ゼロ編 第2話 我が家
「あ? これが薬物? バカもん!」
パトカーの外から響く怒声に、シートに座る零司は肩をすくめた。
「粉々になったラムネ菓子じゃないか! お前、この前何の研修受けてきたんだ!」
顔を潰されるのを免れた警察官だが、今度は
「ここはいいから、お前はさっさと病院に行け! いいな、これは命令だ! 後のことは俺がやっとくから、ほれ、行け! さっさと行って骨とか脳に異常がないか看てもらってこい!」
説教は早々と中断される。
口調は厳しいながらも部下を案じているのが伝わろうと、優しい言葉で言えないのか、甚だ疑問であった。
「さてと」
運転席側のドアが開かれ、スーツ姿の男が乗り込んだ。
「ったく、帰国早々何やってんだ、お前は?」
「にやっはっははっ、三年ぶりだな、神崎警部補」
知り合いである神崎に零司は歯を剥いた笑みで返す。
「警部だ。お前が出国した後、警部に昇進した」
昇進を聞くなり零司は目を輝かせた。
「お~そうかい。給与いくら? 上がったんなら小遣いくれよ? 諭吉で良いぜ!」
「誰が教えるかやるか、バカもん」
世話話も程々に神崎は本題に入らんとした。
「お邪魔します」
「しつれ~い」
だが、その前にパトカーの後部席にセーラー服姿の少女二人が左右から入ってきた。
零司は左右の少女に目を丸くし、神崎は頭部を抑え苦悶する。
外にいる警察官が気づいて慌てて一歩踏み出すも、神崎が手で制止し、目で問題ないと伝えれば離れていた。
「おおおおおっ!」
次に零司は歓喜の雄叫びを上げてしまう。
「壱子、こだま!」
嬉しさのあまり、左右に座る少女二人を抱き寄せては頬擦りしている。
少女二人の表情に困惑の色彩はないが、神崎の表情は怒りに染まっていた。
「あ、てめえ、妹はともかく、ぬあんに俺の娘に頬スリスリしてんだ! 俺はしたくてもさせてもらえんのに、続けるならマジ猥褻罪で逮捕すんぞゴラッ!」
「お父さん、うるさい」
「ぐはっ!」
冷徹に放たれた言葉は銃弾となり、神崎の心を貫いていた。
「レイちゃんとの再会に水差さないで」
「娘がとどめ刺しているがな」
ショックで白目を剥いている神崎を余所に、零司は改め左右に座る壱子とこだまを見た。
右に座るのが身長高めで胸の薄いのが零司の妹、北斗壱子。
左に座るのが身長低めで胸の厚いのが神崎の娘、神崎こだまである。
「いや~二人とも三年ぶり。大きく……なったっ! うん、大きいな、もう!」
「レイちゃ~ん、どうして、大きくで言葉を切るの? それは身長かな? それとも胸を指しているのかな?」
「さ~どっちだろうか~っておい、こだま、ぬあにお前、胸押しつけてんだ? おい、やめろって、ちょ!」
「尋問~答えてくれたら止めるけど~?」
「あ~尋問か……よし、答えないから止めないでくれ」
鼻の下を延ばす零司の横から妹の咳払い。
おふざけも大概に、神崎もまた意識をちょうど取り戻したため、本題に入るのであった。
「お兄ちゃん、何しでかしたの?」
「何って、警察官の職務を妨害するコートに蹴りを入れただけさ」
「だからって、あの動き常人離れしているでしょ?」
「あ~まあ、これのお陰だな、っかお前らもしっかり見ていたのかよ」
零司は呆れをこぼしながら左腕に装着した銀色の腕時計を掲げて見せた。
「祖父さんがさ、出国の餞別にくれたんだよ」
国によっては危険な場所もある。
よって万が一危機に直面した際、脱する保険を餞別として渡していた。
「ど~いう仕組みか知らんが、ベゼルを回してコマンドを入力すると一時的に身体能力を強化できるんだ。まあ、一度使うと六時間のクールタイムが必要だけどな」
「警官一〇人掛かりで引き剥がせんかったのを蹴り離したのはそれが理由か、
いつの間にか復活した神崎が会話に混じっていた。
「外国では自己防衛が第一よ」
国よっては警察よりマフィアが強い場所もあり、警察を当てにできない状況すらある。
それを見越して、祖父である明治郎は孫に自己防衛用ツールを渡していた。
「流石、天才発明家」
身内を自慢するように胸を張るのはこだまである。
