ゼロ編 第1話 逮捕

「俺は湖で釣られた一匹の魚かよ」

 職務質問を釣りに例えた北斗零司は、ただ嘆息するしかない。

 中学卒業後、考古学者の両親に懇願して世界を見て回った。

 一応の就職先だって決まっているが、この警察官は住所確定現在無職であるのを理由にして解放しない。

「勘弁してくれよ~」

 零司は左目だけを隠すように伸びた髪を苛立つようにすくい上げた。

 服装だって半袖シャツにズボン、スニーカーとありきたりなもの。

 肩掛けのリュックには現金リアルマネー入りの財布とパスポート、そして空港のコンビニで買ったお菓子しか入れていない。

 満員電車でもみくちゃにされてお菓子は粉々であるが、胃に入れば皆同じ。

 手にかさばる荷物を家に届けるよう空港で手配したのは正解だった。

 他に身につけている物は、出国時に祖父から餞別にもらったメカニカルなデザインをした銀色の腕時計である。

 だからこそ、はなはだ疑問を抱く。

 この警察官はただの通りすがりに何をしたいのかと?

 友人知人ならば懐かしさを噛みしめているも、残念、今は無職を連呼する警察官に苛立ちを噛みしめる。

「善良でイケメンな通りすがりを捕まえて、ほれ無職だ、無職を捕まえろってか、おまわりのおっさん、あんた顔がピリピリしすぎてるぞ? 何かあったのか?」

「本官はまだおっさんではない。これでも二八だ」

「あ、老け顔か、それは失礼した」

 零司は演技ぶった口調で丁寧に謝罪する。

 ただ、人を食った態度が気にくわないのか、警察官は顔をひきつらせていると来た。

「それに、一時間前に日本の地を踏んだばかりで、内情には疎いのよ」

 確認した情報は空港のロビーにて天気予報と交通状況の二つのみ。

 国によっては日を跨がず危険な紛争地帯に様変わりする。

 内情の変化に気をつけねばならず、まして危険に慣れてはいけない。

 即ち、安全を見失い、命を落とすことに繋がるからだ。

「何もないのなら帰らせてもらうぞ。それともまだ他に引き留める理由があるのか?」

「持ち物検査をさせてもらう」

「やれやれ」

 警察官の声音から叩いて埃一つでも落とさんとする意地が伝わってくる。

 探られて痛い腹を持たぬ零司だが、断ると面倒臭い事態に陥るため、素直に肩がけしていたリュックを警察官に渡すのであった。

「変なもん入れたら、逆に訴えるからな」

 先手なる釘を刺しておくのも忘れない。

「本官はそのようなことはしない」

 ややキレ気味に返され、零司は肩をすくめるしかない。

 お国によっては武器の密輸、禁止薬物の所持は死刑を免れない。

 国から国を渡る際、厳しい検査を何度も受けたのは思い出深い。

「いやね~行った国の中にはさ、職員が人様のバッグに白い粉の入った袋こっそり入れようとして、トラブって事なきを得た時は疲れたもんよ」

 零司は思い出を語ったつもりなのだが、リュックを調べる警察官は白い粉に耳を反応させた。

「意図的に仕込んで、見逃して欲しければ賄賂寄越せってやつでよ。もうあれは大変だった。あれ? もしも~し、どこに連絡してんの?」

 警察官は零司の質問に険しい顔つきで返し言葉で返さない。

 数分後、サイレンを鳴らしたパトカーが零司を取り囲んでいた。

「何故にホッワ~イ?」


 壱子いちこは考える。

 今日の夕食は何を作ろうか。

 帰り支度を終えた時、一年B組の教室の外から活発な呼び声がした。

「壱子、一緒に帰ろう」

 振り返れば、幼なじみのこだまが扉の前に立っている。

 おっとりした顔つきに艶やかなショートの黒髪、右前髪は三つ編みに編み込まれ、先端が揺れる。

 一六〇センチまで微妙に届かない小柄な体躯。

 男の目線を引きつけ、女に羨望を向けるのはセーラー服の胸部を押し上げる豊満なバストと来た。

 この三年間で育ちに育ち、胸囲は驚異の九〇超え。

 対して、壱子はほぼ平らな胸元に無意識のうちに手を当ててしまう。

