夢想の結末
激しい
その力を発現するのは、頭部には魔獣の王を
体長と同じくらいの尾の長さを合わせれば、五メートルに達する全長と全高二メートルほどの中型の魔獣。強靭な牙と爪を武器とし、これまでに存在しえないほど強大な負のエナジーである
対するは、まだ二十歳にも満たない少女。凛々しく精悍な顔つきながらも、どこか幼さのある彼女のことも俺は知っている。肖像画などで見たことがあるからだ。
彼女は聖闘女アムサリア=クルーシルク。エイザーグからこの国を救った奇跡の英雄。その表情は強い意志を持ち、恐ろしき魔獣の殺意のこもった咆哮を
聖闘女が纏う白く輝く鎧は彼女の正の
その苦しさや痛みさえ伝わってくるこの状況に俺は衝撃を受ける。
ここは
(これは、破壊魔獣と聖闘女の最終決戦か?)
そうだと思ったのは神具の祀られた大聖堂でエイザーグとアムサリアが闘ったと伝えられているからだ。
アムサリアは何度となく牙や爪を受け、床や壁に打ち付けられ、陰力のこもった攻撃を受けるのだが、その心はわずかにも怯まない。その理由は彼女を支える者がいるからだろう。
少し息を
「大丈夫かラディア」
魔獣と彼女しかいないこの場で、ラディアと呼ばれる者が答える。
「気にすることはない。アムを護ることが私の存在意義だ」
彼女をアムと呼んで抑揚の少ない言葉で返したのは、彼女が身に着けた鎧だ。
「ぐぅらぁぁぁぁぁぁ!」
腹の底に響く魔獣の叫びが、懸念で乱れたアムサリアの意識を引き戻したのを感じた。そんな叫びと殺意の視線を受けつつも、彼女は優しく魔獣に語りかけた。
「安心しろ、おまえのその苦しみは今日終わる」
全身に打撲と出血、左腕は亀裂骨折と流血。体力の消耗も大きく息が切れ始めている。まだ心力は充実しているようだけど、そんなバカげたことを語れる余裕など感じられない。
その彼女に対して奇跡の鎧は進言する。
「私が本気を出さなければ君が勝利する可能性は五割を切りそうな厳しい戦況だぞ。必勝には程遠い。私は一旦退くことをお勧めする」
もし観戦者がいたのなら、奇跡の鎧が言うことを肯定するだろう。
奇跡の鎧は彼女の負傷した左腕を癒しながら、皮肉交じりの言葉を投げかける。だが、その言葉に対する彼女の返答は、およそこの戦況に似つかわしくない、でたらめな強がりだと思わざるを得ないモノだった。
「確かに今の戦況は厳しい。だが、わたしが覚悟を持って本気を出せば勝率はさらに五割増しになる。つまりおまえの本気と合わせれば、この闘いは必勝だ!」
アムサリアが
「フォース・コンバージ」
聞いたことのない
「なんだその法文は?!」
それは奇跡の鎧も同じだったようで、彼女に疑問の言葉を返す。
その法術によってなにか効果が発現したようには感じられなかったのだが、続けて唱えた法術の力に大きな変化があった。
「ヒリング・ケアリオーラ」
癒しの法術がこの戦闘中にエイザーグの牙によって負傷した左腕を治癒してゆく。
治療法術は高度であり、多大な体力、精神力、心力を消耗する上に、その速度は遅々たるモノだ。だが、アムサリアの治療法術の効果は、大仰な儀式による神聖法術並みの効果を発言させた。
破損した手甲はそのままだが、彼女は剣を支える程度しか握れなかった左腕を治療させ、その腕で邪聖剣クリア・ハートを握り込んでエイザーグに向けて構えた。
「ここからがわたしの全身全霊の闘いだ」
ここまでの闘いも出しおしむことのない全力戦闘だったことは間違いないはずだ。
それは彼女の強さが、イーステンド王国の十大勇闘士に名を連ねたお父さんに勝るとも劣らないと思えるから。なにより、この破壊魔獣エイザーグを前にして、全力を出さずして生きていられる者など考えられない。伝え聞いていた魔獣の力は俺の想像を超えていた。
