第28話 Spem metus sequitur


「はぁはぁはぁ……」

 ゼロは片膝をつき、ショルダーアーマーを振るわせながら酸素を求めて激しい呼吸を繰り返していた。

「残存ゼロブラッド三%……フルでぶち込んで三%も残ったのはマシな、ほう、か」

 絶望の摂取者の頭部は横倒しのままオブジェのごとく動かない。

 装着するアーマーが重石のように感じられる。

 それでも勝利と生存なる達成感が、重石と蓄積したダメージを軽減させてくれた。

「モルフォ、生きてるか……?」

「うん、大丈夫、だよ。でもカードは尽きちゃった……」

 モルフォもまた呼吸を激しく乱し胸元を上下させている。

 手元にあるカードを一枚も残らず使い、尚且つ最後に浄化と言う大技を使用した。

 頑強な鎧を装着するゼロと異なり、薄手の衣服だからか、表面は何か所も切り刻まれ、白き肌を覗かせている。

「ちぃ、こういう服は刻まれたなら終わった瞬間、ボンって下着も一緒に弾け飛んで裸になるのがお約束だろう」

 ゼロはヒーローである前に男だ。

 性欲真っ盛りの一〇代の男の子だ。

 目の前で全裸になるお約束をご褒美として期待したのに布きれ一枚弾けないと来た。

「残念でした。戦いでダメージを受けても軽減するための対物理障壁服って服があるんですよ~だ。これには上に着た服がいくら切り刻まれても弾けない保険があるのよ」

 誇らしげなモルフォは服の切れ目に指を差し込めば、透明に近い色をした服を引っ張り出して見せた。

「重ね着かよ。まるでババシャツだな」

「ババシャツいうな!」

 ゼロとモルフォ、互いに満身創痍だと言うのに口で言い合うだけの余力はあった。

 いや勝利により生まれた力かもしれない。

「ったく、お~い、ロボ、冷却のほうはどうだ?」

 呆れるようにぼやくゼロはロボへと呼びかける。

 応答は当然なく、今も変わらずロボの開かれた各装甲の隙間から強制放熱が行われ続けており、高い排熱は身体の輪郭を歪ませていた。

「こりゃもう少しかかりそうだな」

「そうですか」

「ああ、そうだよ。まあゆっくり待と、う……か?」

 ゼロはふと言葉を止めた。一方で思考はフル稼働させた。

「今、何か言ったか?」

「ううん、何も言ってないよ」

 この黒きフィールドに立つのはゼロ、モルフォ、ロボだけのはず。

 後はオブジェの如く動かない絶望の摂食者の頭部がゴロリと転がっているだけだ。

「なら、今の声は、まさ、か……――ぐあっ!」

 振り返ったと同時、ゼロは顎下から脳の直行便を受ける。

 かち上げられ、身体を弓なりに逸らし亀裂走るメットから欠片をばら撒いては弾き飛ばされていた。

「ぜ、ゼロ、く――きゃっ!」

 ゼロがフィールドに背中を強打したのと、モルフォが捕縛されたのは同時だった。

 絶望の摂食者の右耳より伸びた腕が蛇のようにモルフォの身体を縛り上げている。

「うふふふふ、あはははははははははははははははははははははっ!」

 動かなかった絶望の摂食者の頭部から女性の哄笑が響く。

「この瞬間を待っていましたよ」

 絶望の摂食者は存命していた。

 頭部がザクロのように割れ、中より全裸の女性が露わとなる。

 白磁のような肌は幾つもの亀裂が走り、口元から涎を止めどなく垂らし続けていた。

「勝利に酔う。この瞬間こそ最高の希望であり、その瞬間を喰らえば、それこそ私が求める至高の絶望となる」

「離して、離してったら!」

「離しませんよ。だってあなたは私のお食事ですもの。うふふ、逃げられませんね。もう力は残ってないですからね」

「嫌、嫌っ!」

 動きを封じられたモルフォは声でしか抗えない。

 だから狙ったのだ。だから狙われたのだ。

 余力が辛うじて残っていたゼロは先の一撃で倒れ、モルフォに脱出するだけの魔力はない。

 ない事実は恐怖を生み、希望を絶望へと転換させる。

「ああああああああっ! 感じます。ゾクゾクとあなたの絶望を感じます。帰れると思った。勝ったと思った。死力を尽くしたのに、結果は残念~私のお食事でした~!」

 全身を震わせながら女性は、モルフォより流れる涙を艶めかしく舐めとった。

「ああ、涙一つでこの味! 中にある希望への甘さが涙のしょっぱさを引き立てているなんて、もう~たまりません!」

 もう一つ、また一つとモルフォより流れる涙を女性は舐めとっては堪能している。

「もう、一人で堪能するなんて、もったいない! 折角ですから、この箱庭にいるヒーローの皆さんに私の食事を見せつけてあげましょう!」

 パチンと、女性が指を鳴らせば、暗黒の空間に無数の丸穴が夜空に輝く星のように現れた。

 丸穴一つ一つに、一人のヒーローの姿が映る。

 傷だらけとなりながらもなお怪獣と戦うヒーロー。

 傷を負いながらも、心を折らぬヒーロー。

 水も食料も既に尽き、飢えと乾きに苛まれたヒーロー。

 自らの道を愛しき者に拒絶される幻にて堕ちかけたヒーロー。

 箱庭に取り込まれた各世界のヒーローたちは、突如として現れた丸穴を見上げている。

「ヒーローの皆さん、こちらの様子は分かりますか? ええ、目と耳共にしっかり把握できて結構。今から<ファイス>である私が、このヒーローを美味しく頂きます。私の美味しい食事になるのが皆さん、ヒーローの末路なんですよ」

 女性は晴れやかな笑顔で丸穴から覗くヒーローたちに伝達する。

「もちろん、抵抗するなら抵抗しても構いません。抵抗すればするほど、熟成肉のように旨味を増しますから私としては大歓迎です」

 聞こえる聞こえる。

 各階層にいるヒーローたちが心軋ませ、感情を怖気に傾ける有様が、逆立つ産毛まで把握できる。

 その場で朽ちるならば、それなりの旨味となる。

 それでもと、可能性に賭け、心折れることなく最下層にたどり着けば至極の味となる。

 今すぐこの魔法笑女を食せば、次なる食事の土壌となる。

 よって――

「うふふ、そろそろ、いただきましょう」

 口端を裂けんばかりに笑みを浮かべる女性にモルフォの顔より血の気が恐怖にて引く。

「このまま頭からガブリと行きましょう。舌の上で転がしながら一噛み一噛み、絶望の味を堪能させてもらいます」

 絶望の摂取者の右耳より生える腕が動いた。

 モルフォは逆さに吊るされ、大口開く女性へとゆっくり降ろされていく。

「あ、あああああああああああああああああああああっ!」

 モルフォは叫ぶ。ただ叫ぶ。叫ぶだけの力しか残されていない。

「ゼロくん、ロボくんっ!」

 仲間の名を叫ぼうとも仲間は動くことが――できない。

「大丈夫ですよ。この後すぐあなたのお仲間も美味しく頂きます。目の前で仲間が食された光景に絶望の質もなお良好になっているでしょう。では――」

 モルフォの頭が女性の口中へ消えようとした。


 ――いただきます。

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