モルフォ編 第2話 流星群

 全てを一つに。

 心を一つに。

 否、全てを一つにしてこそ融和は生まれる。

 否、心を一つにしてこそ融和は生まれる。

 心繋がろうと肉体は反発しあう、故に全てを一つとする。

 融和ととは心と心を繋げ、一つとする。

 拒絶。

 否定。


 誰が言ったか、満員電車は走る缶詰だ。

 イワシでもサバでもない。

 詰められているのは人間だから言い得て妙ときた。

「ううっ!」

 人と人に挟まれ、動くに動けない愛那は呻くことしかできない。

 分かっていたはずだ。予測できたはずだ。

 目的地である高台はパピヨン流星群を観るのに最高の場所である。

 ならばこそ、ユミヅキどころか世界中から一カ所に人が集うのは当然であり、公共交通機関が混み合うのは必然であった。

(バスに乗れば……って目的地は同じなんだから意味ないか)

 辛うじて吊り革を掴んで直立不動の姿勢を維持しているも、指先、足先が痺れてきた。

 目的地まで残り三駅。

 もしこの手を離した瞬間、愛那は人混みに圧されるまま潰される。

「ん?」

 痺れが指先から腕や足に伝播していく最中、臀部辺りでスカート越しに異変を感じ取る。

 どこかこう、ゴソゴソとした動きは振動で愛那に伝わっていた。

「な、何をしているんですか?」

 振動が気になった愛那はどうにか首を動かして後方を振り向いた。

「あ、ち、痴女だ……」

 愛那は眼鏡越しに瞠目する。

 年若い男性の下腹部を嬉々として弄る中年女性の姿を……――


「よ、ようやく着いた……」

 這う這うの体で愛那が目的地にたどり着いた時、夜の帳は降りていた。

 当然であろう。

 あの後、中年女性が駅員に引っ張られる姿を見送った愛那は目撃者として警察から事情聴取を受けた。

 複数の目撃者がいたことから、手短に解放されたも、キーキー騒ぐ中年女性のヒステリックな叫びが耳から離れない。

『これは同意よ! 同意! ほら、あの人、女っ気なさそうだから、相手してあげていたのよ! 本当だって、ほら、そうでしょ! ねえ、そうって言いなさいよ!』

 男性がドン引きしていた表情も忘れられない。

 男は少数である故、男を狙って電車やバス内で猥褻行為を行う女性が少なからずいた。

 声を上げようにも、自己責任や男だから我慢しろなど被害者が批判される始末。

 だからか、被害抑制のために男性専用車両を導入するという新聞記事を読んだのを思い出す。

「ようやく来た! 愛那遅い!」

 公園の高台に到着した愛那を出迎えるのは友人のお叱りであった。

 見れば、中学時代の友人までおり、天体望遠鏡がどっしりと三台、パラボなアンテナのついた箱型の機材まで設置されている。

 人数は愛那含めて六人だが、交代で使用すれば問題ないだろう。

「い、言わないで……いた場所から下の駅まで電車で軽く三〇分はかかるのよ」

 痴女に遭遇したことは口を噤み、もっともらしい理由で誤魔化した。

 根掘り葉掘り状況を問い詰められて気疲れするオチが見ているからだ。

 ただでさえ、駅から高台まで二〇分もの時間を必要とした。

 バスが出ているも、今回の流星群を見ようと、各地から人が集まりバス停は長蛇の列が形成されている。

 当然のこと臨時バスが出ようと列は減らず、残された手――否、移動は足であった。

「ポケベル見た?」

「見たから来たのよ」

 美夏からのご指摘に愛那はポケットベルを取り出した。

 確かに、電話機で番号入力によるメッセージ送信ができる便利なツールだが、テスト時でのケアレスミスをチェックするような確認行為が行えない。

 送信は一発勝負。

 ボタン一つ間違えれば、誤字を修正されぬまま相手に送信される。

「あ~よかった。ちょっと急いで打ったから、どっか間違えているかと思ったのよ」

 美夏は中学時代からの親友である。

 ショートの髪に、スラッとしたスポーティーな体格で、引き締まった四肢は短距離走スプリンターの証だ。

 中学時代、陸上大会で何度も優勝するなど功績は輝かしく、性格も活発であることから愛那とは正反対である。

 地味で引っ込み思案な愛那を美夏は何かある度にひっぱり連れて行く。

 甲斐甲斐しいでも、無理矢理でもないが、誘ってくれるのは嬉しく、断る理由もない。

「けど、望遠鏡が三つとか、みんなで持ち寄ったの?」

 安い買い物ではないはずだが、愛那の疑問に美夏が胸を張って答える。

「三台ともパパが買ってくれた!」

 自信満々に美夏は返す。

「そういえば美夏の家、パパさんいるんだったね」

「うん、後、お母さんが三人いるし、腹違いの妹が三人と弟が一人いる」

「うわ~弟いるんだ。うらやましい~」

 男女比率が極端に低い故、重婚は法律により認められている。

