魔女の成り立ち
あれから2日が過ぎた。
酷く傷ついたアムを連れて森の小屋に戻ったハムは、復活した聖霊仙人の能力による水の癒しと地の活力を施した。それによって体の傷と失った体力は戻ったはずなのだがアムはいまだ目覚めない。
たまに苦しみの唸り声を出したりベッドの上でもがいたりすることがあり、その度に肝を冷やすが3日目が終わろうとする今ははそういったことはなくなっていた。
ハムの診断によると、取り込んだ妖魔王の念がアムの中で暴れているという。その念を心力と魂が処理している。つまりアムは今でも闘っているのだ。
アムの意識が無くなってからリンカーも反応がないのは、きっとアムの中で一緒に闘っているのだろう。アムの横に並び立つことができるようになった反面、今一緒に闘えないことがもどかしい。
街の人たちは魔女と妖魔王が消えたことで、長きにわたる使命から解放された。
天候も良く平和を実感するに相応しい日が続いているはずだが、きっと俺たち同様に街の人たちの気持ちも沈んでいるだろう。
ウラとハムもノラの仇である魔女がノラ自身だった事実を、いまだ受け止められずにいた。
日が沈みかけた頃、軽い食事を済ませた俺は、アムが寝るベッドの横で彼女の様子を見ていたが、いつのまにか眠りについていた。
小さな物音に気が付き目を覚ますと薄明かりが入る窓の横でアムがよろけて壁に寄り掛かっているのが目に入り一気に目が覚める。
「意識が戻ったのか!」
「起こしてしまったか、すまない」
「そんなことはいいんだ。それよりもアムは大丈夫なのか?」
「心配かけたようだな、わたしは大丈夫だ」
上手く歩けない状態で大丈夫とほほ笑むアムだが、彼女も元気とは言えない。
そばで寝ていたグラチェも起きてアムを支えるように頬をすり寄せる。
アムの腕を取ってベッドに座らせてからコップに水を注ぎ渡すと、彼女はそれを一気に飲み干した。
俺がアムの横に座ったところで彼女に質問を投げかけた。
「取り込んだ奴の力はどうなった?」
「様々な負の念が混ざっていたから寄り分けて悪意ある念は押しつぶして取り込んでいる。エイザーグのように目的を持った明確な念は少ない。この地で起こった闘いで散っていた森の妖精や闘士たち、巻き込まれた人や獣の無念は浄化しているが、全て処理するにはもう少し時間がかかる」
イーステンド王国の人々の邪念に続き、この地に眠っていた邪念の集合体だった妖魔王をも飲み込んでしまって本当に大丈夫なのだろうか?
「ウラとハムはどうしている?」
「あの事実はさすがにショックだったようで、アムの治療以外はほとんど動かないししゃべらない。夜はすすり泣いてる」
「無理もないな」
「なんでアムは魔女がノラだってわかったんだ?」
「研究施設を探索していたときに実験場と思われる場所が酷く破壊されているのを見つけたんだ。施設を襲った魔女がなぜその場所を徹底的に破壊したのかはわからなかったが、そこから続く破壊された道を見つけて奥に進んだ地下でノラの部屋を発見した。その中でノラの遺品となりそうな木彫りの人形を見つけたんだ」
アムはそのことを思い出したのか眉を寄せて目を閉じた。
「人形を手に取ろうと触れたとたんに猛烈で膨大な悲しみの念が流れ込んできた。そして理解した。その念はノラが切り捨てたものだと。そのとき一緒に記憶の断片が見えたんだ」
隣の部屋でカタンと小さく物音がした。俺はアムの話に耳を傾けていたため気に留めなかったが、アムはそこで少しのあいだ言葉を止めていた。
「……最初は施設に乗り込んできた魔女が実験場を破壊して施設の奥の部屋の人たちを襲ったのだと思っていたのだけどそれは反対だった。魔女とは怒りの念の
「そういうことだったのですね」
隣の部屋からウラとハムが現れた。
「話すかどうか迷っていたのだがな」
「ノラが魔女だったと知ってしまったのだから今さらですよ。ならば本当のことが知りたいです」
「知りたいにゃ」
「そうか、ならわたしに流れてきたノラの記憶を話そう」
ウラとハムはテーブルの椅子を持ってアムの前に座った。
「ふたりはノラがどういった研究をしていたか知っていたか?」
