ゼロ編 第3話 捜査情報
今宵のベッドは懐かしき自室のベッド。
こまめに掃除をしてくれた妹には感謝しても感謝したりない。
ふくよかな肌心地と太陽の臭いに包まれながら、時差ボケの影響もなく泥のように零司は深い眠りに落ちていた。
「ぐふっ!」
穏やかな眠りは右頬に走る衝撃にて終わりを迎えてしまう。
「て、敵か!」
身に染み着いた経験が身体を突き動かしベッドから飛び起きる。
次いで左腕に手を伸ばした時、薄暗い自室だと我に返った。
「あ、腕時計は祖父さんにメンテするから預けたんだった」
夜討ち朝駆けは襲撃の基本である。
遺跡は場所によっては深い森や山の中にあり、調査のためのキャンプなど珍しくない。
日本人グループが遺跡にいると、話を聞きつけたゲリラが遠方から身代金目当てにやってくることすらあった。
「いくら腕時計の効果があっても、俺一人じゃ無理だったな」
一人や二人、零司がぶっ飛ばしても後退する輩ではない。
加えて武装しているため、信頼できる傭兵を雇うことで、襲撃するだけ無駄だと相手に理解させる必要がある。
「やれやれ、襲撃者の正体はお前か」
ベッドにはこだまが大の字となって眠っている。
真っ直ぐに伸びた右足が枕元まで伸び、零司を目覚めさせる元凶となった。
「ウワーヤベーデケー」
零司の語彙力を低下させるほど、こだまの寝姿は魅力的である。
半袖シャツに短パンとシンプルながら、胸元から覗く深き谷間、瑞々しい太ももと、部屋が薄暗かろうと視覚してしまうのは男の性か、夜に慣れた目か。
「っか、何でお前が俺のベッドにいるんだ?」
お隣の神崎家は両親が揃って警察官である。
父親は捜査一課で、母親は交通課。
夜勤もある仕事柄、こだまは昔から北斗家で寝食を共にしていた。
今日もまた、両親揃って留守であることから、壱子の部屋に泊まっているはずである。
「まあいいか!」
零司は考えるのを止めた。
可愛い幼なじみがベッドにいるのだ。
三年振りの再会を祝って訪れたのだろう。
元いた部屋に戻すのは野暮だ。
「我ながらよくもまあ行ったもんだ」
中学を卒業したら世界を見て回りたい。
インターネットが密接に関係し、利便性に長けたこの世界に息苦しさをどこか感じていた。
便利すぎる世界から不便で不自由な世界に出れば、新しき何かが見つかると思った。
両親も息子の心情を察してか、条件付きで了承してくれた。
まず両親の仕事、つまりは遺跡調査を手伝うこと。
遺跡の発掘調査で世界各地を移動するため、世界を見て回るには都合がいい。
次、高卒認定試験に合格すること。
将来性を踏まえて認定取得は大事だ。
昼は両親の仕事を手伝い、夜は高卒認定試験の勉強をする。
それから三年、両親の仕事は一通り形となり、高卒認定試験には合格する。
両親は研究論文をまとめるからとロンドンにある大学に戻ったのを契機に零司は日本に戻った。
「ふぁ~今何時だ?」
時間を確かめようと、零司の部屋には壁掛け時計も、目覚まし時計もない。
あらゆる機能をパーソナル・リンクスに一元化していたため、今は持たぬ零司には時刻を瞬時に確かめる術を持たなかった。
「いけ~レイちゃん、突いてしまえ~」
「どんな夢を見ているんだ、お前は?」
零司は嘆息しながら、小顔で整ったこだまの鼻をそっと摘み上げるのであった。
朝起きればベッドには零司一人だけであった。
「ふぁ~今何時だ?」
寝癖で乱れた頭髪をかきながら零司は階段を下りる。
一階のリビングは静かであり、テーブルには三人分の弁当箱と一人分の朝食が用意されていた。
皿に乗せられたおにぎりがラップで包まれている。
「あら、もしかしてこの弁当?」
零司はテーブルの表面を軽くノックする。
天板に明かりが灯り、様々な情報が溢れ出す。
