第18話 モルフォの心

 ヒラヒラと二匹の黒蝶が舞い遊ぶ。

 夜空に輝く月へと向けて、螺旋を描いて飛んでいく。

 モルフォは、いや、愛那あいな・フォン・ファルストラはただ舞い遊ぶ二匹の黒蝶を見上げていた。

「あれ、ここって?」

 二匹の蝶が天へと吸い込まれるように消えた後、愛那は自分の立ち位置を知る。

「公園?」

 幼き頃、よく遊んだ小さな公園だった。

 滑り台があり、ブランコがあり、砂場があり、雨宿りに最適な屋根付きのベンチがある。

 敷地は小さくとも周囲が道路に面しているため、小さな子供が唯一遊べる場所であった。

「けど、この公園は……」

 愛那は胸を抑えて唇を噛みしめる。

 確かに誰もが子供だった頃、よく遊んだ記憶にある公園であろうと、愛那個人にとって、この公園は辛い記憶しかない。

「ねえ、愛那ちゃん」

 背後から愛那の心を揺さぶる優しい声がした。

 驚き振り返った愛那は、あり得ない人物に目を見開くしかない。

「お、お兄さん……」

 そこに立つのは。幼き愛那を交通事故から庇い、命を落とした青年であった。

「う、嘘、なんで?」

 愛那は口元を手で抑え困惑する。

 瞳孔は震え、目元には涙が憂いを帯びていく。

「久しぶりかな? 大きくなったね」

 あの時と何一つ変わらぬ笑みを青年は浮かべていた。

「随分驚いているようだけど、どうかしたの?」

「だ、だって、お兄さんはあの時、車から私を助けて……」

「さてなんのことかな? 確かに僕はきみを車から助けたことはあるけど、勝手に殺さないでくれよ。酷いな」

 青年は困り顔でただ苦笑する。

「お兄さんっ!」

 愛那は今ある感情を抑えきれず駆け出し、青年の胸元に抱きついた。

「お兄さん、お兄さんっ!」

「あはは、ちょっとくすぐったいよ」

 青年は困惑しようと愛那を突き放すことなく、優しくその頭を撫でてくれた。

「本当に、本当に大きくなったね」

「お兄さんがいたから、私……」

「うん、きみが一人で頑張っているのを遠くから見ていたよ。みんなの笑顔を守る魔法笑女モルフォ、うん、きみらしいじゃないか」

「お兄さん……」

 大好きな青年に正体を知られようと、逆に愛那はこそばゆく、嬉しかった。

「だからさ、もうこんな危ないこと辞めにしないかな?」

「辞めるって?」

 ぎゅっと抱きしめられ、青年の心音が愛那に伝播していく。

「ハオス・アゲハは別に種を根絶させる気などない。ただ融和をもたらすことで争いを無くそうとしているだけだ。きみだって散々見てきたはずだよ。きみがいくら浄化しようと、人々は感謝するどころか、浄化の力を我が物にせんと狙っている」

