第29話 無限零!

 ゼロの意識は綱渡りのように現と虚の間を行き来していた。

 頭が、頭が明滅する。

 意識が震える。視界が定まらない。

 何が起こった。何を受けた。何が……どうなった?

「ぐ、ぐうっ……」

 ゼロは辛うじて現に繋ぎ留めた一糸の意識に自問自答を繰り返す。

 頭部を保護する仮面の一部が砕け、顔の右半分を露出させている。

 手足どころか指先にすら力が入らない。

「ゼロくん、ロボくんっ!」

 モルフォの叫びがゼロの意識を強く揺さぶった。

 微々たる力を振り絞って顔を動かせば、モルフォが逆さに吊るされ、女性に食されようとする瞬間を目撃する。

「も、モル、フォ……」

 喰われる。女性の糧にされる。させない。認めない。ヒーローを食す宇宙など認めない。

 動け、動け、動け、動けっ!

 何度も力強く念じようと身体は指先一つ動かない。その意志が身体に伝わらない。

 このままモルフォが食べられるのを黙って見ているほどゼロはお人よしではない。

 どうして動かない!

「ぐ、ぐうううっ!」

 ゼロは意識を絞り出そうと、身体の上に何万トンの重石を乗せられたかのように動かなかった。

「や、やめ、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 張り裂けんばかりの叫びに女性は気づこうとも、目を嬉しげに細めて微笑むだけだ。


 ――あの個を助けたいかい?


 ゼロの視界を黒き光が明滅し頭の中で声が響く。

 多重演奏のように幾人もの男性を重ね合わせた声だ。

(ああ、助けたいっ!)

 誰の声であろうとゼロは即座に返した。

 ――なら、まずは各階層にいる個たちの力を借りる必要がある。

(借りるだと――どうやって)

 ――今、あの穴は空間を越え、各階層を繋ぐバイパスの役目を果たしている。君が戦う意志を伝えることができれば、あの個たちと君を繋ぐことができる。

(だから、どうやって、ゼロブラッドももう先の攻撃でほとんど残っていないんだぞ!)

 ――ふむ、それだけの理由で諦める理由になるのか?

