第七章

第七章

「あーあ、今朝もダメかあ、、、。」

マークは、今日も一口二口しか食べてくれなかった朝食の食器をもって食堂に戻ってきた。

同時に、杉三が、ソーセージをむしゃむしゃ食べているのを見ると、なんだか恨めしく見えた。

「あ、お先にい。その顔を見ると、今日もダメだったかいな。」

マークは黙って頷いた。

「杉ちゃん。こんな時に、うまそうに大食いしないでもらえないかな。なんだか、食べられない水穂さんのほうがかわいそうになったよ。」

「あ、そう?すまん。なんだかマークさんまで全体主義的なところが出てきちゃったんかね?」

「いや、日本と違って、なかなかそういうことはないけど、僕は個人的に、どうも彼がかわいそうでならないのですよ。もう、一口二口食べたらそれでもういいと言い出して、おしまいですからね。わざと食べないという感じではありません。事実通り、もうよくなってしまうんでしょう。これでは食事を味わうということは、まるでできないわけですからねえ。」

なるほど。西洋人らしい考え方だった。日本人であれば、たべさせてやっているんだから、こっちの事を考えろとか、そういう負の面を打ち出して、無理矢理食べさせるなどをしてしまうが、ここでは、本人がかわいそうだと、純粋に同情することを持ち出す。

そういうほうが、弱い人にとっては、文字通り「生きやすい」世の中であることは疑いない。だれだれのおかげで生かせてもらっている、という考えは、感謝というより、心の負担である場合が多いからである。

「そうかい。そういう考えが、日本でもしっかり普及してくれればいいんだけどねえ。日本は、古いのと新しいのがごちゃまぜで、もう、しっちゃかめっちゃかだからよ。どっちにもなれないってのが現状かな。それじゃあ、古臭い国家のままでいたほうが、よかったのかもしれないと思うことはよくあるよ。」

杉三は、紅茶をがぶ飲みして、でかい声で言った。

「まあ、しかたないかね。歴史の先生なんかはよ、江戸時代までで、ストップしてれば、もうちょっと楽に生きられたんじゃないかって、言ってたこともよくあるよ。あーあ、日本の歴史は複雑だなあ。」

「まあねえ。王朝がころころ変わっている国家に比べたら安定していると、思っていたんだけど、そうでもないのかあ。確かに、長年変わらない文化だったからこそ、急におかしくなったと言えなくもないなあ。」

「おう、マークさんいいこと言う。その中で、一番困るのは、水穂さんのような人なわけだよ。いいか、急激に変わりすぎて、その不満と嫌がらせは全部そっちのほうへ向き、思わぬとばっちりを食う。」

二人はそう言い合いながら、ソーセージを食べあうのだった。それが、何とも皮肉だった。

「水穂さんのような人ですか。それ、ある意味うちのヨーロッパでも、ロマ族とかユダヤ人とかであれば、似たような経験してるんじゃないでしょうか?」

「あ、まあ、そういうこっちゃな。どこにでもいるってことだな。そうやって、犠牲になるしか、価値のない民族。」

杉三はでかい溜息をついた。

「そうですね。そういう人を個人としてみてやれと、法律で制定しても、長年の歴史のせいで、そうはいかないんでしょうね。」

「おう。それは、本人が一番よくわかっていると思う。だからこそ、ご飯を食べようという気にもならんということじゃないかな。ところでさ、おとらちゃんはどうしてる?」

不意に杉三にそう聞かれて、マークは一瞬驚くが、

「あ、ああ、あれなら、部屋の中でふてくされて寝ているよ。もう、一回爆発すると、鎮火するのに時間のかかる女だから。今までは、止めようと間に入ったこともあったけど、そうすると余計に怒鳴りだして、騒ぎが大きくなるし、近所の人からの苦情もあって、今は手を出さないで放っておいている。」

と、あきらめきった感じで答えた。その口調から、何回か止めようと試みたが、いずれもだめだったということが見て取れた。

「だけど、あきらめてはならんぞ。何よりも、兄ちゃんであることを忘れてはならん。もしもなあ、だれかがもらってくれるならまた別かもしれないが、その見込みは全くないのなら、いつか必ず一人になるって時が、必ずやってくるんだからな。説教臭い話かもしれないけどよ、それは事実だぞ。備えあれば憂いなしとはいうが、一つか二つ、生きるヒントというものは、伝えておかなきゃいかん。」

