天使のいた時代

 小屋に戻って来て朝食を食べてから持ってきたノラの遺品を床に広げた。ウラとハムは思い出にひたりながらそれらを整理している。


 ふたりは何度も日記を手に取っては開こうとしながらも、元の位置に戻すということを繰り返している。書いてある内容が気になるがきっと読むのが怖いのだろう。


 その気持ちはよくわかる。自分たちに対する恨みつらみが書いてあったらと思うと開く勇気が出ないのは当然だ。


 アムは椅子に座って木彫りの人形を手に持ち、静かに目を閉じていた。


「あちゃー」


「どうした?」


「そういえば旅の荷物をワイフルさんの家に置きっぱなしじゃないか」


「そうだったな」


「どの面下げて荷物を取りに行けばいいんだ」


 小道具はウエストポーチにいくつか入っているのだが、上着だったり毛布だったり保存食だったり長旅に必要な物はリュックに入っている。


「困ったなぁ」


「全て揃わないとは思いますが必要な物はこの家にある物を持っていってください」


「でも、そんなことしたらふたりが困るだろ?」


「必要な物は街に忍び込んで貰ってくりゅ」


 街の人に敬われる仙人の言葉とは思えない。


「その好意はありがたく受けよう。次の街の分までの最低限の物だけあればいいのだから」


「それでアムさんたちはいつ出発するのですか?」


「出発か。今日にでも出ようかと思っているんだが」


「え?!」


「そんなに慌てて出発しなくても」


「そうだお、いつまでいてくれても大丈夫にゃ」


「お前はさっきようやく目が覚めたばかりじゃないか。もう少し休んでからでもいいだろ」


 怒涛どとうの2日間は勘違いから街の闘士に襲われたことから始まった。その結果魔女の封印の儀式をぶち壊すことになり、魔女が復活したあげくに仙人ハムの魔獣化、魔女の正体の発覚、妖魔王の誕生、闘いの果てに英雄ヘルトの死をって幕を閉じた。


 まだ朝の9時前で天気も良く出発するには問題ないが、正直もう少し心と体を休めたい。


「わたしも休みたいのはやまやまだが、ビートレイらの組織や緑のフードの女性、それにワイフルさんが言っていた先代の聖闘女のその後も気になる。ビートレイはわたしを監視すると言っていた。つまり今後も絡んでくる機会があるんだろう。これはもう聖都でリプティに会うだけの旅ではないのかもしれないな」


 そう、確かにビートレイの言っていたことは気になる。聖都に向かっている俺たちにわざわざ警戒して監視するなんてことが必要なのか? 生まれた妖魔王をヘルトを母体にして妖魔闘士なんて者を誕生させようとした目的は?