 夫一人に妻三人の家庭など珍しくなく、特に男子がいる場合、その希少性から二十歳の成人を迎えるまで、行政から保証が受けられる。

 中には夫一人に妻一〇人もザラだ。

「弟くんって今何歳?」

「まだ四歳よ。いや~可愛いたらあらしない。気づいたらすぐ私の足に抱きついてきてさ、なかなか離れないの」

「甘えんぼさんなのね」

 和気藹々と会話が弾むも、最初に話していた愛那は気づけば会話の輪から弾き出されていた。

 会話に混じろうとするも、他の友人が既に話し出しており、割り込みになるからと話し出すのを躊躇させる。

 結果、会話の輪から弾き出され、置いて行かれるのであった。

「なら、精通したら採られるんだ~」

 友人の一人がおそろ恐ろしい口調で言う。

「まあ、パパも毎月やってるからね」

 性別が男故に、保証を受けられる権利があるのならば、当然義務が発生する。

 男女比が極端に少ないからこそ、人口を維持するため、精通した男子は定期的に精子を提供する義務があった。

 そして、子を望む女性への精子提供者となる。

 人工授精技術は当たり前のことであり、自然妊娠は男の数並にレアだ。

 プライバシーも配慮され、提供者に関して各国は足並み揃えて徹底的に秘匿している。

 希望者が知るには厳しい審査と第三者への漏洩禁止が求められていた。

「子供か……」

 愛那は自分が母となる未来を想像できずにいた。

 根底には自分は幸せになっていいのか、疑念が縛りついているからだ。

 むしろ、命を助けられたからこそ、この命を最期まで誰かのために使い尽くすのが贖罪だと罪悪感が強かに語りかけてもいた。

「愛那、なにぼっとしてんの?」

 黙考しすぎたのか、気づけば美夏が愛那の頬を掴んでいた。

「寝るにはまだ早いわよ。夜はこれからなんだし」

「あ、うん、そうよね。ところで、この機材なんなの?」

 ビデオデッキを厚くしたような立方体の箱だ。

 アンテナはともかく、箱にはダイヤルやらボタンが前面にあり、よくよく見れば太いコードが高台の管理事務所の方に伸びている。

「あ、それ無線機」

 友人の一人が機材の正体を告げた。

「そういえば、アマチュア無線やってたわね……でもなんで外にその機材があるの?」

「だって流星群よ、流星群! もしかしたら宇宙人と交信できるんじゃないかな~って朝早くから来て、セットしたの!」

 ロマンは大事だ。未知に興奮するのも悪くはない。

 けれども、意気揚々と、宇宙は~や宇宙人は実在する等と熱心に語る姿は愛那をドン引きさせてしまう。

「コードとか繋いでるし……」

「あ、それは大丈夫。ここの管理人とママ、友達だから頼んで使わせてもらってるの」

「サイデスカ……」

 愛那は渇いた声で呆れながら返すしかない。

 何かに熱意を持てることは素晴らしく、羨ましいことなのに、何故か、共感できぬ愛那がいた。

「そ、それでみんなは流れ星に何を願うの?」

 気を取り直して愛那は友人たちに聞いていた。

『いい男!』

 誰もが即座に断言するため聞くだけ野暮であった。

 男は数が少ないだけでゼロではないのだ。

 えり好みしなければいるのだが、やはり人間である。

 給与がいい、ルックスがいい、無職はイヤ、ブサイク臭いのは嫌いと、当然のこと好みは千差万別である。

 極端な話、精子提供者は精通したてではないとイヤだと拒否する女もいるほどだ。

「んじゃあんたは何願うの?」

「そうね」

 夜空に煌めく星空を見上げるように推考した愛那は、流れる光を見た。

「あれ?」

 流れる光は潰えることなく光を束ねて降下している。

 落ちては消えるはずの流れ星が消えずにいるなどおかしいと、疑問を言葉に走らせる。

「なにか、おかしくない?」

 気づいたのは愛那だけではないようだ。

 流星群を見物に訪れた誰もが事態の異常さを把握する。

「ねえ、こういうのレンタルビデオのSF洋画とかにあったわよね」

「う、うん、流れ星って言わば大あれ小あれ隕石だもの。消えずに近づいているってことは……こと、は……え?」

 至った結論に誰もが顔を見合わして顔を青くする。

「こっちに落ちて来ているってこと!」

 愛那の叫びと同時、高台は天からの落下物により白と黒の光に包まれた。

「ちょ、蝶々?」

 網膜を目映い光で焼かれる中、愛那は光の中で垣間見る。

 白と黒の蝶の群が激突を繰り返している。

 黒の蝶により白の蝶が掻き消えながら弾き飛ばされる。

 そして、白き蝶の残滓が愛那に直撃し、そこで意識は途絶した。


『初めまして人類のみなさん、ハオス・アゲハです』

 高台上空で滞空する黒き蝶の群は、その場にいる人間全てに思念で話しかけてきた。

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