「はあ、杉ちゃんすごいこと言うなあ。今どきこっちではそういう、将来がどうのこうのなんて、説教をする人間はほとんどいないよ。テロが多いから、将来の事を考えてもあまり役に立たないとか言って、今を充実させるほうが大切だと言って。」

「国の事情はどうであれ、人間誰でもそうなるようにできてるさ。それを食い止めるには自殺するしか方法はないぞ。だから早く、何とかしてやりな。」

「うん、、、。」

マークはがっかりと肩を落とした。


一方そのころ。

ぼんやりとしたというか、というより意識が朦朧として、水穂は客用寝室で寝ているしかなかった。もう、時間も何もわからなくなって、天井にかかれたシミが、花の絵のようにみえる、なんて考えていた。

突然、ギイと音がして部屋のドアが開く。

「水穂さん。」

声を掛けたのはトラーであった。でも、反応は返ってこなかった。

「ヤギのチーズよ。食べる?」

トラーは、ヤギのチーズをフォークでグサッと突き刺して、水穂の口元までもっていった。

でも、、、反応しなかった。

「食べてよ。」

ちょっと強い口調でもう一回言うと、やっと疲れた目をこっちに向けてくれたというか、やっと動き出したというような感じで目を動かした。

「食べてよ。」

そっと話しかけると、あ、あ、と声を出して、やっと首を動かしてくれた。

「食べてよ!」

もう一回、叱るような口調で言うが、

「な、、、に、、、?」

と、蚊の泣くような声が返ってきた。

「食べて!」

「黄色い、、、塊、、、?」

どうやら食べ物と認識していないらしい。事実、目の前にあるヤギのチーズは、黄色い塊ではなくて、白か、目の良い人にはグレーの塊と映るが、口にしたのは黄色い塊という言葉である。つまり、感覚がおかしくなってしまったのだろうか?

もしかして!と、トラーは確信し、部屋を飛び出していった。

「そうだけどねえ、今はいくら計画的に将来どうのこうのとプランを立てても、テロが多いので、それのせいでもうおしまいになってしまうことが多くて、あんまりそういうことは考えないんだよね。」

「まあな、確かに日本と違って、多少危険な民族もあるんだろうな。言葉だっていろんなのを使う人がいるだろうしな。でもなあ、やっぱりある程度は考えて置いたほうがいいと思うがなあ。偶にはそういうこと言って、甘えるなと叱ることも大切だぜ。」

食堂では、マークと杉三が、ソーセージを食べながらそう話していたところ、トラーが血相を変えて飛び込んできた。

「何だ、どうしたのおとらちゃん。そんなに慌てて。」

「いいからお兄ちゃんも、杉ちゃんもちょっと来て!早く!」

「おい、落ち着いてしゃべりなさい。まず、何があったのか、ちゃんと話してから、結論をいうもんだ。そうじゃないと、相手には伝わらないよ。」

「落ち着いてなんかいられるはずがないわ、とにかく早く来て!よ、様子が変なのよ!」

「様子が変って、誰の?」

マークが面喰った顔でそう応答すると、

「うん、わかったわかった。わかったからすぐ行こうな!」

杉三が急いでそれをとめて、トラーの後について部屋を出て行った。マークもなんだなんだと言いながら、それを追いかけていった。

トラーにくっついて客用寝室に飛び込むと、水穂がいつも通り眠っていた、というか、エアコンのほうをおかしな目つきで眺めていた。

「おい、何を見てるんだ?エアコンに何か用でもあるんかいな。」

杉三が声を掛けるが、反応は全くない。

「答えろ!」

ちょっと声をでかくしてそういうと、やっと杉三のほうを見るが、はっきりと杉三のほうを見ているというわけではないようである。

「重た、、、い。」

「は?」

おかしなこと言うなあとおもって、杉三は首を傾げた。ちょうどその時、遅れてやってきたマークも部屋に入ってきて、

「どうしたんですか?気分でも悪いとか?」

と、聞いてみたが、答えはない。

「だから、エアコンを眺めて何をしたいんかと聞いたんだけどな。重たいという言葉は、答えにはなっておらんな。そういう時は寒いから電源を入れろというべきなのではないのかよ?」