「リプティ?」


 ウラがリプティの名を復唱した。


「ん? あぁイーステンド王国の英雄で聖シルン教団の創始者。それに初代聖闘女でもある」


 「懐かしい名前ですね。まさか人間の彼女が生きているのですか?」


 ウラは見た目の幼さと違って長寿の妖精だ。何百年か生きているのだとすれば偉大な英雄の名前くらい聞いたことがあるのだろう。


「生きているらしい。天使シルンがそう言っていたんだ」


「にゃぁーーーー?!」


 突然のハムの叫びに椅子から落ちそうになる。


「天使がいるにゃ?!」


蒼天至光そうてんしこうという神具に何百年もとらわれていたのをアムが助けた、っていうか取り出したっていうのかな?」


「どいうことですか? リプティが生きているとか天使がいるとか」


 興味と脅威の疑問を持つふたりにイーステンド王国の歴史と俺たちの体験したことを話した。



   ***



「なんとも不思議な出来事があるものです」


 終始うんうんと興味深く話を聴くウラとは対照に、ずっと緊張して聴いていたハム。


「前に聞いた話にはそんな深い部分があったのですね」


 魔女との闘いの前にここで話したときには、アムとエイザーグのことがメインで、天使シルンやリプティの名前は出さなかった。


「それでリプティのことだが」


「リプティですね、はい。彼女はこの地に法術を広めた人です」


「なんだって?!」


「それはいつだ?」


「今から500年くらい前でしょうか。ハムにゃんがこの地に来る100年以上は前だと思います」


「ウラはいったい何歳なんだ?」


「ラグナさん、女性に年齢を聞くなんてデリカシーがないですね」


 デリカシーという単語は聞いたことは無いけど言っていることはわかった。


「妖精は法術を使わなくても少しなら精霊と交信する能力を持っていました。その力で人間たちとは違う文化で生活していたのです。ですが闘う力においては肉体的に劣っていますし、交信して得た精霊の力は相手を殺傷するほど大きな効果はありません。人間の他にもいくつも種族がいますし、私たち森の妖精はだんだんと住み家を追われていったのです」


「その頃は他種族とはうまく共存できていなかったのだな」


 今は敵対心、警戒心を持つ種族間でも、それなりの距離をとってうまく共存している。


「そうですね、私たち森の妖精族は他種族だけでなく獣に対抗する手段もとぼしく、食糧の確保も難しかったのです。そんなときにリプティが現れました。彼女は他種族に比べて力のない私たちに法力呪術を教えてくれました。この時代では当たり前のものとなっていますが、法具を媒介ばいかいに精霊に働きかけ自らの心と体で法術を錬成し、その力を行使する。当時としては神の御業みわざと思われるものでした」


 500年前とはそんなに遠い過去ではない。法術とは比較的最近広まったのだった。


「もともと精霊との繋がりのある私たちはすぐにその力を操ることを覚えました。のちに法術は他種族にも広がりましたが、リプティがそうしたのかはわかりません。ただ、法術において他種族よりも1歩も2歩も先んじたことと、その能力に適していたこともあって、力を拮抗きっこうさせることで種族は繁栄していくことができたのです」


「それでリプティはどうしたんだ?」


 リプティ本人の動向が気になるアムに対してウラは首を横に振った。


「リプティが里にいたのはほんの数年ほどです。私たちが法術を身に付けると彼女はどことも知れず去っていきました」


「イーステンド王国が今の国になったのは約400年前。約100年のあいだリプティはなにをしていたのだろうか?」


 アムが首をひねっていると、ウラは思い出したように付け加えた。


「リプティはよくこんな風なことを言っていました。『私には崇高な使命がある。その使命のためにここに来た』と。去り際には『か弱きこの世界の者たちのための新たな使命ができた』と言っていました」


