旅立ち<エピローグ>
次の日、自宅に戻った俺は騎士団の入団試験に向けての訓練と法術学の勉強、そして家事手伝いという日常を再開した。
アムサリアはその訓練と勉強に付き合いつつ、たまに街へ出かけて二十年の年月で変った世の中をハリゥ先生に連れられて見て回っていた。
それから三週間ほど経ったある日、クレイバーさんからの手紙が届いた。
「手紙? なんと書いてあったんだ?」
午後のおやつを食べながらアムが聞いてきた。
「寝たきりのシルンがようやく元気になってきたんだって」
「そうか、それは良かったな。助けた甲斐があるというものだ」
もぐもぐしながら
「他にも結構凄いことが書いてあるぞ」
「天使の件はクレイバーに任せた。助けたのは事のついで、わたしはもう天使にはかかわろうとは思わない」
これまでのことを考えれば、アムが天使とかかわりたくない気持ちはよくわかる。
「まぁそうだな、リプティが生きているなんて今さら俺たちには関係のないことだもんな」
ヒラヒラと手紙を振って回れ右をした俺の手からスルリと手紙が引き抜かれ、アムはパンをくわえたまま手紙を熟読する。そして、手紙を読み終えると、くわえていたパンを咀嚼し飲み込み、ニコリと笑ってこう言った。
「よし、では明日の朝六時に出発だ」
「ん? 今しがた天使にかかわろうとは思わないって言ったじゃん」
「もちろんそのつもりだ」
「じゃぁなんで行くんだよ?」
「わたしはシルンに会いに行くとは言ってないぞ」
「どこに行く気なんだ?」
「リプティが生きていると手紙に書いてあっただろ」
嫌な予感がする。
「わたしが目指す場所は聖都だ!」
そして、その予感は的中した。
「二十年の時を経て現世に復活したのに、することもなく数週間過ごしてきたが、やっと目標が定まった。元々聖都の老人たちを問い詰めに行こうかと考えてはいたのだが、それはリプティに会いに行くついでにするとしよう」
アムは目を輝かせてやる気をみなぎらせる。
「聖都までどれだけの距離があるか知ってるのか? 山越え谷越え道なき道もあるっておじさんが言ってたぞ。途中の街まで十日はかかるって話しだぜ」
「そんなに遠いのか。確かにひとりでは退屈な旅になりそうだがふたりなら問題なかろう」
再び嫌な予感。
「さぁ、準備するぞ」
「俺も行くの?!」
「もちろんだ」
「だってもう騎士団の入団試験は間近に迫ってるんだぜ? 聖都に行って帰ってくるだけで試験が終わってるよ」
「問題ないさ。ラグナの実力はすでに上位騎士に迫る勢いだ。聖都から戻ったらわたしが国王に頼んで取り成してやる」
「裏口入団みたいな言い方はやめてくれ。それに、聖都までの道なき道にはエイザーグよりもっと強い野生獣や魔獣がいるらしいぞ」
「四の五の言うな。キミはわたしのそばでわたしを護るためにラグナとして生まれ変わったんじゃないのか?」
「うっ」
「その機会がやって来たんだ。存分にその想いを果たしてくれ」
そうニコやかに言われては言い返す言葉もない。
「伝説の初代聖闘女のリプティが生きているとはなんという
テーブルに立てかけてあったリンカーを握り同意を求めると、「当たり前だぜ」とリンカーは当然の反応を返した。
数百年もの年月を生きる人間がいるのか疑問だけど、数百年生きている天使シルンが言うのだから絶対ないとは言い切れない。その秘密も聖都の皇族が関係しているのかもしれない。
気持ちのはやったアムのために、急ぎ旅の準備を整えることにした。
準備を整えながら手紙と一緒に送られて来たずっしりとした重みの一メートルほどの包みを開けてみる。
「やっぱりね」
中には、『アムを頼む クレイバー』という一枚のメモと一本の剣、そして小さな小袋が入っていた。
柄を握っただけでわかるこの剣の等級の高さ。あの闘いでおじさんに借りた剣を上回る最上級の業物だ。そっと鞘から引き抜いてみる。ヌラっとした
「これがすべて
通常は剣に一文や二文の法文が刻まれ呪術が込められている。それが極小の文字で無数に書かれているのだから、法文すべてに呪術が込められているのだろう。
『アムを頼む』というメモに書かれた言葉が聞こえるようだった。
剣を鞘に戻してもうひとつの小袋を開けてみる。中には菱形のチョーカーが入っていた。こちらも細かい法文が無数に刻まれていて強い呪力を感じる。裏側には『あなたに幸運を リナ』と書かれていた。実はこの文字も小さな法文が集まって書かれているという念の入れようだとのちに気付くことになる。
買い物から帰って来たお父さんとお母さんに事情を話す。多少の反対はされたがアムが当然のように押し切った。
食事をして早めに布団に入ると意外にもあっさりと眠りに落ちた。そして、カーテンの隙間からこぼれる朝日を受けて目を覚ます。