「そ、それは……」

 青年の言葉通り、愛那は何度も人間の欲深さと汚さを目の当たりにしてきた。

 例え救おうと、人々は浄化の原理を求めてくる。特に警察とマフィアが揃って浄化の力を狙い、我が物にしようと目論んでいる。

 ハオスリアから元の人間に戻そうと、今度は救った人間に襲われる。

 救われない。救いようがない。

 浄化し続ける限り、融和は程遠く、逆に浄化の力が不和を呼ぶ。

 魔法笑女が浄化にて救い続ける限り、誰も本当に救われなかった。

「だから、みんな一つになればいい。身も心も一つになれば、襲われることも、奪われることも、ましてや失うこともなくなる。みんな、言葉なく繋がり合えるんだ」

 間違っていない。青年の言葉に何一つ間違いなどない。

 例え、特別な力を持たずとも同じである人間を――所属が、出自が、血が、肌が、言語が、宗教が――異なるだけで人の形をした異物として扱おうとさえする。

 同じ物を奪い合い、異なる思想や異質な力を認めることなく排除し合い、奪い合う。

 だからこそ、全てを一つにすることで融和へと導く。

 身も心も一つとなれば、誰もが分かり合える。

 一つである以上、奪い合う必要も、排除し合う必要もない。

 その果て、訪れるのは平和。約束されるのは平穏であった。

「だから、僕とも一つになろう……」

 甘い囁き声が愛那の理性を奪っていく。

 一つとなれば、別れを惜しむことも、悲しみに塗れることもない。

 何より、愛那は救われる。

 一つとなることで、もう戦うことも、浄化の力を守るべき人間から狙われ続けることもない。

「……――違うっ!」

 愛那の脳裏にゼロの姿が浮かぶなり、両手で青年を突き離していた。

「あ、愛那ちゃん?」

 突き放された青年が狼狽している。

「お兄さん、違うの。全てが一つとなれば全てが解決なんてありえない」

 ゼロはモルフォと同じヒーローだ。

 共にみんなの笑顔を守るために戦っている。

 ただ戦い方に違いがあるだけだ。

 ゼロは敵を倒すことで笑顔を守り、モルフォは敵を浄化することで笑顔を守る。

「確かに、私とゼロくんじゃ、目的は同じでもその方法に違いがある」

「だから、一つになればそんな問題解決するじゃないか」

「違う、違うの――それはただの短絡的思考にしか過ぎないよ」

 寂しいと感じた。

 何もかも、誰もが一つとなれば、訪れるのは孤独でしかない。

 独りは、孤独は寂しい。

 種として繁殖するわけでもなく、ただそこに一つあり続けるだけ。

 みんなはいるが、一つであるため、みんなではない。

「みんな同じだけど違う。違うからこそ誰かを知り、誰かを愛し、そして何らかの繋がりを求めてくる」

「けど、思い込みや先入観がすれ違いを生み、不和を呼ぶ。いくらわかり合おうとしても、万人が信じるわけじゃない」

「それでいいの」

 愛那は柔和な笑みを浮かべて青年に返した。

「一緒だから好きだとか、違うから嫌いだとかあるけど、それでも一緒だから嬉しい時もあれば、違うから楽しい時もある。ぶつかり合おうと、それがみんななんだよ」

 誰もが異なる思考と思想を持つ。

 縦を軸とすれば、横を軸とする。斜めに軸を持つ思考だってある。

 だとしても異なる軸を持つからこそ、どこかで交わり合う部位が必ずある。

「今やっていることが追われ続け、狙われ続ける原因になろうと、私は浄化にて笑顔を守り続ける」

 ゼロが戦い続けることで、みんなの笑顔を守るように――

 目に見えぬとも確かな繋がりが、ここにあるから。

 愛那は、魔法笑女モルフォは、ここにいるから。

 本当の融和とは一つに融合せず、人と人との心の繋がりを得ることだから。

「例え幻でもお兄さんにもう一度会えてよかった。どんなに辛く、苦しい現実でも、お兄さんの笑顔があったから私は戦い続けられた」

 みんなの笑顔を守って来られたのは他でもない青年の笑顔があったから、愛那は戦い続けられた。

「だから、さようなら、お兄さん。愛那は、もう大丈夫。一人で歩けるから、これからはそっと見守っていて欲しい」