 崇高な使命。か弱きこの世界の者たちのため。


「なんにしてもリプティのおかげで私たち種族は存続し、平和に暮らしてこられたのです。それも魔女が現れるまででしたけどね」


「でもその原因は人工聖霊創造の研究をしていたあの施設のせいじゃないか。あの施設を建てたのはいったい誰なんだよ」


「わかりません。人族であるというということ以外は」


「そうかぁ」


「ラグナ、そんなバカげたことするのは奴らしかいないだろ。わからんか?」


「え?」


 何百年も前の事件のことなんて俺には知るわけもないが、アムは自身ありげな顔をしている。


「キミも当事者ではあるのだがな」


「当事者? 俺が?」


蒼天至光そうてんしこう、あれは神がもたらした神具ではなく、聖都が実験のために作ったものだった。わたしたちはその実験の被害者であり当事者だ」


「あぁ!」


 合点がいった。確かに人工聖霊創造とか途方もないことをやるのは聖都以外他にない。


「あの施設の研究のおかげで様々な法術の応用が生まれました。おかげで人族も妖精族も獣たちの脅威に怯えずに、豊かに暮らせるようになったのでみんな感謝していたのです」


 ウラは複雑な心境だろう。


「ノラが魔女となったことは事故だったのかもしれないが、そもそもそんな実験をしなければノラが魔女になるなんてことはなかったんだ」


「聖都から来たリプティが法術を広めたのも、妖精を助ける為でもなく、獣達から身を護るためでもなく、なにか別の理由があったのかもしれないとさえ思えてくるな」


「そういえば仙人様が天使のことを」


 そのワードを出した途端またしてもハムがびくりと体を震わせた。


「なにか知ってるんですか?」


 その質問にハムは緊張したまま答えた。


「ぼくがまだ聖都を囲む四大王国に住んでいたときのことにゃ。空には翼を生やした者が飛び人間と闘っていたのにゃ」


「なんだって?!」


 天使シルンが言っていた。遠い昔に天使と人間の闘いがあったと。


「おじいちゃんから聞いた話だとおじいちゃんが生まれた頃はまだ四大王国もなくて、妖精や獣人たちは人間に手助けしてもらいならが生きていたにゃ。天使は人間を警戒してたみたいだけど敵対はしてなかったから戦争はしてなかったらしいお。そんな中でみんなひっそりと暮らしていたにゃ」


 ハムは今でこそ聖霊体となっているが、生前は天使と人間の闘いという過酷な時代を生きていた。それはハムの態度を見れば伝わってくる。


 ハムは人間だったら顔面蒼白であろうと思える表情で話を続ける。


「聖都のまわりに4つの国ができた頃から闘いが始まったにゃ。天使は人間たちや獣たちをいっぱい殺したのにゃ。おじいちゃんもぼくの前で殺されたんだお。天使たちはすごくすごく強くて、それでも人間や獣たちは闘っていていっぱい殺されていったにゃ。でも……」


 そこでハムの声のトーンが少し上がった。


「5人の闘士と4匹のおっきな獣が現れてから状況が変わったのにゃ。天使はどんどん狩られていってぼくが冒険に出るころにはもう天使を見かけることはなかったにゃ。だから安心して冒険に出ることができたんだお」


 ハムの話が本当なら天使とはなんと恐ろしい種族なのか。シルンだけで天使を知った風に思ってしまうのは危険だ。イーステンドでシルンの面倒をみているリナさんやクレイバーさんは大丈夫なのだろうか。


「うむ、こんなことなら天使と人間についてシルンからもっと聞いておけば良かったな」


「でも仙人様がここに来るころには天使はもういなかったんだろ? シルンには悪いけどそんな恐ろしい種族は消えてくれて良かったよ。何者か知らないけど5人の闘士と4匹の獣に感謝だな」


 魔女に妖魔王、それにエイザーグなど現れるこんな世の中ではあるが、天使なんて奴らが空を飛び回っていることを考えればましなのかもしれないとさえ思う。


「ますます興味が湧いてきたじゃないか。早くリプティに会ってその辺りの話も聞いてみたいものだ」


 出発する気満々のアムにウラはひとつ提案する。


「ならせめてもう1日だけでも泊まっていってください。この3日間寝っぱなしでしたし今夜くらいはそれなりの食事をしてノラとヘルトさんたち街の人たちの鎮魂ちんこんと今後の平和を願いましょう」


「うんうん、そうしよう! ぼくが狩りをしてウラたんが料理するお」


 ハムは小さな体で力強いポーズを作って見せる。


「ならそのあいだに出発の準備をしておくかな。もう少しで終わりそうだが、続きはその後でもいいだろう」


「アムは座っていただけで遺品の整理をしていたのはウラたちじゃないか」


「ふふふ、そうだな」


「ではまずは上着になりそうな物を用意しましょう。私たちのでは小さすぎますからね。棚に使ってない薄手の毛布があるのでそれを仕立て直せば使えると思います」


 アムとウラは隣の寝室に入って行った。


 ふとハムを見るとハムもこちらを見ている。


「な、なんですか?」


「ひまにゃ?」


「えぇ、まぁ」


「なら一緒に夕食を取りに行くにゃ。森の中は美味しい食材の宝庫でしゅ」


 どんな妙ちくりんな草木を採取するのか心配ではあったが、なにもせずに飲み食いするわけにはいかない。俺がハムに付き合うこと決めたとき、


「誰か来たみたいにゃ」


 ハムの言葉を聞いて窓に駆け寄った。


「まさか街の人たちがっ?」


 ヘルトを殺したアムを狙って報復にやってきたのかもしれないと思い、俺は身構えながら目を凝らして外を覗いた。

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