 次いで右目を隠すように延ばされた黒髪に指先を伸ばしていた。

 顔つきも正反対で、やや鋭い目尻がコンプレックスだ。

 身長も一六五センチと高く、何もかも正反対である。

 だが、不思議と馬があった。

 家が隣同士の幼なじみ、五歳の頃に出会い、小中高と一緒だった。

 クラスは残念にも高校で離れたが、交流は廃れることなく続いていた。

「こだま、部活は?」

「剣道部は休み~ほら、例の殺人事件で放課後の部活中止になったのよ」

 ああと、壱子は納得するように頷く。

 ほんの三日前、高校より遠くない場所で殺人事件が起こった。

 被害者は一八歳の少年二人。

 噂では惨たらしく殺されたとあるが真偽は不明。

 犯人は未だ捕まっていないことから、次なる犠牲者を出さぬため警察が日夜パトロールしている姿を度々目撃していた。

「物騒よね」

 学校側が安全性を配慮して放課後の部活を中止にしたのは妥当な判断であろう。

 いくら防犯カメラがあろうと、あくまで事後の想定。

 身を晒すことを厭わない犯行を行おうならば犯罪抑止になりはしない。

 けれども<目>があるのと、ないのとでは犯罪発生率に開きがあるのもまた現状であった。

「まあ犯人と出くわしたら、私の竹刀でぶちのめしてあげる!」

 幼なじみの勇ましい発言に、壱子はほくそ笑む。

 こだまは可愛く見えて剣道の有段者だ。

 中学時代は全国大会において個人戦三位入賞を果たした。

 そこら辺の下手な男子より見かけとは裏腹に強いのは折り紙付きだ。

「なら、その時が来たらお願いね」

 信頼が自ずと顔を綻ばせた。


「困ったわね」

 中空に指を走らせる壱子は困惑した。

「どっしたの?」

 こだまが前髪の三つ編みを揺らして顔を覗かせる。

「まったくメールの返信がなければ、通話すら出ない」

「珍しい~」

 口をOの字にして驚くこだまはむしゃむしゃとドーナッツを食べる。

 小腹が空いたからと先ほどコンビニで購入したものだ。

「試しにかけてみよう」

 ドーナッツを残らず咀嚼したこだまは、左耳に携帯端末を装着した。

 人差し指程度の大きさで、湾曲したアームを持つ立方体。

 その名はパーソナル・リンクス。

 拡張現実型情報通信端末と呼ばれる携帯量子機器。

 これ一台で、通話から電子メール、撮影、インターネットの閲覧など、登場と同時にスマートフォンに置き換わる社会現状を巻き起こした。

 最大の特徴はこの携帯端末、入力に必須なディスプレイやキーが存在しないこと。

 キーを押し込むトルグ入力も、指を滑らすフリック入力も必要としない。

「ふむふむ~本当だ。出ないね~」

 こだまは目を空中で泳がせる。

 次いで右手をあご下まで掲げればせわしなく宙で動かした。

 今、こだまの網膜にはパーソナル・リンクスにより仮装キーボードが投影されている。

 これこそがパーソナル・リンクス最大の特徴である。

 人体と機器を量子通信で繋ぐ。

 一昔であれば、人体に中継機を外科手術で埋め込まねば不可能だと唱えられていた。

 ただ装着するだけで使用できるなど魔法だと世界は衝撃を受ける。

 電子データをパーソナル・リンクスが視覚、聴覚、触覚を騙すことで現実にあるよう知覚させる。

 量子通信による視覚情報の入力と仮装アイコンの網膜投影により、物理的な入力機構を必要とせず、網膜に投影された仮装パネルに指を走らせるだけでいい。

 使い慣れた者の中には、視線ではなく思考だけで入力を行えるなど、操作性が高く、今では一人一台と既存のスマートフォンに成り代わっていた。

「あれ? 注意報出てる」

 パーソナル・リンクスにインストールされた通学安全アプリが注意報を知らせてくる。

 学生に通学の安全をと、開発されたアプリケーションであり、事故や事故により通学路が通れなくなった。電車が止まった。通学時に起こる交通トラブルを瞬時に伝達させ、同時に安全なルートを掲示する。

