研究施設探査 2

 わたしたちは扉と同様に崩れた階段をゆっくりと下りていった。


 暗い、地下は上階と違って光が差し込まないので暗いのは当然だ。わたしの目をもってしても奥まで見通すことはできない。だが、今思っている暗いとは空気というか雰囲気が凄まじく暗いという意味だ。


 すると突然、強い光が辺りを照らした。


 背中に背負っているリンカーの柄頭が光を発している。


『どうだいアム、よく見えるだろ』


「ありがとう」


 もはや階段とは呼べないような瓦礫の坂を下って地下へと到着する。


 今度こそ妖魔が湧いてくるのではないかと警戒していたが、そういったことはなく当然人の気配もない。


 ただこの建物に入っていたときから感じていた感覚がほんの少しだけ強くなった。


 少し進んだところに大き目の鉄格子とガラス張りの小部屋らしき場所があった。らしきというのは盛大に破壊されていてそうだろうなという予想だからだ。


 上の階も見慣れない作りをしてはいたが、ここはそれとも明らかに違い、頑丈そうな壁や床で固められているという印象だった。


 壁や床の様子から妖魔がここを襲ったとみて間違いないだろう。


 鉄格子であったであろう物を潜った先にはこれまた破られた壁や扉があり、その先にようやく現れたのは長机や椅子が散乱してはいるが生活感のある大部屋だった。


「なるほど、そういうことか」


『なんかわかったのか?』


「ふふん、わからないか? おそらくこの先にはまた小部屋があるんだろう。そして」


 大部屋を抜けた先には予想通りいくつもの小部屋があった。


『こんなところまで侵入して荒らすとは、魔女は何がしたいのかさっぱりわからねぇ』


 砕けたりもぎ取れた扉も多かったが名札はなんとか読むことができた。


「サビー、トーバン、マストーダ、バスコー、サンシ、ショー=ユラー=ユス」


 二階にあった名前とは違う。


「上の階はここの所員の住まいで、ここが研究に協力していたという者たちがいた場所なんだろう」


 通路は奥に行くほど被害が小さくなっていた。奥まった場所だっただけにそれほど大きな被害を受けずに済んだのだろう。


 一番奥には少し大きめの部屋が三つあり、ひとつだけ扉が開け放たれていた。


 正面の部屋の名前は、ギラン=バイロック(猛角族)と小さく書かれている。文字が擦れてはいたが種族名まで読み取れた。


「妖精族に比べれば人とのかかわりは多いだろうが、人間に従って協力するとは思い難い種族だぞ」


 少々驚きながら右の部屋の名前を確認する。


 ビュ※※=※※ドル(人族)


「人族か」


 こちらの名札は真ん中が割れていて読めない。


 部屋を中をのぞいて見ると他とは違って広くて家財も充実している。


「この待遇から察するに、ここの三つの部屋の者たちは、特別な何かがあったのだろうな」


 そして、最後は部屋の扉が開いている右の部屋だ。


 ゴクリ……


 今までにない緊張感がわたしの喉を鳴らした。


 開かれていた扉にそっと触れ、ゆっくり締めて名札を確認する。


 ノラ=ヴィセイ=カイゼル


「あった……」


 森の妖精ウラの姉であるノラの部屋だ。


 『ここは被害が少ねぇぞ、遺品のひとつやふたつありそうだな』


 開け放たれていた部屋の中は、先ほどのふたつの部屋と変わらないはずなのだが、部屋の中に入るのを躊躇したくなる何かがある。


 恐怖ではないこの負の感覚はいったいなんだろう。


『どうかしたか?』


 部屋の入口にしばらく立ち止まっていたわたしにリンカーが声を掛けてきた。


「なんでもないよ。さぁウラのためにノラの遺品となりそうな物を探そう」


 そう返して一歩部屋に踏み入る。


 入ってすぐの居間は私物らしいものは置かれていなかった。落ちている物を拾い上げて確認しつつ奥の部屋へと進むと、ベッドとデスクが置かれた寝室があった。


 デスクには赤い表紙の日記が何冊も立てかけられている。そのうちの一冊は開かれた状態で置いてあった。


「日記か、これなら遺品としては申し分ないな」


 開いたページを読んでみる。




 十月三十三日

 約四ヶ月ぶりにハムに会えた。前回は半年は空いたから早く会えてよかった。明後日も時間が取れるから山に出かけようって約束してきた。約束っていいよね。また次があるって思うだけで頑張れる。