 ならない。諦めてはならない。

 だが、胸に抱く希望は、絶対的な絶望に食い尽くされて風前の灯火だ。

 このままではモルフォは喰われ、続けてゼロもまた同じ末路を辿る。

 いや、ゼロだけではない。

<ファイシス>に取り込まれたヒーローたちが絶望への糧となり、まだ囚われておらぬ各世界のヒーローもまた。

 ――この宇宙で傷つき弱ったヒーローたちを救えるのは君だけだ。

 謎の声の発言がゼロの記憶の本棚を揺さぶり起こす。

 ゼロの力は殺せぬ不死者を殺す矛盾を卸す力。

 違うと、記憶の本棚より落ちた一冊の本がページを開いて否定する。

 記憶の本に記されしもう一つのゼロの力。

「そうだ、俺は、俺はあああああああっ!」

 意識揺さぶる叫びを上げながらゼロは立ち上がった。

 一度倒れ伏した食事が起きあがろうと女性は意に介しない。

 ならば、注目させるだけだ。

「ヒィイイイイイリングウウウウウ――」

 残存ゼロブラッド一%。

 渾身の力を込めてゼロは最後の一滴を解放する。

「ジイイイイイイルドオオオオオオオオっ!」

 アーマーの各部より白き粒子が間欠泉のように激しく噴出する。

 フィールドを瞬く間に白銀世界に塗り替え、星のようにある丸穴へと吸い込まれては粉雪のように各階層に降り注いだ。

「あら、声が、変わった?」

 モルフォの頭部を一噛みしかけた女性は、各階層の異常事態に顎の動きを止める。

 深手を負ったヒーローが最後の力で白き雪に触れれば、傷一つなく回復して立ち上がる。

 飢えと乾きに苛まれたヒーローの口に白き雪が入るなり、飢えと乾きを瞬時に消し去った。

 怪獣の群に蹂躙されていたヒーローは、白き雪を掴めば、劣勢を跳ね返して悪状況を逆転させる。

「なにこれ、え、どうして、なんで? どうして、誰もが絶望から立ち上がるの! 何故、立ち上がれるの! 立ち上がったら、不味くなるのに!」

 絶望に屈指かけるヒーローたちの心に希望が再燃する。

 全ては白き粒子を噴出させたゼロの仕業だ。

「そ、その力は!」

「これはヒーリングジィールド! 傷ついた者を癒し回復させる救う力だ!」

 ヒーローが持つのは倒すための力だけではない。

 他者を癒し救う力こそ、ヒーローの本質。

 ヒーリングジィールドは怪人との戦闘で傷ついた者たちを癒す力。

 ゼロブラッドの猛毒性を薄めに薄め、治療薬として粒子状に噴出する。

 死に絶えた者に効果はなかろうと、重傷者を瞬く間に完全治療する効果が込められている。

 ――さあ、次は我々の番だ!

 黒き光が視界を明滅すると同時、謎の声がゼロの脳内に今一度響くなり、脳から全身を貫くような衝動に貫かれた。

 それは暴風、激流などで形容するには生易しすぎた。

「ぐっ、ぐうううっ!」

 身構える瞬間すらなくゼロの意識は凄まじき奔流に飲み込まれた。

 奔流の正体は箱庭世界に取り込まれたありとあらゆる意識だ。

 黒い光が明滅を繰り返す度、意識の奔流は苛烈さを増し、ゼロの意識をなぶり、焼き切らんとする。

 ――くっ、我々では余計なものまで伝達させてしまう。身勝手だが、余計なものを流すんだ。君ならば捉えられるはずだ。本質を掴めるはずだ。

 あらゆる世界が存在するならば、それ即ち、あらゆるヴィランが存在する。

 奔流の主流は世界に蔓延り、安寧を蝕む悪。

 悪は平穏を血で染め、穏やかに過ごせる日々を奪う。

 力なき者たちから眠れる夜を奪い、一時すら与えない。


 黄泉の底より現れし殺戮の鋼。

 死してなお現世にて魂喰らう鬼。

 星光の陰より生まれ成り替わる復体。

 世界破壊を目論む魔法の獣軍団。

 人類滅亡の検分を繰り返す計算機。

 垣根の歪みより生じる魔女。

 進化を導く波動の使徒。

 種の袋小路に至りしもの。

 他を排斥し自己に執着するAI。

 人間を養殖し家畜とする精霊。


 あらゆる世界に悪意と敵意が渦巻き、ゼロの精神を呑み込まんとする。

 その悪意と敵意が<ファイシス>に集い、ボタン一つ掛け違えていれば、戦っていたかもしれない悪。

 悪は波濤となりてゼロの精神を蝕み、自我崩壊へと導いていた。

「ぐっ、ぐっ、ああああああっ!」

 それでも、それでも、ゼロは歯を食いしばろうと、瞼を閉じなかった。

 閉じていては未来が、可能性が、希望が見えないからだ。

 絶望が世界にあるのならば、それ即ち、希望もまた世界に存在する。

 見据えたと同時、意識の奔流は唐突に鎮まり光が広がっていく。

 ゼロは己の目を介して心で世界の光を捉えた。

 

