切り札

 わたしの不甲斐なさからエイザーグの猛攻にさらされたことで、ラディアは傷つき力を使い果たしてしまった。逃げ出すこともままならず、このままここで殺されるであろうと覚悟すらしてしまったわたしに、リンカーは「帰ろう」と言った。


「帰ると言って帰れる状況じゃない!」


『落ち着け。おまえはラディアの護りを失って状況が悪化していると思っているんだろ?』


 その通りだ。ラディアはもう奇跡の力を発揮できない。


『それは間違いだ。確かにこの闘いに勝機はないけどここを出るのなら今が最大の好機なんだ』


 リンカーの言わんとすることがわからない。なにをもって好機だというのだろうか? なにひとつ好転しているとは到底思えない。


『アム、おまえにはこの場を切り抜ける三つの切り札がある。そのうちの一枚はもう切られている。そして、もう一枚は切るまでもなく仕込まれている』


 切り札が切られている? 仕込まれている?


「なんだ、その切り札とは?」


『時間がない、ともかく俺の言う通りにやれよ』


 わたしの問いに答えるでもなく、リンカーはそう言った。


『おれを信じてありったけの心力を込めろ!』


 さきほどまでとは違う気合の入った声に促され、心力を奮い輝力を高めた。


 ラディアの増幅能力の助力がない今、不得意の増幅速度が足を引っ張る。上級法術法技の錬成に必要な心力の増幅まで五秒以上かかってしまうのだ。


 心力の増幅に反応してか、エイザーグもこちらに向き直るが、なぜか致命的なこの時間を突いて襲いかかっては来ない。


「おぉぉぉぉぉ」


 リンカーを左肩にかつぎ上げ、心の奥底にチロリと燃えた闘志に油を注ぐ。


『突撃だ!』


 その言葉に後押しされて、なにかおかしな様子のエイザーグにわたしは突進する。通常なら無謀な行為だがエイザーグは変わらず動かない。


『額の角に重い一撃をぶちかませ!』


 ラディアを沈黙させた強靭な角を狙えと叫ぶリンカーの言葉を信じ、ラディアを傷つけられたことと、それをさせてしまった自分へのいきどおりを込めて剣を握りしめた。


 動きの悪いエイザーグの鼻先五メートルで体をひねりながら沈み込んで跳躍する。


「サーク・ヘビー・ザンパクト」


 遠心力、衝撃力、斬撃力を強化した法技がエイザーグの象徴的な額の角を側面から強打すると、直径二十センチはある凶角きょうかくはわたしの予想に反して勢いよく砕けた。


 法技の勢いで転げながら着地したわたしは、角を砕かれ暴れるエイザーグの姿を見上げて一瞬ほうけてしまう。


『今だ、出口に走れ!』


 アトラクションを楽しむようなノリで叫ぶリンカーの声によってはっとなったわたしは、力を失いズッシリとした鎧の重さを感じながら全力で出口に向かって走った。そして、走りながら思う。恐怖に駆られた脆弱ぜいじゃくな心力を振り絞って振るった法技だったが、あの角を砕くほどの力があっただろうか?


 その疑問にリンカーが答えた。


『今のがもう切られていた切り札だ』


「どういうことだ?」


『寝んねしちまったラディアの特殊能力だろうな。すべての輝力を解放することで、受けた攻撃の倍返しって感じだろう。それによってあの角は大きく傷ついていたってわけだ』


 切り札というだけあって相応のリスクはあるが、おかげでこの場から逃げる大きな一手になった。


「だが、わたしの攻撃があぁもあっさりと当たったことが幸運だった」


『それはな……』


「うわっ」


 追いかけて来たエイザーグの爪が下げた頭の上を勢いよく通過する。続いて大きく開かれたアギトが眼前で閉じられた。次々に繰り出される攻撃を蛇行しながら飛び退き、転げ回ってしのいでいくが、あきらかに攻撃が雑である。


