秘密
今、一台の馬車が国道を疾走している。見るからに高級な馬車は車輪にゴムが施されており、その付け根には車輪に伝わる衝撃を吸収する機構が設置される特別仕様だ。その馬車を引く馬も大きくてたくましい。
その馬が御者の鞭を受けて全速力で走り、高速で曲がりながら目的地へ急ぐ。
国が管理する道だけあってそれなりに整備されてはいるが、これほどのスピードで走っては横転しかねない勢いだ。
そんな馬車の中で俺たちは話していた。
「アムサリア、なんて危険なことをしたんだ。もしものことがあったらどうする。リナさんも陰獣との闘いの場に行くなんて。やはりそこは避難誘導に徹するべきだったよ」
俺はアムサリアとリナさんだけで陰獣と闘っていたことにかんして、ふたりを注意していた。
「すまない、確かに危険な行為だった。しかし、ラグナのように肉体を持たないわたしができることは、あれしかなかったんだ」
「だからって」
「そんなにアムサリアを責めないで。私も了承した上でのことなんだから。ラグナ君が身を
「そりゃまぁ、でもあの状況だったし……」
彼女たちの言い分もわからないではない。
「わたしに体があればリナの体を借りて闘うなんてことをせずにすんだのが。もちろんラグナがあの場にいたらそんなことを気にすることすらないのだがな」
「それって……」
「そうね、凄く強くなったみたいだもんね。研究所で闘ったときよりもずっとずっとすごかった。ラグナ君がもっと早く来てくれたら私もこんなことにならないで済んだかもしれないわ」
「いや、だから……」
なにか話の流れがおかしい。
「リナの体を借りて闘ってみたが、乙女の体はか弱きものだな。やはり女性を護るのは男の仕事だろう。キミの代わりに私ができることをして頑張ったつもりだったのだが、結果としてリナを傷つけてしまった。本当にすまない。キミならできたであろう仕事を果たせなかった」
なんか俺が悪いみたいな……。
「アムサリアが謝ることはないわ。私の力が至らないばかりにラグナ君の傷が
「あぁもういいよ、わかった。傷も治ってたのに寝こけて陰獣の出現に気が付かず出遅れた俺が悪かったんだよ」
どうしてこうなった?
「なんでそんなに息が合ってるんだ。まったく」
「それはやっぱりアムサリアが憑依したからかしらね?」
リナさんは馬車のソファーに横になって自分の治療をしながら笑顔で話す。しかし、体の状態は笑っていられるほど良くはないだろう。
彼女の向かいには俺とアムサリアが座り、さきほどの陰獣との闘いで疲弊したグラチェも床に丸まって寝ていた。
優秀な法術師であり、日頃の鍛錬も
酷使した体は外傷こそないものの、過剰な力を発揮した筋肉と関節の炎症が激しい。心力も著しく疲弊している。
ゆっくり休養を取るべきところだけど、ひとりベッドで待っていることはできないと手を離してくれなかったので、やむを得ず連れてくることになってしまった。
俺たちはクレイバーさんを追って大聖法教会の大聖堂に向かっている。リナさんの話によれば、クレイバーさんはずっと大聖堂にある
三ヶ月くらい前にその研究になにかしらの進展があったことはフェンドさんのお店でメリーゼさんが言っていた。その研究の進展後から聖都の大使館にちょくちょく行くようになり、
そして、フェンドさんにリナさんが聞いた話では、さきほど陰獣と闘っていたとき、
「この陰獣の出現はたぶん私の研究に
クレイバーさんがこう言っていたという。
「それって陰獣を生み出す研究ってことなのか?」
さらに深く考えればエイザーグを復活させようとしている。そんな考えが頭に浮かんだ。
クレイバーさんが言い残した言葉だけになにか関係あるのだろう。嫌な予感がする。研究所で邪念獣と闘った昨夜から鋭くなった俺の感性がそう言っている。
晴天だった青空はいつの間にかその姿を隠し、遠い空、俺たちが目指す大聖法教会方面はゴロゴロと大気の精霊がざわめいており、これからの行く末を案じつつ馬車に揺られていた。
そんな中、ひとつの会話が途切れたタイミングで、リナさんはこんなことを言った。
「ねぇアムサリア、あなたが憑依したことで気になったことがあるの」
「なんだ?」
リナさんはさきほどとは打って変って真剣、いや心配な顔をしながらアムサリアに
「あなたはさっき輝光法術が使えないって言ってたわね。あのときは霊体になったことによるものかなって思ったけど、輝光法術を操る聖霊仙人ハム=ボンレット=ヤーンがどこかの街の近くの森に住んでいるって言い伝えがあるわ」
博学のリナさんが言うにはハム=ボンレット=ヤーンは高位霊体の存在だったようだ。
「霊体でも魂や心の在り方で発揮する力は違うらしいわ。アムサリアほどの人なら霊体だからと言って輝光法術が使えないってことはないと思ったの」