「知らないにゃ」
「私も知りません。ただ、人々の役に立つ研究だということしか」
「ノラがたずさわっていたのは人工聖霊創造計画。その実験体だったらしい。実験体だとわかったのは計画が終盤を迎えた頃だ。この計画が完了すればハムや友人たちと一緒に過ごせると思い頑張っていたんだが、もう一歩のところで研究は完成しなかった。その理由はノラが精霊を支配するという欲求が足りなかったということはわかっていたが、それは本人の性格だからな」
「そうですね」
ウラはうなずいた。
「優しく穏やかで臆病なノラには精霊を支配するという強い思いは持てなかったのでしょう」
「うむ。そうこうしていうるうちに月日が流れ、ノラにとってとても悲しい出来事が起きてしまった」
俺の前に座るふたりが、はっと肩を震わせた。
「それは、大好きだったハムが別の者に恋をしてしまったことだ」
ウラとハムは横目で視線を合わせたあとにうつむいた。
「その相手がウラだと知ったノラはこれまでにないほど欲求と支配欲が強まり、結果として人工聖霊創造計画は一気に進み完成を間近に迎えることになるの。しかし、今までになかったその強い思いが急激に膨らんだためにコントロールができず、嫉妬心から負の感情が爆発的に増大してしまった。負の感情のままに荒れ狂う力に恐怖を感じながらもなんとかその衝動と行動を抑制していたのだが、深い悲しみにさいなまれたノラはついに悲しみの感情を切り捨てることで精神を開放してしまう」
「聖霊の力が裏返ってしまったのですね。そしてノラは魔女となってしまったと」
「そうだ。魔女になった彼女は、ハムや友人との時間を奪った施設を破壊し、研究員も殺してしまったというわけさ」
ハムとウラは言葉なくうつむいていた。まさか自分たちがノラを魔女にしてしまったなどとは考えもしなかっただろう。アムがこの事実を話すか迷っていたのは当然だ。このことをふたりは受け止められるのだろうか?
そんな心配をする中でウラが口を開いた。
「私たちのことをノラが知り、ショックを受けていたことは気が付いていました。なので私たちは気持ちを抑えてきたのです」
「その頃からウラたんはヒゲを付けるようになったんだお。そのあとすぐに魔女が現れて長い長い闘いの日々が始まったんだにゃぁ」
「ノラの心を傷つけてしまったまま彼女を失った私たちは、ノラの仇と思っていた魔女を討つことに尽力し、自分たちの心を押し殺してきたのです。その魔女がノラ自身だとも知らずに」
涙を流さずとも、ふたりがどれほど苦しんでいるかが伝わってくる。魔女の正体がノラだと気付いたにもかかわらず、結局彼女を救うことはできず、ノラは妖魔王によって喰われてしまった。
「許されるはずはありません。最初から魔女がノラだとわかっていれば、その怒りの欠片でも晴らしてあげられるのならこの命を差し出したのに!」
「だがノラはそんなことは望んではいないさ」
激高するウラにアムは優しく言葉を返す。
「それも彼女の記憶からわかるというのですか? それを信じろと? 私たちを思ってそう言ってくれているのではないですか?」
今のウラの心情ではアムの言葉が事実だとしても信じることはできないだろう。ふたりはじっと見合っていたがアムはその視線を外して窓の外を見る。
「そろそろ夜明けだな。3人とも付き合ってくれ」
「え、どこにだ?」
アムはそれには答えず立ち上がってウラに言う。
「ウラ。少し大きめの丈夫な袋を持ってきてくれ」
アムはまだ力の入らない足取りで扉に向かった。
***
秋も深まりつつあるこの時期の深い森の中は、しんしんとした空気と冷気を感じさせた。
アムはなにも言わないが歩く方向から研究施設に向かっていることはわかった。
グラチェはアムを背中に乗せようと促しているが、アムは大丈夫だとグラチェに言い聞かせる。
ウラはハムに手を引かれて歩いているうちに、少しずつ冷静さを取り戻して俺たちのあとを付いてきていた。
「研究施設に向かっているのですね。なにをする気ですか?」
我慢できなくなったのかウラが質問する。
