悚然(しょうぜん)

 いつの間にか部屋にやってきていたアムサリアに気が付いたとき、俺の呼吸はようやく落ち着いてくる。それと同時にこの部屋で起きている現象が目に入った。


 奇跡の鎧であろうボロボロの鎧が強力な輝力を発して煌々こうこうと輝いている。それは持ち主であるアムサリアに反応しているようだった。


『ラディア、久しぶりだな……と言うべきか? あの闘いの損傷が治っていないのはわたしがいなかったからなのか?』


 無二の相棒と再会を果たしたアムサリアはゆっくりとした口調で話しかけた。しかし、


『どうしたんだラディア? わたしだ、アムサリアだ』


 奇跡の鎧からの返答はないらしい。


「今度は本物なのか?」


 四つんいのままで問う俺に彼女は首を横に振る。


『わからない。違うとは思えないと言った感じだ』


 彼女のハッキリとしない答えの意味。それは、


『感覚だがこの鎧はラディアだと思う。でも心が感じられない』


「それって死んでるってことか?」


 恐怖による極限状態からようやく覚め始めた俺は、アムサリアを気遣うことなく最悪の可能性を口にしてしまう。


『わからない。だが、ラディアの中にあの妙な感覚の元があるのは間違いない。それも今は激しく躍動やくどうしている。それに少しずつだが損傷が修復されている。これはラディアが生きているってことじゃないのか?』


 俺はどうにか立ち上がり、彼女の言ったことを確認しようと鎧に近付く。鎧が発する輝力は激しさを増し、そのまぶしさに目を細めながら鎧を見てみると、確かに装甲の微細びさいな傷が少しずつ消えていっていた。


「こんな反応は今までなかったわ。わずかな輝力の放出と極々少量の陰力の内包。エイザーグの陰力の高まりに合わせて反応を強めたことはあったけど、これほど顕著けんちょなのは初めてよ」


「エイザーグの陰力って?」


「博物館に展示してある偽物じゃない回収された本物のエイザーグの肉体よ。エイザーグの肉体は強力な邪念が込められていて、それらはひとつになろうという性質があるの。そしてこの奇跡の鎧に向かっていく性質も」


「それって!」


 外にいるあの邪念獣が奇跡の鎧のあるこの部屋を執拗しつように狙っていたのと関係があるのか?


「でも奇跡の鎧はそれを拒むように輝力を放つの。たいした力ではないのだけどね。だから普段は結界で囲んでそれを抑制していた。それが三日ほど前から反応が強くなってはいたの。もっと警戒していればこんなことにはならなかったかもしれない」