正確には、天井に備えられた投射機がネットワーク経由で得た情報をテーブルの天板に投射しているだけだ。
現在の時刻は午前一〇時一八分、本日の天気予報や交通状況、政治問題、果ては物騒な殺人事件のニュースを手で払うよう動かせば、投射機のセンサーが零司の動きを捉え、その通りに情報を整理する。
『おはよう、お兄ちゃん、ぐっすり寝ていたから起こすのも野暮なので放置しておきました。朝ごはんのおにぎりとお昼のお弁当を置いておきます。食べたらお皿は食器洗い機の中に入れるのを忘れないように』
壱子からの書き置きデータであった。
「あ~やっぱり弁当忘れたのか」
テーブルには零司が求める情報が投影される。
『ごめん、お兄ちゃん。お弁当忘れちゃった! 悪いんだけど学校に持ってきてくれない?』
『レイちゃん、お弁当持ってきてくれたらハグしてあげる!』
壱子とこだま、二人のショートメールが自宅の電子ポストに届けられている。
ついで祖父のメールも発見。
『少し寝るから起こさんでくれ。追伸、腕時計はもう少し待ってくれな』
祖父の明治郎は夕食が済めば、自宅庭にある小屋にこもっている。
学校の教室一つ分の広さを持つ平屋造り。
木製の看板には筆で<北斗研究所>と簡素に記されている。
今の世に溢れる製品のほとんどがあの小屋の中で誕生している。
だからか、完成、未完成問わず、設計図やらデータを狙ってしばしばスパイが忍び込むなど珍しくなかった。
「今日は一人か~」
庭先をのぞき込めば、近所のおっさんにしか見えない人物が全身をロープで縛られ倒れていた。
不用意に家の敷地や家内に足を踏み入れれば、動防衛システムが発動するのはご近所には周知の事実。
あのように拘束されるのは、本当のスパイか、有名人見たさに現れた不法侵入者だけである。
「後で、おっさんに連絡して」
隣が警察官なのは非常に便利である。
連絡を入れようとした時、チャイムが鳴り響き、インターホンカメラが顔認証システムにて来客を照会した。
『オ隣ノ神崎サンガイラッシャイマシタ』
電子音声が来客名を告げる。
「ああ、おっさんか、ちょうどいいや」
連絡する手間が省けた。
零司は神崎を家へと招き入れるのであった。
「その寝癖、今起きたのか?」
「ああ、時差ボケもなくすっきりな」
神崎にコーヒーを出しながら零司は言い返した。
「最近、色々と物騒だからな。昼まで寝たらまた捜査に戻る」
「確かに物騒だよな」
帰国時から日本各地で発生している殺人事件。
詳細なる被害は省かれているが、一部報道では頭部を破砕されて殺害されたとある。
日に日に増えており、今日だけで一道二府四三県中、一八の地で殺人事件が発生している。
全身骨格粉砕、内臓全損などの差異があろうと、どの被害者も頭部を潰されて殺害された共通点があった。
「仕事戻る時でいいから、庭先のおっさん、運んどいてくれ」
「分かった。分かった」
不法侵入者を警察である神崎が運ぶのは恒例行事。
警察上層部からも北斗家に侵入した者は容赦なく逮捕して構わないとお墨付きをもらっている。
「まあ、それでだ、零司。昨日の件について……だがな」
どこか神崎の言葉に圧がある。
「おっさんが叱りつけて終わったんじゃないのか?」
「ラムネ菓子の件じゃない。警察官がコートの男に襲われた件だ」
「ふむ」
零司は神崎の発言から察知する。
性別の分からぬコートの人物を男だと言った。
恐らく周囲の防犯カメラや警察官が装備したパーソナル・リンクスのカメラ機能で身元を把握したのだろう。
「被疑者の名は
テーブルには被疑者の顔写真が投影された。
社会人特有のやや疲れ気味の顔が特徴の男だ。
だが、零司は疲れ気味だが穏やかな目つきに違和感を覚えた。
(危険ドラッグでもやっていたか?)