「ウラに頼まれていたノラの遺品を持ってくるのを忘れてしまったことを思い出したんだ。それを取りに行こうと思ってな」
「おいおい、病み上がりでまたあの中に入ろうっていうのか?」
いくら同属性のアムでもあの中で負担がないということはないはずだ。
「心配ない、無理にあの中に入ろうとは思ってないさ。でもたぶん大丈夫なんじゃないかな」
「大丈夫ってなにが大丈夫なんだ?」
なにがどう大丈夫なのかの説明はないまま歩き続ける。
数分するとハムの作った聖域に入り、さしものアムも弱った体では耐えられずグラチェに背負われることになった。
「どこが大丈夫だって?」
「わ、わたしのやる気と根性が……だ」
研究施設へと到着して正面入り口の前まで来たアムは、たどたどしくグラチェから下りて扉の前に立つ。
「ほら、おまえたちもこっちに来い」
グラチェに寄り掛かりながら手招きする指示に従って俺たち3人は足取り重く扉に向かう。
扉の前に立っても聖域の力によって中の陰力が漏れ出すことはないが、やはりあのとき扉に触れたことを思い出すと強い警戒心が湧いてくる。
アムはそのまま扉に手を掛けてゆっくりと開けた。
「うむ、それでは行こうか」
「おいおいおいおい」
なんの躊躇もせず中に入って行くアムを呼び止める。
「大丈夫だ、思った通りもうここはあの陰力に満たされた空間じゃない」
「本当かよ」
振り向くと顔を見合わせるふたりも驚いた顔をしている。
恐る恐る手を伸ばし開いた扉に触れてみるが、以前のように陰力に抵抗して鎧が発現することはなかった。なおも警戒して施設内の境界へとつま先をはわせる。つま先が境界に達しそのラインを超えたが、あの重苦しく浸食してくる陰力の感覚はなかった。
やれやれというアムの顔を見ながらおもむろに体を進ませるが、なんの抵抗もなく体は進み入ることができた。
「大丈夫みたいだ」
後ろで見守るウラとハムに伝えると、ふたりは手を繋いで入ってくる。
中は聖域と同じで澄んだ空間となっていた。
引き続きグラチェに背負われたアムが先導して入り口から右奥にある階段までやってきた。その横には破壊された大きな扉があり、暗い地下へと続いている。
「リンカー頼む」
『まっかせろ』
背負われているリンカーの柄頭が光って暗い地下を照らした。ウラも法術を使って明かりを作り、崩れかけた階段を慎重に下っていく。
壁や床にも引っ掻いたような傷が多数刻まれているのは妖魔の仕業なのだろう。
「こっちだ」
アムに案内されて行き着いた先は3つの扉のある場所だった。そのうちのひとつの扉にノラ=ヴィセイ=カイゼルと刻まれた札が確かについている。
「グラチェはここで待っていてくれ」
グラチェから下りて部屋に入るアムに俺たちは続く。
「ここで姉さんが暮らしていたのですね」
感慨深く辺りを見回すウラとハム。
ここに人がいたのは100年以上も前なのに、置かれている調度品は俺の家にあるものよりもしっかりとしている。ただ無機質な感じの物であることも相まって、あまり生活感のない部屋だった。
「となりの寝室に行こう」
「これはぼくがあげた人形にゃ!」
机に駆け寄るその木彫りの人形に手を伸ばしたハムに向かってアムは叫んだ。
「あ、待ってくれ」
木彫りの人形を手に取るのを止めようとしたが、ハムは両手でそれを掴み取った。
「う、うう」
そう漏らしたハムが振り向くと目からは大量の涙を流して号泣していた。
「うわ~ん、ノラた~ん」
「だから言ったのに」
アムは木彫りの人形を取り上げる。
「この人形にはノラの寂しさや悲しい思い、それに記憶も込められている。わたしはこれに触れたことでノラが魔女になった経緯を知ったんだ。仙人様はあの闘いで一度ノラの記憶や感情に触れていたからこんなもんで済んだのだろうけど、ウラやラグナが触っていたらその感情の激しさに木っ端みじんになっていたかもな」
笑って言っているがそれが本当なら笑い事ではない。
「さぁノラの遺品を回収しよう。かなりの数がある日記は持ってきた袋に入れるといい」
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