偽りの英雄 聖闘女アムサリア

衝動

　暗雲立ち込める大聖法教会に到着した俺たちは聖門（せいもん）の前に立っていた。

　蒼天至光（そうてんしこう）への参拝は週に四日間。エイザーグとアムサリアの聖邪の決戦の舞台となった大聖堂が一時閉鎖され、数年後に再び解放されたときからそうなった。今日は参拝日ではないため人の姿はない。例え参拝日だとしてもここに近付く者はいないだろう。

「これって……」

　まだ全身が痛むはずのリナさんは錫杖（しゃくじょう）で体を支えながら教会を見て立ちすくむ。

　リナさんの言葉が続かない理由。それは大聖法教会から発せられる圧倒的な陰力のためだ。訪れるだけで気分が晴れるほどの輝力に満ちた聖域とは思えない凄まじいまでの陰力が漏れ出している。

「……行こう」

　俺たちは濃密な陰力を満たす教会へと入った。

　教会内には参拝者どころか巫女も司教も誰も居ない。先に来ているはずのクレイバーさんが追い出したのか、それともこの異様な陰力によって避難したのか。この非日常の様子は、クレイバーさんがエイザーグを復活させようとしているという推測を、現実であるのではないかと強く思わせる。

　アムサリアが告げた「エイザーグとは蒼天至光（そうてんしこう）が生み出した存在」という言葉は、俺とリナさんに多大な衝撃を与えた。ただ、なぜアムサリアがそんなことを知っているのかについては語られなかった。

　クレイバーさんの蒼天至光（そうてんしこう）の研究は本当にエイザーグを復活させることなのか？　蒼天至光がエイザーグを生み出したのならば、その研究の果てに陰獣が再びこの国に現れたことに説明がつく。そして、その先にはエイザーグが繋がっていると考えるのは至極当然と言えるだろう。

　その話のあと、馬車の中でアムサリアは言った。

「エイザーグが復活したならば、聖闘女の名に懸けて奴を討たなければならない。それがわたしの使命であり、再びわたしがこの時代に目覚めた意味なんだ。だからラグナも力を貸してくれ」

　俺は彼女のその言葉にうなずきながらも妙な違和感を感じていた。

「奴がいかなる状態で復活したとしても油断も躊躇（ちゅうちょ）もしてはダメだ」

　この言葉にも自分の中にあるもやもやとしたなにかが刺激されたが、エイザーグの復活という驚異によって、そのことを深く追求することをしなかった。

　そんなことを振り返る余裕もなく、この息苦しい陰力に満たされた通路の先の主（あるじ）のことを考えていた。出会ったことのない二十年前の災厄の元凶がこの先にいるのだと確信するのはなぜなのか？

　足取り重く一歩一歩と歩みを進める俺たちは言葉を交わさずにただひたすら大聖堂を目指した。いくつかの扉を通り、小さな階段を下って大聖堂へと続く大扉が見えたそのとき、

「闘っている」

　リナさんがつぶやいた。

　床や壁を闘いの振動が伝わってくる。

　無性に嫌な予感がする。重々しく静まった教会内に響く振動が俺の体だけではなく、なにかを心に訴（うった）えかけているようだ。

　その先に待ち受ける何事かに対して止めた足を踏み出せないでいると、アムサリアは意を決したように走り出した。

「お、おい」

　そのあとに俺も続く。

　進むほどに吐き気に似たムカつきが胸にこみ上げる中、とうとう濃密で高圧力の陰力の発生源である大聖堂にたどり着いた。そして、大聖堂の扉に手を付き見上げてみる。

　俺の身長の倍ほどある扉はバラが咲き乱れる美しいレリーフが施されている。しかし、今はそのバラが踏み込んではいけない世界への境界を示す荊（いばら）の格子に思えた。

　アムサリアの顔を一瞥（いちべつ）して、扉の取っ手を掴みゆっくり門を引き開けると、その隙間から突風と衝撃が噴き出し全身を打った。

「くっ」

　空は雷雲に覆われており天窓からは陽光が射さない。薄暗い大聖堂の奥で爆炎が上がり、その煙の向こうに球状の物体が淡く光っているのが見える。蒼天至光（そうてんしこう）だ。

　爆炎による煙が晴れると人影がひとつ浮かび上がり、俺の後ろでリナさんがその人影に向かって呼びかけた。

「おじさまー」

　闘っているのはクレイバーさんだ。爆炎の威力から上級法術を使ったのだと思われる。十大勇闘士（じゅうだいゆうとうし）と称されるクレイバーさんがそんな力を使って闘うとなれば半端な相手ではない。

