闘いの果てに 1

「ヘルト」


 一部始終見ていたノーツさんが膝から崩れ落ちると、後方でそれを見ていた人たちも重い足取りでこちらに向かって来た。


 すでに息の無い英雄の亡骸を見ても受け入れることのできない人々だったが、次第にその感情をひとつのモノに向けてたぎらせ始めた。


 そう、それはアムに対する怒りだ。


 悲痛な叫びと非難の声は罵倒となって、次第に行動へと移っていく。誰かが投げた石に始まり手に持つ武器が飛び始めると、もうその勢いは激化していく一方だ。


 俺はアムの前に立って投げつけられる物を弾き返すが、この行動が切っ掛けとなって街の者との本格的な戦闘へと移行しようとしていた。


 俺も含め全ての人に闘う力など残ってはいないのだが、フラフラしながらも怒りと悲しみに任せ、涙を流しながら武器を振るってくる。


「やめてくれ、これには事情が」


 こんな俺の言葉など届くはずもない。


「お前ら、落ち着け。やめるんだ」


 怒りと悲しみのぶつけ所のないノーツさんは涙を流しながらもみんなを止めようと叫ぶ。


 パシルもそれに加わり割って入るが、その顔は涙でくしゃくしゃだった。


「なんで止めるんだ、あいつはヘルトを殺したんだぞ」


 街のみんなから見ればそれは疑いようのない真実だ。


 ノーツさんの声でおさまっていた勢いも効果を無くし、ひとり、またひとりと襲ってくる人たちをどうにかさばいているが取り返しのつかないことになるのは時間の問題だった。もし、アムの身に危険が及ぶなら俺は手加減することはできないだろう。


 だが、突如人々の動きが止まった。


 棒立ちだったアムは脇腹に刺さった槍を抜き地面に突き刺す。こちらに向き直り正対するそのしぐさから伝わる重圧は、妖魔王のそれを彷彿させるものだった。


 怒りに駆られ押し寄せようとしていた者たちだったが、アムが一歩踏みよるとその場に留まることすらできず後ろに下がった。


 ゆっくりと歩き出すアムに誰一人声を上げることもできず、後ずさりによって道を作る。


 その道を無言で進むアムの後ろを俺も付いて行った。


 人々の表情は恐怖におののいている。


 グラチェとグラチェの治療にたずさわっていたウラ、そしてハムもそれに続いた。


 魔女は消え、新たな脅威となるはずだった妖魔王も滅びた。何百年と続いたその闘いは、大きな犠牲をともないながらも勝利という形で終わったのだ。だがその勝利は、この街の人々にとっての最悪の形での終わり方だった。


