受容

 そこは、暗く静かな場所だった。


「これが邪念の集合体の中なのか」


 いわゆる精神世界というような場所なのだろう。ラグナやリナの中に入ったときとはまるで違う。彼らの中に入ったときは、彼らと重なったような一体感があったのに対して、ここは中でありながら外にいる感じだ。


 真っ暗な陰力の闇の中をわたしはひとり進んで行く。方角どころか上下左右もよく分からないこの場所でも向かうべき先はわかる。


「静かだな。もっと激しくて息苦しい場所だと思っていたのに」


 どのくらい進んだであろう。経過する時間の感覚もおかしくなりながら歩いて行くと、突然景色が変わった。


 硬いタイル張りの床、天井は軽く二十メートルを超える大広間。


「ここは、大聖堂……」


 一変した景色は、さきほどの闘いによる損傷のないわたしがよく知る二十年前の大聖堂だった。ただ壇上には蒼天至光そうてんしこうはなく、|ひとりの女性が両腕を鎖で縛られ十字架に繋がれている。


 その周りには無数のどす黒い亡者のような人が集まっていた。その者たちは苦しみにもがく声や怒りの声、悲しみの声を上げながら女性に向かって進んでいた。


「あれはっ」


 よく見るとその女性はわたしと瓜ふたつだ。黒い血の涙を流して亡者よりもいっそう苦しそうに見える。


「あの亡者たちのせいか!」


 わたしは亡者の群を腕で薙ぎ払いかき分けながら突き進み、その中心にいるわたしのもとにたどり着く。そして、張り付けられたわたしにすがり付く亡者を引きはがそうとした。


「なんだ?!」


 すると、掴んだ亡者がサッと薄くなり小さな光の粒を残して消えていった。続いて後ろから背中に寄りかかる者も同じように薄くなり消えていく。


「どうなっている」


 亡者たちが消える度に貼り付けになっているわたしは痛々しい声を上げていた。そして、その様子を見て悟った。この亡者たちをわたしの魂は浄化しているのだと。


「ここは蒼天至光そうてんしこうとアムの魂が作った『浄化の間』だ」


 突然、声が聞こえた。それはなつかしく、心の傷を刺激する聞き覚えのある声。


「久しぶりだなアム」


 ゆっくりと振り向くとそこには淡いオレンジの光がただよっていた。


「リンカー……」


 二十年前のあの日にわたしが失ったもうひとりの相棒。わたしの過信によって失った剣の心だ。


「また会えてうれしいよ」


「おれもだ、アム」


「生きていたころはあのときのことを忘れた日などなかった。本当にすまなかった」


「謝る必要はないぜ。むしろ謝らなきゃならないのはおれの方だ」


 威勢がよく口の悪いあのころのリンカーとは違い遠慮がちにそう言った。


「なぜリンカーが謝るんだ?」


 その疑問にリンカーはさらに申し訳なさそうに答えた。


「こんなことになったのはおれの願いが切っかけだからだ」


 願い? 予想外の返答に戸惑いながらリンカーの言葉を待った。


「知りたいだろ? エイザーグと闘って消えたはずの自分のことについて」


「教えてくれ、どうしてこんなことになっているのか」


 オレンジの光は弱々しくまたたきながら語った。


「あの日、アムを逃がすためにエイザーグの足止めをしたおれは、おまえのために死ぬなら本望だって思っていた。なのに、いざ刀身を砕かれるとなったときに、おまえと一緒にエイザーグをぶっ倒すって目的を達成できない無念さが激しく巻き起こったんだ。『ここで死ねない、死にたくない』ってな。気が付いたときには蒼天至光そうてんしこうの中にいた。死んではいないが元に戻ったわけでもない、そんな中途半端な状態で願いが叶った理由は……」


 リンカーは一度言葉を切った。


「クリア・ハートはな、奇跡の闘刃である、いわゆるおれの体から作られている」


「それはクレイバーから聞いた」


「そうか、クレイバーとは言葉ではなく概念でのやりとりだったからな。それなりに伝わっていたようだ」


蒼天至光そうてんしこうの中にわたしの魂があることも、リンカーと接続することで知ったと言っていた」


「あぁ、それがちゃんと伝わっていたのはクレイバーの頑張りを見ればわかった。何年も何年も諦めずに必死だったからな」


 わたしを助けるために長い年月を費やしてくれたクレイバーにはなんと感謝したらいいのか言葉が見つからない。


「ならクレイバーはおれの体をクリア・ハートに作り替えたのが誰か知っていたか?」


「いや、それは聞いていない。クリア・ハートは聖都からの使者がエイザーグ討伐のために王都に授けて、それをわたしが借り受けた物だった」


「聖都の使者ね。なるほど、あのとき現れて俺の体を回収したあいつは聖都の使者だったのか」


「回収?」


「そう、回収だ。んで問題の奇跡の闘刃リンカー様の体をクリア・ハートなんぞに作り直したイカれた奴ってのは蒼天至光そうてんしこうさ」


『なんで蒼天至光そうてんしこうが……』


「それが代償だ」


 代償。わたしがエイザーグを生み出すために代償を払ったように、リンカーも代償を払ったというのだ。


「まぁ聞きな。話を戻すが、蒼天至光そうてんしこうの中で生き残ったおれは、その後もおまえとラディアの野郎の闘いをハラハラしながら見ていた。そして、最後の闘いで消えそうなアムを見て、『おまえを救いたい』と強く願ったんだ」