 こんなこととは部屋の外で電撃に拘束されている邪念獣のことだ。


「三日ほど前……」


 それはアムサリアが俺の前に現れたころだ。


「やっぱりアムサリアはこのことに関係しているってことなのか」


「ともかく早くここを離れましょう。あの法具の呪力も長くはもたないわ」


 俺のみじめな状態もさることながら、鎧の異常現象に足踏みしてしまっていた。だが、悠長に話し合ってはいられない。


「鎧は俺が持っていくよ」


 闘志を失った俺は早くここを立ち去るべく奇跡の鎧を運び出そうと手を伸ばした。鎧は輝力の波動を発したままだがしずまるまで待つ時間はない。


 俺が鎧の襟首を掴んだその瞬間。


 ギィーーーーーーーーンと脳天で音が響き、光が広がって世界が真っ白になった。


「うおぁぁぁぁぁぁ!!」


「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 俺とアムサリアが同時に声を上げる。


 一瞬で凄まじい量のなにかが頭の中を走り抜けたように思えた。だがそれは夢を忘れていくようにすぐに消えて、それがなんであったか思い出せない。


 頭に流れた衝撃は体の芯もしびれさせて四肢の先まで伝わった。その直後に体の力が入らなくなった俺は、そのままくずれるようにして倒れてしまった。


「ラグナ君! ラグナ君!」


 リナさんの声がだんだんと遠くなっていく。


「あぁぁぁぁぁぁ……ぐぅっ、うおぁぁぁぁぁーーーー!」


 しかし、いまだ苦しむアムサリアの声はハッキリと聞こえてくる。


『アムサリア、今……助ける……ぞ』



   ***



 気が付くと俺は部屋の隅に立っていた。目の前にはベッドに横になって眠る少女がカーテンの隙間からのぞく月明りに照らされている。その少女はアムサリアだ。


 さっきまで俺と同じように苦しんでいたことを思い出し、彼女のそばに寄ろうとするがなぜかその場から動けない。


『これは夢か』


 俺はこの場面がエイザーグの決戦前夜、つまり少し前に見た夢の続きであると感覚的に理解した。そして、あのときと同じでラディアの想いも流れ込んでくるよう共感している。


 アムサリアはそう大きくない体を鍛えぬき、輝力の創生力と蓄積量を数倍に高め、高度な法術を高速で錬成する想像力と構築力を身に付けた。それほどの強さに成長した理由はその容姿からは考えられないほどの強靭な精神力の賜物たまものである。しかし、その精神も張りに張って限界に迫っていることをラディアは気付いていた。


 聖闘女の称号をかんされてから、アムサリアは国民の期待を一身に受け、常人ではあり得ないであろうたゆまぬ努力を積み重ねてきたが、そのつらさを微塵みじんも感じさせず弱音ひとつ吐いたことはない。


 明日の闘いの果ては彼女の安らぎか、命の終焉しゅうえんか。それともさらなる苦しみの始まりに過ぎないのか。


 ラディアもまた人知れずアムサリアを心配し、自分だけで彼女を護れるのかと不安を抱えていたのだ。そしてそのたびに思い出していた。


『リンカー、お前がいればアムは苦しい思いをしないで済むのかもしれない。なぜお前は……』


「……リンカー」


 邪念獣の恐ろしさを心に刻まれた俺はラディアの不安に共感してかその名を聞いて激しく心を揺さぶられた。


「なんでこの名前が気になるんだろうか」


「それはきっとわたしと同じだからだと思うぞ」


 突如聞こえたその声に振り向くと、そこにはアムサリアが立っていた。


「なんであんたがここに?!」


「なんでと言われてもな。どうやらここは意識の世界とでもいう場所なのだろう。なにがどうしてこうなったのかはわたしにもわからない」


 見回すと、さっきまでカーテンの隙間から月明かりがのぞいていた部屋は消えていた。


「奇跡の闘刃リンカー」


「え?」


「さっきキミが言っていただろ?」


 そう、俺はリンカーと言葉を発していた。


「よくその名を知っていたな。クレイバーたちに聞いたことがあったのか?」


 確かに遠い昔に聞いたことがあった気もする。


「今アムサリアに声をかけられる前に夢を……じゃなくて記憶を見たんだ。今度はラディアの記憶っぽいんだけど」


「奇跡の鎧ラディアと奇跡の闘刃とうじんリンカー。このふたりはわたしを助けてくれた大切な相棒だ」


 奇跡の闘刃とうじんについては今の時代に伝えられていない。だからリンカーなんて名前はどんな書物にも載っていなかった。


闘刃とうじん、なかなかの異名だろ? ラディアよりも格好いいのにしろってうるさくてな。口が悪くて性格も好戦的で荒々しいんだけど、ちょっと子どもっぽい奴なんだ」


 そんなザックリとした説明だったがなんとなく伝わった気がしたのは、ここが意識の世界だからだろうか。


「リンカーは確かに素晴らしい力を持った法剣だったが、あいつの一番良いところはわたしに『できる!』『やれる!』『絶対勝つ!』っていう闘志を与えてくれるところだったんだ。だからだろう、今のラグナがその記憶を見たのは」


 俺は彼女になにも言えなかった。


「恐怖に負けたのか?」


「体に力が入らない。闘志が湧いてこない。アムサリアはあんな化け物、あれ以上の化け物と闘ってたのか。俺には……」


「わたしも同じだったよ」


 俺が『無理だ』と言葉を続ける前に彼女は言った。そして語った。アムサリアが体験した圧倒的な恐怖と悲哀を。

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