 さようなら、淡い初恋。

 もう届けられぬとも今まで抱いてきた恋心に愛那は別れを告げる。

「大丈夫。きっとやっていける。うん、上手くやっていくの」

 青年が霧に包まれるように消えるのを愛那は見送った。

 例え楽観的希望であろうと、愛那は絶望なんてしない。

 何故か? 答えはただ一つ。


「だって、愛那・フォン・ファルストラはみんなの笑顔を守る魔法笑女モルフォ・マジアだから」


「あ、終わった?」

 霧が晴れるなり、横渡る少年の姿が露わとなる。

 歳は愛那より少し上か、左目だけを隠すように伸ばされた黒髪、服装は半袖シャツにジーンズとラフな服装であり、スニーカーを履いている。

 ありふれた服装であるがこの際、問題ではない。

 問題なのは何者かであり、当然、愛那は身を引いて警戒する。

「だ、誰!」

「いやいや、俺だよ、俺、零司だっての」

 少年は自らを指さそうと愛那は顔と名前を知らない。

 ただその声にどこか聞き覚えがあった。

「あ……もしかしてゼロくんっ!」

 端正な顔つきだが、ちょっと目尻が鋭くて、近寄り難い雰囲気がある。

 それでも瞳の奥底から優しさを感じられる少年であった。

「それがゼロくんの変身前の姿?」

「どういう訳か、アーマー装着が解けててさ、装着しようとしてもウンともスンともいわねえんだよ」

 横たわったまま零司はぼやくように言う。

「恐らくはこの霧が変身を妨げているんだろうよ」

 起き上がるなり、零司は周囲を見渡してはため息をついた。

 釣られるように愛那もまた見渡せば、周辺は黒き霧で覆われている。

 ただ愛那を中心とした半径二メートルは霧が自ら避けるように晴れており、靴裏が石畳にあると知る。

「変身前と変身後は反比例するとかいうがよ~お前、乳あんのに地味だな~」

 愛那の頭の上から靴の先まで視線を上下させた零司が苦笑した。

「地味いうな! あと、乳あるとかいうな!」

 胸元を抑えながら愛那は言い返す。

 事実である以上、悔しさのあまり言い返そうと否定はできない。

 近眼なためレンズの厚い眼鏡をかけていれば、茶に近い黒髪は肩を超えるほどあろうと二本の三つ編みにしている。

 着ている服だって学校指定のセーラー服だ。

 カップのサイズだって、Eあるからサイズの合う下着を探す苦労を男には分かるまい。

「俺らの世界じゃ、その格好、ショーワ系って教科書に載るほど古いぞ」

「うるさいっ!」

 地味地味言われるのは、慣れているが、零司に言われるとどこか腹に来る。

「まあともあれ無事でよかった。すぐ見つけられたし自力で幻振り払ったみたいだから安心した」

「え? ってことはゼロくんも幻を?」

 零司が幻と口に出した時、愛那から怒りが彼方に飛んでいた。

「ああ、お前が初恋のお兄さんの幻を見せられたように、俺は妹の幻を見せられた」

「そうなんだ……ん?」

 ふとここで愛那は違和感を抱いた。

「どうして、ゼロくんがお兄さんを知っているの?」

 誰にも話していないし、ましてやゼロとは住む世界が違うため、知り得るはずがない。

「いやだってさ、俺がお前を見つけた時、お兄さん、お兄さんとか喜んで一人、人型した霧を抱きしめていたんだぜ。なんか一人芝居見ているみたいで滑稽だった」

「さ、最低、ずっと見てたの!」

「しょうがないだろう。声飛ばしても聞こえていないし、近寄って目覚まさせようとしても霧が進むのを妨害していたんだよ。そう怒るな」

 困惑顔で眉をひそめた零司は、ぼやきながら頭皮をかいている。

 困ると頭部をかく姿に愛那はゼロと零司が同一人物であると納得した。

「じゃあ聞くけど、ゼロくんはどんな幻見せられたの?」

「あ~妹からヒーロー全否定されたわ。あれはきついわ。マジきつい。相手がボロ出してくれたお陰で幻だって気づけたけど、出してくれなかったら絶望でショック死してたわ」

 腕を組み、うんうんと零司は演技臭く頷いている。

 モルフォは演技臭さが混じっているのを感じるも、共に戦った経緯から気恥ずかしさを隠しているのだと女の直感で気づいた。

