ゼロ編 第9話 重荷を背負うな
「うごっ! ぐげっ!」
ベッドで眠る零司は頬に右、左と走る衝撃の連続で目を覚ました。
「くっ~こいつら! はぁ? こいつら?」
半身を起こせば、零司の左には壱子が、右にはこだまが入り込んでいる。
二人ともお揃いの着ぐるみパジャマのクマときた。
ただ、揃いも揃って寝返りの影響か、クマ耳のついたフードが外れるだけでなく身体は上下反転し、その足裏が零司の頬に直撃していた。
「やれやれ。寝返りしたならパジャマからお腹とか谷間が見えてるんだが、残念、丸ごと着込む着ぐるみタイプだから見えやしない」
兄として、男として揃って妹たちがベッドに入り込む光景に喜ばしく思うも、柔肌の見えぬ光景に悔しくも思う。
当然、パジャマをこの手でめくり、乙女の柔肌を覗こうなど紳士的な兄が断じてすることではない。
そう、可愛い二人がベッドに入り込んだだけで兄冥利に尽きるのだ。
「今日あんな目にあったんだ。怖くて眠れないよな」
優しく頭を撫でようと手を伸ばす零司だが、二人揃って上下反転しているため届かぬ手を己の前髪に伸ばしていた。
「前髪、左側だけ伸ばし始めたのいつ頃だっけな?」
詳細なる年齢と理由は思い出せない。
ただ覚えているのはきっかけ。
小さい頃、零司と壱子は互いにおもちゃを投げ合うケンカをしてしまう。
その際、零司の投げたおもちゃが壱子の顔に当たってケガをさせてしまった。
「消えそうで消えないもんだよな」
クマのフードから覗く壱子の右眉近くには小さな傷跡が今なお消えずに残っている。
一時期、この傷が原因で、壱子は塞ぎ込み、笑わなくなった。
兄として、原因として何とか笑顔を取り戻そうと奮闘するも効果はなく、壱子を支えたのは他でもないこだまだ。
『へっへ~ん、これでお揃いだね』
傷跡を隠すように前髪の一部を伸ばしていた壱子に、こだまもまた一部を伸ばしてみせた。
最初は困惑していた壱子だが『どこがお揃いよ』と苦笑いでも笑って見せた。
だから、零司もまた真似して一部の前髪を伸ばしてみた。
『お兄ちゃん、似合ってないし、左右反対~』
はっきり言われるのは心に来るも,笑顔が戻ったから良しとし今に至っていた。
「そうか、だからか」
今になって過去の出来事を思い出したのか、内に燻る心情を読みとれば自ずと納得できた。
「あいつらの理由なんてどうでもいい。ただ笑顔を奪うのが許せないんだ」
怪人はみんなの笑顔を奪い、奪われた者は涙を流す。
忘れたものは思い出せようと、失ったものは戻らない。
「まあ癪に障るがな」
祖父や超古代文明の生き残り(?)の<Zi>から便利に使われている感は否めない。
家族として黙っていたから、でもあるが、同時、事前に公表して事前策を講じておけば失われる人命を抑えられたかもしれないからだ。
彼の祖父の名は北斗明治郎。
希代の天才発明家を知らぬ者はおらず、その功績、その人脈を活かして一声で一企業、一国家を動かすことさえ可能なはず。
「祖父さんのことだから、考えが……わからん!」
偉大な祖父だとは思っているが、天才過ぎて一般人寄りの零司には理解できない。
「さてと、外の空気でも吸って気分変えるか」
あれこれ考えすぎると脳が興奮して眠りに落ちない。
零司は壱子とこだまを起こさぬようベッドからそっと出て、ベランダへと向かうのであった。
「あら、零司くん」
ベランダに足を踏み入れた時、お隣のベランダにパジャマ姿の女性がいた。
「あ、おばさん、お久しぶりです」
女性はこだまをそのまま身長高めのシャープな体つき。
当然のこと、こだまの母親、神崎ひかりである。
ベランダの縁の上に置かれたグラスには琥珀色の液体が注がれ、女性は胃にそそぎ込んでいた。