口出さず心の内に疑問を出す。
あの時、フードの隙間から垣間見た瞳は野獣のようであった故だ。
「分かったのなら、公務執行妨害で捕まえればいいだろう?」
「捕まえられれば、な」
言葉尻を窄ませながら神崎は被疑者の写真をテーブルから消していた。
「この男は三日前に死亡している」
「はぁ? 死んでる?」
零司は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「三日前、交通事故に遭ってな。遺体を引き取る親族がいないことで、病院の霊安室に保管、行政が埋葬まで行う予定だった。が、二日前に忽然と姿を消したそうだ」
「なにそれ怖ーな、ホラーだろ」
「問題は誰一人霊安室に近づいていないこと。そして、病院の防犯カメラに男らしき人物が敷地内を一人で闊歩する姿が映されていたことだ」
科学が発展し、オカルトの神秘性が薄れていく時代。
ゾンビやお化けなどの手合いは既にゲームや小説の創作物の中の物だとの認知が当たり前の時代。
それが今、死んだ人間が生前のように闊歩する。
オカルトと呼ばずしてなんと呼ぶ。
「問題はこれからだ」
神崎は自らを落ち着かせるようにコーヒーを口に含み、嚥下する。
「捜査の結果、各地の病院や斎場から遺体が消えていたことが判明した。そして、だな」
テーブルの天板に日本地図が投影され、次いで遺体喪失と殺人事件の発生地点がそれぞれ点で表示される。
「近いな」
端的な感想を零司は述べる。
遺体喪失と殺人の現場はどれも五キロ圏内で発生していた。
もっとも、双方の因果関係は確固たる証拠がないため不明である。
「けどよ、何で死体が動いているんだ? 実は生きてましたってオチじゃないのか?」
「そういう意見もある。だが、失踪した遺体の中には、半身欠損など五体満足でない者も含まれていた」
「おっさん、真面目に答えてくれるのはありがたいけどよ、飯食ってる人間に言うことじゃないぞ」
「けっ、お前がその程度で食欲なくすタマか」
否定はせず、咀嚼だけを零司はする。
「お前に捜査情報を話すのも、一応の当事者だからだ。だが、第三者に話してみろ。情報漏洩で俺が始末書を書くハメになる」
「ああ、分かっているさ。始末書から減俸、こだまのこづかいが減る連鎖が目に浮かぶよ」
死体が一人で歩いた原因は捜査の結果次第だろう。
ふと零司は無意識に左手首を右手で握っていた。
(あの時、左腕を掴まれたが、ひんやりした感触じゃなかったよな)
荒々しい生命の力と生々しい温かさだった記憶がある。
「まあ、俺が言いたいのは気をつけろってことだ」
「え? おっさん、俺、心配してくれてんのか?」
「かか、か、勘違いするな。お前に何かあると、お父さん何していたの! とこだまに叱られるからだ。別にお前の身を案じて言ってるんじゃないぞ!」
「はいはい、分かった。分かった」
方便として受け流す零司は、ふと話のキリがいいと別なる話題に変える。
「昨日の言動もそうだけどよ。おっさん、えらいこだまから嫌われていないか?」
三年前の記憶を辿るならば……。
『お父さん、汗臭い、近づかないで!』
『お父さん、レイちゃんより劣るモノぶら下げて家の中歩かないで!』
『お父さん、レイちゃんと二人で食べようとしたプリン食べたでしょ!』
『お父さん、頬スリしないでよ、ヒゲ痛いの!』
何かとスキンシップを取ろうとする父親に対して娘は辛辣だった。
(あんま変わってないな……)
確かなのは、三年後の今では輪をかけて嫌っていることだ。
「警察が黙秘権を行使するとか皮肉すぎるぞ? ほれほれ、さっさと吐いたらどうだ?」
目を逸らしてだんまりを決め込む神崎に、零司はニヒルな笑みで自白を迫る。
「よ、四日前のことだ……」
観念した神崎は顔を俯かせながら語り出す。
風呂上がりのこだまが体重計に乗っていた際、ほんのいたずら心で片足を軽く乗せたそうだ。
体重増加にショックを受けた娘は、原因が父親のいたずらと知るなり激怒し、今に至っていた。
「……完全におっさんの自業自得じゃねえかっ!」
乙女の体重をいじる男は言語道断の悪即斬だ。
零司ですら、かわいい妹にショックないたずらなど行わぬというのに、何を考えてこの親父は可愛い一人娘の心を傷つける蛮行を平然と行えるのか、神経が信じられない。