再度、杉三が問いかけると、

「重たい体だと、、、。」

と、弱弱しい呟きが返ってきた。

「馬鹿野郎!そんな頓珍漢な答えで通じるわけないだろう?エアコン眺めて、体が重いとつぶやく馬鹿がどこにいる!」

杉三が怒鳴ってくれたおかげで、マークもトラーも、二人のやり取りが、ちゃんと質問と答えになっていないということが分かった。

「杉ちゃんは、あいまいにしないところがいいな。これで状況がよくわかったよ。たぶんきっと、衰弱しすぎて、思考力も落ちたんだろうな。」

「うん、これはまさしく。このままだと、確実に死んでしまうぞ。早急に何か食べてもらうことだな。何でもいいから、早く何か食わせなきゃあ。」

なぜか欧米人のマークよりも、日本人の杉三のほうが、直接的な言い方をしているのが、何とも風変わりであった。

「まあ、それはそうだ。だけど、弱っている人に、いきなり大掛かりなものを食べさせるのも、かえって危ないと聞いている。はじめは口に入りやすい、食べやすいものから始めて、少しずつ慣らしていかなくちゃ。」

その通り、大掛かりな肉魚などをいきなり食べさせると、弱っていた内臓がうまく働かなくて、ショック死する可能性もすくなくなかった。

「じゃあ、どうしたら?とりあえず、ポカリスエットみたいな、そういうものを出せばいいのかしら?」

ちなみにポカリスエットは、ヨーロッパのサッカーチームなどで、栄養補助飲料として、普通に飲まれていた。

「まあ、それはそうだが、今の季節には寒すぎるんじゃないかな。やっぱり暖かいものがいい。日本では葛湯か重湯、あるいは蕎麦湯みたいな、そういうもんが手っ取り早く出されるが、ここじゃあ、材料になりそうなものが何もないな。くず粉なんてないし、ここのお米では重湯が作れそうにない、それ、」

「杉ちゃん、そば粉なら多少手に入るかもしれないよ。最近健康ブームということもあり、そば粉ケーキとか、そば粉のガレットのようなものが流行っているので、作りたがる人も多少はいるんじゃないかなあ。」

マークが、杉三の発言をさえぎってそういった。確かに、最近のヨーロッパでは、健康食品ブームというものがあって、日本や中国などの古い食品が、お菓子や食事の材料として、用いられることが流行っていた。

「まあねえ、でもそば粉だけでは、蕎麦湯は作れないぞ。そばをゆでなきゃいけないから、そのそばというもんを作るほうが先だぜ。もちろんそばだって、栄養価にしては抜群なのだが。」

杉三が、そばについて、説明を始めると、

「わかった、あたし買いに行ってくる!」

トラーが弾丸のように部屋を飛び出していった。

「おい、こら待て!まだ説明終わってないんだけど!」

と、杉三が止めても聞こえていなかったらしい。玄関のドアはバタン!と閉まってしまった。

「あーあ。まったく。ああして人の話も聞かないで、思いついたらすぐに飛び出すから、困ったもんだ。とりあえず、ポカリスエットが冷蔵庫にあったはずなんだけどな、ちょっと探してくるよ。ここで待ってて。」

マークは、台所に向かって小走りに急いでいった。杉三はその場に残った。

「水穂さん。大丈夫?」

そっと声をかける。

「すぎちゃん。」

「やっとわかってくれたかあ。気が付くのに、どれだけ時間がかかったと思ってるんだよ。」

「体が、重たすぎて、何もする気にもならないよ。」

「じゃあ、ご飯を食べる気にもならないというのかよ。」

杉三がそう聞くと、そこで返答は止まった。

「どうなんだ?」

返答はない。

「答えろ!」

「ならな、、、い。どうせ、生きていたって、仕方ないもの。」

「馬鹿野郎!それを言ってはならんよ。そんな我儘な台詞、口にする奴がどこにいる!そんな事したら、神様に、わがまま言うなとひっぱたかれるわ。」

叱責すれば、改心してくれるかなあと思われたが、その見込みもなさそうだと杉三はため息をついた。

「もうなあ、外国まできて、そんな我儘を口にするとは、お前も問題児だなあ。どこの誰が、死んでもいいなんて言えるかよ!そんなこと平気で口にするのは、中東のバカげたテロリストとか、ドイツのちょび髭の独裁者とか、そういうもんだよ!」

「関係ないよ、ナチスドイツの話なんて、聞きたくなんかないよ。」

「あーあ、こりゃだめだあ。何を言っても糠に釘か。」

杉三は大きなため息をついた。数分後に、マークがポカリスエットをマグカップに入れて、持って来てくれたが、それを見ても、水穂はただの水としか反応しなかった。ポカリスエット特有のにおいも味もわからなかったようだ。