「こだまから帰ってきたって聞いていたけど、まあ立派になってね~」
ひかりは嬉しそうに口元をにやつかせながら、視線を男の下腹部に固定させている。
目つきは似てないのに、目線は母娘そっくりときた。
「ぬあ~に人のムスコに目線向けてんだ」
「ん~将来のかも知れない息子に向けただけよ~」
酔っているからこそ会話に頭痛を生む。
「こだま、うちのベッドにいなかったけど? また壱子ちゃんのベッド?」
「壱子と一緒に俺のベッドに入り込んでいるよ」
「あらら、うふふ、手出したの~?」
「残念、奥さん、二人揃って足出された。左右の頬に連続でゲシゲシだ」
「な~んだ、また蹴り出されたの、お義母さん悲し~し、つまんな~い」
演技を酒に混ぜて即席のカクテルを話の種にしてきた。
意図してやっているのは経験則から察知済み。
「まあふざけるのも大概にしてと」
ひかりはグラス内の液体を一気に飲み干せば、ボトルから新たな液体を注ぐ。
「君もとんでもない時に帰ってきたわよね」
「まあ、な」
言葉尻を濁しながら零司は返す。
「ありがとう」
アルコール接種でほのかに染まった顔でひかりは礼を述べた。
「あ、ありがとうって」
零司の感情は困惑しか出力されない。
「だって君、壱子ちゃんだけじゃなく、こだままで抱えて助けたじゃないの。リンクスにばっちり残っていたわよ」
恐らく、いや確実に警察へ証拠提出した映像を旦那経由で閲覧したのだろう。
情報漏洩と批判される可能性が高かろうと、警察内部での情報共有とお題目をつければ何一つ問題ない。
「無我夢中だったんだよ」
端的に返す零司はひかりから顔を逸らす。
嬉しい、むず痒い、困惑と様々な感情が内で混ざりあい、相手の顔を見られないからだ。
「そ、それにあの宇宙服もどきが怪人倒してくれたお陰で、俺たちは助かったんだし」
「まあ結果としてそうだけど、まず最初に君が二人を抱えて駆け出さなかったら、ね」
ひかりの声音は言葉尻に近づくにつれて重さを増す。
「もう警察は部署関係なくてんやわんやよ。旦那だって件の連続殺人事件と公務執行妨害の件が、怪人と関わっていたもんだから、その流れで現場を任されちゃうし」
「十中八九、俺が提供した映像のせいだな」
同時、警察上層部から現場を任せられる信頼があるとも。
ノンキャリで警部まで昇進しているのだから、警察官として優秀な証でもあった。
「挙げ句に日本だけじゃないってのがね」
警察、いや軍隊で対処できるレベルを越えている。
実際、怪人が出現した国の中には正規軍が出撃しようと壊滅していた。
「事前に対策が打てれば、どうにかなったと思ってしまう」
「そうね。確かに雨が降ると分かっていれば、今日ケガすると分かっていれば、これから泥棒に入られるのを知っていれば、たらればの話は警察でじゃよくある話よ」
「そうなのか?」
「確かに警察は市民の安全と生活を守るのが仕事よ。けどね、それはあくまで事後での話。何もしないなら何も起こらないからこそ、犯罪一つ犯していない犯罪者を捕まえるのは大問題」
健康は病気の抑止になろうと、治療薬にならない。
犯罪抑止の名目で市民生活に干渉する警察は、健康な身体に強心剤をぶちこむようなものだと、ひかりは例える。
正しく使えば、心臓の衰えた者に回復薬となり、要は使い時と方法だ。
「でも実際に問題は起きるの。起きたらそこはもう警察の出番。内臓が悪いなら内科、骨折したら外科と専門の医者がいるように、私たち警察も犯罪という症状に合わせて投入される。もちろん、血どころか死人すら出るわね。もう少し早く到着していれば、あの時、捕まえておけば、とか被害者の悲痛な顔を見るとつい背負いこんじゃうわ」
「おばさんでもか?」