「まあ、祖父さんを知らんのはおらんからな、国内でも、国外でも」
北斗明治郎を知らぬ人間はいない。
一言で天才発明家。
有り余る閃きと才能を形にせんと日夜発明を続ける生ける偉人。
パーソナル・リンクスの発明者であり、彼がいなければ今日のインターネットの維持と発達はなかったといわしめるほど。
官民問わず組織や企業から専属契約を求められようと、断り続け、ただ依頼があればその要望を形とする。
関係はビジネスとしてのみ。依頼が完遂すれば関係は終わり。
とある経済学者は言う。
彼が本気で企業を立ち上げるのならば、経済は世界規模で変わると。
だから、誰もが首を傾げる。
確固たる地位も財力もある発明家が、大規模な研究所を創設するではなく、一軒家の庭先にある小屋を根城にしているのか。
弟子や助手を一人としてとらず、孤独に研究を続けるのは人類の喪失だと嘆く者さえいた。
「自慢の祖父さんだぜ」
孫だからこそ零司は身内を自慢する。
「あ~分かった。分かった。とりあえず、さっきの騒動、動画でも写真でもいいから提供してくれ。一応の証拠になるからな」
「無・理!」
零司はきっぱりと断言した。
「リンクスつけてなかったのか?」
「つけていないというか、元からない!」
零司は誰もが当たり前に身につけ、使用するパーソナル・リンクスを持たぬ理由を語り出した。
「ゲリラの狙撃でぶっ壊された!」
日本国内では起こりえない理由に、車内の三人は顔を揃えて愕然とする。
「通りで、いくらかけても通話に出ないはずよ。けど、それでよくここまで帰って来れたわね」
壱子は納得するも口端に苦みと疑問を乗せていた。
パーソナルの通り、パーソナルリンクス内はかつてのスマートフォント同じく個人情報の塊だ。
インターネットと密接に関係したこのご時世、あらゆる証明が電子機器を介してなされるため、万が一失おうならば再発行に手間がかかる。
電子マネーがなければ電車にすら気軽に乗れない。
ただ零司の場合、両親が持たせた現物の現金のお陰で多少の手間程度で助かり、パスポートという身分を証明する公文書があることから再発行にさほどの時間はかからないだろう。
「リンクスのデータは腕時計のメモリにバックアップできたし、パスポートはデータ化されてないからリアルマネーを持ち歩く程度で済んだ」
「でも、よく無事だったね? どっかケガしてない?」
こだまは零司の耳たぶを優しく掴めば、ついでに耳穴まで覗いている。
「リンクスは犠牲になったのだ。リンクスは」
「溜まっているから後で掃除するね。拒否は認めない」
「では膝枕で頼む」
「お客様、耳掃除は幼なじみサービスで無償ですが、膝枕は片穴につきケーキ一つが追加されます。よろしいでしょうか?」
「オーライ、完了の暁には追加報酬でアイスをダブルでつけよう」
「なら、バイパス繋ぐ勢いで掃除するね!」
「いやいや、貫通したらダメでしょう」
ノリノリな零司とこだまに、壱子が冷静なつっこみを入れる。
「三人揃うと昔みたいに賑やかになるもんだ」
運転席で神崎は重いため息を漏らす。
小学校時代は、近隣に遊び友達がいなかったことから、零司たちはいつも三人で遊んでいた。
こだまがいたずらの発案と煽動を、零司が実行、そして、壱子がたしなめる。
いたずらをすれば、年長者故に零司だけが大人に叱られる。
寸前でこだまは壱子を連れて避難し、ほとぼりが冷めれば戻って来るのパターンである。
特に、神崎は隣人の子だろうといたずらすればひっ捕まえ、必ず叱りつけた。
「こだま、折角だし俺も耳掃除してくれ~」
「家の戸棚に竹串あるでしょ? それですれば?」
冷徹な娘の返しに神崎は口をあんぐり開けて白目を剥いていた。
零司は三年振りに我が家の敷地を踏み締める。
見上げれば切妻屋根に貼り付けられた太陽光発電シート、自然光を外から中に取り入れる役目の大き目の窓に変わりはない。
環境保護を第一にとしてきた過去の名残により、建築材料は極力自然に分解される素材でなければならぬと建築法で定められている。
