第7話 友人の手記:全てを奪う「干し馬」
私がスマホの受話器を取る(我ながらこの表現は時代錯誤だと思うが)と、聞こえてきたのは、微妙に歪んだような母の声だった。
「もしもし?あんた、なんて恥ずかしいことをしてるのよ?たまたまネットで見つけたんだけど、あんなことしてるんだったら、勘当させてもらうからね!」
「いきなり、何よ?」
「見たんだからね!ネット上で、あなたが変な格好になってる写真が流通しているのを。あんたにだけはうちの仕事は継がせないわよ」
私の家は、農家である。だから、「干し馬」のせいで人生計画を狂わされても、最悪家業を継げるかとも思っていたのだが、どうやらその希望すら打ち砕きに来たらしい。
だが、何故よりによってこんな時間に?
「しかも、あんた、夜行列車に乗って駆け付けたら、冷蔵庫は空だし、家は散らかっているし、家にはいないし。どこにいるのよ?」
その辺はプライバシーの範囲内だ。ましてや、今言ったらここまで押しかけてきかねない。
「どこでもいいでしょ?」
「親の金で学校行ってるくせに、何よ、その言い方…」
煩わしいので、電話を切った。
親だろうと他人だ。あまり個人的なことに踏み込むのであれば、容赦なく関係を断つしかない。
しかし、私の親は、とにかくしつこい性格だから、これでは下がらないかもしれない。
プルルル、プルルル。
案の定、もう一度かけてきたので、出ずに切る。
すると、今度は、ラインの通知が来る。
「電話に出なさい」
鬱陶しかったので、通知をミュートにした。
それでもスマホの画面はめくるめく動いていく。
「おかしいわね…」
不審には思ったが、どうしようもない。ひとまず、もう夜中もいい時間なので、電源を切った。
それでも、画面は明滅している。
出なさい。
出なさい。
出なさい出なさい出なさい出なさい…
出さない出さない出さない出さない…
逃がさない。
その文言に変わった後、パッと画面に映ったのは、あの「干し馬」、ボロボロにやせこけた私自身だった。
「ヒイッ!?」
驚いた私は、思わずスマホを取り落とす。
スマホの画面が割れる。
「干し馬」が、割れた画面の日々から抜け出してくる。
「…」
助けが欲しかった。それなのに、声が出ない。
「干し馬」は、私の首筋をそっと撫でる。
恐ろしく冷たい感触が、また不気味である。
声が出せない私の首筋を撫でた「干し馬」は、霧のように輪郭がぼやけ始めていきながら、私に向かって言う。
「職業だけじゃない。お前から、何もかも奪ってやる。お前がうまくやってきた人生の全てが、私は欲しい。
お前は、徹底的に干からびて、全てを失って、死にゆくのだ」
「干し馬」は不気味な笑みを浮かべると、煙となって、霧散する。
私は、いつしか腰が抜けてしまって、へなへなと座り込んでいた。
やっと立ち上がった私は、何とか、気を取り直して歌を歌おうと思い、コントローラーのパネルを操作する。
曲を選んで、何とか歌い始める。
ところが、歌い始めると、どこかから、私の声なのに、私じゃない声が聞こえてくる。
カラオケの音響設備のエコーではない、不気味な歌声。
その恐ろしさに耐えて歌っていると、急に、カラオケの画面が、この部屋の画面に切り替わる。
そこに映るのは、「干し馬」の如く、ボロボロにやせ細った私。
否、「干し馬」そのものだった。それは、私の姿ではないと直感した。
「なんで、こんなことになるのよ…」
曲を止めて、私はへたり込む。
それでも、画面は変わらず、曲だけ止まってもなお、歌声が流れる。
全てを忘れたくなった私は、店員さんに内線をつないで、もう一杯頼もうと考える。
しかし、その内線も、つながらない。何度かけても、話し中の音が鳴って、切れてしまう。
仕方なく私は、コントローラーから注文しようとする。
が、お酒の画面を出そうとすると、途端に文字化けした不気味な画面が一瞬表示されて、ホーム画面に戻ってしまう。
私は、頭を抱えて座り込んだまま、私じゃないのに私の声で歌う「干し馬」に耐えて、ボロボロに泣きながら、オールナイトパック終了の内線がかかってくるまでの時間を過ごしたのであった。
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私は、この手記の内容を見て、改めてぞっとした。
生前の彼女は、自らがそんな恐ろしい目に遭っていることを、決して明かそうとはしなかった。せいぜい、動画を見てしまってから、就活がうまく行かなくなった、としか言わなかったのだ。
そうして、気丈に耐えていたのであろう彼女のことを想うと、またもや涙が滲みかける。
しかし、手記は、まだ続く。
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