第179話 彼氏に幻想を抱いているらしい。

「今日と明日だけ、中吉なかよしさんのカノジョなのですか? ふふふ……、それなら浮気ではありませんね」


「ネコちゃんが、お兄ちゃんと別れたって言うから、ポロリも驚いたの」

「一番驚いたのは、多分、僕自身だけどね」


 夕食の後、101号室のコタツで、ゆっくりと事情を説明すると、天ノ川さんとポロリちゃんも理解を示してくれた。


「パーティーは8時からなんでしょ? そろそろ準備したほうがよくね?」

「え? まだ7時半だよ?」


 パーティーの会場は寮の105号室。徒歩1分も掛からない場所だ。

 とても楽しみではあるが、あまり早く行くのもどうかと思う。


「チューキチはボクよりせっかちだからさ、早めに行ったほうがいいと思うよ」


「そうなんだ。教えてくれてありがとう。――では、部屋の奥で着替えさせてもらいます」


 僕はコタツから出て、天ノ川さんに頭を下げる。

 お菓子の準備は夕食前に済ませておいたので、後は着替えるだけだ。


 今回は、口車くちぐるま先輩から大量に頂いたお下がりの服の中から、温かそうな服を選んで、着てみることにした。


 口車先輩が着ていた服は、どの服も男性が着て違和感が無いような、カッコイイ服ばかりなので、どの服を着ていくべきか迷ってしまう。


「えへへ、ポロリが一緒に選んであげるね」


 こんな時に頼りになるのが、僕のかわいい妹だ。

 ファッションセンスのない僕が自分で選ぶよりも、ずっといいだろう。


「ありがとう。助かるよ」


 ポロリちゃんは、引き出しの中から僕に似合いそうな服を選んで、上下組み合わせてくれた。サイズに関しては、少し余裕があるくらいで、ほぼピッタリだった。


「結構似合ってるじゃん」

「とってもカッコイイし、サイズもピッタリなの」

「そうですね。その服は、元々男性用の服なのでしょうね」


「ありがとうございます。それでは、行ってきます」


 ルームメイトの3人から服装を褒めてもらい、少し自信を持って部屋を出る。


 105号室は、廊下を奥に進んで突き当りの手前にある部屋で、避難訓練の時に窓から中をのぞいたことはあるが、招待されたのは今日が初めてだ。


【105号室】

【花戸 結芽】【馬場 芭七】

【中吉 梨凡】【永井 小指】


 表札を確認し、ドアをノックしようとしたところで、いきなりドアが開いた。


「センパイ、いらっしゃい! 遅かったね」 


 ピンクのパジャマ姿で出迎えてくれたのは、僕のカノジョである中吉梨凡りぼんさん。


 身長は150センチくらいで、1年生のお嬢様としては、標準的な体格だ。

 細くて小柄なネネコさんと比べると、全体的に少しだけ大きく見える。


 雰囲気は、お姉さまである花戸はなどさんによく似ていて、とても女の子らしく、可愛らしい感じである。


「中吉さん、こんばんは。まだ7時50分ですけど、もっと早く来てしまっても良かったのですか?」


「センパイは、新しいカノジョと早く会いたいとか思わないの?」


「それは、もちろん思いましたけど、あまり早いのも失礼かと思いまして」


 ネネコさんから聞いていた通り、中吉さんは、かなりせっかちな性格のようだ。

 花戸さんから頼まれたお菓子も、ここで渡しておくべきだろうか。


「これは、お土産みやげのお菓子です。皆さんで食べて下さい」


「こんなにもらっていいの? ありがとう! ――でも、全然カレシっぽくないから、最初っからやり直しね!」


 中吉さんは、お菓子を受け取った後、不機嫌そうにほっぺたを膨らませた。


 最初の挨拶あいさつで、いきなりダメ出しされてしまったが、たしかに中吉さんの言う通りかもしれない。


 ネネコさんが自分の権利をプレゼントしてあげたのだから、ネネコさんと同じように接してあげなければ、僕がプレゼントされた意味がなくなってしまう。


 ここは素直にカノジョの言う通りにしておこう。


「すみません。――では改めまして、リボンさん、こんばんは」


 僕は、ちゃんとカノジョの目を見て、名前で呼び、笑顔で挨拶した。

 ネネコさんが相手だったら、きっとこんな感じだと思う。


 ところがカノジョは、カレシである僕に対して、まだ不満があるようだ。


「ダメ! 全然ダメ! そんなのカレシとは認めない! ネコが相手だったら、抱き寄せてから『ネネコ、今日もかわいいね』とか言ってあげてるんでしょ?」


「いえ、僕がネネコさんを呼び捨てにした事は、今まで1度も無いですし、ネネコさんにそんな事をしたら、多分『頭でも打ったの?』って言われると思います」


「えーっ? それって、カレシとは言わないんじゃないの?」


「リボンさんがそう思うのでしたら、そうかもしれませんけど、ネネコさんと僕は普段からこんな感じですよ」


 中吉さんが、カレシというものに幻想を抱いていても、僕には責められない。