「いや、だってな、この一週間、あいつ、美容院行ったり、肌の手入れに一層気を使ったりしてな。聞いてもお父さんには関係ないと全然相手にしてくれないんだ。母さんに聞いても、知った顔で知らないとか言うんだぞ。仕舞には通販で新しい下着を買っている。それもちょっと大人の……」
「は~い、ストップ。それ以上は言ってはいけない」
父親を兄の立場として置き換えれば理解はできる。
零司もまた妹に男の気配を感じれば気が気ではない。
可愛い妹の伴侶に相応しいかどうか、否か、兄の性が零司の拳を突き動かすだろう。
「だが、こだまの行動にお前の帰国が関わっているなら全てに辻褄が合う!」
「あ~地雷自分で爆破させたよ」
親の敵でも討たんとする勢いの神崎に零司は辟易とした。
「いいか! お前などに娘はやらん! 絶対にやらん! 仮に国家公務員になろうと俺は絶対に認めないからな!」
「こだまは可愛い幼なじみだろう? えらい、公務員にこだわるな?」
「お前の中ではそうだろう! お前の中ではな!」
「お義父さん、勘弁してください~」
「誰がお義父さんだ、ンゴラッ!」
神崎の現場慣れした怒鳴り声は零司の鼓膜に響く。
苦笑しながら耳を塞ぐも防音効果は低かった。
「まあ、おふざけも程々にして」
「おい、話はまだ!」
「住所確定現在無職でもやることはあるんだよ」
自宅を警備するわけでもなく、SNSで充実自慢の輩を攻撃するわけでもない。
可愛い二人が飢えぬための弁当を運ぶ重大な仕事がある。
本音を言えば可愛い二人と昼食を共にしたい零司だが、生徒でないため保安上無理であった。
「今から壱子とこだまの弁当、学校に届けなきゃならん。それからリンクス買うために必要な住民票とかを役所でとらなあかんのよ」
「おお、そうか、それなら弁当は俺にまか……」
おもむろに弁当箱に手を伸ばした神崎の手を零司はグーで叩く。
懲りずに手を伸ばそうとする神崎の手を零司は再びグーで叩く。
またしても性懲りずに……叩く音は一〇回ほど響いた。
「おっさん、夜勤明けだろう? それに不法侵入者の搬送や殺人事件の捜査もあるんだ。休むことも仕事だぞ」
「はっはっは、気遣いは無用だ。お前こそ無職が学校に行けば通報されるぞ」
「父兄として忘れ物を届けに行くだけだ。そっちこそ平和な学校に警察が現れれば生徒たちを混乱と不安に落とすことになるからやめとけ」
互いに譲る気は一切なく、目線から火花が衝突する。
片や最愛の娘にお弁当を届けるために。
片や最愛の妹にお弁当を届けるために。
二人で届けるという発想は元からない。
相手が譲らないならば、どかすのみ。
「おら、かかってこいや! 中年クソ親父!」
「お前をぶちのめしてこだまへの土産話にしてくれる!」
互いに椅子から立ち上がれば、臨戦態勢へと移行する。
「黒帯の俺に勝てると思っているのか!」
「まともにやりあえばな!」
神崎は柔道で黒帯の実力者。
真っ正面から立ち向かおうならば、零司は投げ飛ばされ、リビングの床を敗北と共に舐めるだろう。
「けどよ、地の利は俺にあり!」
零司はテーブルの天板を力強く叩いた。
「緊急迎撃モード起動! 対象、目の前のおっさん! 出力レベル、スタン!」
「なっ、ひきょ――シビレビビレバ!」
零司の声に反応したテーブルは縁から電極を現し神崎に牙を向く。
青白い雷光が網膜を瞬き、鎮まった時には神崎は床に倒れ伏していた。
「ぬっはっはっは、正義は勝つ!」
「ぬ、に、が、せい、ぎだ」
勝利に酔う零司に人並み程度の罪悪感はあろうと、必要な犠牲だと割り切ってもいる。
先ほど使用した緊急迎撃モードは明治郎が家族を侵入者から守るために設置した防衛システム。
天才的な頭脳を持つ故に狙われ、時には家族を人質に取って協力を強要せんとする輩もいた。
設置するだけで様々な問題が浮上するも、北斗明治郎の家だからと行政や警察は黙過していたりする。
「というわけで、おっさん、痺れとれるまで休んでいていいからな」
「お、おい、ま、待て!」
「待たん!」
二つの弁当箱を紙袋に詰めながら零司はばっさりと切り捨てた。
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