命運を左右すると零司は読む。
「喰い残しだな、まるで」
拾い上げた鉄棒は齧りに齧られた千歳飴のようだ。
歯型があれば、噛み砕かれたとおぼしき痕まであった。
「ねえ、あの人!」
愛那が指さす方に誰もが目を向ける。
食い千切られた鉄格子の先にあるのは一つのベッド。
ベッドの上には喪服の女性が力なく倒れ伏している。
「ああ、その声……」
女性はパッと見て二十代程度か。服の上からでもわかる女らしい体つきに美女を彷彿させるも、頬はやせこけ、露出する腕は骨が浮き出ているほどやせ細っている。
「あなたたちが、通信機の……」
憔悴しきった声で女性は手早く理解を示してくれた。
「あんなにやせ細って、早く助けないと!」
「へいへい、お嬢ちゃん、そうは肉屋のメンチカツが降ろさないぜ?」
悲憤に憤る愛那の進行を阻止するようにタイシスが立ち塞がる。
「折角この第四階層まで辿りついたんだ。僕ちんが直々に捻り潰してやんよ!」
殺気が小動物から放たれる。
愛くるしく卑猥な形を裏切るように、血を凍てつかせ、心を委縮させる確かな気が小動物から放たれてきた。
ベッドから布ズレの音が響いたのは同時だ。
「そんで、ぐちゃぐちゃめっちゃかにボコしてやんよ!」
威圧は秒単位で膨れ上がり、連動して小動物の血管が全身に浮かび上がり膨張する音を立てる。
鉄を引きずるような音は膨張する音に呑み込まれる。
「特殊な力なんて一切合切使わず、自慢の筋肉でてめーら全員をワンパンチでのして喰――ぶげしゃっ!」
全身の筋肉が爆ぜるように膨張し体積を増大させていくタイシスだが、突然の背後からの強襲で横っ面が歪む。
歪む原因は喪服の女性が両手で握りしめた鉄棒。
渾身のフルスイングを横っ面に受けたタイシスは、そのままフィールドの外に弾き飛ばされていた。
「ちょおおおおおおっ! なんでなのよおおおおおおっ! 落ちるうううううっ! 重力で落ちてイク、イクウウウウウっ!」
訳が分からず狼狽するタイシスは落下しながら全身をボディービルダー真っ青の筋肉質な肉体に変貌させていた。
必死に落ちぬようクロールや平泳ぎ、バタフライなど宙で試そうと、高度は上がるどことか下がり続けていく。
「あともうちっとだったんだぞ! あと、あと少しで、美味い飯喰えたのに、なんてことしてくれたんだああああああっ!」
落ちていくタイシスの悔恨が暗闇に響く。
「見てよ、ほら、ヒーローをぶちのめす上腕二頭筋! プルンプルンで頑強な大胸筋だってすごいんだぞ! なのに、なんでああー――ちょ、やめて、あああ、齧らないで、こら、怪獣ども、僕ちんは食べる側であって食べられる、グボグゲゴゲグチャグチャ!」
暗闇の奥底より咆哮が響きあえば、耳を覆いたくなるような咀嚼音が響き出した。
まさか奥底に怪獣が群れを成して潜んでいるとは思いもせず、誰もが怖気を走らせる。
そして、咀嚼音が消えると同時、タイシスの声は二度と暗闇の底から響くことはなかった。
「……なんか呆気なくね?」
「一矢報いたってことだろう」
零司はどこか納得し難い苦い顔をしており、対してロボは平坦に返していた。
「はぁはぁはぁ……」
喪服の女性は鉄棒を杖の様にして身体を支えては息を切らしている。
血相を変えた愛那は駆け寄り、ボトルに入った水を差し出していた。
「の、飲めますか?」
「あ、はい、ありがとう、ござい、ます……」
呼吸は荒くとも返答できるだけの体力はどうにか残っているようだ。
愛那に支えながら喪服の女性はボトルに入った水をゆっくりと飲み干していく。
「あ、あの、小動物は?」
「あんたのフルスイングで見事に落ちて行ったよ」
「そ、そうですか、よ、ようやく、ようやく一矢報いることができました……」
零司から状況を伝えられるなり喪服の女性は胸を撫で下ろす。
「……衰弱が激しいが意識ははっきりしている。あの小動物、閉じ込めるだけ閉じ込めてほとんど食事を与えないみたいだ」
ロボには人間の健康状態を把握できる機能があるようだ。
「モルフォ、ブロックレーションを水で柔らかくして与えてくれ。そうすれば食べられるはずだ」
その音声にはやり慣れた感があった。
「そ、それよりも……」
喪服の女性は介抱する愛那を手で制してはベッドを指さした。
「あ、あのベッドの、し、下に、あのタイシスが利用している秘密の扉があります……な、なんでもあらゆる世界に通じる扉だと……」
零司たちは誰もがベッドに視線を集わせる。
先に動いたのはロボだ。
車両形態のままタイヤ移動で近づけば、そのまま馬力を持ってベッドをフィールドの外へと押し出していく。
「くっ、なんて重さだ。んなくそっ!」
タイヤと音声を唸らせるロボはベッドの重さに負けることなくフィールドの外に押し出すことに成功する。
「文字通りの扉だな、これ」
金属質の扉が露わとなりロボが端的な感想を告げる。
「これ、どうやって開けるの? 鍵穴付いているぽいし」
「そ、それでしたら、これを」
喪服の女性は懐から銀の鍵を取り出した。
都合の良い流れに零司は目尻に警戒を宿して問い質す。
「なんで持ってんだ?」
「……同じくここに閉じ込められていた仲間がタイシスから盗んだのです。喰われる直前、私に託しました」
「なら開けよう!」
あと一歩で元の世界に帰還できる。
逸る気持ちが愛那を行動に移し、喪服の女性から受け取った鍵を鍵穴に差し込まんとした。
「――っ!」
鍵が鍵穴に差し込まれる寸前、一条の光が鍵を愛那の手から弾き飛ばす。
光の発生源はロボの車両形態に懸架されたハンドガンだ。
「ろ、ロボくん、なんで――きゃっ!」
唐突な発砲に困惑する愛那に追い打ちが襲い、零司から抱き抱えられる形で扉から遠ざけられていた。
「ちょ、ちょっと、ゼロくんまで!」
「ちっとは人を疑え!」
「人かどうかは怪しいけどな!」
ロボ懸架のミニガンが火を噴き、扉を蜂の巣にする。
蜂の巣にされた扉が、やにわに開き、無数の剣山を口内に持つワーム状の怪獣を露わとした。
「あら、残念……本当に、残念です」
喪服の女性は口端を歪めて落胆する。
焦燥した声音から一転、甘美で妖艶さを宿す声音へと変質していた。
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