第30話 帰・路

 

「……行くぞ!」

 黒き粒子を纏う蝶に身構えるモルフォに対し、ゼロの声に警戒は微塵も宿っていない。

「でも、ゼロくん! ハオス・アゲハは!」

「大丈夫、あいつらなら信頼できる!」

 証拠はなくともゼロが断言できた理由はただ一つだった。

「ありがとうよ、お前たちだろう。みんなの声と力を届けてくれたの」

 モルフォを抱きかかえて走りながらゼロは黒き蝶に礼を告げる。

「え、ハオス・アゲハがゼロくんを!」

「ああ、お前が喰われそうになった時、黒き光が目の前で明滅したんだ。俺の力を届け、取り込まれたヒーローたちの声、いや意識が届いて、そいつらが力を貸してくれた」

 意識を繋げるだけではない。

 黒き蝶は力さえも届ける中継の役割を果たしてもくれた。

「そうだったのかよ。けどよ、モルフォの話じゃ、ルチェ・アゲハとハオス・アゲハは敵同士。モルフォの仲間であるゼロを助ける理由なんてないぞ?」

「いやある。そうだろう?」

 道先案内人である黒き蝶にゼロは尋ねる。

『私たちを解放してくれた。その礼だ』

 黒き蝶から聞いた男の声が各々の思考に届けられた。

『彼の記憶に触れた時、回復手段があると知った。後は賭けだが、結果として上手く行った』

「接点がないのに、把握できたのはそれが理由か」

 元が思考を伝達する生物ならばこその手だ。

『元々私たちは融和をもたらすために生み出された生命体だ。融和をもたらすにはあらゆる生物、あらゆる思考を一つに融合すべきだとした……だが、それは間違いだと私たちは融合されたことで初めて理解できた』

 間違いだと理解したきっかけは絶望の摂食者の一部にされたことだろう。

 自らが行い続けた行為では気づかず、一部にされたことで気づくのは皮肉過ぎた。

『あなたたちの戦いを観察して私たちは軽く存在否定と自己嫌悪に陥った。どうしてこうも簡単なことに気づけなかったのか、気づいていれば、真なる融和を築けていたかもしれない』

