闘刃(とうじん)

「ラディアとリンカーを得たことでそれまで劣勢だった闘いが変わった。陰獣いんじゅうと化して狂暴化した周辺の獣どもを蹴散らし、ときおり現れる邪念獣じゃねんじゅうも単独で叩き伏せ、エイザーグさえも仲間と協力して追い払うことができた。人々の期待に応える聖闘女になったんだと、真の英雄に近付いたんだと、ちょっと調子に乗っていたんだな」


 アムサリアは過去の自分を振り返る。


「そして、最終決戦の半年前だ。もう誰も傷つけさせるもんかと自分の力を過信して、ひとりでエイザーグに挑んだのさ」


「そんな無謀なことをよく反対されなかったな」


 邪念獣でさえあの強さ。エイザーグにひとりで挑むなど俺には考えられない。


「されたさ。ラディアには猛反対されたよ。だから他の闘女にもタウザンにもクランにも言わなかった。ラディアとリンカーを得たことでエイザーグと闘えるレベルに達したのだから、誕生祭のときよりも実力を上げた今のわたしなら奴のすべての念を受け止められるという自信があった」


 彼女はグッと拳を握ってみせた。


「だが……、そう思えたのは、あの絶望の化身である真の破壊魔獣エイザーグと対峙するその瞬間までだった」


 その語りを聞いて、さきほど感じたのと同質の恐怖が俺の心を震わせた。


「鍛えた剣術や体術も、磨いた法術も通用しなかった。エイザーグはあのときとは比べものにならないほど強くなっていた。いや、強くなってたというか変わっていたと言った方が適切かもしれない」


 二十年前の記憶を思い起こして彼女はいっそう顔をしかめる。


「思い返してみれば、それまでのエイザーグはわたしに対して手心を加えていたのではないかとさえ思えた。決戦を挑むために大聖堂に乗り込み奴と再会したとき、エイザーグが放っていたその殺意はわたしに恐怖を植え付け闘志を奪い、奴を討てるなら死んでもいいという覚悟すら打ち消したんだ」


 しばらくの沈黙のあとに強く握られた拳をほどき、アムサリアは話しを続けた。


「その闘いはもう闘いとは呼べないお粗末なものだったな。まったく歯が立たず逃げるために生きるために剣を振り回していた。闘志を持たず剣を振るうなど聖闘女をけがす行為だろ?」


 それはさっき俺が邪念獣に対してやったことと同じだ。遠い過去の話ではあるが、奇跡の英雄であるアムサリアにそんなことがあったとは驚きだった。


「そうそう、リンカーの話だったな。余計な話が多すぎた」


「余計どころか興味深い話さ」


 物語には描かれていない史実を知ることができる。それも本来ならこの時代に存在しないはずの本人から聞けるんだから、こんな凄いことはない。


「ラディアのおかげで致命傷は追わずにいたが、逃げることもできず防戦一方の展開だった。この決戦に賛同していたリンカーのおかげで逃げ腰のわたしの法術法技もなんとか奴の気をそらす程度の威力を保っていた。邪聖剣クリア・ハートに勝るとも劣らない素晴らしい大発現能力だった……」


 再び沈黙するアムサリアはギリっと歯を食いしばり言った。


「そんなリンカーを……、わたしは置き去りにして逃げ出したんだ」


 アムサリアがそう告げると、なにも無かった真っ白な空間が大聖堂に変わった。そしてそこにはエイザーグと、そのエイザーグに追われているアムサリアがいた。


「ここは人の記憶を投影することができるようだ」


 この場に映し出されたエイザーグは、本物と見紛うほどの存在感だった。いや、もはや本物としか思えない。姿も臭いも空気も威圧もすべてが本物だった。


「見てみるかい? わたしの犯してしまった過ちと、それによって起こった悲しい結末を」


 それはきっとアムサリアにとってつらい記憶のはずだ。それを俺に見せるのは、俺が彼女と同じように恐怖に負けて闘志を失ったからか? それとも彼女自身の……。


 俺がそう考えているあいだにも、映し出された過去の記憶は進んでいく。彼女の話を聞いている俺はだんだんとその記憶の映像の中に意識が入り込んでいった。


 ここからは、この空間に映し出されたアムサリアの過去の記憶を見ながら、彼女自身が解説してくれた。




 リンカーとラディアを連れてひとり大聖堂にやってきたわたしに、エイザーグは容赦のない攻撃を次々に繰り出した。逃げ腰のわたしはまともな反撃もできない状態でありながらかろうじて生き延びていたんだ。