「あら? 一人の婦警であり、妻であり母であり人間よ? プログラム通りに淡々と仕事をする機械じゃないわ」
まるで後悔を飲み干すかのように、ひかりはグラスを空にする。
「どうにかして片づけているうちに、乱れた秩序を収拾させて、限りなく近い形に戻っているの。いい、零司くん、一人の大人として言わせてもらうわ。君が背負う問題じゃないの。ううん、誰も背負うべきじゃない。自分が許せないとか腹立たしいとかいう理由で、自分勝手に重荷を背負っている。もしくは背負わせようとしている」
「自分勝手って……」
自らの行動原理を否定された気分だ。
「でも無意味じゃない。確かに亡くなった人たちはいた。同時に助かった人たちだっていた」
「……助かった」
零司もまた助かった一人だろう。
祖父が手を打っていなければ怪人に殺されていたはずだ。
「だからって……」
祖父に納得できていないのは会話が足りていないからだ。
頭では分かっている。理屈でも、ただ自分自身の心に整理がつかぬ故、突き放すように距離を置いていた。
「もう今日は寝なさい。今は寝る。そして明日朝起きて朝考える。どうにかしようとして動いたら、割とどうにかなるものよ?」
年長者として、親として積まれた経験が生む余裕か。
ほのかに火照った顔でひかりははにかんだ。
「グッドラック!」
部屋に戻らんとする零司にひかりは声援を送る。
ただ親指を立てるどころか内にしまうのは蛇足だ。
おはよう、世界中の諸君!
わしの名は北斗明治郎!
知っての通り、世間ではインターネット再誕の父として知られておる。
この生配信は、自動翻訳システムにより各言語に翻訳されておる。
今回、緊急生放送に至ったのは、昨日世界各地で暴れまわった怪人について判明したことがあるからじゃ!
まずはこの映像を見て欲しい。
この映像はわしの助手であり孫が虎の怪人に襲われた時の映像じゃ。
虎の怪人が吼えるように口を開いたと同時、リンクスの通信機能に障害が発生しておる。
虎の怪人が宇宙服に倒された瞬間、とある信号が発信されたのもまた。
もしやと思い解析した結果、とある事実が判明した。
怪人たちはどうやらリンクスを持たずして量子で交信しておるようじゃ。
例えるのなら……そう超能力とかにあるテレパシー!
怪人たちが放つ量子波とリンクスの量子波の波形が酷似しておるが、今回の放送で伝えたいのは――その波形じゃ。
怪人たちが量子波で交信を行うも、どうやらリンクスの波形が交信を阻害しておる。
それだけじゃなく、リンクスの量子波は怪人にとって挑発行為、要は中指おっ立ててケンカを売っておることになる。
被害者のほとんどがまず頭部を潰されて殺されておるが、恐らくリンクスの量子波を潰すために頭ごとを潰したのじゃろう。
もちろん、この放送は不安を煽るためにやっておるのではない。
怪人は量子波を放つリンクス持つ人間を優先的に殺害しておる。
ならばこそ、逆に量子波が挑発行為にならなければ殺害されるリスクは激減できる。
今よりこの時間からリンクスのアプリケーションソフトウェアを無償配布する。
このソフトウェアは怪人にとって挑発となる量子波をフィルタリングする効果がある。
おっ立てた中指を相手に見えなくさせるようなもので、ダウンロードしようと従来の使用に弊害はない。
じゃが、これだけは言っておく。
このソフトウェアはあくまで怪人に対する挑発行為を無効化するだけであって、怪人に殺害されなくなるものではない!
ダウンロードする際、もう一度そこらへんをよ~く、読むように!
以上じゃ、放送はこれにて終了とする!
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