第8話 通・信
「無線機って、これか」
露店のテーブルの上には受話器を肥大化させたような機器が置かれていた。
どうやらFM無線の発信源は紛れもなくこの機器のようだ。
「奥に階段があるようですねだ!」
ロボがツインアイを光らせている。
露店より少し進んだ先には四角い洞が暗き口を開けている。
奥を望遠機能でロボが確かめているも、ジャミングの類が施されているのか、覗けぬことをデータリンクでゼロは知る。
「図鑑で見た携帯電話の初期の初期みたいな大きさだな」
周辺に敵影と罠がないのを確認したゼロは、無線機を拾い上げる。
据え置き型電話機の受話器のみを肥大化させたような大きさであり、ディスプレイやインターフェイスもなく、縦横に並んだ数字の列と側面のダイヤルのみであった。
「これ、どうやって扱うんだ?」
触れながら疑問をゼロは走らせる。
ゼロの世界ではFM無線機など教科書に載るか、博物館にあるかのどちらかだ。
量子通信が一般化した社会であるため、FM無線の実用性が廃れたのが原因だった。
ラジオだって簡易なら量子通信を備えている。
「ロボ、頼む」
機械ならば機械であるロボが詳しいだろうと期待してゼロは手渡した。
「な、なんて簡素な通信ハードなのですか、発した音声をただ電波に乗せて、送受信させるだけで、盗聴や妨害の対策が一切されていないなんて……」
結果は、あまりの簡素さに驚く有様である。
機械が機械に驚く姿は滑稽だが、人間とて人間に驚くのでゼロは口を噤んだ。
「もしかしてこれ、トランシーバー?」
モルフォから意外な言葉が飛ぶ。
「トラン、シーバー?」
ゼロにとって聞き慣れない言葉だ。
いや脳裏にひっかかりを与える、が正解だろうか。
「……む、無線機の一種よ。と、友達がアマチュア無線やって、て、そ、それで何度か話を聞かされたことが、ああ、あるの!」
ゼロと一定の距離があろうと、言葉を滑らせながらもモルフォはしっかり説明してくれた。
「ゼロ、あなたの世界にFM電波の無線機はあるりかますか?」
「ない。量子通信のほうが実用性安全性共に高いからFMなんて廃れちまった」
「私も同じです。すぐ解析されて嘘情報や妨害に合いやすい通信波を使う必要性はありません」
軋む音がモルフォから聞こえ、通信機を握り締めたことで生じた音であると知る。
これが文明格差による世界の軋みだとゼロは痛感した。
「モルフォ、使い方が分かるのならお願いするします」
嗜めるのはロボであり、ゼロが言えば今頃、モルフォは通信機を握り潰していただろう。
「わ、わかったわよ、ええっと、確か……」
モルフォは渋面を作りながら側面のダイヤルを操作する。
何度か操作するうちにスピーカーから音声が漏れ出した。
『ガガ――ピイィイイイイズキュン――誰か、誰かいないのですか?』
ノイズ混じりのため男か女か判別できない声が通信機から流れ出す。
「もしも~し、聞こえています!」
モルフォが応答すれば、ノイズ越しに息を呑む声が聞こえた。
『ジジジジ――ガガガ――き、聞こえています。よ、よかった。ようやく同じ境遇の方とお話でき――ジジジ――ようです』
境遇なる発言に、ゼロはロボと顔を見合わせた。
あのタイシスなる小動物の思惑通りとはいえ、なんらかの情報が得られるのはありがたい。
「あなたの名は?」
『私の名は――ガガガガガガ――です』
ノイズが酷く肝心な箇所が聞き取れない。
電波状況は芳しくないようだ。
「モルフォ、この電波状況ではいつ通信が遮断するか分かりません。ここは手短にお願いします」
ロボの助言にモルフォは頷いて返した。
「ここが絶淵の園ファイシスとあの小さい動物が言ってましたけど……」
『ああ、あの淫乱な獣と出会ったのですね』
伝わる音声からどこか疲労感が漂っており、ため息を通信機が拾う。
同情を抱くモルフォに、ロボが、いつ通信が途切れぬか分からぬ状況故、まとめた質問内容をフェイスディスプレイで表示する。
「この宇宙は全部で四つの階層になっているとかプリントに記されているのですが、詳細を教えてくれますか?」
『この宇宙は全部で四つの階層、いえ箱庭で構成されており――ジジジジジ――昇るのではなく降りることで先へと進む仕様です』
キューブ状の箱庭が四つ積み重なっているのが安易に想像できた。
言葉通りならば、目の前に開く黒き口は次なる階層と繋がっているのだろう。
「では聞きますけど、あなたは今どこにいるのですか?」
『最下層である第四層です――ジジジガガッ』
はっきりと聞こえたことで、ゼロたち三人は互いに顔を見合わせた。
声の主は最下層までたどり着いて見せた。
そして、タイシスなる小動物に捕まり、アドバイザー役に任命された。
『ようやく、ようやく、最下層にたどり着き、脱出寸前でタイシスなる獣に囚われ――ガガガガガ――閉じ込められてしまいました』
語られる事情にゼロとロボは顔を見合わせる。
解せないと。