 経験から考察すれば瞬時に回り込まれてしまうはずなのだが、エイザーグの反応も動きもあきらかに悪い。


「ぐるぁぁぁぁ」


 エイザーグは苛立いらだちの叫びと思われる声を漏らしているようだ。


『これもラディアの能力の副産物なんだろう』


 さきほどの続きをリンカーが話し出した。


『今のエイザーグは視覚や聴覚や感覚が麻痺まひしている。そのおかげで狙いが定まらずこのありさまだ』


 出口まで半分、このまま行けばなんとかなるかも知れない。


「それで、仕込まれている切り札というのはなんなんだ?!」


『それはアム、おまえ自身だよ』


「なんだって? それはどういうことだ」


『どんな窮地きゅうちにおちいろうが、心をくじかれ闘志を失おうが、おまえは必ず立ち上がる。それが仕込まれた切り札、アムの心だ!』


 それはリンカーお得意のわたしを奮い立たせるための言葉だろう。だが、必至で逃げることができているのは、確かにわたしの心に力が戻りつつあるからなのかもしれないと、リンカーの言葉を素直に受け止めた。


「三枚の切り札の最後の一枚はいったいなんだ?」


 心の力が戻り始めたところでそんな質問をリンカーに投げかけたとき、途轍とてつもない衝撃が背後からわたしを襲った。


 わたしはその衝撃をまともに受けて前方に吹き飛びうつ伏せに倒れ込んだ。


「咆哮……」


 わたしたちを何度も窮地きゅうちに追い込んだ怨念の咆哮だ。ラディアの護りがなくまともに受けたその威力に、戻り始めた心の力も消し飛んだ。エイザーグとの距離があったので体のダメージはそれほどでもないが、わたしたちの好機は一発の咆哮でついえてしまった。


 待ったなしの追撃を、わたしはリンカーで迎撃する。斬り払った剣は速度も力もなかったが、どうにかその牙を受け止めた。いや、受け止められたというべきか。


 ギリ…ミシ、と剣がきしむ。いくら柔軟で強固で強靭な闘刃リンカーでも側面から高圧の力を受け続ければ危ない。即座に法術を炸裂させたいところだが、錬成に必要な輝力も集中力も圧倒的に足りない。


「リンカー!」


 叫びながら法術の錬成を急ぐわたしの耳に、


『好都合だ』


 というリンカーの言葉が聞こえた。


『切り札、最後の一枚を切るぜ』


 きしむ刀身にパリッと電光が走ってわたしの手を弾いた。


『プラズハ・ルード』


 バリバリッと空気を切り裂く音と電光がほどばしりながら、エイザーグは浮き上がり体を震わせて空中ではりつけになっている。


『これが最後の切り札だ。おれの特殊能力プラズハ・ルード。法術でも法技でもないから名前はおれが考えた。叫んだ方がカッコイイだろ?』


 その状況を見上げるわたしにリンカーは言った。


『よし、今のうちにラディアと一緒に帰れ』


 リンカーは今なんと? またしても言葉の真意が理解できずにいるわたしにリンカーはもう一度、今度は強い口調で叫んだ。


『おれが食い止めるから今のうちにここを離れろって言ってるんだ!』


「そんなことできるか! おまえも一緒にここを出るぞ」


『状況を見ろ、おれがここを離れられるわけがないだろ。それに長く持たないことはアムにもわかるはずだ』


 エイザーグをおさえる電撃の中でもリンカーの刀身がきしみ苦しんでいるのがわかる。わたしたちは繋がっているのだ。


『おれの力が尽きるか、刀身が砕かれるか。そうなればもう切るべき札はない。だから早く……』


「置いていけるわけがないだろ。再戦するにしてもおまえがいなくてはエイザーグと闘えるものか」


『おれが身をていして作った時間をおしゃべりで終わらせる気か? 泣いてる暇があったらとっととここから立ち去れ』


 いつの間にかあふれ出ていた涙がほほ《ほお》を流れ落ちる。足が動かない。逃げる最後の好機なのはわかっているが、置いて行くという選択肢を選べない。


『このままだとラディアも死ぬぞ。全員で共倒れするつもりか? おまえが死んだら仲間も友人も、この国すべての人間も死ぬ』


 色々な理由を並べてわたしを逃がそうとするが、リンカーを置いていけるはずもなく時間だけが過ぎていく。その時間、わたしは手放してしまった右手をリンカーに向けて伸ばすことしかできなかった。


