第20話 崩・落


「見つけたっ!」

 全力疾走を続ける零司は晴れた霧の先に佇むロボを発見した。

 カサカサとした足音は多重奏を響かせ、すぐ真後ろまで迫っている。

「ゼロくん、なんか鼻息みたいな生ぬるい風がまとめて首筋に当たっているんだけど!」

 掴んだ手の主から嫌悪感の声が飛ぶ。

「言うな、想像したくない!」

 窮地とたる現状が人間の想像力を悪い方向に刺激する。

 空腹に耐えかねた末、餌を見つけて興奮しているのか。

 人間の、それも若い女子にハァハァしているのか。

 もしくは若い男子を口内でレロンレロンしたいための下準備か。

 想像したくはないのに、想像してしまう人間の想像力が恐ろしい。

「い、イヤ、なんかヌチョヌチョした音が沢山する!」

 思考は止まらない。ましてや石畳を蹴る脚を止めるなどもっての他。

「ロボおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 零司は腹に力を入れて渾身の声で叫ぶ。

「……――音声キャッチ。この声紋はゼロと確認」

 ロボが反応を示し、フェイスディスプレイに淡い光が灯る。

「俺たちの背後を撃てええええええええええええええええっ!」

 零司と愛那が変身できないように、ロボもまた火器が使用できない可能性も否定できない。

 だが、変身できない現状、変身を必要とせず戦う力を持つロボの可能性に賭ける。

「ヤー・ダー」

 拒否する音声がロボより響いたことで零司は足を滑らせ、腕引く愛那を巻き込んで横転してしまう。

 その最中、零司は一瞬だけ青白の模様を垣間見た。

「いい位置だなこれ」

 ロボは腰溜めにミニガンを揚々と構える。

 駆動音がする最中、零司は後頭部に硬さを、額は重さに蝕まれる。

 でかい双山に視界を半ば塞がれ、ただ目を閉じることなく、ぶつ切りの光が解放されるのを眺めていた。

「ちょうどムシャクシャしていたところだ!」

 ミニガン搭載のモーターが呻き、雨嵐のように無数の光が貫き走る。

 光は霧の壁に穴を穿つ形で視界を晴らしていく。

『ぎゅあああああああああああああああああああっ!』

 霧の中より硬い金属同士を噛み合わせた声が幾重にも反響した。

「やはり霧の元凶だったか」

 銃口より煙漂わせるミニガンを床に置いたロボが歩を進めれば、石畳に無数に散らばる球体の一つを拾い上げた。

 小さな小さな球体はネズミよりも、いや下手をすれば爪よりも小さいかもしれない。

 一方で脚だけが異常に長く、針金のように細く尖った八本の脚が力なく伸びていた。

「なんだ、それ?」

「恐らく、この霧を作り出していた元凶じゃねえの?」

 零司が目を凝らせば、球体状の身体には複眼のような部位があり、口部や牙すらもある。

「蜘蛛型の、怪獣か?」

「どうやら俺たちが霧だと思っていたのは雲で、この蜘蛛たちが生み出していたのは間違いないようだな」

 ロボの言葉通り、霧は消えるように引き、石畳と煉瓦で覆われた内装を露わとする。

「ひいい、こんなにっ!」

 床一面に散らばる球体が蜘蛛の群れと知るなり、愛那は全身から脂汗が浮かばせ、鳥肌を際立たせている。

「まあ霧と雲は共に水蒸気が小さな水粒となって空中に浮かんでいる現象だしな。違いを説明するならば、雲は大気中に浮かび、霧は地に接している。ただそれだけの差異だがよ、実質同じものと考えてくれ」

