奮闘

「ラグナ君、ラグナ君」


 肩を揺らしながら俺の名前を呼んでいる。その呼び声に引っ張られて急激に意識がハッキリしてくると、天井のまぶしい光がまぶたを透けてくる。


 誰かが俺の手を握っているな。俺は柔らかな感触の手を握り返した。


「ラグナ君!」


 その声がリナさんだと気付いた俺はゆっくりとまぶたを持ち上げる。すると、思った通り目の前にはリナさんの顔があった。


「良かった、目が覚めたのね」


 そうだ、俺は奇跡の鎧を運び上げようとしたときに全身に衝撃を受けて……意識を失った?


 体を起こしながらそのときのことを考えると、アムサリアも一緒に苦しんでいたことを思い出して名前を口に出した。


「アムサリア!」


「わたしはここだ」


 後ろからの返事に振り向くと彼女が片膝を付いて座っていた。その表情は非常に厳しく声も強張こわばっていた。なにより彼女の雰囲気が妙に……?


 その疑問もさっきからずっと感じるドーンという低い音と部屋を揺らす振動が気になり意識はそちらに向いた。


「キミの寝坊によってまた厳しい状況になっているぞ」


「寝坊?」


 状況は飲み込めず聞き返す。


「外を見て見ろ」


 アムサリアの言葉を聞いて部屋の窓から外をのぞくと。


「うわっ!」


 俺の心に恐怖を刻み込んだ邪念獣がこの部屋を破ろうと暴れていた。


「あいつはリナさんが使った法具で動けないんじゃなかったのか?」


 電撃を発する法具によって動きを封じられていた邪念獣はその電撃から解放されて元気に暴れまわっていた。


「言っただろ。キミの寝坊によってと」


 どういう意味か理解できない俺にリナさんが説明してくれた。


「あの法具に込めたわたしの呪力が弱かったからなのか、研究中の試作だったからなのか思っていたよりも効果が短かったの。ラグナ君が気を失っているあいだに法具は効果を失って、邪念獣は解放されてしまったわ」