「行くぞ! ラディア」
だが、彼女はこれまでにない莫大な輝力をその心から生み出した。奇跡の鎧は驚きながらもその輝力を増幅させ、常時発現している攻撃防御の基礎身体強化系法術が大発現する。
「るぅぅあぁぁぁぁぁぁ」
彼女が修練によって身に付けた技術をそのままに、溢れる輝力の残光を引きながら高まった力と速さでエイザーグを攻撃する。エイザーグに対抗するために鍛えぬいたその能力がさらに向上し、次々に攻撃が繰り出された。
「信じられん。なんだこの湧きだす力は。本当に今まで全力じゃなかったというのか?」
今日まで彼女と共に闘ってきた奇跡の鎧がこれほど驚くのは、その力が常軌を逸している証拠だ。
この斬撃の猛攻にエイザーグはたじろぎ、たまらず距離を取った。
「逃がさない。セイング・ファイム・ゲイザー!」
唱えられたのは三つの
三重法文によって床に描かれた法術陣から聖属性を与えた大火力の炎が噴き上がる、大火炎がエイザーグを焼き焦がした。
たまらず天井に向かって飛びあがった魔獣は翼を広げて空中に逃れるが、炎に焼かれた体は表面から小さな粒子が崩れるように剥がれて消えていく。
苦しみと怒りで唸る魔獣に向かって腕を伸ばしたアムサリアは、新たな
「セイング・レイン・ブラスト」
浮遊するエイザーグのさらに上方に描かれた法術陣から、無数の光の雨が無防備な背部に降り注ぐ。その法術は魔獣の翼を
(すげぇ……)
聖なる炎の残り火が、さらに魔獣の体を焼き焦がす。
その後も超絶の法術法技が続き、魔獣も狂気の叫びをまき散らしながら烈戦が続く。
「アダマン・シルド」
彼女が差し向けた手の先に大きな光の波紋が広がった。エイザーグの猛烈な突進を止めたのは、青白く輝く巨大な法術の盾。
「これは神聖法術の絶対断絶障壁!」
奇跡の鎧が驚くのも無理はない。それは、優秀な複数人の法術士が大仰な儀式によって発現させる超上位法術。教会などの拠点を防衛することに使われる神聖法術だからだ。
大聖堂という神聖な場所であるからこそなのだろうが、彼女は単独で神聖法術を瞬時に発現させた。物語に登場する天使の
尽きることなく瞬時に湧きあがる莫大な輝力を糧として、ひとりでは発現不可能だろうと思える神聖法術に続き、法技でエイザーグの片足を切り飛ばし、噴き上げる大地のエナジーが力を削り、岩の槍を突きあげてエイザーグを拘束する。
(聖闘女アムサリア。奇跡の英雄の力は伊達じゃないな)
しかし、術者であるアムサリアもまた、胸を押さえて片膝を突いた。
彼女の苦しむその姿に俺の胸は強く締め付けられ、心は不安にかられた。
ここまでの圧倒的な闘いが嘘のように彼女は苦しんでいる。異常なまでの法術の威力と限度を超えた連続使用の反動なのだろうか? それも命を削るほどの。
彼女はゆっくり立ち上がると力ない足取りで、岩の槍に拘束された魔獣へ近づいていく。
「危険だ、離れろ!」
そう叫ぶ奇跡の鎧の言葉を聞かず、彼女は魔獣へ手を伸ばした。
「ごわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
過去の記憶を見ている俺でさえ心と魂を削られるような怨念の咆哮。それを至近距離で受けた鎧は弱々しくも光を吹き散らして抵抗する。
鎧にいくつもの亀裂が走り損傷していた左腕の手甲が割れ崩れた。しかし、力を振り絞った断末魔とも思える魔獣の咆哮は、彼女にはあまり効いた感じがない。
「アム、まさか……」
この言葉を聞いただけで、なぜか俺は察した。アムサリアの超常的な戦闘能力と、それにともなう衰弱の原因。そのことに奇跡の鎧が気付いたのだと。
鎧がうろたえているあいだに、彼女は岩の槍に貫かれた魔獣にそっと左手を添えた。
「これでもおまえの破壊の意志を奪えないのか。ここらがわたしの限界だ……」