 ゴミでも捨てるようにロボは蜘蛛の死骸を放り捨てた。

「蜘蛛が雲とか、ギャグかよ」

 可能性に勝とうと、零司は不満げに顔をしかめるしかない。

「それにさ、助けてもらった手前いうのもなんだが、ヤーダーとかないだろう」

「いや、俺はゼロの声に了解と返しただけだぜ」

 ロボの言葉遣いがやや荒っぽくなっている。

 言語機能が回復したのか、零司は敢えて指摘しない。

 愛那は気づいているのだろうか――いや気づいていないはずだ。

 指摘するのも野暮なので、零司は話を折らぬようロボに問う。

「どういう意味だ?」

Jaヤーはドイツ語で、Даダーはロシア語。双方とも了解の意味をするんだよ」

 つまりは、ニアロイドのジョークとなる。

 助けてもらった手前、零司は感謝だけを述べ、これ以上は口を噤んだ。

「……それで、いつまでこの姿勢でいるの?」

 零司の額上から愛那の怒気籠る声が響く。

「器用な倒れ方してんな~」

 ロボがフェイスディスプレイを明滅させて驚き呆れた音声を漏らす。

 何しろ仰向けに倒れた零司の額に、愛那が腰を下ろしたかのような形で尻が見事に乗っかっているからだ。

「双山は双山でも、尻かよ」

 年頃の乙女の尻が年頃の少年の額に乗っていようと、零司の心拍数は上昇することはなかった。

 理由はただ一つ。

 額が重さと痛さにもの凄く苛まれているからである。

 人体の中でも山と例えられる部位であろうと、横転の衝撃とその体重のダブルパンチ。

 精神がエロスを感じるよりも先に痛覚にて痛みを感じていた。

 もし仮にも痛みよりもエロスを先に感じる者がいるとすれば、その者は猛者と称賛されるだろう。

「ふむ……」

 額への重みを実感していた零司は短く嘆息した後、おもむろに両手を伸ばして愛那の脇の下から乳を鷲掴みにした。

「え……っ?」

「Oh!」

 愛那から硬直した声が、ロボから驚嘆の音声が、それぞれ漏れる。

「でかいな……妹には毒過ぎて見せられん」

 零司は生まれて初めて赤の他人の乳を揉んだ。

 正直妹よりもでかい、やわらかい、感度よし、と三拍子揃っている。

 妹が悩む理由を兄の立場として納得でき、解決の力になれないことを何度悔やんだか。

 確かに零司には巨乳の幼馴染がいるも、自発的に揉もうと不思議に思わなかった。

 何故との理由もまったく思い出せない。

 ただ、確実に言えることが一つだけある。

「やはり、俺は兄である以前に、男なんだな……」

 たかだか脂肪細胞の塊であるおっぱいを揉んだだけで性の高鳴りを感じてきた。

 巨大な乳を持つ女の罪か、それとも性を抑圧できず揉んでしまった男の罰か。

「なあ、モルフォ……」

 上からの返答などない。

 ただ全身をわなわなと震えさせているのが額へと伝播し、心なしか髪の一部が逆立っているようにも見える。

「お前の身体って綺麗だよな」

 素っ裸を見ただけではないが、乳を揉んだだけで直感した男の性だった。

「い、いきなり、なになにょにわおわんの!」

「呂律が回ってねえぜ」

 小さな破裂音が零司の耳に届くも、肩をすくめるロボの音声に上書きされた。

「髪だって綺麗だし、三つ編みやめてロングにしても似合うと思うぞ?」

 考えもなく、ただ単に、似合うだろうと思う率直な発言であった。

「そ、そう、かな……?」

「そうだよ。上の髪も綺麗なら、下の髪も綺麗なんだろうな」

「そんな風に言われる……ん?」

 愛那の照れ声に嫌が混じり出す。

「なに、変なこと言ってるのよ、このヘンタイ!」

 零司としては誉めていたつもりだが、どこをどう愛那の逆鱗に触れたのか分からない。

 逆鱗は即座に物理的手段となり、飛び起きた愛那が倒れ込んだままの零司目がけて靴裏で踏みつけんとする。

「バカ、アホ、エロス、私の乙女心返せえええええええええええっ!」

「うおっ!」

 顔面に落とされる靴裏を零司は横へと転がることで辛うじて回避。

 接地の衝撃が右耳の鼓膜に響き、続いて後頭部から亀裂音が走る。

「警報、ゼロの接地面に亀裂発生してんぞ」

 ロボが単調な機械のように報告してきた。

 恐る恐る、亀裂音が発した方に顔を向ける零司。

 蜘蛛の巣状の亀裂が、幾重にも枝分かれの増殖を繰り返している光景を目撃する。

「予測じゃ一〇秒後に、この部屋の床は全て崩壊するな」

 ロボの新たな予測演算が終わろうとも、床の亀裂は終わりなく広げ続けていた。

「床、それも硬い石畳に亀裂走らせるとか、どんな脚力だよ!」

「魔法なんて使ってないし、そんなバカ力もないわよ!」

 零司と愛那が言い合い開始と同時、部屋にいる全員が重力に脚を掴まれ引きずり込まれる。

「落下とか、もう嫌ああああああああああああああああああああっ!」

 愛那が落ち、零司もまた落ちていく。ついでにロボも。

「ゼロくん、離れてよ、今度はパンツ見る気でしょう!」

「乳揉みはやったがパンツはまだだ! あと俺は白青ストライプが好みだ!」

「私のパンツの柄をドヤ顔で言うなああああああああああああああっ!」

 落下しながら零司は愛那に首を掴まれ、激しく揺さぶられる。

 ドヤ顔という概念は世界が異なろうとあるようだ。

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