英雄の闘い

 「倒した……のか?」


 地獄の底から響くような轟音が止んで、風の音だけが耳に届く。


 いまだ信じられないがあの巨大で強大な妖魔王が跡形もなく消え去っている。


 ビートレイが妖魔王と呼称した異名すらかすむほどの存在は、恐るべき魔女さえも飲み込み、この街だけでなく獣に溢れるこの世界さえぶち壊すのではないかと思われた。


 だが、その妖魔王はこの街の英雄であるヘルトが放った渾身の一撃を受けて完全に消滅した。


 妖魔王が放った衝撃波を防いで辛うじて生き残った人々も、諦めかけた生を恐る恐る確かめていた。


「やったぞ、勝ったよな?」


「勝ったぞ、倒したぞ」


「俺たちの英雄が魔女を、妖魔を倒したぞ!」


 波紋のごとく広がる大歓声。いまだ晴れない低く重い陰力の中で、人々は勝利に喜び英雄を称えた。


 倒さなければならないと強く思ってはいたが、倒せると思っていなかったからなのか、俺の中ではまだ勝利の実感が湧かない。そのモヤモヤとした不安の中でその原因であって欲しくない現実を真っ先に確認する。


「アムっ無事か?!」


 サウスさんをかばっていたアムはリンカーを杖にして立っていた。妖魔王が放った恐るべき陰力の衝撃波と真正面から打ち合って立っていることは瞠目どうもくに値する。だが、アムは崩れることなく立ったまま体を震わせている。ハムもぐったりしているが意識はあるようだ。


 俺もどうにか立ち上がり辺りを見回すと、後方に退避していたノーツさんが痛々しく足を引きずりながらこちらに歩いてくる。歓喜の声を発していた人たちもそれに続いていた。


 アムの後ろで倒れているサウスさんのところにやってきたノーツさんは、サウスさんに声を掛けたあとに笑顔で抱きしめた。どうやら彼は無事だったようだ。


「アムさん、サウスを護ってくれてありがとな。あんたも俺たち兄弟の英雄に加えておくぜ」


 ヘルトと共闘して妖魔王と闘ったアムは、その闘いぶりからようやくこの街の人に英雄として認められたようだ。


 聖獣エイザーグと化したグラチェは元に戻り、貫かれた腹もウラと法術士団の人たちによって治療され、動けるまでにはなっていた。


 みんなその場に座り込んだりこちらに歩いて来たりしながら、今度こそ数百年の長きに渡り受け継がれてきた使命を完遂した達成感や解放感の喜びをあらわにしている。


 そんな中でヘルトもアムも座り込むことなくその場に立ったまま動かない。ふたりとも英雄としての矜持きょうじがそうさせるのか、はたまた……


『今ので全てを出し切って?!』


 俺の中にあるいまだ消えない不安感が示すことはこれなのか?!


 元気なときには感じることのない鎧の重さを感じながら、震える足をゆっくり進める。


 妖魔王の一撃で更地さらちになってしまった周辺を改めて見回すと、遠方にある塔も半分近く崩れ、その周りの屋敷は全壊だ。


 多くの犠牲を出したがあの攻撃を受けてこれだけの人が生き残れたのは、法術士団の決死の防御法術陣のおかげだろう。


 かく言う俺もヘルトに全精力をつぎ込ませるために壁になったわけなのだが、どうにか彼を護り切って自身も生き残ることができた。だが、なぜか俺の不安な気持ちは静まらない。


 最大の不安はアムの安否。そのアムは無事が確認できた。となればもうひとつの不安はヘルトの安否だ。まさか、立ったままこと切れているなんてことは?!


 それが確認できない限り俺のこのモヤモヤとした不安が消えず、勝利の実感が湧かない。


「おいヘルト、やっぱりお前は最高だぜ」


 ねぎらいの言葉を掛けて歩み寄っていくノーツさん。果たしてヘルトは……。


 ヘルトは声を掛けたノーツさんの方に振り向いた。これでようやく彼も無事なのだと確認できた。そのヘルトがゆっくりとした動作でノーツさんに足を踏み出した。


 ふっとアムに視線を移した瞬間、力を出し尽くしたと思った彼女が電光を閃かせるように疾走した。次の瞬間、空気を震わせる巨大な金属音が響くと、その音は連続していくつも発せられた。


 アムがヘルトに向かって歩いていたノーツさんを弾き飛ばし、猛然とヘルトに斬りかかったのだ。


 その闘うさまは妖魔王との闘いが前哨戦ぜんしょうせんだったと思わせるほど苛烈かれつなものだった。


 喜びに溢れていた人々は突然始まったこの闘いに唖然あぜんとしている。


 俺の感じていたものはこれだったのか? なぜアムがヘルトを攻撃している? これはどう見ても、この闘いの勝利を称える挨拶などというものではない。


 アムの表情は怒りではないがその気迫はエイザーグと闘っていたときと同じモノだ。違うと言えば放たれる黒く揺らめく陰力で、奇跡の鎧にそっくりだった黒き鎧は禍々しささえ感じるように変化している。


『まさか、アムは陰力にまれて暴走しているのか!』


 聖霊仙人ハムがそうだったように、膨大な陰力の影響なのだろうか。イーステンド王国中の邪念をその身に秘めた彼女にそんなことが起るとは考えられないが、この闘いによって限界を超えてしまったという可能性もいなめない。