「簡単なことってなんだ?」

 ゼロは駆けながら黒き蝶の群れに問う。

『自己と異なる他者を理解し、異なる思考を受け入れ、種が異なろうと共に歩む』

「つまりは相互理解、共存共栄だな」

『然り』

 黒き蝶は羽根の羽ばたきでロボに首肯する。

 当たり前だが当たり前故に、なかなか気づけぬ真理だった。

『私たちはその真理に気づけた。だから、私たちは時がかかろうと他の私たちにこの真理を伝えねばならない』

「……なら私も手伝う!」

 ゼロに揺られながらモルフォが凛とした声で言う。

『良いのか? あなたは私たちと私たちの争いに巻き込まれた種』

「理解しようと動かないと理解すらできないでしょう!」

『そう。そうだったな……』

 モルフォの言葉に感慨深く頷くような声が黒き蝶からした。

「それよりルートはどうなっている!」

『引き込まれたのならば帰るのはその道の逆を辿るのが定石。既に三つのルートを確保している。右は私たちの宇宙のルート。真ん中はゼロ、左はロボの宇宙へと繋がっている』

 揺れは鎮まるどころか勢いを増し、空間に亀裂を広げていく。

「俺に力を貸してくれた奴らは!」

『大丈夫。私たちが各個に導いている。無事に元の世界へと帰還できるだろう』

「なら、そろそろお別れなんだね」

 モルフォから寂しげな声がした。

 本来なら出会うはずもないヒーロー同士が出会った。

 出会いがある以上、別れがあるのは当然だが、終わりではない。

「だろうな。でもよ、会えなくなるわけじゃねえ」

「ゼロくん……」

「俺の祖父さんは発明家だ。別宇宙に行ったとか知ったら喜んで宇宙超える装置作り出すぞ」

「今回の出会いは大変貴重なデータだ。消し去りたくとも消し去れそうにない。それにゼロの世界の技術で可能ならよ、俺たちの世界でも可能なはずだ」

 ニアロイドらしい言い回しだった。

「よし、ならここでお別れだな」

 ゼロはゆっくりと抱きかかえていたモルフォを降ろした。

 崩壊する宇宙の中、眼前にあるのは三つの渦だ。

 光の粒子を渦巻かせ、奥には各々見覚えある風景が覗き見える。

 それは各宇宙へ通じる道であり<ファイシス>からの脱出口であった。

 一つはゼロの住まう宇宙への道。

 一つはモルフォの住まう宇宙への道。

 そしてロボの住まう宇宙への道だ。

「ぶひょひょひょひょのひょ~!」

 帰還と生還への第一歩を踏み出さんとしたヒーローたちの足を止める不快な声。

 非常識が真っ裸で闊歩するような声にモルフォは背筋を凍らせ、身を震わせる。

「おい、まさかこの声……」

 ゼロは忘れたくとも忘れさせない不快でふざけた声に、記憶がありすぎた。

「そうです、私です! 僕ちんです! ジャジャジャジャバ~ビ~ン!」

 重きズタ袋を引きずるような音が崩壊する暗闇の奥より響く。

「みんなのアイドル、タイシスくんだよ~だよ~ん~びよよ~ん!」

 暗闇より卑猥さを連想させる小さな頭部が、ポロリと現れた。

 小さな舌で口周りを舐めとりながら全身を露わとする。

「なっ、こ、この姿は!」

「いや、キモイ!」

「悪食ここに極まりだろう!」

 誰もが現れたタイシスの姿に絶句する。

 小動物の面影など頭部しかなく、ナマコやワームのような巨大で醜悪な肉塊に変貌している。

 ありとあらゆる生き物をミキサーにかけ一つに凝固させたような姿を持ち、表皮には怪獣らしき顔や手足が醜く脈動している。

 時折、呻き声を発していることが不気味さとおぞましさを心の奥底から引きずり出させ、背筋を凍てつかせていた。

「食われて死んだんじゃないのか!」

 ゼロの誰何にタイシスは白い歯を剥き出しにして返す。

「死んでたよ! 落とされた先で、鼻毛の先からオトコの先までムシャムシャボリボリと怪獣共に食われたさ! けどね、僕ちんの食に対する情熱と妄念と飢えが、怪獣の胃の中にある細胞まで行き届いてね! 逆に僕ちんの細胞が胃の中からそいつら貪り喰い尽くして再結合後、大復活したわけよ!」

