モルフォ編 第1話 お墓参り

 変わりたいと、思ったことはありますか?

 今の自分を変えたい。

 今よりもっといい自分に変わる。

 自分の願い通りに変わる。

 もちろん、願い通りに変われるのならば、誰もが描く理想を体現できる。

 けれど現実は変わらない。

 変えようと努力を続けようと、変わることがない。

 私、愛那・フォン・ファルストラは変わりたいと願いながら、変えられない日々を悶々と過ごしている。

 いや、変えられないから変われない……のかもしれない。

 諦めれば楽になる。

 諦めぬ先に変わるきっかけがある。

 相反する二つの感情に板挟みになりながら、変われぬ日々を無作為に過ごしていた。


 とある霊園にセーラー服姿の少女が訪れていた。

 三つ編み、黒縁眼鏡と地味さが特徴の少女の名は愛那・フォン・ファルストラ。

 かつて青年に命を救われた少女である。

「やっと、やっと来れました」

 愛那は墓石の前で想いを吐き出した。

 あの事故から六年が経過、当時小学生だった愛那は高校生となる。

 今日この日、命の恩人の墓石に訪れることができた。

「訪れるのが遅くなってごめんなさい」

 何度足を運ぼうと、決意しようと、罪悪感が足を縛り、今まで来れずにいた。

 命を救われた身として、絶対に訪れなければと思いながら、六年が経過していた。

「お兄さん、私は元気に今日も生きています」

 ようやく訪れることができたきっかけは、お兄さんに制服姿を見せたかったからだ。

「あの日のことは今でもはっきりと覚えています」

 不注意で車にひかれかけた時、お兄さんは身を挺して愛那を助け、そして命を落とした。

 気にしないで、笑顔を守れたからいい。

 最期の言葉は今なお鼓膜に張り付いて消えそうにない。

「どうして、お兄さんは私を助けたの?」

 近所に住む優しいお兄さん。

 人当たりも良く、勤勉で、努力家で、困った時には笑みを浮かべて誤魔化す顔が好きだった。

 将来は医者となって男女の出生率を均等にする夢があると。

 その夢を、愛那は奪った。

「私なんかを助けたって……」

 愛那は胸を鋭く締め付ける歯噛みする。

 昔から、どこかぼーっとしていながら、好奇心が強く、ちょっと目を離せばあっちやこっちと駆け回るほど。

 母親を筆頭に誰もが手を焼いていたが、交通事故の一件で、活発さはなりを潜め、成長すると共に真逆となっていた。

 落ち着きすぎる。我慢しすぎている。

 教師などの第三者の言葉はどれも同じだった。

「男と女、どっちに価値があるなんて明白だもの」

 嫌悪を言葉に宿した愛那は女であることを自虐する。

 この国ユミヅキ、いやこの世界での男女率は二万対一である。

 総人口は六〇億を超えていようと、男の数は三〇万ほど。

 男は天然記念物並に希少であり、貴重な生物なのだ。

 男がいなくなれば、生殖による繁殖は行えず、それは自ずと種の滅びに繋がってしまう。

 お兄さんが医者を目指したのも、男から希少性を取り払い、出生率を男女平等にしたいがためだ。

「私が意志を継ごうにも成績は壊滅的……」

 それでも勉学を重ねて、偏差値それなりの学校に合格はしている。

 ただ、大学進学は厳しいかもしれないとのお言葉をかつての担任から頂いていた。

「……はぁ」

 墓前の前でため息など、あの世でお兄さんは笑っているはずだ。

 恥ずかしい姿を見せに来たわけではないのだが、不安が墓前に立つなり否応にも漏れ出てしまった。

「自信がないの、よね」

 自虐だと理解はしている。

 根底にあるのは、自分が動くことで誰かに迷惑をかかる恐怖だ。

 あの時、道路に飛び出していなければ。

 あの時、公園ではなく家で本を読んでいれば。

 お兄さんは亡くなることなどなかった。

「私が死んでいれば、とか言ったら、お兄さん怒るよね?」

 一度、母親に吐露すれば、痛いビンタを一発入れられた。

 涙を流して、抱きしめられた。

 ただ、ただ何を言わなかった。何も言わず抱きしめ続けていた。

 その理由を今なお愛那は見いだせない。

「お兄さんに救われた命、誰かのために使えればいいと思うんだけど、うん、動けば誰かに迷惑かけそうな気がするの」

 お兄さんの墓前に来ることさえ六年の時間を必要とした。

 誰かのためにではなく、自分の目的のために自分を動かすのはいつのなるのか、未来は見えない。

「まるで生きた死体だって時折思うの」

 死んだように生きている。

 いや、救われたからこそ身体は生きながら心はどこか死んでいる。

「本当の私ってどこにあるんだろう?」

 墓前に問おうと愛那が求める答えなど返ってくることはない。

「ん?」

 顔をうつむかせた愛那に視線を向けさせるのはスカートのポケットから響く電子ベルの音だ。

 取り出したのはポケットベルと言う無線呼び出し。

 電話機から送られた呼び出しメッセージを受け取る通信機器。

 ポケットベル単体で通話やメッセージ送信はできずとも連絡手段として広く定着していた。

<ナガレボシミニイクキョヒナシ>

 ポケットベルの液晶には中学からの友人、美夏みか・ブル・ジルクからお誘いのメッセージが表示されている。

「ああ、そういえば今日だったわね、流星群」

 ユミヅキを中心に大規模な流星群が観測できる日。

 テレビや新聞でも大々的に報道していた記憶がある。

 流星群の名は確か――


「パピヨン流星群」

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