 天なる緋にて解放する剣士。

 月の夜にて鬼を切る武士。

 星虹の陽にて影払う闘士。

 世界再生を目指す魔法少女戦隊。

 魂燃やす虚構の模倣人間。 

 混沌の災禍解く隣り合う男女。

 波動を超え横行覇道を行く戦士。

 地球の鍵を宿し騎士。

 電子を書き換える遊戯者。

 錬成された鉄よりも硬き愛を抱く機械人間。


 世界に悪が満ちるならば、希望の光は必ずや灯される。

 希望とは、誰かのために戦い、人々を守り続けるヒーローたちのことだ。


「みんなの力、借りるぞ!」

 ゼロは血を触媒に、あらゆるヒーローの意識を受け取った。

 ゼロブラッドとは感応流体エネルギー。

 装着者の精神に感応して出力を上下させる力がある一方、高い猛毒性によりアーマーに内封して使用せねばならない。

 だが、黒き光が触媒となり、本来なら一人しか感応できぬ精神感応を箱庭全土で行っている。

 各階層で損壊により漏れ出たゼロブラッドの残留物も手伝って、声という声、あらゆるヒーローたちの意識を繋いでいく。

 ――なら僕の力を貸そう。

 年端も行かぬ声はゼロの身体から重石を取り去った。

 ――私の力も使って。

 別の声が、若い女の声がした。

 瞬間、視界が定まる。走るべき距離、届けるべき手、打ち倒すべき相手の顔がはっきりと視認できる。

 ――君たちはまだ絶望に抗っている。だから私もまだ抗う。

 ――あなたたちのお陰で消えかけた火は再び燃え上がった。

 ――傷治してくれた礼だ! ブッ飛ばすんなら遠慮なく力を貸すぜ!

 黒き光が明滅する度に比例して声は徐々に増えていく。

 増えていく声はゼロの心と身体に力を湧き上がらせていく。

 ――俺の力を使え!

 まだ動く。まだ立てる。まだ―――抗える!

 ――例え世界が異なろうと私たちは同じヒーローよ。

 ――心を幾度も折られようと膝をつく理由なんてない!

 光が、言葉が、力が、意志が、この箱庭に囚われたヒーローたちの心がゼロに届けられる。

 ゼロは幾多の世界のヒーローたちに助けられている。

 否、それは思い違いだ。

 流れてくる意識の一つが言葉を走らせる。

 絶望の摂取者に抗う姿は、折られた心に再び希望という光をもたらしてくれた。

 絶望と戦うヒーローがいるから、まだ抗える。まだ戦える。

 今はまだこの場所に辿り着けない。

 辿り着けぬ故、この場で戦うヒーローに自分たちヒーローの力を黒き光に届けてもらう。

「モル、フォ……」

 ゼロは彼女の名を口にする。

 彼女との出会いが走馬灯のように駆け巡る。

 怪獣に襲われた時、盗んだ車両ではね飛ばしてくれた。

 消滅と救済、同じヒーローであろうと異なる戦い方に衝突した。

 衝突しても互いがみんなの笑顔を守るために戦うのだと理由を知り分かり合えた。

 例え宇宙が異なろうと同じ目的だと知った時、ヒーローは孤独ではないと知った。

 だから――だから――認めない。許さない。何より――失わせない!


 ――さあ叫べ! 言葉は力! その力を口にし形と為せ!