　エイザーグ……、その名が頭を過（よ）ぎり全身の身の毛がよだつ。次の瞬間、目に見えない衝撃を受けてクレイバーさんが吹き飛ばされ宙を舞った。

「おじさまー！」

　リナさんは負傷した体の痛みを忘れたかのように走りだす。俺とアムサリアも少し遅れてあとに続いた。

「おじさま、大丈夫ですか？」

　リナさんはクレイバーさんの上体を起して心配そうに声をかける。

「リナ、お前は早くここから離れろ」

　今までに聞いたことのないほど余裕のない声でリナさんにそう告げるクレイバーさんはかなり深手を負っている。クレイバーさんにこれほどの深手を負わせる相手とは。

　俺たちは前方より放たれる強烈な悪意に視線を向ける。薄暗がりの中で蒼天至光（そうてんしこう）の仄（ほの）かな逆光を受けて浮かび上がるその影は、噂に聞くほどの巨体ではなかった。だけど、赤黒いその者が発する強大な悪意の念は、重く暗い油のような粘度を感じさせ、俺の体にまとわりついてくる。

「人だ……」

　その陰力のせいか周囲の空気を揺らめかせているため良く見えない。ただ、体はそう大きくはない。上体を左右に揺らして歩きながら、なにか呻（うめ）くような声を出している。

「やはりおまえか……」

　立ち上がり抜剣した俺の横で、アムサリアはかろうじて聞き取れる声でそう言った。

　大聖法教会の上空でくすぶっていた暗雲から轟音と共に雷光が撃ちだされ、その光に照らされて浮かび上がった悪しき者の姿は、剣を携（たずさ）え黒い鎧を纏（まと）った闘士だった。

「うわぁぁぁぁぁ！」

　このアムサリアの怒声に見合う強力な上級法術が、いくつもの氷の矢を生み出す。だが、放たれた氷の矢の群は黒き闘士の剣のひと振りによってすべて打ち砕かれる。粉々に散った氷塵（ひょうじん）は蒼天至光（そうてんしこう）の光を受けてキラキラと輝き霧散した。

「アムサリア？！」

　俺はまともでない彼女の表情と気勢に戸惑い動けない。

　続けてアムサリアが放った荒れ狂う暴風の槍も、正中線に構えられた剣先に触れると、わずかな抵抗もなく左右に寸断され、蒼天至光（そうてんしこう）が祀（まつ）られた後方の壇上の壁にふたつの大きな穴を開けた。

　残風が黒き闘士の髪を巻き上げなびかせたとき、リナさんが声を上げた。驚いて振り向いた俺の横をリナさんが駆け抜ける。

「なにをするのだ、やめろ！」

　倒れたままのクレイバーさんが声を荒げて叫ぶのだがリナさんは止まらない。

　彼女は錫杖（しゃくじょう）を振り上げて全身全霊とわかる力で黒き闘士に向かって打ち下ろす。へし折れんばかりの｜勢いで打たれた一撃だったが、特に構えたわけでもない剣に軽々と弾かれた。

　二メートルばかり後方に着地した彼女はすぐさま突進し、低い姿勢から錫杖（しゃくじょう）下部の石突を振り上げるのだが、その攻撃も上体をわずかに反（そ）らせただけでかわされてしまう。しかし、そこから錫杖（しゃくじょう）と体を回転させた棒術の旋風が巻き起こり、とどまることなく攻め立てた。

　こんな闘い方をリナさんができるはずがない。クレイバーさんが叫んだのはリナさんに憑依したアムサリアに対してだ。

　先の闘いでリナさんの体はボロボロだったのに、こんな激しい動きを強いたら壊れてしまう。さらに強制的な憑依状態で大きな力を振るえば心や魂の消失というリスクがあるっはずだ。

「やめてくれ！　アムサリア。そんな闘いをしたらリナさんがっ」

　だがこの声は届かない。俺自身も突然起こったこの状況に困惑して動けないでいた。

「わたしは聖闘女アムサリア。エイザーグ、おまえの復活を許すわけにはいかない！　おまえはここで討つ！」

　絶叫と鬼の形相で狂気とも思える感情を乗せた攻撃を打ち込むアムサリア。

　だが、なにかおかしい。奴から放たれる陰力はこの世の者とは思えないほど強大な力を持っている。姿は違えど語り継がれ、両親から言い聞かされた破壊魔獣にふさわしい。いや、それ以上の脅威（きょうい）を感じる。例え人の形をなしているとはいえ、奴がエイザーグであることに疑う余地はないほどだ。

　アムサリアが聖闘女の使命として再び奴を討ち倒すために闘いを挑むのは当然の意志だろう。しかし、なぜか俺はアムサリアの言動に違和感を覚える。

　そんな思考のさなかでも、リナさんの体を操るアムサリアの猛攻は続く。

　黒き闘士はすべてを捌（さば）ききれず直撃とはいかないが、肩や足や腹部に攻撃を撃ち込まれていた。しかし、その攻撃に怯（ひる）む様子はない。

　リナさんは上段からの渾身の一撃の直後、膝が崩（くず）れて体を左によろめかせる。

『限界だ！』

　彼女の体がアムサリアの力に耐えられなくなったのだ。着地の反動に踏ん張り切れず、片膝を付きそうなところをなんとか踏みとどまる彼女に対して、黒き闘士は一見（いっけん）ゆっくりとした動作で剣を持ち上げた。

　その陰（いん）なる剣気で俺はようやく心と体が反応した。その刹那（せつな）の瞬間、ふたりのあいだに体を割り入れた。