目覚め

 破壊魔獣と英雄の闘いの夢の結末に衝撃を受けつつ目を覚ました俺は、いつのまにか布団で寝ている事実に違和感を感じて今日の出来事を思い返した。


「たしか俺は自警団の実践研修に加わって……」


 魔獣と思しき赤黒い体の獣と遭遇し、その闘いの最中に激しい頭痛に見舞われたあとから記憶があやふやだった。


 医術士に診てもらって、家で飯も食ったはずだ。心配げに俺を見る両親の顔も思い浮かぶ。そのあと早々と布団に入ったんだったかと考えたところ、さきほど見た衝撃的な夢の内容に思考が引っ張られて、再び魔獣と英雄の闘いを思い出した。



 俺が見た夢は、今から二十年ほど前にこの国を恐怖に突き落とした|という実際にあった出来事だ。


 破壊魔獣エイザーグと奇跡の英雄との闘いは史実であり書籍化されていて、とうぜん学校でも習う。聖闘女が魔獣を倒して国を救う物語は絵本にもなって、この国の子どもたちは何度も読み聞かされてるのだから知らぬ者などいない。だから、夢に出てきてもおかしなことではないが、ここまで現実味のある夢は初めてだった。


「なんて夢だ」


 まぁ両親がその魔獣と実際に闘い、何度も何度も話を聞かされ続けた俺なら、内容が詳細で現実味があるのはとうぜんだろう。俺は目を閉じたままそんなふうに考えつつ、高鳴る鼓動が落ちつくのを待っていた。


 閉じたまぶたに窓からの光を感じないことから、まだ夜が明けてないと判断し、このままもう一度寝ようと思って寝返りをうった。


「アム……、だって」


 奇跡の英雄を夢の中とはいえ『アム』などと呼んだことに笑いが込み上げてきた。


「すまないが……」


 声が聞こえた気がした。


「目が覚めたのなら起きてもらえると助かるのだが」


 誰かが話しかけている。半分まどろんでいた意識が急激に現実に引き戻された。体を回転させ布団を巻き上げると、そのまま背後の空間に投げつけ、ベッド隅の壁際ギリギリまで下がり俺は壁に張り付いた。


 衝撃の夢で目覚めた俺に誰かが声をかけてきた。もちろん寝室には俺しかいないはずだ。投げつけた布団もなんの障害にもぶつからずに扉に当たって床へと落ちた。


 薄暗がりの部屋の中に気配はない。遠くから風に吹かれて葉を揺らす森の木々の音が聞こえるだけで、部屋は静まり返っている。


 五秒……十秒……、窓からカーテン越しに薄っすらと月明りが透けている部屋はいつもと変わらない。


「誰もいない……な」


 そう確信したその瞬間、


「いったいさっきからなにをしているんだ?」


 再び聞こえた声でゾクリと背筋に冷たいものが走った。なぜなら、突然目の前に巫女装束を身に纏った女性が現れたからだ。


「うおわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 今まで叫んだことのない大声が出て、これ以上は下がれない背面の壁にへばり付きながらベッドの上で飛び上がった。


 いるのだ、今までいなかった場所に人が。いや、でもいない。確かにそこには誰もいないのに、俺はそこに人がいることを認識している。部屋の扉は見えるのに、その前に立つ女性が見える。透けているのとは違う不思議な現象だった。


 暗くて顔は良く見えないが、垂らした前髪のあいだからふたつの瞳が俺を見つめていて、なぜかその視線から目をそらすことができない。金縛りにかかり思考力低下の法術でもを受けたように行動に至らない。ほんの数秒の出来事が妙に長く感じた瞬間、彼女の声で金縛りがとける。


「言葉はわかるのかな?」


 その瞳から感じたモノとは裏腹に、少し首を傾けながらの苦笑が交じった声は、少女を思わせる幼く明るいものだった。


「わ、わかる、わかるよ」


 うんうんと頭を縦に振りながらしどろもどろ答えた俺に、彼女は質問を重ねてきた。


「キミの名前はなんというんだ?」


「え、あ、ラグナ……ラグナだ」


 俺は、部屋への不法侵入者がした質問に、つっかえながらも素直に答えてしまう。


「そうか、ラグナというのだな。ではラグナ、キミに質問があるのだがいいかい?」


 丁寧ながらも少々上からな物言いで彼女は言う。


「突然寝室に現れてしまって申し訳ない。気が付いたらここにいたのだ。そして、キミの叫び声。キミも驚いているようだけど、わたしも状況がわからず困惑している。できればここはどこなのか教えて欲しいのだが」