「俺はどれくらい気を失ってた?!」


「三分ないくらいかな。ラグナ君が気を失ってから二分くらいで法具は効果を失ったわ」


 部屋の外でこれでもかというほど暴れ狂う邪念獣。さっきの闘いを思い起こすと背中にぞくっと冷たいモノが走る。


 そんな状態ではあるが、手を握り込み足の裏の地面の踏み返しを確認すると、手足の力が入らないというようなことまではなかった。


「プラズハ・ルード……、リンカー」


「ん?」「え?」


 遠い夢のような記憶を思い起こす俺にふたりが視線を向けるが、部屋へ伝わる振動が大きくなってきてことでその意識はすぐに邪念獣へと向けられた。


 部屋を護る輝術障壁も限界のようだ。リナさんの焦り顔を見て俺は彼女の肩に手を置いた。


「大丈夫。俺があいつをなんとかするから」


 床に置いてある剣を拾って扉の前に立つ。


「無茶よ、ひとりで邪念獣と闘うなんて」


「確かに勝てるとは断言できないけど、君が逃げるくらいの時間は稼ぐ。それに俺はひとりじゃない」


 俺がアムサリアを見ると「もちろんだ。ラグナにはわたしが付いている!」と胸を張った。


 この場合は「付いている」というより「いている」だよな。


 こんなふうに心の中で突っ込む自分の精神状態が、さきほどまでとは違うのだと思うと、より心を落ち着かせた。


「リナさん、いい? 俺が合図したら扉を開けて」


「うん、わかったわ」


 邪念獣が大振りの攻撃を振りかぶった瞬間に俺は合図を出した。


「開けて!」


 リナさんが扉の鍵を外して素早く扉を押し開けると、間髪入れず俺は彼女の横をすり抜け踏み込んだ。


「ランド・バズーガン」


 これはお父さんのオリジナル法技。法術と法技の中間のようなモノで、強力な震脚によって大地から得たエナジーにより自身を頑強な岩のかたまりと化して相手を吹き飛ばす。


 法術効果範囲は極めて小さいが、七十キログラムちょっと体重の俺が二百キログラム以上は確実な邪念獣の体を浮かせて吹き飛ばした。


 お父さんに教わってはいたが、ここまで上手く発現させたことがなかったので、自分でも驚いてしまっていた。


「リナ、走れ!」


 リナさんも驚いたのかすぐに行動に移れず、アムサリアは叫び、俺とリナさんは我に返って次の行動に移った。


 俺は走っていくリナさんを横目にヨロヨロの足取りの邪念獣に追撃をかける。


 左薙ひだりなぎで横へ抜け振り向きざまの袈裟斬り。赤黒い体毛の向こうの肉厚な体の感触が俺の腕に伝わる。そんな俺に横殴りの爪撃が払われ、身を引く俺の肩をかすめる。


 続けて反対の腕も俺の鼻先を通過した。


 剣を持つ俺とほぼ同じリーチだが、防御力が段違いだった。俺の攻撃もなんのその、かまわず突進してくる邪念獣。


 俺の優位な点は俊敏性だが、攻撃後の隙はその限りではない。深く強く踏み込むほどに、俺の傷は増えていく。リナさんが大広間の扉にたどり着く数秒で、俺の体は切り傷で血まみれになっていた。


 振り向き立ち止まるリナさんにアムサリアが叫ぶ。


「リナ、気にせず早く逃げろ!」


「そうだ、早く外へ!」


 俺の声を聞いてリナさんは研究所の外へ向かった。


「リナは行ったぞ。ラグナもだ」


「わかった!」


 そう返事をして逃げようとした俺に、邪念獣は持ち上げた両腕を床に叩きつける。両腕がまとっていた陰力が邪念獣を中心に床を走り、その衝撃波が俺を下から弾き飛ばした。


 全身を打つ衝撃波もさるっことながら、エイザーグの分離体という邪悪な力の持つ陰力は俺の心にも強い衝撃を与えた。陰力が浸食する独特の気持ち悪さに襲われながら、倒れて床を滑る。


「大丈夫か?!」


「なんとか」


 駆け寄ってくるアムサリアに返事をして彼女を見ると、彼女の視線は俺でなく少し横に向いていた。


「生きているぞ」


「え?」


 視線の先にあるのは倒れている所員。つまりこの所員が生きていると言っているのだ。


 彼を置いて逃げるわけにはいかない。だけど彼を連れて逃げる余裕はない。瞬間の思考が導き出した答えを決心しきれない俺に邪念獣が迫る。


「ランド・メイラ」


 咄嗟とっさに大地のエナジーを使った防御法術を展開したのだが、邪念獣の強力な振り下ろしを防ぎきれず、法術は弾け飛んで俺は左腕をかき切られてしまった。


 その腕にそれなりの痛みが走ったとき光が散った気がしたが、そんなことに思考を割いてはいられるはずもなく、まだくっ付いている左腕も使って反撃する。


『倒すしかない』


 初戦に受けた恐怖で闘志を失った自分とは思えない。確かにあのときはもう俺の夢であった騎士団への入団すら辞退しようかと考えていた。だが、今も変わらず恐怖を感じているにもかかわらず、俺の体は動き、まだ生きている所員を護るために闘っている。


 その俺の動きは剣を振るたび、攻撃をかわすたび、どんどんよくなり、これまで猛進していた邪念獣を止めてその場で闘っていた。


 体は軽く、力が湧いてくる。恐怖こそ感じるがそれを抑える心の力が反発するように俺の中で躍動している感じだ。なぜなのか理由はわからないが、あれほどの力の差を感じていた邪念獣と闘えていた。


『ちくしょう、こいつの剛毛と肉が強すぎる』


 だが、闘うことはできても勝敗はまた別の話だ。


 何度も斬撃を打ち込むのだが、多少ひるませる程度で決定打にはならない。逆に邪念獣の攻撃は俺に血しぶきを舞わせ体に重苦しい鈍痛を与えながらも、俺を戦闘不能にさせることはできない。