「愛那あああああああああああああああああああああああああああっ!」

 絶望の奥底でゼロは愛那と叫んだ。

「あら?」

 ゼロは女性との距離を一瞬で詰めた。

 いや一瞬すら遅い感覚かもしれない。

 現に女性はゼロの変化を把握できぬまま、大口を開けて固まっている。

 隙を突いたゼロは上へと弾くようにして女性からモルフォを救い出す。

 瞬きと悲鳴を許さず舞い上がるモルフォに目もくれず両手を握りしめた。

 これが最後の希望。これぞ最後の拳。

 受けるがいい閉じ込めたヒーローたちの力を集わせた一撃を。

「使わせてもらう、お前たちの力! この力は――みんなの笑顔を守るために!」

 右手に白き光が宿る。左手に黒き光が宿る。

 其れは希望。此れは絶望。いがみ合う二つの可能性。

「絶望に抗う生命の真極光かがやきよ!」

 右手の輝きは誰もが力なき人々を守りたいと願うヒーローの希望。

「希望を喰らう生命の冥極光くらやみよ!」

 左手の輝きは守るために奪わなければならぬヒーローとしての絶望。

「付かず、離れず、表裏の光! 一つに握りて刹那ゼロを超える!」

 ゼロブラッドが枯渇したアーマーのエネルギーラインを虹色の光が輝き走る。

 虹色の光は暗闇を越え、各階層を照らし出しては、有り余る輝きがゼロの背面に虹色の翼を形作った。

「あら、あらあら~?」

 間の抜けた声が女性からしようと遅い。

 虹色の翼は秒刻みで輝度と噴出を増す。

 いがみ合う二つの輝きを一つにしたゼロは、虹色の翼を羽ばたかせ、絶望の主に真っ正面から右拳を撃ちこんだ。

無限零ゼインソフオウルっ!」

 暗闇世界を、虹色の輝きが溢れんばかりに満たしていく。

「これがおれたちヒーローの希望ちからだああああああああああああああああっ!」

 女性は輝きの一撃を受けながらも恍惚な表情をしていた。

「あ、あ、あああああああああああっ!」

 女性の顔が歪む。身体が軋む。思考を支離滅裂な奔流が駆け巡る。

 分かる。絶望を食しているからこそ、この奔流が何なのか断言できる。

「これが絶望、あらゆる事象を落とし込むほの暗き虚!」

 なんて味なのだろう。今まで何万何億種類の絶望を食してきたのに、今味わっている絶望は何たる美味のことか。

「そう、これが絶望――宇宙よりも深く、優しさよりも甘く、怒りのような辛さで、涙のようにしょっぱい、あああああ~これが!」

 最高であり、至高であり、究極の味。

 それ以外にどう形容する。どう言い表せる。

「敗北という絶望の、あ、じ――……あらっ?」

 自らの感情を味わう女性は、ゼロの背後より飛んできた銃弾により顔の前半分が爆散し味覚を遮断された。

「味の感想はいい加減飽きたっての――くたばれ、〇〇ズ〇女がっ!」

 ゼロが振り返れば、ロボの構えたハンドガンから硝煙が漂っていた。

 先の攻撃が誰なのか、銃口は無言で物語っている。

「お、お人形の分際で、私の食事をおおおおおおおおおおおおおっ!」

 女性は喉なき喉で絶句しながら虹色の燐光に包まれ消失する。

 絶望を食し続けた者の末路が、自らの絶望を味わえぬ末路なのは、まさに因果であった。

「ロボっ……――おっと!」

 仲間の再起動を喜んだゼロは上より落ちてきたモルフォを受け止めた。

 忘れるというミスを今度は犯さなかった。

「う、ううう……」

「ゼロ、モルフォ、勝ったんだな?」

「ああ、モルフォ、落ち着け、もう終わったんだ。正真正銘、俺たちの勝ちだ」

「そ、そうだけど……分かっているけど……怖かったよ!」

 モルフォはゼロの胸鎧に顔を埋めてワンワンと泣き出した。

 みんなの笑顔のために戦う魔法笑女だとしても一皮むければただの乙女だ。

 ゼロだって正直言えば怖かった。恐ろしかった。仲間を目の前で失う恐怖を味わった。

「けどよ、ゼロ、隠し玉があるのならもったいぶらずに出してくれよ」

「そ、そうだよ。隠すなんてゼロくんらしくない!」

「いや、あれは俺の力じゃない。正確には――」

 言いかけたゼロだが、その発言は揺れにより中断された。

「地震?」

「いや、空間そのものの揺れを確認。これは恐らく……」

「ここの主を倒したから宇宙が崩壊しているのか!」

 考えられる典型的な事態だった。

 勇者が魔王を倒す典型的RPGでの最終戦闘は魔王が自ら作り出した城の中と決まっている。ならば、その魔王が倒された瞬間に魔王の力で生み出された城は当然、維持などできるはずもなく崩壊する。

 そのような現象が今発生していた。

「脱出するぞ! ロボ、脱出ルートの検索!」

「もうしてるっての! けどよ、どこにもルートは……――ルート発見!」

 ロボのフェイスディスプレイが直進の文字を表示した。

「前方に不可視のルートを確認。何らかの浮遊物が我々を誘導しようとしているぞ! 該当データあり、これは!」

「は、ハオス・アゲハ!」

 黒き粒子を纏う蝶だった。

 モルフォは正体をいち早く見抜き、声高に警戒した。

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