丁度そのころ。

「も、もうどうしてないの!ほしいものがどこにもない!」

トラーが、粉売り場の前で、日本語ででっかく叫ぶと、周りのひとたちが、この若い人、何をしているんだ、と変な顔をして通り過ぎて行った。

「何をやっているんだ?」

丁度そこへ、買物をしていてそこを通りかかったチボーがこれを目撃していて、

「こら、何をやっているんだ。粉売り場に当たり散らしても、周りの人にめいわくなだけじゃないか?」

と、彼女に注意した。

「ねえ、どこに行ったら買えるのよ!教えて頂戴。教えて!」

トラーはいきなり彼につかみかかった。

「買えるって、その前にほしい商品の名前を言わなきゃ、何もわからないじゃないか。落ち着いて、ゆっくりはなしてみな?」

これを聞いて彼女もやっと正気に返ってくれたようで、

「あ、ご、ごめんなさい!そば粉よ、そば粉!」

と、でかい声で言った。

「そば粉?あ、そばガレットの材料にする粉の事ね。」

「だからそれ、どこに行けば手に入るのよ!」

「こんな小売店にあるわけないだろう?そういう専門的なものは、お菓子の材料店みたいなところに行かないと、買えないと思うよ。」

「どこにあるのよ、そのお店!」

「結構遠いよ。僕も一度買いに行っただけで、あんまり道順覚えてないけど、確か、車で40分くらいかかったような気がする。」

チボーはなだめるようにそういうが、

「わかった、すぐに連れていって!」

逆に脅かされるように言われて、チボーは断ることができずに、急いでタクシー会社に電話をしなければならない羽目になった。


一方、マークの家では、杉三の脅迫するような応援と、マークの賢明な励ましにより、やっとポカリスエットをマグカップ一杯飲み干してくれた水穂を、静かに寝かしつけたところだった。

「あーあ。僕らはこれからどうすればいいんだろうなあ、、、。」

「そうだねえ。いくら何でも、ポカリスエット一杯では、体力は回復しないよねえ、、、。」

杉三とマークは顔を見合わせた。

「とりあえず、何か食べさせなくちゃ。だけど、くず粉なんてどこにもないでしょ。パリの道路にはくずという植物も生えていない。だから、くずの根を掘り出してくず粉を取るのもできないなあ。」

「杉ちゃん、本当にパンではまずいのか?」

「あー、無理無理無理無理。小麦入りのパンは絶対にやめてくれ。一度、拷問されたときに、凶器になったと聞いている。その時に、大変だったと聞いたから、これ以上怖い思いをさせる、と、いうことはしたくないなあ。」

「拷問か。いったいなんでまた拷問されなきゃいけなかったんだ?」

「こいつがな、音楽学校通ってた時の話でさ。音楽コンクールで八百長を頼まれたことがあったらしい。それを断ると、とんかつ屋に投げ込まれて、無理矢理とんかつ食わされてさ、酷いもんだったんだって。これまでに、そういうことで当たった食品は、100を超えたらしいよ。」

「あたる、というと、どういうことかな。」

「あ、日本語では、悪いもん食って、体がおかしくなることを当たると表現するらしいわ。僕、お医者さんじゃないからな、正確な言い回しなんて何も知らないけどな、お医者さんの言葉を借りれば、何とかショックというらしい。」

「そうかそうか、いわゆる、アナフィラキシーショック、とでもいうのかな。あれは確かに、フランスでも問題になっているよ。そういう人のための弁当も開発されていると聞いたことがあるが、そうなると、患者さんの体力がつかないという問題が生じてしまって、、、。でも、確かにアナフィラキシーショックで死亡したという人の話も後を絶たないし、対策が、追いつかないということなんだろうけど。」

マークは頭をかじった。

「対策をしっかり考えているだけでもまだいいじゃないか。日本では、そういう対策を考えようと偉い奴らが動いたことは、まだ一度もないぜ。だからこそ、そういう形で、拷問されちゃうの。そういう障害の怖さだって、しっかり知らされていないからな、面白がっちゃうんだよね。」

「わかったよ、杉ちゃん。じゃあ、やっぱりパンは避けたほうがいいね。アナフィラキシーで倒れると、本当に苦しいと聞いたこともあるからね。その、怖い思いをさせるのは、やめたほうがいいからね。」

マークは結論として、強制的に食べさせることはやめようと思った。そこはやっぱりかわいそうだと思ったのであるが、杉三から、当たった食品の具体的な名称を聞かされると、次第に、顔が曇ってくる。

「そうか、そうなると、食べられるもんがなにもないな、、、。」


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