 僕自身も、ネネコさんと付き合い始める前は、カレシとカノジョの間には、必ず体の関係があって、会うたびに性行為やらしいことをするのが普通だと思っていたのだから。


 でも、そんなものは単なるオマケで、カノジョというのは一緒にいるだけで幸せになれる存在だという事を、僕はネネコさんから教わった。


 そして、その幸せをネネコさんの親友に分けてあげる事が、今の僕の務めだ。


「なんか、納得いかなーい!」


「リボンさんが、僕に呼び捨てにされたいとか、抱き寄せて欲しいと言うのなら、僕自身は全然構いませんけど、本当にそんな事をしちゃってもいいんですか?」


「ぐっ! それは、チョー恥ずかしいかも」


「僕だって、口に出すと恥ずかしいから言わないだけで、前からリボンさんの事は『かわいい人だな』と思っていましたし、もちろん、今もそう思っていますから」


「ネコよりも?」


「そういう事を聞く人は、あまりかわいくないと思いますよ」


「ぐっ! さすが、ネコの元カレ。じゃあ、それでもいいや」


 中吉さん改めリボンさんは、僕の右手を取って廊下から部屋に引き込み、少し乱暴に「バタン!」とドアを閉めた。


「はい、早く、スリッパ脱いで!」


 リボンさんは、先に部屋に上がり、僕の右手を引っ張る。

 急かされているようだが、部屋の入口でモタモタしていても仕方がない。


「お邪魔しまーす」

「私のカレシが来たよー!」


 リボンさんに手を引かれたまま、一緒に105号室のリビングへ入ると、ピアノの生演奏が始まった。


 ――タタタターン。タタタターン。

 タタタタン、タタタタン。タタタタン、タタタタン。タタタ――


 この有名な曲は、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」。

 演奏しているのは、クラスメイトの馬場ばば芭七ばななさんだ。


 ピアノのあるリビングには大きなカーペットが敷かれており、小さな丸いテーブルを挟んで2人のお嬢様がくつろいでいた。


「ダビデ君、いらっしゃーい!」


 テーブルの左側で女の子座りをしているのは、リボンさんのお姉さまである花戸結芽ゆめさん。妹さんと同じピンクのパジャマ姿で、姉妹揃ってかわいい格好だ。


 今日は、これを見れただけでも来た甲斐があったと言えるだろう。


「リボンちゃん、初カレシ、おめでとー!」


 テーブルの右側には、馬場さんの妹の永井ながい小指こゆびさん。

 こちらは、お嬢様らしく、上品な白いパジャマ姿だ。


「何で、こんな曲なの? チョー恥ずかしいんだけど」


「部屋の入口で、ずっと2人だけでしゃべってるからでしょう!」

「しかも、リボンちゃん、嬉しそうに手まで繋いじゃってますよ」


「ぐっ! ちょっと浮かれ過ぎちゃったかも……」


 リボンさんは慌てて僕から手を離す。


「すみません、そんなつもりではなかったのですが……」


 僕はカノジョのお姉さまに謝罪した。


「いいの、いいの、ダビデ君は気にしないで。リボンをからかってるだけだから。さあ、2人とも座って、座って!」


 リボンさんは、テーブルの手前に腰を下ろし、左隣の床を2回叩いた。


「センパイは、ここね」

「はい。失礼します」


 僕は、リボンさんの左隣に腰を下ろす。101号室とは違い、コタツは設置されていないが、下がホットカーペットなので、お尻が温かい。


「ダビデさん、こんばんは。――次はコユビの番ね」

「はい、お姉さま」


 馬場さんは1曲弾き終えたところで、妹の永井さんと場所を交代した。


「馬場さんは、ピアノが上手ですね」


「毎日練習していれば、これくらいは誰でも弾けるようになるよ。妹は、私よりもずっと上手だし」

 

「毎日練習ですか。それも大変そうですね」


 僕が毎日やっている事なんて、右手の上下運動くらいで、何の役にも立たない。

 それが、ピアノだったら、こんなに上手に弾けるようになるのか。


「それでは、みんなで歌って下さい!」


 永井さんが演奏を始めた曲は、お誕生日に歌われる定番の曲だ。


「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー。ハッピーバースデー、ディーア、リボンさーん。ハッピーバースデー、トゥーユー」


 ――パチ、パチ、パチ、パチ。


 リボンさんの名前の所が「呼び捨て」だったり「ちゃん付け」だったりで、統一されていないのはさておき、声楽部の馬場さんと永井さんは歌も上手だった。


 僕はカノジョの顔を見ながら歌おうとしたが、カノジョは僕と目が合うと恥ずかしそうに目をらしてしまうので、チラチラと横目で観察しながら歌う事にした。


 そんな僕達の様子を、花戸さんは笑いをこらえながら見守ってくれていたようだ。


 

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