第170話 童貞でも父親になり得るらしい。

 搾精室から釈放されて理科室に戻ると、部屋の中央にはプラネタリウムのドームが設置されていた。ドーム本体はビーチパラソルのような大きな傘で、その周りから垂れ下がるようにカーテンが取り付けられている。


 ドームを挟んで両側にある実験用の大きな机の上には布団が敷かれおり、左側の布団の上には、上着を脱いだ私服の小学生2人が、並んで仰向けに寝ていた。


 掛け布団は無く、肩から上はカーテンの内側に隠されている状態だ。

 2人とも、午前中に作った小さな動物のぬいぐるみを手に持っている。


 右側の布団の上には、小柄なお嬢様がセーラー服姿で仰向けに寝ており、同じように肩から上はカーテンで隠されている。こちらはリーネさんだろう。


 その小さな手には、血の付いたウサギのぬいぐるみが握られていた。


 設置された傘のドームの中からは、天ノ川さんの解説の声が聞こえ、それっぽい感じのBGMも流れている。


 観客が楽な姿勢でプラネタリウムを楽しめる親切設計ではあるが、机の上で横になっている3人は、外からの視線に対しては全く無防備な状態だ。


 僕が「賢者モード」でなければ、これを見て悶々もんもんとしていたかもしれない。



 

「お兄さんは、プルちゃん達でも見ていて下さい」


 ハテナさんが、部屋の隅に置いてある砂の入ったバケツの中を指差す。

 これは、科学部で飼っているアリジゴクだ。


 アリジゴクの穴は、前回と違って3つに増えていた。

 それに、たしかプルちゃんじゃなくて、プルツーちゃんだったはずだが。


「プルちゃんって、後の2匹にも名前があるんですか?」

「ありますよ。ワルちゃんとギスちゃんです」


 なるほど。3匹合わせるとワルプルギスか。

 どこかで聞いたことがある気がするけど、何だったか。


「魔女が集まる北欧のお祭り、『ワルプルギスの夜』からとった名前だ」


 答えは、僕が質問する前に返ってきた。


「そうでしたか。升田ますだ先輩は、物知りですね」


 しかし、名前を聞いたところで退屈な事には変わりがない。

 2人は顕微鏡を設置しているようなので、僕もそちらを手伝う事にしよう。


 準備する顕微鏡は3台。

 倍率は、接眼レンズを20倍に、対物レンズを40倍にセットする。


 升田先輩が以前行った検証結果によると、この800倍が観察に適した倍率で、オタマジャクシが丁度良いサイズに見えるそうだ。


「これで、どうだい?」


 実際に先ほど僕が出した試料を見せてもらうと、オタマジャクシは元気に泳いでおり、春に101号室で天ノ川さんに見せてもらった時と全く同じ大きさだった。


 あの時も、おそらく800倍で観察していたのだろう。 (第24話参照)


「よく見えますね」


 見たままの感想を升田先輩に伝える。

 当てもなく彷徨さまようオタマジャクシが少し不憫ふびんではあるが、それは仕方がない。


「これ、スポイトで私の体に入れたら、妊娠しちゃいますか?」

「そうだな。その可能性はあるだろうな」


 ハテナさんの質問に、升田先輩が得意げに答える。

 スポイトを使えば「間接性交セックス」も可能らしい。


「やめて下さい。童貞でパパとか、僕は絶対にイヤです」


「そんな事、しませんよ。私だって、処女でママはイヤですから」


 処女でも妊娠する可能性があるというのは不思議な話だが、そんな事になってもお互い不幸になるだけだ。試料の取り扱いには十分注意してもらわないと。




 BGMが止まり、リーネさんと小学生2人がドームから顔を出す。

 プラネタリウムの上映が終了したらしい。


「ノリタンは、無事だったのかしら?」


 リーネさんは、僕を心配してくれていたようだ。


「しばらく監禁されていましたけど、僕は無事です。そちらは、どうでしたか?」


「ニーレは、おもしろかったー」

「シロも楽しかったー」


「ふふふ……それは良かったです。次は顕微鏡で『ヒトの精子』の観察ですよ」


 プラネタリウムを楽しんだ小学生2人を、天ノ川さんが顕微鏡の前に誘導する。


「せーしってなーに?」

「シロも知らなーい!」


「変質者が、よく犯行現場に残していく体液に数多く含まれているものだ」


「升田先輩、その説明は不適切だと思いますけど……」


「お兄さんの、赤ちゃんの元です」


 ハテナさんの説明も、スポイトの話を聞いた後では、とても生々しく聞こえる。


「どうぞ、顕微鏡をのぞいてみて下さい」


 天ノ川さんは説明を省略し、3人に観察を勧める。

 顕微鏡は3台あるので、3人並んで同時に観察が可能だ。


「すご-い! オタマジャクシがいっぱいいるー!」 

「みんな、うねうね動いてるー!」

「こんなの、リーネも初めて見たわ。とっても不思議ね」


 見た人が喜んでくれると、僕も、なんだかいい事をしたような気分になる。

 実際には、自分の煩悩を体外に排出してもらっただけなのだが。




「おーい、そろそろ中に入れてもいいか?」


 しばらくして、廊下のほうから声が聞こえた。

 廊下からこちらの様子を見ているのは、科学部部長のジャイアン先輩だ。


 理科室の外が騒がしいのは、これを待っている人達がいるという事か。


「リーネさん、そろそろ次へ行きましょうか?」

「そうね、先輩方をお待たせしたら失礼だわ」


「ダビデさん、今日はご協力ありがとう。こちらの出口から退出してくれたまえ」

「リーネちゃん達も、見に来てくれてありがとう」


「ふふふ……甘井さん、お疲れ様でした。プラネタリウム鑑賞は、またの機会に。

 ――どうぞ、準備は出来ています!」


 天ノ川さんがジャイアン先輩に合図をすると、入口からは6年生の先輩方が、ぞろぞろと入ってきた。


 僕達は先輩方に場所を譲り、頭を下げてから理科室を出る。


 理科室の前には長蛇の列が出来ており、年功序列により6年生から順に入場しているようだ。人がここに集まっているのならば、きっと他は空いているだろう。




 その後、地下の音楽室に立ち寄って声楽部の皆さんの歌を聞かせてもらった。


 普段は聞くことのない鯉沼こいぬまさんや信楽しがらきさん達の歌声を聞くことが出来て、僕としては満足だったが、リーネさんと小学生の2人は少し退屈だったようだ。


 そして、まだ見ていない所は文芸部の有志による「テーブルトークRPG」のみとなった。現在時刻は2時前なので、時間的にも少し余裕がある。


「テーブルトークアールピージーって何かしら?」 

「ロールプレイングゲームですよ。ダンジョンに潜って宝を探すゲームです」


 ゲーマーでなくともロールプレイングゲームというジャンルくらいは知っていると思うが、お嬢様方の場合はどうだろう。


「シロタン、だんじょんって何だっけ?」

「えーとね、たぶん、どうくつー」

「そうね。きっと、洞窟どうくつで敵と戦ったりするのよね?」

「そうです。モンスター達と戦って経験値を稼いで、強くなるゲームです」


「面白そうー。ニーレやってみたーい!」

「シロも、やりたーい!」

「今から行ってみましょう。場所は――5年生の教室みたいね」

「他に回る場所もないですからね」


 生娘祭も残すところ、あと2時間。

 僕達4人は、新たな世界を求め、5年生の教室へと向かった。

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