一瞬、通信越しの相手がタイシスと組んでいる可能性を抱く。
『ぐひゅひひひひ~っ! 嘘情報で滑稽にズッコケさせたら元の世界に帰してやるでしょぐへへへっ!』
ゼロの脳内で思考を浸食する不快な音声が自動再生された。
下衆の勘繰りだと思いたくも、人間窮地に陥るほど、善性が減り悪性が増大する。
情報は試金石だ。
情報があるのならば、対策を練る材料となる。
一方で情報を信頼しすぎて足元を掬われる。
ゼロとロボが至った結論は、半信半疑で情報を精通することであった。
「な、なら、各層がどうなってるか教えて!」
無線機を握りしめるモルフォの声は自然と昂っていた。
『そ、それが、あなた方が次の階層に辿り着かないと、お話しできない決まりなんです」
通信越しの相手は、言葉を慎重に選びながら発している節があった。
プリントには困った時はドシドシ活用しろと記されていたが、一方で制約をアドバイザーに科すなど、あの小動物、とんだ策士である。
『もし話そうならば、お仕置きとしてタイシスが指先から少しづつガジガジと齧るという脅し付きでして……実際、苦楽を共にした仲間がうっかり喋ってしまい、足先からボリボリと……』
「そんな~」
モルフォの声が涙の色を帯びる。
こちらに対策を練る時間を与えぬためだろうと、ゼロとロボは目線で頷きあっていた。
『お願いします。私を助けてください。ようやく帰れると思った矢先、あのタイシスに取り戻した力をまた奪われ、囚われの身――ジジジ――他力本願なのは承知の上、この宇宙から脱出するにはあなた方三人に最下層までたどり着いてもらわなければならないのです』
囚われている以上、助けを求めるのは道理であろう。
『それと気を――ガガガッ――付けてください。ここの支配者は、残忍で狡猾、加えてド外道な愉悦趣味をお持ちのヘンタイです――ジジジ――あなた方の力と記憶を奪っては、絶望たる状況に抗う姿を見て楽しんでいます』
ヘンタイの支配者――恐らくはタイシスのことだろう。
目の当たりにした言動からして、役者でもない者を舞台に上げては滑稽なアドリブを客席から眺める俗物なのは確かなようだ。
客席のシートに太々しく座っては、ヒーローをポッコーン感覚で齧る姿をゼロは安易に想像した。
『は~い、通信そこまでね! ばいば~い~ち~ん!』
唐突に割り込むのはタイシスの声だ。
硬い音が通信機から響けばノイズしか発しなくなっていた。
「あれ、もしも~し、もしもし!」
何度も呼びかけるモルフォだが返答はノイズだった。
モルフォが今なお通信機越しに呼びかける中、ゼロとロボはプライベート通信を開いていた。
(ロボ、どう思う?)
(半信半疑から、三信七疑だなです)
(そうだよな……確証は少ないが警戒を密がデフォだな)
至った結論は同じなようだ。
ならばこそ――
「さて目的は決まった」
柏手を打って注目を集めたゼロは場を仕切る。
目的は二つ。同時に問題もまた二つ。
「閉じ込められた相手の救出に支配者、タイシスの打倒。問題は奪われた力と記憶だな」
各階層の突破特典が、力と記憶の返却とあるが、方法と種類がプリントには記されていない。
小動物の醜悪さを考えれば、しょうもないものから返却する可能性が高い。
「あのタイシスがこの宇宙の支配者で、俺たちをこの宇宙に引きずり込んだ元凶ならば、まだ力を隠し持っていると安易に推測できる」
直に弾き飛ばされたからこそ、底が計り知れぬと直感していた。
現状の戦力では足元にすら及ばぬこともまた――
「前途多難だな……こりゃ」
言葉にするだけまだ余裕があると、仮面越しにゼロは独り言ちる。
余裕があろうと、現実たる絶望は容易く希望を塗り替えるのもまた実体験にて知っていた。
「それでも進むべきだよです。進まなければ変えられるものすら変えられませんよぜ」
ロボの音声には不思議と人を前に進ませる力が宿っていた。
未来は誰にも分からず、決められた未来など存在しない。
階段を降りれば自ずと第二の箱庭へたどり着くだろう。
「そうだな……」
ロボに同調するようにゼロは返す。
迷い子のように未知へと続く階段に足を踏み入れたゼロは、またしてもモルフォが蚊帳の外であることに気づいた。
ふと振り返れば、通信機を握りしめたまま、階段前で唇を噛みしめて立ち止まっている。
(そういうことか……)
ゼロは戦士としてではなく、一人の人として既視感の正体に気づいた。
決して出会うことのないヒーローたち。
出会いと引き換えに彼らは本来の力と記憶の一部を失っていた。
ここは絶淵の園〈ファイシス〉。
ヒーローは劣勢となり対する敵は優勢となる箱庭の宇宙。
何を判断し、何を選べばいいのか――
誰も信じられず、何も得られない――
そして、ヒーローはヒーローに絶望する――
あたかもリンゴが熟すように――
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