 俺は数瞬の思考を打ち切り弾き、アムに弾き飛ばされたノーツさんに肩を貸して戦闘領域から退避させる。


「ラグナ、どうなってんだ?!」


 痛々しく顔を歪ませながら質問してくるが返せる答えは持ち合わせてはいない。


「俺にもわかりません」


 斬撃が起こす空圧に背中を押され、ノーツさんを担ぐ足がもつれてサウスさんの横に倒れた。


「みんな、下がれー、下がれー」


 事態を飲み込めないままに呆然とする街の人たちにノーツさんは下がるように声を張り上げた。


 振り向けばふたりの高速戦闘によって砂ぼこりを巻き上げられ、竜巻が包んでいる。


「喰らえ、リンカー!」


 アムの叫び。その叫びは言葉は正気を失っているとは思えない明確な意志を感じた。


「アムは、狂ってはいない。理由はわからないけど理由があって闘っています」


 なぜかはわからないがそう断言できる。


 遠間から槍を無数に突き出し前後左右に動き回り、接近されれば槍の回転力をいかして攻撃を弾き返すヘルト。


 対して、その突進力と剣さばきによって間合いを詰め、その勢いのままに力押しするアム。


 ふたりの闘いは危うい濃度の陰力が吹き荒れ、常人が近寄ることは命の危険さえともなう。そんな中でヘルトは動けるのだろうか?


 砂をはらんだ竜巻は外に広がることはなくふたりだけの戦場の境界のように囲い込んでいる。


 目が追い付かないほど目まぐるしい攻防が俺たちの鼻先に迫り、その境界で剣と槍が交錯したとき俺は悟った。


「なんでっ?」


 それは隣でそう言葉を発したノーツさんも同じだろう。


 アムはヘルトを攻撃しているのではなく、ヘルトの攻撃を防いでいるのだ。


 誰に向けられた攻撃か。それは、俺たちとその後ろにいるすべての人への攻撃だ。


 法術も法技も闘技も繰り出すことなく、誰も入り込めない超高度な高速で高機動の戦闘が何を意味するのか理解した。


 この濃密な陰力を放ち、撒き散らしているのはヘルトのほうだった。


 アムは言っていた。邪念が放つ陰力には違いがあると。概念的なもので説明は難しいが、簡単に言えば陰力の中にもプラスとマイナスがあるというのだ。


 おそらくヘルトが放っている悪意ある攻撃的な陰力はマイナスの陰力。魔女や妖魔王が持ち合わせていたもので、接する者の命にかかわるタイプということなのだろう。


 それが外へ広がらないのはアムがリンカーによって喰っているからに他ならない。


「耐えろ、負けるな」


 アムは叫んでいた。人々のために祈るように、自分のために願うように。何に対してか、誰に対してか。それは今まさに染まり消えてしまいそうなヘルトに対してだ。


 広範囲に動き回る闘いは次第に範囲を狭め、剣と槍が織りなす金属音が次第に数を増やしていく。それにともない飛び散る鮮血は増え、ふたりの決着が近いのだと知らせていた。


 俺たちはその闘いをアムに護られた場所から眺めることしかできない。


 一歩踏み入れば届く場所に居ながら、この闘いに介入することができない苛立いらだちにさいなまれ、噛み締めた歯と握り締めた拳の感覚さえうつろになっていた。


 陰力の圧力はどんどん強くなるにもかかわらず、その範囲は狭まっていく。


 普段はおだやかで優し気なふたりの表情は、鬼を思わせるほどの形相となり、その命を奪い合う闘いは荒々しくも悲しみに満ちている。


 双方の絶え間ない攻撃が繰り広げられていたが、ひときわ大きな振動をともなった音が届いたとき、ふたりの間合いが少し開く。


 一瞬に満たない時間を置いて同時に踏み出したふたりは、風の壁を打ち破ろうかと言わんばかりの速度で飛び出した。


 法術法技がいろど光芒こうぼうも、闘技が放つきらめきもともなわない地味な闘いのはずなのに、その洗練された武技は鮮烈さとそれに倍する恐怖を感じさせ、今ここに最後の交錯こうさくを迎えた。


 その突進力による衝撃が、互いを包んでいた闘気や法術の防御壁を弾けさせた破裂音を最後に、ふたりは動きを止める。


「アムーーーー」


 リーチのあるヘルトの槍はアムの脇腹を貫き、槍を伝って血が滴り落ちている。


「ゴホッ」


 だが、口から血を吐き出し倒れたのはヘルトのほうだった。


 アムの剣がヘルトの胸を捕らえていたのだ。


 倒れるヘルトを立ったまま見下ろすアム。その表情は複雑だが、一番しっくりくるのは驚きと言った感情だろう。


「すまない」


 苦しみの中でヘルトが発した言葉は小さな声だったがそう言ったように聞こえた。


「それはわたしの言葉だよ」


 吹きすさぶ風は変わらないが、重苦しく心と体をむしばんでいた陰力の影響は完全に消えた。しかし、それ以上に重い空気がこの場に溢れようとしているのがわかる。重い空気の出どころはこの闘いを見ていた街の人々からだ。


 妖魔王との激闘から一変。ふたりの英雄の決闘が始まり、理解が及ぶ前に決着した。


「あり……と……」


 その言葉を最後にヘルトは永遠の眠りについた。

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