 十一月二日

 今日はハムとウラと研究所の仲間と一緒に山に登ってご飯を食べた。ハムとウラが取ってきた木の実もあってお腹いっぱいになった。このところ体力が落ちてきてるって言われてたけど、いっぱい元気になったよ。来週にはまた長い時間実験に協力しないといけないって言ったら、週末の王都フォーレスで開かれるお祭りに一緒行くことになった。とても楽しみ。




 十一月五日

 明日は楽しみにしていたお祭り。体の調子も良くて実験結果も良好だと研究所の人たちも喜んでくれた。早ければあと二年もしないで研究が終わるかもしれないって。そうなったらハムとウラとずっと一緒に居られる。やる気がめきめきと湧いてきたよ。




 十一月六日

 わたしは、




 そこで日記は終わっていた。


 この日に魔女が襲って来たのだろうか。


 前のページもめくってみたが、内容は楽しく幸せが伝わってくるものばかりだった。


 その中に度々出てくる『実験』という言葉。ノラが研究に協力していたこととはなんなのだろうか。そう考えながら日記を腰のバッグにしまう。


 デスクには何冊もあるが全部持って行くのは無理そうなので、この日記以外にも持ち出せそうな物がないか探してみ。デスクを見回すと日記の横に木彫りの人形が置いてあるのを見つけた。


「これが良さそうだな」


 木彫りの人形はどことなく仙人ハムに似ている気がした。


 それを手に取ったとき、


 「あっ」


 デスクに水滴がひとつ、ふたつ。涙が落ちた。その理由はゆっくりだがとてつもない重さの感情の波が押し寄せてきたからだ。


 この建物に入って以来理解できなかった奇妙感覚の答えがようやくわかった。ここは悲しみに満ちている。ただ、それが薄い膜に遮られたようにハッキリ感じることができなかったのだ。


 涙が溢れて止まらない。この木彫りの人形に触った途端その膜が破れ、深く重い悲しみがわたしの心へと雪崩こんできた。


 イーステンド王国中の負の念を取り込んでいるわたしに影響を与えるほどの負の念。これは負の念の中から悲しみだけを抽出したであろう特殊な念だ。この異常な悲しみの念に、わたしの心は大きく影響を受けている。


『おいアム、どうしたんだ』


 胸が引き裂かれるほどの悲しみに声が出ない。わたしの中にある悲しみの念を遥かに上回っている。


 記憶ではなく感情だけで、わたしは悲しみの海の底へと引き込まれていた。


『暗い、そして重く、凄まじく静かで深い』


 その中に落ちた自分という存在も感じないほどだ。


 どんなに叫んでも声は響かず誰にも届かず、ここに満たされる悲しみの重さに押しつぶされていく。


『アム、しっかりしろ!』


 リンカーの声も遠くなっていく。


『まじか、エイザーグだった半心と蒼天至光の中で二十年間陰力に浸り続けても耐え抜いたアムが、悲しみの感情だけで押しつぶされそうになってやがる。アムもアムで、こんなときでもその負の念を受け止めようとしてるし』


 この悲しみはわたしの中にある感情も増幅させ、わたしの心は内側からも弾けてしまいそうだった。


「悲しい、苦しい、胸が張り裂けて頭もおかしくなりそうだ」


 溢れ出た涙はいまだ止まらない。


「だが、あのときのわたしの怒りと悲しみの感情がこの感情に劣るものか。わたしはそれを乗り越て、国中の人々の邪念も受け止めて今ここにいるんだ」


 わたしの中で暗く冷たい何かが巻き起こった。


「うあぁぁぁぁぁ!」


 それは一瞬大きく膨らんで激しく荒れ狂うと重く静かな悲しみの静寂を巻き込んでいく。そして、ようやくその念の元となる記憶が頭の中を、心を走り抜けた。


 混濁した意識がしっかりしてきた頃、わたしのまわりに噴き出した何かは消えていた。


 この部屋もここに来たときと同じ奇妙な雰囲気の部屋に戻った。


『アム、今の姿は……?!』


 リンカーが何かを言っているようだがそれどころではない。


「そういうことか」


 溢れ出ていた涙を拭うのも忘れて部屋を飛び出し通路を駆け抜ける。


『どうしたんだアム?!』


 わたしの突然の行動に驚いたであろうリンカーが叫ぶ。


 わたしの頭の中では走り抜けた断片的な記憶の組み立てにフル回転していた。それは寝覚めの夢のように油断すると消えてしまいそうなものだった。


 崩れた階段を跳び上がり、わたしは施設の外に飛び出した。


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