モルフォ編 第4話 声

 逃げなさい。逃げなさい。

 謎の囁きが愛那の中に響く。

 包容力のある女性の声。

 日毎増す囁きに愛那は頭を抱えるしかなかった。


「あう~」

 謎の囁きは家、学校どころか、睡眠時でもお構いなく響き、愛那の精神を消耗させた。

 特に授業中でも構わず響くのだから、睡眠不足も背中を押して授業が頭に入らない。

 ただでさえ成績は中の下を行き来する愛那にとって頭に入らないのは死活問題だ。

 赤点を一つでも取ろうならば小遣い減額確定。

 ポケベルは平均二〇〇〇えんの月額料金がかかる。

 プラスして公衆電話で使用するテレホンカードの料金を加算すれば学生の身として決して安くはない金額。

 それらを小遣いで賄っている身として成績低下は断固として防がねばならない。

「も~う何なのよ~!」

 もっとも謎の声をどうにかしようとする策はない。

 いくら大人しい愛那でも限度はある。

 火のついた癇癪玉のように爆発するのは当然だった。

「ちょっと、愛那、あんた大丈夫なの?」

「大丈夫に見える?」

 心配そうに顔を覗かせる美夏に愛那は顔を机に俯かせて答える。

 地球外生命体の登場から早三日が経過した。

 ユミヅキは世界初のこともあってか賑わいを見せ、高台は一躍観光スポットと化している。

 連日連夜、一目見ようとする訪れる観光客。

 地球外生命体は如何なる存在か、情報を得てようとする報道機関。

 一カ所にあらゆる人が集まったことから近隣住民から苦情が殺到する。

 ユミヅキ政府は事態収拾のため、高台を一時的に接収し、臨時の大使館を設置する。

 地球外生命体に国元があるか不明だが、要人警護の観点とマスコミ対策だそうだ。

 何より大使館は治外法権。

 許可なくして立ち入りは不法入国となり直ちに国際問題となる。

 もっとも人もさるもの。

 観光、マスコミ関係なく大使館の敷地内に踏み入らぬギリギリの境界で踏み留まり、情報を得ようとするのだから脱帽である。

「逃げなさい、逃げなさいとか。ぬあによ、もう~!」

「病院は?」

「異常なし。あ~もうおかしくなって本当に入院しそう!」

 不審者覚悟で愛那が呼びかけようと、返答は同じく逃げなさいのみ。

 頭が痛いとはまさにこのことだ。

 いや、かゆいところに手が届かないが正しいだろう。

「どうしたものか」

 苛立ちを紛らわすために、愛那は三つ編みの毛先を指で戯れる。

「なら気晴らしに行こう」

「カラオケ?」

「まあ、それもいいけど、あんた、今日の新聞見てないの?」

「あははは、寝過ごしちゃって」

「今日はあの高台でハオス・アゲハがなんか演説するみたいよ」

「演説?」

「うん、この国の大統領となんか友好を結ぶみたい」

 相手が地球外生命体であり、友好を結びたいと願うのなら、結ばぬ道理はない。

 宇宙開発の話題など、友人探査船アルテミス一三号が月に着陸した以来、音沙汰がない。

 火星や木星、果ては冥王星をぶっ飛んで一七万光年も離れたパピヨン星雲から来たのだ。

 無尽蔵に広がる宇宙を知る生命体とは友好を結ぶ意味がある。

 そういえばと、愛那は思い出す。

 宇宙には地球に存在しない鉱石があり、上手く採取できれば工業に革命を起こせると語るコメンテーターがいた。

 知識は武器だ。

 宇宙には何があり、どうなっているか、その情報だけで友好を結ぶ価値が地球側にある。

 一方で疑問を抱く。

「そのハオス・アゲハって何しに来たの?」

「だから、新聞読みなさい!」

 呆れた口調で美夏から怒られた。

「散々テレビで言ってたわよ。宇宙を旅する中、人が住む惑星を見つけたからやってきたって。旅を重ねるのは、その惑星の人たちと繋がりたいからって」

「遠い星から友達を探しに来たんだ。ロマンだな~」

 納得する愛那を否定するのは内で囁く声だ。

(違う。彼らとあなた方は違う。違う故に、そのニュアンスも)

 違う言葉を初めて聞いた。

「え? な、に、何が違うの?」

 咄嗟に問いかける愛那だが、前にいる美夏から怪訝な顔をされた。

「あんた、もう一回病院行ってきたら?」

 友達から重症扱いされた。

 周囲の冷ややかな目線が無形の刃となり愛那の心に突き刺さる。

「うっううっ、謎の声のバカ……」

 机に突っ伏しながら愛那はむせび泣いた。

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