 とめどない涙と時間だけが流れ、決断できないわたしにリンカーは、今度は優しい声で言った。


『このおれがこのまま死ぬと思ってるのか? だったらそれは大きな間違いだ。おれは死なねぇよ。だから、もっと心技体しんぎたいを高めてここに迎えに来てくれ。最終決戦のとき、おれはアムの右手に握られて、また一緒に闘うと約束する。今のおまえじゃおれの能力を最大限に使えないみたいだからな』


 穏やかな声でそう言うと電撃はさらに強くなり、もがくエイザーグを拘束した。


『アム……行こう』


 力のない声でラディアが言う。


 わたしは伸ばした右手を握りしめ、不可能な約束をするリンカーの想いに応える。


「わかった、必ず……必ず迎えに来る。ラディアと一緒に迎えに来るから。だから、絶対に死ぬんじゃないぞ!」


『おう、待ってるぜ』


 静かに返された言葉にいっそう涙があふれでるが、その涙をぬぐわずにエイザーグを拘束するリンカーをにらむように見据みすえた。


 握った腕を下ろして身をひるがえすと、そのあとはいっさい振り返らず全力で走った。


 大聖堂の扉を抜けて真っ直ぐに続く回廊をひたすら走る。三百メートルは走ったであろうそのときになってもリンカーのわたしへの想いが伝わってくる。そして途切れないでくれと願った。その想いは水面に広がる波紋のように静かに広がっていたが、


『死にたくない、死んでたまるか! おれはアムと一緒に、ずっと一緒に闘いたいんだぁぁぁぁぁぁぁ……』


 その水面の波紋を乱す激情に乗ってこの言葉が届いた。そして、リンカーとの繋がりが消えた……。



   ***



 大聖堂での闘いの様子を映していた景色は真っ白な空間に戻っていた。


「リンカーの身をていした行動によってどうにか逃げ出すことに成功した。わたしはそのまま力を失ったラディアを連れて泣きながら山を下り林道を抜けたがそれから先はよく覚えていない。大聖法教会から異様な力が発せられていたことで様子を見に来た教団の巫女たちに、街に続く道の途中で倒れていところを発見され保護されたらしい」


 聖闘女アムサリアは過去にエイザーグに恐怖し、大切な相棒を失っていた。にもかかわらずその恐怖を克服し、相棒を失った悲しみを乗り越えて最終決戦に挑み、相討ちとはいえ宿敵を倒した。


「アムサリアは恐怖をどうやって克服したんだ?」


 俺は直球で聞いてみた。


「克服……したかどうかは正直わからない。ただ、真の恐怖を知ってその恐怖に負けまいと挑む心に本当の強さがあるのではないかと思う。死ぬ覚悟を持つことと恐怖を克服するは同じではない。ラグナ、あいつに恐怖を感じたら負けだなんて思うな。その恐怖と向き合う、そして、どう対処するか考えることが大事なんじゃないのか?」


 少し考えさせられる言い回しだ。あの豪胆なお父さんも恐怖を感じながら闘っていたのか疑わしいが、聖闘女であるアムサリアでさえ一度は恐怖に負けたというのだ。恐怖に負けたからと言って、それで闘士たりえないと決めつけるな! ということなのは理解した。だからと言ってこの手の震えを止めることはできやしないのだが。


「止まらない震えを止めようとしても無駄だ。これはわたしの場合だが、自分がなすべき目的や使命に集中していたら、それらが恐怖や不安をおのずと包み込んでくれていた」


 そう言ったアムサリアは厳しい表情でどこか遠くを見ているようだった。


「わかったよ、このまま震えていたらリナさんを護れない。例え震えながらでも闘ってやるさ。格好悪いけどな」


「ラグナは自分を格好良いと思っているのか?」


「…………」


 そんなことを話していると辺りが明滅を始めて景色がゆがみだした。


「どうやら目覚めの時間のようだ」


 アムサリアがそういうと立っていた場所もグニャグニャと揺れて彼女が離れていく。上も下もわからなくなって俺たちはそれぞれどこかえと吸い込まれていった。

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