「……敢えて聞くけど、ゼロくんの妹ってどんな子?」

「兄自慢のかわいい妹!」

 恥ずかしげもなく堂々と胸を張って言ってのけた。

「ちょっと口うるさいところもあるけどさ、なんだかんだで料理はばあさん直伝で美味いし、節約上手の貯蓄上手。洗濯だって、俺のパンツを一緒に洗っても兄だからと一切気にしない。ちょっと控えめな胸は気にしているけど、将来絶対美人になる。妹の価値はおっぱいじゃねえ。兄である俺がいうから間違いない。噂じゃ家庭的なことが学校内外の男子から受けて彼女にしたいランキングで一位を不動にしていると聞く。ああ、もちろん、お付き合いなんてこの兄が武力行使で試してからだ。将来性に、素行、性格、もしも妹を悲しませるならば言語道断の病院送り。もう妹に近づく気を起こさぬほどトラウマを植え付けてやる。万が一にも妹に相応しき男が現れたならば、潔くその男に妹を託そう。この先、結婚、妊娠、出産のち、甥っ子姪っ子が生まれて、御宮参りに七五三、入園卒園入学卒業、毎年の誕生日、成人……そして、姪孫てっそんの行方末を見守るまで兄として死ねるかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

「あ~分かったから、妹のことはよ~く分かったから~(てっそんってなに?)」

 一人っ子である愛那にとって実の兄妹がどんなものか分からない。

 分からないが、唯一分かるのは、零司は妹バカシスコンであることは分かった。

「なんだよ、お前がどんな妹か、聞いてきたから、折角自慢の妹について教えてやってんのに、それなら次は俺の可愛い幼馴染の話を……」

 好奇心がどんな幼馴染か気を引かせるが、妹同じ長文パターンに陥ると読んだ愛那は、割り込むように口を開いた。

「今はそれよりも、ロボくんの安否でしょう!」

 大切なのは今この世界におらぬ人物よりも分断された仲間。

 零司もまたロボのことを思い出したのか、渋々と唇を噛んでは口を噤んでいた。

「あ~あいつのことだから、人間に裏切られる幻でも見せられてんじゃないのか?」

「どうして、そこまで他人事なの? 仲間でしょう?」

「ああ、仲間だぜ。けどよ、俺やお前が自力で幻を振り払ったように、あいつのことだ。どうにかしようとして、どうにかなるさ」

 つまりは、仲間を強く信じていると。

 言い方は投げやり感が強いが――

「それに、だ……」

 ふと、零時の目尻と言葉尻が鋭利さを増す。

 愛那は培われた戦闘経験により、霧に潜む気配を察知する。

 友好ではなく、明らかな敵意を持っている気配が近くに潜んでいる。

 加えて、カサカサとどこか乾いた這う音が霧の奥底より不気味に聞こえだした。

「やっばいな……」

 濃い霧に阻まれ気配の距離感が掴めない。

「ほ、本当に変身できない……」

 愛那は変身カードを取り出すも反応なく、変身できないことに背筋を凍らせる。

 気配が近づいているのが否応にも感じられる。

 次いで、変身できないことが恐怖の呼び水となり、愛那の足を震えさせた。

「変身できんなら、やることは一つだな」

 零司の恐怖に怖気ない声が愛那の足の震えを停止させる。

「それってなに?」

「なにって、一つしかないだろう」

 零司は演技らしい笑顔で愛那の右手を優しく握りしめた。

 何らかの企みに警戒する愛那だが、一方で歳の近い異性に手を握られて心臓は音を跳ね上がる。

「逃げるんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ――っ!」

 愛那は零司に腕を引かれ、走り出されていた。

 戦略的撤退だと理解するも、素っ頓狂な行動と声音に愛那は呆れ返る。

 だからこそ、愛那は言わざるを得ない。

「私の心音返せ!」

 さらば初恋。こんにちは本当の恋愛。

 ただ魔法笑女モルフォに――愛那に春はかなり遠かった。

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