 どういう条件で叶う願いが決まるのかわからない。不治の病を直すような奇跡が叶うこともあれば、他者をおとしいれて破滅させたり、危機にさらしたりといった願いも叶う。


「おれは生き残る代償として体を奪われたが、その理由はよくわからない。まぁ奇跡の闘刃リンカー様に劣るとも勝らないまでも、それなりの力を持ったクリア・ハートがアムのもとに届いたことで、戦況が再び振り出しに戻ったまでは良かったんだけどな」


 聖都の使者に教わった邪法によって、わたしがエイザーグと相討ちになったことが、リンカーには気に入らないのだろう。


「クリア・ハートになっちまったとは言え、おれとの繋がりは残ったままだったことで、おれはアムとラディアのことを知ることはできた。だが、結果としてその繋がりがアムの魂を引っ張ってしまったんだ。アムの命を救いたいという思いは生命の根源的な魂に強く干渉したんだろう。そして、同じようにラディアはアムという人格に対しての強い思いで、心を引っ張っていったんだとおれは考えている」


「それでわたしの心はラグナと共にあったのか」


「ラディアの野郎が人間として現れたときには驚いたぜ。どんなふうに願ったのか知らないがな。なにせ蒼天至光そうてんしこうが叶える願いは完璧じゃないし、願いによっては代償も払わなければならない」


 ラディアも代償を払ったのだろうか?


「わたしも英雄の宿敵を作り出すために自分自身をふたつに分けられ、さらに自ら望んだとはいえグラチェを母体としてエイザーグを誕生させてしまった」


 だが、そのことは覚えていない。自分がエイザーグだったという記憶も朧気おぼろげ。覚えているのは英雄になったアムサリアに対する負の感情だけだ。


「今ここで、おまえの魂が置かれている状況がどういうものか理解できるか?」


 わたしの目の前ですがり付いてくる邪念を消しているわたしの魂。つまりは、


「ここにある邪念を浄化しているんだな」


「そう……、アムがエイザーグとの闘いの中で、その魂で陰力を浄化して輝力にしたように、おれが取り込んでしまったアムの魂を利用しているんだ!」


 悔しさのこもった声色でリンカーは叫んだ。


「おれはこの二十年、苦しむアムを見ていることしかできなかった。見ろ、この尽きることなく押し寄せる邪念の群を」


 見渡す限り黒い邪念の群衆ぐんしゅうがうごめいている。これはいったいどこからやってくるのだろうか? そしてなぜ、わたしの魂を使って浄化しているのか? そのことをわたしはなんとなく予想していた。


「だがよ、クレイバーが蒼天至光そうてんしこうに接続してきたことで、アムの魂を助け出す可能性が出てきた。概念によるやりとりだったが必死で伝えたよ。そして低い確率だったがついに別れたアムの心と魂がここにそろった」


「低いにもほどがある。これこそ奇跡じゃないのか? そもそもラグナの中のわたしが目覚めなければ、ここに来ることはなかったんだぞ」


「おれにはわかるんだ。クレイバーが持ってきたクリア・ハートがおれと繋がることで外界との通路を開いた。それによってアムの魂と心が繋がってラグナの中のアムの心が目覚めたんだと」


 サラリと言ってのけたがそんなことが予想できたのだろうか?


「話しが長くなったな。さぁ、早くアムの魂をこの苦しみから救いだしてくれ」


 リンカーは優しい光を放ちながらわたしの肩に乗った。


 わたしは振り向き自分の魂と向き合う。


 二十年の年月を邪念の浄化という苦しみに費やしてきた自身の魂のほほ《ほお》に手を触れた。途端にその魂が受けている凄まじい負荷が流れ込む。エイザーグだったわたしでさえ飲み込まれそうな負の圧力は、筆舌に尽くしがたく自分と言う存在をすべて消し飛ばされそうな感覚だった。


「長いこと待たせたな。無意識下とは言え蒼天至光そうてんしこうの誘惑に乗ってしまったことがすべての始まりか。邪念の力に飲み込まれ、聖闘女になったおまえをうらやみ憎んでいたが、この二十年はそれ以上の苦しみだっただろう」


 わたしは体を抱き寄せた。


「もう一度ひとつになって喜びも苦しみも分かち合い、また一緒に同じ夢を見よう」


 黒い血の涙を流し極限の苦しみを受け続けていた魂がわたしの中へと入ってくる。同時に津波のように押し寄せる負の想念もわたしの中で荒れ狂った。しかし、わたしの中でみなぎる確かな力が大きく膨らみそれを押し包む。


「おまえたちの念はすべてわたしが受け止めてやる。ただし、その代償は払ってもらうぞ!」


 その黒い亡者よりもさらに黒い光が発せられ、大聖堂を模した浄化の間を飲み込んでいく。わたしの意識はまた暗闇の中へと飛び込み、その隅々まで広がった。

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