大型バス三台が余裕で駐車できる規模の芝生広がる庭の真ん中には研究所である平屋がポツンと生えるようにある。
そして、研究所の主が今、玄関前で絶叫していた。
「うおおおおおおおお、ばあさんあああああああ、わしゃ、どうすりゃいいんじゃああああああああっ!」
白衣の老人はただ嘆く。
後退のコの字も見えずとも白髪一〇〇%の頭髪、首元にゴーグルをかけ、アロハシャツとズボンの上に白衣を、そして足にはサンダルを履いた人物。
手に持つのは今は亡き最愛の妻の遺影。
彼の老人こそ、世界に名を轟かす北斗明治郎その人である。
世間では天才発明家と名を知られていようと、一皮剥けば可愛い孫娘大好き好々爺であった。
「可愛くない方の孫がパトカーで帰ってきよった! ばあさん、わしが不甲斐ないばかりに――あべしっ!」
「誰が可愛くない方の孫だ。可愛い方の孫と幼なじみも一緒だっての。帰宅早々うるせえぞ、ジジイ」
絶叫は近所迷惑故に、零司は祖父の頭をひっぱたいていた。
「帰って早々ジジイをブッ叩くとは、お前はそのために三年間外国巡っておったんか!」
「お、やんのか?」
「おう、きやがれ、可愛くない方の孫よ! 可愛い孫の前で錆にしてくれるわ!」
喧嘩腰の祖父と孫息子の間に割って入るのは孫娘の膨れた声だ。
「二人ともおふざけも程々にしないと夕飯抜き!」
「「はい、程々にします! いえ、止めます!」」
男二人から先の威勢は消え去り、張り子の虎のように畏まっていた。
両親不在の北斗家の家事は壱子が取り仕切っている。
逆らえばどうなるか、身を持って男二人は知っていた。
「ちょっとふざけただけなのに、そこまでいわなくてもいいだろう?」
「そうじゃよ、ジジイと孫息子の再会の挨拶みたいなもんじゃろ?」
「だ・か・ら……なに?」
「「いえ、なんでもありません!」」
壱子から鋭利に睨まれ、身を縮ませる男二人。
そんな二人にこだまは苦笑する。
「レイちゃん、変わらず妹に弱すぎるよ~」
「妹に強い兄などいない!」
零司は臆面もなく断言するも、瞬間、壱子に後頭部を叩かれた。
「もう恥ずかしいからやめて」
「え~自慢の可愛い妹なのにか~? あーわかった。わかった。代わりに可愛い幼なじみの自慢するわ」
またもや壱子の目に黙らされる零司だが、異を唱える者が一人。
「てめえ、可愛いこだまを語っていいのは父親の俺だけだ!」
「お父さん、仕事に戻らないの?」
優しい口調ながらこだまの言葉は冷たく、あしらわれたと父親はまたしてもショックを受ける。
「ごほん、まあ、こやつは放っておいて」
咳払いを一つした明治郎は改めて孫息子と向かい合う。
「おう、よく帰ってきたのう、零司」
「ただいま、祖父さん」
祖父は孫息子の帰宅を快く迎えるのであった。
「ほれ、零司、腕時計よこさんか」
玄関戸が開かれると同時、明治朗の口も開かれる。
「メンテしてやる」
「なら頼むよ」
零司は左腕から腕時計を外せば、明治朗に手渡した。
「いや~その時計のお陰で大助かりだったよ」
「そうじゃろそうじゃろ」
明治朗は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「家に帰る途中さ、職質してきた警察官が変なのに襲われていたけど、この腕時計のお陰で何とか助けられた」
「変とな……孫息子よ、そこら辺を詳しく」
皺だらけの顔で明治朗は意味深に目を細める。
「いやな」
「立ち話はいいから、お兄ちゃんは手洗いうがい、おじいちゃんはおばあちゃんの遺影を仏壇に戻しておいて」
零司と明治朗は互いに顔を見合わせては無言で頷き合う。
反論は夕食抜きに繋がる故、壱子の声に背中を押されるまま家に入る。
「それじゃレイちゃん、着替えてくるから後でね」
右隣の家の玄関前に立つこだまが、零司に向けて投げキッスをする。
「おう、後でな」
目には目を。歯には歯を。投げキッスには投げキッスを。
零司はしっかりとこだまに返していた。
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