 肉塊より無数に生える無数の怪獣の手足が、巨体を引っ張りあげ移動をゆっくりと行い迫って来る。

「ちぃ~とんばかし喰いすぎて動きにくいがよ、問題ねえ! この宇宙が消滅するまでに、その穴に辿り着ける!」

「この脱出口はそれぞれ一人専用よ!」

「んなもん問題ねーっての! てめえら全員喰っちまえば僕ちん一人になるからな、それで平行世界の美味いもの時間無制限食い放題よ、げっはっはっはっ!」

 肉塊タイシスは哄笑しながら、実を震えさせるモルフォに言い返す。

 花弁が開くかのように、タイシスの首回りが蠢き、中より無数の剣山で覆われた器官が露わとなる。

「おい、ハオス・アゲハ! こいつ、どうにかできないのか!」

「そうよ、飛び込んだと同時に脱出口を閉じれば!」

 ゼロとモルフォの戦う力など完全に底をついた。

 仮に残っていたとして醜悪な肉体と戦闘を繰り広げるならば、勝敗がつく前に宇宙の崩壊に巻き込まれ消失する。

『無理だ。入り口を閉じるのは容易くとも、それは元の世界へ帰還するために通るトンネルを塞ぐことにもなる』

「もし塞いだら……」

『……世界と世界の狭間に閉じ込められるか、あるいは世界を隔てる境界に衝突して消滅するか』

 出口はあろうと逃げ場はなかった。

「ぶぎゃぷぎゃぎゃはははははっ! どっちにしろおめーら全員、僕ちんに食われる未来しかないってことなんだよ!」

 肉塊タイシスは耳障りな笑い声を上げながら、身体引きずり迫る。

 逃げるのは容易くとも、逃げようと肉塊タイシスは世界を超えてあらゆるものを欲望のまま貪り喰い尽くすだろう。

「食うのが好きなのか?」

 この中でロボだけが冷静な音声を発していた。

 苛立ちと失笑を入り混ぜながら肉塊タイシスの前に立つ。

「おうよ、特にピチピチギャルが二つの意味で大好きだぜ!」

 犬歯を剥き出しにした肉塊タイシスは、忌々しそうに唾を吐き捨てた。

「ただし、機械、てめえはダメだ!」

「おう、奇遇だな。お前もダメだ!」

「ダメってんなら、止めてみろよ、おい、ポンコ――ツゥウウウウ!」

 肉塊タイシスから罵倒が飛んだのとロボから銃弾が飛んだのは同時だ。

「なら銃弾でも喰らってろ」

 機械の手で握るハンドガンから放たれた銃弾が肉塊タイシスの小さな額を撃ち抜いた。

「ぶぼへ……? へ? ぷ~へ? ぢじじじぎゃあああ、暴れる、暴れる、僕ちんの中で熱くて、硬くて細かいのが暴れてる!」

 撃ち込まれた銃弾が肉塊タイシスの体内で炸裂。

 無数の破裂となって体内をズタズタに切り刻んでいく。

「ぬっ、ぬあんで、武器あんだよ! 力ないんじゃないのかよ! ああん、切れちゃう、切られちゃう、結合切れちゃうよ~!」

 肉塊タイシスの身体は内より切り刻まれたことで、肉片をフケのように巻き散らしている。

「簡単だっての、あの女にぶち込むはずだった二発の内、一発は装填したまま使ってないからだ」

 ロボの握るハンドガンは役目を終えたのか、銃口を破裂させる形で機能停止していた。

「まあ、もう使えないがな」

 とどめと言わんばかり、ロボはハンドガンをボールよろしく肉塊タイシスの顔面目がけて投擲していた。

「ふんぬっ!」

 しかし、行動を読んでいた肉塊タイシスは銃創ある頭部だけを切り離して回避する。

 白き犬歯を剥き出しにタイシスヘッドはモルフォへとミサイルのように急迫してきた。

「てめえら、僕ちんの異世界食べ放題ツアーの食前酒だ!」

 モルフォに毒牙が迫る。

 誰もが予期せぬ行動ゆえに反応が遅れてしまう。

「い、いやああ、こっちに来ないで!」

 女の悲鳴をあげたモルフォが握り締めるは醒解杖ウェヌス。

 カードに秘められた魔法を開放する杖であるが、カードなど当に尽きている。

 よって、モルフォが本能のまま取る行動は一つだった。

「ふぎゃあああ、ホオオオオオムラアアアアアアン!」

 タイシスヘッドは振りかぶって放たれた杖の一撃を受け、顔を歪ませながら飛んで行った。

「飛ぶ、飛ぶ、満塁サヨナラホームラン! サヨナラサヨナラサヨナラ! サヨオナラぷ~って、僕ちん、今頭だけだから屁こいて戻れな~い!」

 タイシスヘッドの嘆き声が遠退いていく。

「おつかれち~ん! 打ち上げの焼肉とオフパコは九時からだよおおおおおおっ!」

 暗闇に走る空間の亀裂に呑み込まれ、タイシスヘッドは消失した。

「なに、今の……」

 力なくへたりこむモルフォは断末魔らしからぬ断末魔に唖然とする。