そう言いながらも彼女の中から輝力が溢れ出る。
「もうやめろ、これ以上は本当に命にかかわる!」
岩の槍に突き上げられ自由を失いながらも魔獣は暴れもがき、残った前脚で何度も彼女を打ち付けた。懸命に彼女を護る鎧からは
その攻撃を避けることもせずにただ打ちのめされるアムサリア。それを見ている俺に奇跡の鎧の強い想いが流れ込んできた。
「なぜ私は彼女と並び立って闘うことができないのか? この
その想いがわずかに鎧の護りを強くする。
トクン
大聖堂の壇上の真上に浮かび、ささやかに光る
「アム!」
大聖堂の後方の大扉から現れた者が彼女の名を叫ぶ。それは、若かりし頃のお父さんとお母さん。この大聖堂へ続く回廊で闘っていたふたりが駆けつけたのだが、ふたりは満身創痍で歩くのもつらそうな状態だった。
「今行くぞ」
消耗し切った見るも無残なアムサリアの姿に、お父さんは足を引きずりながら懸命に駆け寄ろうとする。
何度目かの魔獣の攻撃に彼女はとうとう膝を折った。しかし、決して心は折られず、怒りなど微塵も感じさせない目で魔獣を見上げた。
「エイザーグ……、すまなかった。今まで苦しかったろう。その念を受け止めて晴らさせてやりたかったのだが。せめて、すべての邪念と陰力を祓って終わりにしてやりたい」
どうにか立ち上がった彼女は、力なく剣を上げると、またしてもクリア・ハートの刀身が共鳴するようにリーンと音を発した。
「わかったぞ。君は邪聖剣に流れ込んでくる大量の陰力を自らの魂で浄化転換しているんだな。その莫大な輝力を使って強力な法術や神聖法術をっ!」
彼女の苦しみの理由は浄化によっておこる魂をも消失させようかという負荷と、浄化しきれない陰力が心へ浸食することによるものなのだろう。聖闘女の膨大な輝力と戦闘能力の向上を確信した奇跡の鎧の心が大きく乱れる。その乱れは俺にも伝わり胸を締め付けた。
「タウザン、クラン。別れのときが来たようだ。エイザーグの消えた平和な世界で幸せな家庭を築いてくれ」
「バカ野郎、なにを言ってやがる」
「やめて、アム!」
痛々しい顔で笑う彼女にお父さんとお母さんが叫んだ。
取り返しのつかないことが起こる。過去の記憶を覗き見ている俺がそのことを知っているのは、この現場にいた両親に聞いたことがあったからだ。幼かった俺はこの話を聞いたときに激しく泣いたらしい。
「ラディア、今までわたしを護ってくれてありがとう。それ以外に言葉が思いつかない。おまえのおかげで闘ってこられたのにな」
「やめろアム、そんなことを言うな。私が助ける。お前を助ける!」
「さらばだ」
手甲の
「ゴー・ダンド・ヴィル」
神聖法術と思われる
この心を引き裂くほどの悲しみの感情は奇跡の鎧のものだろう。これまで力を合わせて闘ってきたアムサリアの存在が薄くなっていく。そんな彼女に伸ばして掴む腕もなく、空間に響く声も出ない。護ることだけしかできない奇跡の鎧の無念さと、想いのすべてを込めて彼女の名を叫んだ。
「(アムーーーーーー!)」
激しい感情の波が押し寄せ、悲しみと無力感に心を打ちのめされながらも、失うことを拒むべく力の限り叫んでいた。
***
景色が周りから勢いよく狭まり黒く染まると、浮き上がるようなモヤッとした感覚のあと、意識が中心から鮮明になり広がっていった。
頬から柔らかな布の感覚が伝わってくる。ここはベッドの上だ。俺は顔を半分まくらに埋めて横向きになって腕を伸ばしてなにかを掴もうとしていた。目からは涙が流れ、鼓動は激しく、心は喪失感で力が湧いてこない。
「……夢、だな」
その夢から覚めたことを認識して、そう口にした。
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