なにか気になる夢を見たが思い出せなかったので、諦めてそのまま忘れることにした。
早朝は肌寒く布団から出るのが困難になる季節になってきた。カーテンを開けると窓の外にアムがいるのが見え、窓を開けて声をかける。
「おはよう」
「おはよう、ラグナ。わたしは準備万端だぞ」
眠気の残る俺を見てアムは元気に挨拶を返してきた。
「出発は六時だろ? まだ五時前だ。でもすぐ準備するよ」
着替えて下に降りるとお父さんとお母さんはすでに起きていて、食事の準備がされていた。
「おはよう。ふたりとも、早いなぁあああぁぁ」
あくびをしながらのあいさつ。
「ふたりの門出だから無理して起きたんだよ」
渋々と旅立ちに同意したお父さんは『門出』などという言葉を使い、まだ納得がいっていないとアピールしている。
「ご飯くらい一緒に食べましょうよ」
四人で語らいながらの食事はやはり二十年前の昔話となった。ラディアだったころの記憶が戻ったことで四人の共有した思い出話に花が咲く。唯一俺とアムにしか声が届かないリンカーが
「さぁ六時だ、出発しよう」
際限ない会話を切り上げて俺は立ち上がり荷物の最終チェックをした。
「俺のアース・シェイカーを貸してやろうと思ったんだけど、クレイバーがすげぇもんくれたから必要なさそうだな。アムにはリンカーがあるしよ。特になにもしてやれることがないなぁ」
頭をボリボリかきながら笑って言った。
「ふたりとも強いから大丈夫だと思うけど、やっぱり魔獣には気を付けるのよ」
「うん」
「わかっている。魔獣を討つのが目的じゃない。片っ端から逃げるさ」
心配顔のお母さんにそう言葉を返す。
「ラグナはアムを護ってやれよ」
「もちろん! それが俺の役目だからね」
力強く返事をするが、
「ラグナのことよろしくね」
「任せておけ。わたしを護れるくらい強く鍛えて戻ってくるとしよう」
現状ではその必要がない。
外に出ると手配しておいた迎えの馬車が到着していた。
俺とアム、アムに
両親兼戦友のふたりに見送られて出発して丘を下ると、王都とは反対の西に向かって進んで行く。
グラチェをまくらに仮眠を取ったり他愛のない会話をして三時間ほど走ったところで馬車が止まった。
「お客さん、馬車で送れるのはここまでです」
御者に声をかけられ馬車を降りる。
「ありがとうございます」
戻っていく馬車を見送ってから振り向くと、目の前には山道の入り口があり、そこに建てられた看板には【イーステンド国土はここまで 以降は未管理危険地帯】と書かれていた。
道の整備がなく、対魔獣結界の効果範囲外となり、生息する野生獣も未管理であるということだ。
アムのあとにグラチェが続き、俺はその後ろに付いて山道に入る。
一時間ほど登ると深い林が少しずつ薄くなり、陽光が強くなってきた。なんとなくペースを上げて林を抜けると壮大な景色が俺たちを迎えた。
見たこともない怪鳥が飛び交う真っ青で広い空。それに負けないくらいどこまでも続く草原と森林。駆け回る小型野生獣の群、どっしりと構える巨獣。ここは今登ってきた山の頂上付近。俺たちの住んでいたイーステンド王国は高い山にぐるりと囲まれている。
少しの間、ちっぽけな世界の終わりから広大な世界を眺めていた。
「……イーステンドも広いけど、その外は比べ物にならないくらい広いんだなぁ」
俺もアムも、当然リンカーも初めての世界。その広がる世界に見入っていた。
「そうだな、偽りの英雄の物語など子どもの童話に思えてしまうな」
「あの闘いが童話のレベル? じゃぁ今度の物語は本屋に並ぶくらいの物語になるのかな?」
と返してみると。
『なに言ってやがる、次は王立図書館に並ぶくらいの物語になるに決まってるぜ』
と、むやみにでかくするリンカー。
「それは壮大な物語だ……」
俺は苦笑する。
数百年前の英雄、聖闘女リプティに会いに行く旅は、思っていたより長いものになりそうな気がしてきた。
「あの赤っぽい山を越えたふもとに街があるらしい。地図はないが真っ直ぐ進めば大丈夫だろう」
「アムは楽観的だな。森林に入ったら目印がなくて迷うんだよ。お母さんが持たせてくれた方位が分かる道具を使って進むぞ」
「そんな物があるのか。では道案内はラグナに任せよう」
『迷うなよ』
「では改めて、聖都のリプティに会う冒険に出発だ!」
『おう!』「がうぅぅ」
「旅な、旅。冒険は勘弁してくれ」
こうして俺とアム、闘刃リンカーに守護獣グラチェの新しい物語が幕を開けた。
できればこの旅が楽しい旅行になってくれないかと心の片隅で願っていたが、その願いは蒼天には至らず、アムが発した『冒険』という言葉にふさわしいモノになってしまうのだった。
~英雄と宿敵の章~ 【完】
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