Air Hockey.2
添木卓也は見誤っていた、この女子の実力を。
「だから………ハァ………んなんで……勝てねぇんだよ」
校舎内のとある一室には二人の男女生徒が汗だくで座り込んでいる。
密室で男女二人、卑猥な行為していたのかと想像するかもしれないが全く持って違う。汗に濡れた男子生徒の方はかなり劣化した床の上に大の字で寝そべって、息切れの激しい様子で胸を上下させている。
しかし、女子生徒の方は若干息切れしながらも壁にもたれかかるようにして座っている。ブラウスについていたネクタイを解き、第一ボタンを開けているあたりを見るとかなり着崩した姿をしていることが見て取れる。
だがもう一度言っておこう。別に密室だからと言って卑猥なことなど全く持ってしていない。
「どうしてって………それは、私と卓也君との技量に歴然な差があるということよ。それくらい頭がいいのだからわかるでしょうに」
「でも、俺だってマイ先輩に負けないくらい練習してきました。この場所で毎日、二十戦以上、それも連続で五カ月間。それでも、俺は、マイ先輩に一度も勝ったことがないんですよっ!」
卓也はゆっくりと上体を起こし、壁際に鎮座する先輩に向けて言い放った。
『マイ先輩』と呼ばれた女子生徒は男子生徒の必死な姿を見て、微笑を漏らした。
「フフッ。そうね、卓也君は一度たりとも私との勝負に勝ったことは無い。だけれど、ゲームセンターで開催されてる『ミッドナイトエアホッケー』ではかなりの戦績を残しているそうね。それでは満足いかないの?」
「当たり前だろっ!俺は………中学三年の時にこの遊戯と出会って以来、ほとんど毎日と言っても過言じゃない程に接してきた。あれから一年と半年、それでもマイ先輩には全く歯が立たないんですよ。ダブルスコアで差を付けられて、酷い時には完封負けなんすから」
卓也は悔しそうに俯き、今の心情を大きな壁である先輩にぶつけた。どうして勝てないのかを思考し、対策を何度も練り返してみてもこの様である。
エアコンが整備されていない室内の気温は三十七度を超えそうになっていたが、感覚がマヒしている彼らにとっては気にするに値しない程であった。水分補給を怠っていないことでどうにか過ごせているが、水分補給を忘れたあかつきには大事に至るだろう。
「…………まあ。それはいいとして、今日は流石にお開きにしましょうか。今年の夏は暑いから、熱中症になったら大変だし………じゃ、この部屋の鍵をお願いね」
そういうとマイ先輩は帰宅の準備を始めた。卓也の悔しい思いなど気にしていない素振りで淡々と告げた。卓也はいつものことだと理解しているので、彼女の態度に対して特に気にした素振りは無かったが、ふと思ったことを尋ねた。
「というか、先輩はなんで毎日俺なんかと勝負してくれるんですか。俺はいつも先輩の足元にすら到達しないヘタレなのに」
自虐を含みながら、今更ですがという表情でマイ先輩の方へ振り向いた。卓也の視線の先には帰る準備をしていた先輩がその手を止めてこちらを向いていた。先輩の通学鞄のジッパーは開いたままだった。
「―――それはね、貴方が一番の適任だったからよ。私のリベンジを叶えてくれるかもしれない唯一の人物であると思っているからよ」
その言葉が卓也の耳に入って来た時、らしくない先輩の言動に驚きを隠せなかった。真面目な顔つきで、真っ直ぐな視線が眼球の奥に痛みを感じてしまいそうなくらいに強かった。凛とした表情と優しさを掛け持つマイ先輩と出会って、初めて感じた雰囲気。そして、マイ先輩は続けた。
「君の諦めないその図太い神経。心が折れても、何度も立て直せる貴方の強さがあの時の私にはなかった。この五か月間でそれがはっきりしたの」
「…………あの、何言ってんすかマジで」
「だからお願いがあるの。私に、貴方の力を貸して欲しいの。過去の因縁に
「…………な、何を真面目な口調で言ってるんすか。俺なんか、マイ先輩の足元にも及ばないのに力を貸すだなんて、俺には正直言ってできることなんか」
「―――私はたった一度だけ、昔コンビを組んでいた男子と世界大会に出場したの。だけれど、ある戦いで惨敗した後に彼は業界から姿を消したの。圧倒的な差を付けられて敗北したのが、彼には耐えられなかったみたい」
「…………」
「だけれど、貴方より遥かに上手だった。全日本決勝でも彼がいたから勝てたようなもの。だから、その相手にリベンジしたいのだけれど、なかなかパートナーを見つけられなかった…………そんな時に卓也君が私の目の前に現れて、挑み続けてきた。でも、私は貴方をかなり見くびっていたみたい。一週間くらい捻ればすぐ去っていくと思っていたのに」
「…………」
「でも、五か月間もめげずに私に敗北し続けた」
「―――今、まあまあイラっとしました」
「常人なら耐えられないことをあなたは続けてきた。それは紛れもなく強い証。私はそんなあなたを見込んでお願いしたいの」
マイ先輩は一拍溜めて、太陽光で熱された部屋で嘆願してきた。
「私と世界の頂点を獲りに行ってくれませんか?」
その刹那、時空が止まったかのような静寂が広がった。セミの声が防音ガラスによって遮られたかのように何も聞こえない。静寂と暑さがその空間の支配権を得た。その中で卓也は何を迷うことがあっただろうか、黙り切ってしまった。それを見越したマイ先輩は「やっぱりいい」と切り出そうとした時、彼から一粒の水滴が零れ落ちた。
「…………俺を、認めてくれるんですか。こんなド下手くそな俺を認めてくれるんですか。いいんですか?本当にいいんですか?」
零れ落ちる水滴の量が徐々に増えていく。汗は先ほど完璧にふき取っているはずなのに。
「―――ええ。卓也君以外では考えられない」
マイ先輩の言葉が卓也の心に染みていく。今まで必要とされたことがなかった彼にとって初めての状況。
彼女の問いに対する返答は既に卓也の心の内で決まっていた。
「世界のてっぺん位は取らないと、
夕陽が照り付ける午後の校内の一室。エアホッケー混合ダブルスの伝説を作る二人が生まれた日だった。
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