 わずかにでも天秤が傾けばその先に待つのは……。


『死』という現実が繰り返し繰り返し脳裏をぎり、その度に体をすくめ『死』への階段を一段ずつ下っていく。


 それにあらがう心がわたしにはなかった。それにもかかわらず今生きているのは、わたしを護るふたりの相棒のおかげだったのは言うまでもない。



   ***



『心力を高めろ。護りの力が弱っている』


 輝力の力場により如何いかなる攻撃も無効化、及び減衰させる奇跡の鎧ラディアも、その効果はわたしの心力の強さが基盤になっている。輝力を蓄えて増幅させるにしても、元になるモノがなければその力を発揮しようがない。


『下っ腹に力を入れて気合入れろや。そんなんじゃ奴をぶった斬れないぜ』


 威勢よくかつを入れるのは奇跡の闘刃リンカー。わたしの弱々しい心力により錬成された脆弱ぜいじゃくな法術法技をその大発現力によってどうにかまともなものにしていた。


 しかし、振り回す剣は空を斬り、法技は魔獣の赤黒い体毛すら貫けず、法術も悪魔的敏捷力によって当てることすらままならない。


 わたしに比べればはるかに巨体のエイザーグだが、スルリと死角へと忍び込んで死に至攻撃を叩き込んでくる。


 対物理攻撃の防御法術も陰力減衰光幕も風属性の空圧防御も展開する余裕はなく、最後の砦は今にも消えそうなラディアの護りだけ。


 さらなる危機の予感に背筋を冷やしながら、立ち上がるわたしの目前にエイザーグの頑強な角が低い姿勢から突き上げられ、ラディアの胸部装甲に衝突した。


 ミギビギッ


 嫌な音がわたしの体と空気を伝って耳に届いた。直後に、ギーーンと空気を振動させる音と、今までにない大量の光がラディアから発っせられる中、わたしは上方へと突き上げられて宙を舞う。


『バカ野郎!』


 リンカーの怒声を聞きながら背中から床に落下し、その衝撃によって消えかけた意識が覚醒したが、それは落下の痛みによる覚醒ではない。落下の衝撃が緩和されなかった事実に気が付いたからだ。


「ラディア?!」


 起き上がったわたしが鎧を見ると、白銀の輝きは消えてつやのない灰色に変色していた。


『輝力が……尽きた』


 わたしの呼びかけに少し遅れて応えたラディアの声は膜がかかったように聞こえづらい。


 わたしの心力を充填して力を発揮するラディアだが、心力が弱り充填よりも早く次々に攻撃を受け過ぎたためだろう。蓄積した損傷と消耗が限界を超えて、ラディア自らの輝力が尽きてしまったようだ。


 胸部に走った亀裂は今の攻撃の強さを物語る。にもかかわらず胸骨も肋骨も折れていないのは、ラディアの最後の力が振り絞られて護られたからだ。しかし、その代償は大きく、もうあのような凶悪強靭な攻撃を防ぐ手立てはなくなった。


『アム、私を脱ぎ捨てろ』


 わたしの心に遠い声で聞こえた言葉に驚愕する。


『今の私はただの荷物だ。アムが生き残ることだけを考えてくれ』


「バカなことを言うんじゃない!」


 ラディアの思いがけない提案に動揺する。


 大聖堂の奥へと飛ばされたこの状況で出口まで逃げる手立ては思い浮かばない。かといって闘う手立てはそれ以上に考えられない。


 こんなやり取りや手立てを模索もさくしている余裕などないはずなのだが、どういうことかエイザーグは頭をブンブンと振り、足取りはおぼつかない。『どうする、どうする』と思考がループする中でこの状況とは似つかわしくない声でリンカーが言った。


『なにをあわててるんだよ』


 陽気と言っていい声がほんの少しだけわたしの心を緩めた。


『少々甘く見ていたようだ。おれもアムと力を合わせれば楽勝とか思ってたけどそれは過信だった。でも足りなかったのは力じゃなくて経験だ。場数を踏めばアムがエイザーグなんかに後れを取るもんか』


 この追い詰められた状況からすれば場違いとも思えるような物言いに唖然あぜんとしてしまった。だが、次の機会があるのなら、そのときはこんな無様ぶざまな闘いをするものかという思いの火が、心の奥底でチロリと燃えた気がした。


 そうわたしに思わせるのがリンカーの持つ力のひとつだとわたしは思っている。


『それじゃぁ今回はいさぎよく負けを認めて帰ろうぜ』


「ぐぅうぉぉぉぉぉぉぉ」


 夕暮れまで遊んでいた子どもが、帰宅時に挨拶するような軽い口調で放ったリンカーの言葉に、エイザーグがえ応えた。


『なんだ、アムが帰るのがさびしいのか? また遊んでやるからそれまで大人しく待ってな』


 また子どもをあやすような状況にそぐわぬ口調で、この場の支配者である魔獣に言葉を返した。

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