「ヘルトを返せ!」


 アムの放つ無言の重圧の恐怖にかられて動けなかった人々の中から声が上がった。


「俺たちの英雄を返せ!」


「この人殺し野郎」


 これは、この街のために命を懸けて闘った者へ投げかけられている。


「なにが英雄だ」


 称賛されるべきはずの彼女にだ。


「この偽物め」


「そうだ、お前が英雄なはずなもんか」


 彼女は俺の国を救った本物の英雄だ。


「ヘルトこそ真の英雄だ」


「魔女と妖魔を討ち、私たちを救ってくれた人よ」


 アムはお前たちも救ったんだ。


 すすり泣く声と再開された罵声を背に、傷つきながら力を尽くしたアムは、釈明もせず、振り返らずに歩き続ける。


 アムがこれほどの扱いを受けているにもかかわらず、リンカーさえも反論の言葉を漏らさなかった。


「英雄の名はヘルトだ、忘れるな」


「イーステンドの偽りの英雄め、俺はてめぇを絶対に許さん」


「覚えておけ、お前が殺した真の英雄の名を」


「……忘れるものか」


 ヘルトを救えなかった無念さを抱きつつ、人々の怒りや悲しみを受け止める彼女の感情はどこに向ければいいのだろうか。


 釈然としない思いを胸に、立ち去る俺たちの前に4人の男たちが立ちふさがった。それはこの騒動の元凶であるビートレイだ。こいつの登場に街の人々は再び口を閉じる。


 すかさずノーツさんがビートレイに詰め寄った。


「てめぇ、生きてやがったのか!」


 妖魔王によって全方位に放たれた無慈悲な破壊の衝撃波は、この一帯すべてを吹き飛ばした。逃げる場所はなかったはずだ。


 静まり返った場の空気を崩さない落ち着いた声で話し出す。


「お見事でした。まさかこんな結末になるなんてまったく想定外です」


 焦り顔だが口元は微妙に笑っている。


「妖魔王の誕生。そして、ヘルトさんを依代よりしろにすることで知性を持った最強の妖魔闘士を生み出すこと。ここまでが我々の計画だったんですよ」


「計画……ってことは、まさか妖魔王が暴走したって言うのは?!」


「あれは嘘です。ヘルトさんを手に入れるために私が操っていました」


 なんてことだろう。あれも含めてこいつの計画だった。


「額の法具は妖魔王の力を対象者に注ぐための物でもありました」


「ヘルトがあんな風になったのは、妖魔王がヘルトの中に入ったからだってのか?」


 まぶたを閉じてこくりと頷く。


「失敗に終わってしまいましたがね」


「妖魔闘士だ? あんな化け物が中に入って無事でいられる人間がいるわけがねぇだろ」


 ノーツさんの怒声を受け流しつつビートレイは答えた。


「まぁ無事ではありませんね、普通ならば。でもヘルトさんは普通ではなかったんですよ。彼に呪いが効かないこと知っていたでしょ? でも正確には違います。彼は呪いに対する耐性が高いのではないんです」


 ビートレイはひと通り俺たちの顔を見回してからその答えを口にした。


「なんていうか……呪いに対する抵抗が無いんです。呪いの効果はその力に抵抗する摩擦力が発する力の反力の結果です」


 さっぱりわからな。ビートレイの言っていることを理解している者がいるのだろうか?


「つまりですね、ヘルトさんはツルツルの氷だと思ってください。だから呪いに対して抵抗がなのでなんの反応も起こらない。同じように妖魔王の力を取り込んでもなんの副作用も圧力も受けることなく馴染むのです。ただ、不測の事態がふたつも起こってしまいました」


 言葉を一度止めて心底がっかりした顔をしてから続けた。


「ひとつは、妖魔闘士と化したヘルトさんがあのような暴挙に走ったこと。アムサリアさんはわかっていたと思いますが、ヘルトさんはあれほどの陰力を発していながら心も魂も正常でしたよね?」


 アムは小さくうなずいた。


「ですがその体は完全に妖魔王に乗っ取られていたのです。陰力の汚染による被害を受けない心力を持つヘルトさんでしたが、あまりに優しすぎたからか。妖魔の集合体を支配するのではなく対話することで自身に馴染ませることしかできなかったのでしょう。そのため、馴染むまでに時間を要してしまう結果に繋がりました。どれくらいの時間が掛かるかはわかりませんでしたが、放っておけば時期に治まっていたのですがね」


 妖魔王と完全にひとつになるまでの時間に仲間たちを殺戮をしていたら、ヘルトは心にどれほどの傷を負っただろうか。それをさせないためにアムはヘルトと闘ったのだ。


「そして、アムサリアさん。あの妖魔王の力を削り消しながら闘うなんてことができるとは」


『違うぜ』


「違いますよ」


 聞こえてはいないはずだがリンカーの声のあとにウラが続く。


「アムサリアさんは妖魔王を消したのではありません。その内に飲み込んだのです」


「……飲み込んだ?」


 そう、リンカーを使ってそのすべてを喰らい尽くしてしまったのだ。


「だが、ヘルトは強すぎた。仲間たちへの殺戮行為を止めるには彼の命を奪うしかなかった」


 ウラの説明とアムの言葉にはビートレイの予想の斜め上のことだったのだろう。アムをじっと眺めて観察と思考を繰り返し、理解するまでに数秒を要したビートレイは、時間が止まったようにしばらく固まっていた。

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