 そんな攻防の中で薄っすらと光の粒が散っていることに、そのときの俺は気が付いていなかった。


 身を震わせる邪念獣の一撃。その合間に二つ三つと斬撃を返すが、法技の錬成をするほどの余裕はない。中途半端な法術法技では逆に反撃を受けかねないのだが、体力には限界がある。深呼吸を三回くらいはしたいが相手がそれを許してくれないだろう。


 逆袈裟ぎゃくけさ斬りに重い手応えを感じたが、返す攻撃で胸当てごと身を切り裂かれた。


『まだまだ!』


 濃縮された圧を感じるこの二十秒ほどの攻防で妙なことに気が付いた。それは、邪念獣が俺を倒そうとして攻撃しているのではなく邪魔する俺を排除しようとして攻撃しているということだ。


『狙いは後ろの所員なのか?』


 その予想はすぐに違うと気付く。


『まさか、気付いているのか? アムサリアに』


 左足を横に開き右足をその後ろに引きつける足さばきで素早く邪念獣の側面に移動すると、邪念獣は体の向きを変えずにそのまま前に一歩踏み出した。


 この行動を予想していた俺はいち早く法技の錬成に入っていた。俺という妨害がなくなった邪念獣の三歩目に俺は踏み込む。


「バスター・ストライク」


 渾身の筋力と心力を込めた法技が背を向ける邪念獣の肩を斬り叩く。これもお父さんのオリジナル法技で、俺が使える中で最大の威力があるだろう。右肩で止まった剣には相応の反作用があり、それがこの法技の威力を物語っている。


 歯を食いしばったまま視線を邪念獣の肩に向けると、これまで打ち破れなかった赤黒い体毛が宙を舞っていた。そして、叫ばれたのは邪念獣の断末魔。ではなかった。


 渾身の力の開放は、当然俺の動きを止める。


 振り向きざまに下から振り上げられた邪念獣の剛腕には、黒く禍々まがまがしい陰力が集束しており、その一撃が動けない俺に直撃した。


「ラグナーーーーっ!」


 アムサリアの悲痛な叫びをかき消すように、楽器のシンバルに近しい音が研究所内に響く。その瞬間に目もくらむ白い光が部屋を照らした。


 俺は背中を床に二度三度とバウンドしながら数メートル床を滑って壁際で止まった。


 普通に考えれば即死を免れない攻撃を受けたはずだが、激痛を感じる確かな意識がある。大きな衝撃を受けた体には風穴も開いて無ければ骨折すらもないようだ。だが、さすがにその衝撃によって呼吸がうまくできない。


 駆け寄ってきたアムサリアは俺の存命の方に驚いているのか安堵ではなく驚き顔だった。


「大丈夫なのか?!」


「あぁどうにか。今の攻撃で死なないならどんな攻撃でも耐えられそうな気がするぜ」


 強がりを言って口だけ笑って見せたが、直ぐに立ち上がれそうもない。俺をぶっ飛ばした邪念獣は、俺の法技で傷を負った右腕をだらりと下げながらこちらに歩いてくる。


 今の攻撃で剣はどこかに飛ばされた。剣がなければ法術も法技も使えない。


 どういうわけか外傷はないのだが、体の芯に響いた衝撃が全身に響き、立ち上がることすらできず戦闘不能状態だ。


 驚きから心配の表情に切り替わった彼女が、この化け物よりも数段強い破壊魔獣を倒したかと思うと本気で恐れ入る。


「奇跡の英雄の実力は伊達じゃないんだなぁ」


 危機的状況の中でそんな言葉が口から漏れた。


「こんな時になにを言っているんだ!」


 その破壊魔獣の分離体である邪念獣が俺たちの足元で立ち止まり、大きく振り上げた左腕に空気がゆがむほど圧縮された陰力をまとわせていく。


 体の痺れしびが心も麻痺まひさせたのか、死を目前にしてもなぜか恐怖に負けてはいなかった。とは言え打つ手はない。


 邪念獣はうっぷんを晴らすかのように叫び声を上げて、強大な力を溜め込んだ腕を振り下ろした。

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