 こうして掲示できるのも各地に設置された防犯カメラより得た情報を瞬時に解析している故であった。

「何々~え~ケンカ、こわ~?」

 どうやらここから三〇〇メートル先でケンカが発生しているようだ。

 巻き込まれぬよう安全な迂回ルートが網膜に展開された。

「あれ、壱子? そっち危ないって出てたでしょ?」

「ちょっとね」

 後ろから小走りでおいかけてくるこだまに、壱子は振り返らず返す。

 女の勘が向かえと囁いている。

 いや、向かわねばならなかった。


「ぐっぐうっ!」

 警察官は頭部を両手で挟まれ苦悶の声を上げる。

 応援に駆けつけた警察官たちが、万力のように頭部を掴み上げる人間を総出で引きはがしにかかっていた。

 掴むのは晴天の日にフード付きコートを着込む人間。

 深く被ったフードにより男女か分からずとも、確かなのは万力のように締め上げる手を頭部から離そうとせず、ミシミシと不吉な音を喧噪に混じり響かせている。

「おい、離せ! 離なさんか!」

 怒声が飛ぼうと、コートの相手は聞く耳持たず。

「おいおい、いったいなんなんだよ?」

 警官の群に突き飛ばされた零司は困惑しながらぼやくしかない。

 理由は分からぬまま唐突に応援を呼ばれた。

 応援が現場にたどり着いたと同時、降って沸いたコートの人物が零司に絡んでいた警察官の頭部を万力のように両手で掴み上げた。

 そして、警察官総出で引き剥がさんと対応している最中であった。

「警官になんか恨みでもあんのか?」

 砂埃で汚れた臀部を手で叩きながら零司は状況を把握せんとする。

 警察は何かと逆恨みされやすい職業である。

 逮捕で恥をかかされた、警察に注意を受け周囲から失笑を受けたなど些細なことが憎悪の種火となる。

「そういや、どこの国だったかな、マフィアの子供を警察が捕まえたら、報復にロケットランチャーを警察署にぶち込まれていたな」

 かつての経験を思い出として耽る零司だが、警察官の苦悶声に現へと意識を戻す。

「ん~まあ、後味悪いから助けとくか、借り作っておくのも悪くないし」

 ミチミチと不吉な音が掴まれた警察官から響いている。

 だから、零司は左腕に装着した腕時計のベゼルを右手で掴めば、右に三回、左に二回と回していた。

「はっ、とおっ!」

 後退して距離をとった零司は、そのまま警察官の群めがけて駆け出す。

「せいやっ!」

 威勢あるかけ声が警察官たちの喧噪を貫く。

 警察官たちの頭上に影が走った時、警察官掴む人間の後頭部に蹴りが放たれていた。

「とっ、とりゃっ!」

 男の後頭部を起点に、零司は身体をひねって第二の蹴りを右から左に薙ぐように放った。

 背後からの完全な不意打ちに、警察官を掴んでいた人間はよろけ、蹴られた衝撃で頭部掴む手を離していた。

「せいっ!」

 宙で一回転した後、零司はきれいに着地する。

 同時、いつの間にか集った野次馬から拍手が漏れるも、一度沸いた警察官の喧噪にかき消された。

「こいつ、暴れるな!」

「な、なんて、馬鹿力、うおっ!」

 六人掛かりの警察官が人間一人を抑えにかかるも、降り重なった落ち葉をどかすかのように、軽々と撥ね除けられた。

 四方に警察官が倒れ込む中、コートの人間は零司に両手を広げて突進する。

(やっべ、間に合わないっ!)

 使用後の反動で次なる動作が間に合わない。

 コートの人間が零司の左腕を腕時計ごと掴む。

 尋常ではない力強さが怖気の電流として左腕に走った時、コートの人間は弾かれるようにその手を零司から離していた。

 掴んでいた手は悪寒に晒されたように震えさせている。

 そして零司は目を合わせてしまう。

「っ!」

 コートの隙間から覗く尋常ではない獣のような目と。

「ま、待て!」

「お、追え、追うんだ!」

 コートの人物は踵を返し、その場から走り去っていた。

 当然のこと、起き上がった警察官たちは口々に指示と怒声を飛ばす。

「なんだったんだ?」

 零司はぼやくように後頭部を掻く。

 追跡は警察の仕事だが、走り去るコートの人物の姿はもう見えない。

 どこか速すぎるなと、直感はした。

「それにあの目……」

 色々な人間と出会ってきた身。

 野生の獣染みた目を持つ人間など生まれて初めてだ。

「カラーコンタクトにしては生々しかったな」

 ファッションの一環としてその手の道具があるのは承知の上だが、生々しすぎる。

「お前の蹴りも生々しすぎるぞ」

「おっ?」

 生々しさを体感した後、後頭部を掻く零司の手に作り物の触感が冷たく走る。

 見れば、スーツの中年男性が零司の横に立っては手錠をかけていた。

「話はパトカーの中で聞いてやる」

「むさいおっさんじゃなくてミニスカの婦警にしてくんない?」

「猥褻罪でぶち込むぞ?」

 苦笑する男性に零司は歯をむき出しにして笑った。


 零司はついに待望の友人知人と再会した。

 ただし、その手に手錠という形であるが。

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