 町で道をたずねるように話す彼女の言葉で、弾けるような鼓動がようやく収まり始める。


「ここはフィフスイーティの町の西の外れにあるヒノハって農村だよ。王都から八十キロメートルほど離れたのどかなところさ」


 当たり障りのない教科書通りの回答だったが、彼女は冗舌じょうぜつに返してきた。


「フィフスイーティとはなつかしい。ここには山から下りてきたデンジュラウルフの群から町を護る任務で訪れたことがある。群のボスが規格外の強さでとても苦しい闘いだった。町の自警団と共闘したのだが、力が足りず町に被害が出てしまったんだ。申し訳ない」


 二十年前のこの農村近くの町での闘いに参加していたとは驚いた。恐らくはその闘いで命を落とした法術士がなにかの未練で化けて出たのだろう。


「あの闘いに参加していた人なのか。謝ることはないさ。あんたらの勇戦のおかげで町があり、俺もこうして生まれてこられたんだ。そんなことは気に病まずに安らかに眠ってくれ」


 法術士と闘士のあいだに生まれた俺の潜在的力がなんらかの要因で彼女と同調してしまったに違いない。霊体と接触するなんて初めてのことだけど、こんなに明確な意識を持って対話ができるなんて驚きだった。眠りにつかせるには未練を断ち切るのが定石なんだろうけど、実際どうしたらいいものか……。


 などと考えていると、彼女は不思議そうにこちらを見ている。


「安らかにか……。やはりわたしは死んでしまったのだな」


 どうやら本人にその自覚はなかったようだ。かといって驚いている感じもない。


「どうやらそうらしいな。でも、こうして対話が成立するのは助かるよ。出身や親族のことがわかれば連絡してあげることもできるし。野生獣や魔獣との闘いでは遺体が見つからないことも多々ある。有能な法術士を媒介にすれば親族との別れの言葉も交わすこともできるはずだ」


 故郷の役所で調べてもらえば家族も見つかるだろう。


「残念ながら両親はわたしが幼いころに亡くなっている。子どもの頃に教団に引き取られて育てられたんだ」


「あ、ごめん。嫌なことを思い出させてしまったな」


「いや、昔のことだよ。それにセントシルン教団がわたしの家であり、一緒に住んでいた巫女たちがわたしの家族さ」


 どうやらそのあたりのことは、彼女の中で完全に消化されているようだが、俺は返す言葉が見つからず沈黙する。その沈黙を彼女が突飛な内容で破った。


「破壊魔獣エイザーグを知っているかい?」


 突然話が切り替わったことに戸惑いながら俺は言葉を返す。


「もちろんだ。この国を恐怖に突き落とした悪しき魔獣と聖闘女の話は絵本から歴史書籍、魔獣図鑑なんかにもなっていて、学校の授業でも習ってる。奇跡の英雄と破壊魔獣を知らないヤツがこの国にいるわけないさ」


「そんなに有名な話なのか?」


 驚きを含んだ声色で返してきた。


「デンジュラウルフの群がこの町を襲ってきたのは魔獣の陰力いんりょくの影響だって言われてる。陰獣いんじゅうの群やエイザーグの分離体の邪念獣じゃねんじゅうとの闘いとか、さまざまな苦境を乗り越えた聖闘女は、死闘の末に魔獣を討ち倒した」


「キミは魔獣との闘いに詳しいんだな」


「あぁ、俺の両親もその闘いに参加していたからな。だから俺は子どもの頃から何度も話を聞かされて育ったんだ」


「両親が魔獣との闘いに参加していたのか? ならばかなり高名な闘士だったのだろうな。もしかして王国騎士団の者か?」


 さきほどよりも明確な驚きの声を発する彼女に俺は説明する。


「母さんはね。宮廷法術士のクラン=ポーラルとフィフスイーティの町の自警闘士団副闘士長のタウザン=ストローグ。有名人なんだぜ、知ってるかい?」


「知っているとも!」


 彼女の声のトーンがさらに一段上がった。


「彼らの強さ、優しさ、勇敢さは憧れだった。彼らのように闘いたいと思って日々修練に打ち込んだものさ。ふたりはこの国の十大勇闘士じゅうだいゆうとうしに選ばれたほどの実力者だからな」


 思いがけず両親を絶賛されて気恥ずかしくなってしまった。


「まさかキミがあのふたりの息子だなんて、なんたる偶然だろう。ふたりは元気にしているのか?」


「すこぶる元気さ。毎日剣術の修行と法術の勉強でしごかれてる」


 当時の両親を知る人に会ったことで、俺もかなりテンションが上がって話していた。すると、ドンドンと扉をノックする音がした。


「ラグナ、どうしたんだ? こんな朝早くになにを騒いでるんだ?」


「お父さん!」


 大きな声で話し過ぎたせいで、隣で寝ていたお父さんを起こしてしまったらしい。


「入るぞぅ」


 まだ眠そうな声を出しながら部屋に入ってきた。

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