「最後の最後までふざけた奴だったが……」

 目尻抑えるゼロは結果オーライとして受け入れた。

「ハオス・アゲハ、あいつの反応は!」

 空間の亀裂は無数の枝分かれを繰り返し、元の世界への脱出口に迫っている。

 ゼロは声高に黒き蝶に問う。

『だ、大丈夫だ。それらしき反応はない。だが、急いでくれ、ここはもうそろそろ限界だ』

「んじゃ、二人とも、先に失礼するぜ!」

「おい、いきなりかよ!」

 ロボは別れを惜しむことなく帰還への道に飛び込もうとしていた。

「空気を読ませてもらうっての――縁があればまた会おう!」

 機械が縁などおかしくかんじるもニアロイドだから気にしない。

 フェイスディスプレイに、にこやかな感情を表示したロボは手を振りながら光の奥底へ消えて行く。

 機械なのに感情豊かだから、気づけば個人のように接していた。

 ゼロがモルフォと衝突して気まずい中、事情を聞くことで間を取り持ってくれた。

 それだけではない。幾多の窮地もロボがいなければ危なかった。

 なのに、一方的に別れを告げて帰るなど酷いではないか。

「ふっ、まあ縁があれば会えるか。またなロボ」

 別れは終わりではない。

 互いが互いを忘れない限りその繋がりは消えず永遠に続いていく。

「モルフォもありがとな」

「え、ええ、うん、え、えっと」

 モルフォは突然に顔を赤らめれば、あれこれ視界を右往左往させてきた。

 挙動不審であり、事案発生してもおかしくない表情である。

『急げ。この宇宙の崩壊はなお加速している。このまま留まれば崩壊に巻き込まれるぞ』

 黒き蝶から催促と警告が飛んだ。

「ああ、もう女を見せろ、愛那!」

 モルフォは自らの名を叫び、両頬を叩いて喝を入れてきた。

「ゼロくん、じゃなくて、ええっと!」

「さっきからどうした?」

「零司くん!」

 ゼロは本名で呼ばれたことに驚き固まった。

 次いで割れた仮面より露出する右半分――頬に柔らかく温かい感触が伝わる。

「はぁ?」

 モルフォが頬にキスをした。

 この言葉だけで起こった状況が説明できた。

「わ、私の世界で、ではね! 女が男の頬にキスするってことは将来を添い遂げる予約になるんだから!」

 顔を真っ赤にしたモルフォから声高に、尚且つ早口で言われた。

「そりゃ住む宇宙が違うかもしれないけど、それでも、あなたみたいな男、私は諦めないから! そっちが科学で宇宙を渡るなら私は魔法で宇宙を渡って見せる! だから――だから――そ、そっちの宇宙で恋人や妻を作ったら許さないからね!」

 事実上の告白と所有宣言であった。

 告白は一度たりとも受けたこともしたこともないゼロにとって告白されたのは初体験だ。

 崩壊を続ける宇宙が返答を催促して来るため、悩み考える時間などない。

「……俺を狙うなら厳しいぞ。料理上手で節約上手の妹がいるし、小玉だが胸が大玉な可愛い幼なじみだっている。あいつらはかなり手強いぞ~」

「残念でした。前にも言ったけど私の宇宙の女男比は二万対一なのよ。男なら不細工だろうとデブだろうと引く手数多で、女同士の奪い合いなんてザラなんだから!」

 空間の揺れは一層増す。

 亀裂はなお広がり、ゼロたちが立つ方に音を立てて迫っていた。

「女作ったら問答無用で破壊魔法ぶっ放すからね! 覚悟しときなさいよ!」

 モルフォは別れの言葉なく自らが住まう宇宙に続く道へと飛び込んでいた。

「覚悟しときなさいか……」

 柔らかな残香は自然とゼロの頬を緩ませた。

「さて、俺も行くか」

 本来出会えぬ出会いをした。

 ヒーローとして沢山の事柄を学ばされた。

 何より一人で戦っているのではないと知った。

 道を歩き続けるゼロはふと立ち止まり振り返る。

『どうした? この宇宙にいるのはお前で最後だ。急げ』

「いやちょっと伝達事項をな」

 ハオス・アゲハに答えたゼロは大声で崩壊する宇宙に告げる。

「希望がある限り絶望は必ずつきまとう。その絶望を糧に復活しても、その時は俺たちヒーローが全力で倒す! 何度でもだ!」

 ヒーローの辞書に諦めの二文字はない。

 例え挫折や後悔があろうと乗り越えられる。

 絶望があろうと戦い続けられる。

 理由は簡単ただ一つ、誰かのために戦うヒーローだからだ。

「あばよっ!」

 ゼロが光の渦に飛び込んだと同時、<ファイシス>は消失した。

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