「それは……。わたしにもどうしてなのかわからないんだ」
あきらかに焦りの色がある返答だった。そんなアムサリアにさらに問いかける。
「研究所でラグナ君を助けたときに展開した防御障壁の法術は陰力によって発現しように感じたわ。確かに一部の闘士や法術士、真理を探究する賢者なら陰力を元にした法術を扱う人もいるけれど、輝力の極限と
俺を護った法術障壁が陰力を源にしたもの? よく覚えていないけどそう言われるとそんな気がしてきた。俺の横に立つアムサリアが今どんな顔をしているのか気になるが、怖くて見られない。
「あなたが私に憑依して力を使ったときに感じた押しつぶされるような苦しさは、たんに私の許容を超えた力ってだけじゃなくて、その心力の質が陰力寄りだったことに
こう言われて考えるとリナさんの疑問はもっともなことだ。
「アムサリア、あなたを責めているわけではないの。ただ、あなたが陰獣の目的やその行動原理を知っていたのもあって、この時代に目覚めたこととなにか関係があるのじゃないかなって。陰獣の行動原理のことはおじさまでもそこまでは解明できていないことだったから」
「陰獣の行動原理って?」
「陰獣は基本的に目的の物事以外に被害を出さなかったらしいの。邪魔する者は排除するって感じだとおじさまは言っていた」
あの化け物はなにか明確な目的があって生まれている?
「さっき私たちが闘った陰獣は博物館を狙っているとアムサリアは言ったわ。私が『なんで?』ってなに気に疑問を口にしたら、『博物館や研究所、もしくはそれに関係する者に対して強い悪意を持つ者の願いを受けて、あの魔獣は陰獣と化したんだ』と答えたの」
リナさんの言葉にアムサリアが反応したのがわかった。
「そんなにハッキリとした解答ができたのはなぜなの?」
しばしの沈黙後アムサリアは口を開いた。
「わたしはそんなことは知らなかった。ただ、研究所でラグナがラディアに触れたときから、少しずついろいろなことが頭に浮かんでき始めたんだ」
彼女の言葉はなにかを否定する感情が込められている。さきほどの
アムサリアはあきらかに動揺しているが、このことがそんなに重大なことなのだろうか? それを察してかリナさんはアムサリアに優しく言った。
「ラグナ君の前に現れて、彼を護り、陰獣とも闘ったんだもの。あなたのことを悪く思っているわけじゃないのよ。それはわかって。だからなにか知っていること、思い出したことがあるなら教えて欲しいの」
二十年前の英雄ではあるが、十九歳の少女であるアムサリアに、二十二歳のリナさんは穏やかに語りかけた。
「……さっきリナが話した通り、何者かの強い悪意を受けた母体はその者の思いに共感を持ったり同じ波長を持っていることで陰獣と化す」
アムサリアは少し間を置くと、力のない声ではあったがゆっくりと話はじめた。
「リナと闘った陰獣の場合は破壊衝動という波長が合ったことで陰獣となり、その者の願いを叶えるための行動を取っていたのだろう。特定の人や物が襲われるのはその個人や物に対しての恨みだ。おそらくは博物館か研究所か、またはクレイバーに対しての」
「それって誰かの恨みを陰獣が晴らしてくれているってことじゃないか」
俺もリナさんも驚きが隠せない。陰獣とは何者かの恨みを晴らす代行者だというのだ。
「それじゃ研究所に現れた邪念獣は? 母体となる獣ではなく、なんで奇跡の鎧に向かって集まろうとしていたのかしら?」
「なぜ奇跡の鎧に集まろうとしたのか……それは、わたしにもわからない……」
俺はあのときの恐怖を思い出してぶるっと身震いした。
「私が知る限りでは研究所にそんな強い悪意を持った人がいたなんて思えないわ」
「確かにあの場に強い悪意を持った者はいなかったのだろう。だが、それは関係ない。陰獣が恨みを晴らす代行者というなら、エイザーグはその恨みを発する無数の邪念の集合体。だからその分離体の邪念獣も代行者ではなく恨みを持つ本人だ。だから晴らすべきひとつの目的のために行動をするのではなく、邪悪な念の
再びぶるっと身が震えた。
「いったいエイザーグってなんだっていうの……」
まさに究極の疑問だ。
神聖なる大聖法教会の大聖堂に突如として現れ、奇跡の力を信じて祈りを捧げていた千人を超える人々を惨殺し、数年に渡ってこの国に恐怖を与え続けた破壊魔獣。その正体などわかるはずもない。
そう思った俺の考えを打ち砕く言葉が、リナさんが小さく自問した言葉に対する回答として、アムサリアの口から語られた。
「エイザーグとは……人々が小さな幸せを願い、
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